第10話 社長との会話

 

 ―― さて、どう話したらいいものやら。

 

 その思いを抱えながら、ぼくは自分の気持ちをできるだけ正直に話した。もちろん、チョコに憑りつかれているからなどとは言えない。真面目な会話が一気に崩壊してしまうからだ。しかし就職に心が動かないこと。悩みがあり、就職どころか生活していることそのものがつらく感じていること。それらを話した。社長はぼくの内側にけっしてずかずかと踏み込んでくることなく、それでいてぼくの視線に合わせて誠実に聞いてくれていた。

 

 正直、これほどの会社を一代で創りあげた男なので、ぼくのことなど甘ったれだと思っているにちがいない。でも、そんな素振りは微塵も見せていない。ぼくは社長と話しているうちに、気持ちが安らぐのを感じた。もしかしたらこういうのをカリスマというのかもしれない。知らないうちに気持ちが惹きつけられていくのだ。現実世界でこの社長と会っていたなら、きっとぼくは社員になっていただろう。

 

 もっともっと話したかった。でも、おそらくとんでもなく多忙であろう社長をこんな話でくぎ付けになんかできない。それになぜだか、涙腺が緩みかかっている。涙が流れださないうちにお暇したかった。それでぼくは、自身の話を切り上げた。

 

「すみません。就職に関係ない話になってしまったうえに、こんなに長く……」

 

「いや、いいんだよ。もしまた煮詰まってどうしようもなくなったら、また来て話しなよ」

 

 これは100パーセント真に受けられないが、それでもぼくはうれしかった。この異世界に来てから、ぼくはマネキンや人形と話しているような感覚だった。それが今はどういうわけか、人としっかり話をしているように思えたのだ。

 

 では、と言って立ち上がろうとしたが、ぼくはそうしないでじっと社長の目を見た。あのことを最後に聞くべきか、悩んだのだ。チョコって知ってますか、と。

 

 なんだそりゃ、と相手はクエスチョンマークに頭が包まれるだろう。説明すればするほど、深間にはまるはずだ。これまで話のキャッチボールができたいい関係が、音を立てて崩れていくかもしれない。「訳の分からないことを言う甘ったれ」と、社長のぼくに対する評価が、地に落ちるかもしれない。ここは尋ねないでおとなしく引き上げるのがいい。そう分かっていた。でもやはりどうしても、聞いてみたかった。その思いを抑えられなかった。そこでぼくは俯き加減に、控えめなトーンで、あのぅ、と切り出した。

 

「チョコ、あるいはチョコレートってものを知っていますでしょうか?」

 

「えっ? なに、チョコ? なにそれ?」

 

 そんな反応を予測していた。しかしその予測はハズれた。まったく予想していなかったが、目の前の社長は目を見開いてぼくを見つめ返した。その反応とその視線に、ぼくはたじろいだ。なにかとてつもなくマズいことを言ってしまったときのような気持ちになった。

 

 その社長の見開いた目が、今度は一転、スッと細くなった。そしてゆっくりと胸の前で腕を組み、少し見おろす感じで顔を上向きに、ぼくを見つめた。

 

 

 

 

 

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