第61話
六月も初週に入る。
段々と初夏の暑さが近づいてきた中。
祢音達Ⅴ組は日差しの強く照りつくグラウンドに集められていた。
生徒達の一人一人が暑さに顔を顰めて、汗を拭いながら待機していると、
「よぉぉぉぉぉぉぉぉぉし!!!集まっているなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
この日照りの暑さにも負けない熱量を持った人物が颯爽……いや、豪快に現れた。
その男の名は、紅脇厚盛!
Ⅴ組からⅧ組の基礎戦闘訓練を請け負う教師である。
「今日はいつにも増して一段と暑いな!!!だが、この暑さがなんだ!!!暑さなど気合で吹き飛ばせ!!!気合があれば、暑さなど屁でもない!!!気合があれば、何でもできるとは先人の偉大な言だ!!!」
ちょうど昼休み後、正午の暑さも本格化してくる時間帯の中、午後最初のⅤ組の授業は基礎戦闘訓練。
食事終わり、加えて暑さ+熱さで鬱陶しいやら、怠いやらで嫌そうな顔を覗かせている生徒も少なくない。
それは祢音の横にいる普段は騒がしい炎理も同じで、
「クッソ……腹いっぱいだわ、めっちゃ暑いわ、声うるさいわで最悪な午後の始まりだぜ」
「腹いっぱいは炎理の自業自得だろ……食堂であんなに食うから」
愚痴を零す炎理に祢音も小声ながら返事をする。
「だって仕方ないだろ?今日は朝遅刻しそうになったせいで、飯を抜いちまったから、すげぇ腹が減ってたんだよ」
「結局は自業自得じゃないか……」
「そういう祢音はこの状況嫌じゃないのかよ?」
「確かに暑いし、いちいち声がうるさいが……でも、なんか新鮮で悪くない」
「……たまに祢音が凄いのか、頭おかしいのかよく分からなくなるわ」
「……頭おかしいは余計だ」
奇妙な生物でも見るような目を向けてくる炎理に、祢音も軽口を返しながら、肘で炎理を突く。
どこか男子学生らしい会話を交わしていると、ちょうど紅脇の無駄に声量がでかくて、中身のない雑談が終わり、授業内容の話に移り変わろうとしていた。
会話をすぐさま止めて、祢音と炎理は彼の話に耳を傾ける。
「――この一ヶ月ほど、とりあえず模擬戦をしてはお前達の実力を図ったが、どうやらお前達は全体的に持久力が不足していることが分かった!!!大概の者が十分の全力戦闘を行っただけで、疲れてばててしまうなど、どんだけもやしっ子なのだ!!!せめて授業時間最後まではずっと全力戦闘を続けられるようにせい!!!ということで今日はお前達の体力増強トレーニング『熱血ランニング』を行うことにする!!!」
背後からドンッ!!と爆炎が上がるようなイメージが幻視できるほど紅脇は強く宣言した。
それを聞いた生徒達は、案の定誰もが嫌そうな顔を見せる。
まぁ、当然と言えば当然だ。
今時、すぐそこに夏が迫り、気温も上がるというこの時期に何とも前時代的な訓練法なことか。
加えて、食後で少し体も重い状態で、走らされるというのだから堪ったものではない。
紅脇も生徒達の不満そうな雰囲気に気がついて、しかし、なぜか次の瞬間には得意げな表情を浮かべた。
「ふふふ!!!お前達の考えることは分かるぞ!!!なぜ今更ただランニングするだけのトレーニングをするのかと思ってるのだろう?だが、安心しろ!!!俺が考えたこの『熱血ランニング』はただのランニングではない!!!これは攻守を分けて、競い合うれっきとした戦闘訓練だ!!!ルールは単純!!!『攻撃側が捕縛!守備側が逃走!攻撃側は守備側を捕まえたら勝ち!守備側は攻撃側から逃げきれば勝ち!』という至ってシンプルなゲームである!!!」
「「「……」」」
「使用可能のことは身体強化と第一位階の魔法のみ!また今回は攻撃側は一人も捕まえられなかった者、守備側は捕まった者に罰として特別補習を与えるからな!!!期待していろよ!!!」
皆、言いたいことはとにかくいっぱいあったが、誰一人声を上げなかった。
ただ、彼等の内心は一つに纏まっていた。
すなわち、それは――
(((……ただの鬼ごっこですやん)))
◇
兎にも角にも、紅脇考案(自称)の鬼ごっこ『熱血ランニング』が始まって、かれこれ十分。
場所をグラウンドから北西に少し行った先の学園内の緑林地に移し、紅脇の独断と偏見で決められた攻撃側と守備側に分かれ、ゲームは開始された。
各自それぞれの腕に黒と白のリストバンドをつけられ、攻撃側の人間は守備側の人間を探そうと必死に森を駆けずり回り、守備側の人間は攻撃側の人間に捕まえられない様に林内に入っては身を潜めたり、静かに移動を繰り返したり、木に登り高みの見物をしたりと様々。
そんな中、腕に白のリストバンドをつけた守備側の祢音は、横で少し疲れた様子で息を弾ませる炎理からひそひそとした声で話しかけられた。
「はっ、はっ!なぁ、祢音?さすがに動き回るより隠れて身を潜めた方が最後まで逃げられるんじゃねぇか?」
普段とは打って変わった声の小ささはできるだけ、攻撃側に気付かれたくないという配慮だろう。
なにせ、捕まった後に待っているのはあの超熱血やる気教師の補習授業である。
何をやらせられるのか分かったものじゃない。
「いや、それは無理だろうな。そもそもここは緑林地だ。もっと草木が生い茂った森とかなら身を潜める場所もあるんだろうが、ここでは二人分の身を隠せるような場所なんて簡単には見つからない。特に今回は相手に教師がいるんだ。隠れていたとしてもあの先生が素人の学生の気配や音を見逃すはずないだろうからな」
炎理のビビり様を少しおかしく思い、苦笑しながら、祢音は意見を述べた。
そう、今回人数を公平に分けるために、攻撃側には紅脇が参加している。
教師が攻撃側となって、逃げる生徒を狙うのだから色々と卑怯というほかない。
だが、その理不尽を打ち払ってこそ優れた魔法師になる一つの資質だ!……と紅脇なら堂々と断言しそうだ。
と、まぁ、教師も入り混じった恐怖の鬼ごっこ――別名『熱血ランニング』が始まったわけなのだが、幸い祢音と炎理の二人は未だ攻撃側の誰一人とも遭遇はしていなかった。
しかし、やはりそういつまでもことがうまく運ぶわけないのが世の常であり――
「「あ!いた!」」
開始十分と少しして、祢音達二人はようやく黒のリストバンドをつけたクラスメイトに発見される。
相手も同じように二人組で行動を取っていたのか、ちょうど声が重なるようにして林内に響いた。
祢音の反応は速かった。
声が響く前には、すでに踵を返し攻撃側のクラスメイト達に背を向けて、駆け出す。
それから少し遅れて、炎理も祢音の後を追うように走り出した。
「あ!?待てッ!」
あまりの速さで逃げ出した祢音達を見て、一瞬呆けた攻撃側の二人だったが、すぐに慌てたように追いかけ始める。
が、いかんせん身体強化の技術が違い過ぎて、その走力に差がありすぎた。
炎理も最近はアリアから教わった技術をより探求し、鍛錬することで、身体強化の底上げを行い、一般の武蔵生以上にその技量を伸ばしている。その為か、全力ではないにしろ、祢音の足にどうにか付いていけるようになるまで成長していた。
祢音達と攻撃側のクラスメイト達はどんどんと距離が離れていく。
それでもクラスメイト達は諦めた様子もなく果敢に走った。
二人もやはり罰の特別補習が嫌なのだろうと、その必死の表情から伺い知れる。
ただ、それで捕まってやるほど祢音もお人好しではないので、脚を緩めることなく障害物である木々を華麗に躱しては疾走した。
そして、気がつくと
「やべっ……炎理のこと完全に置いてっちまった……」
途中から、少し楽しくなって速度を上げて駆けまわったため、攻撃側の二人から逃げるだけでなく、炎理とも離れてしまったのである。
祢音は少しバツの悪そうな表情を浮かべて頭を掻いたが、すぐに気を戻して「まぁ、あいつ一人でも大丈夫だろ」と気楽に考え直した。
そんな時だ――祢音に声をかける者が一人。
「あら?祢音君?」
ちょうど、祢音が辿った道とは反対側から冥が驚いた顔をして現れる。
「ん?冥か」
「ふふ、運がいいわ。まさかこうも早く祢音君と出会うなんて」
どこか不敵な笑みを浮かべた冥は一回舌なめずりをして、祢音を見据えた。
それはどこからどう見ても獲物を狙う雌ライオンのような目つきであり、祢音は少しだけ顔を引き攣らせる。
彼女の腕についているリストバンドの色は黒。
つまりは攻撃側の人間だ。
また、祢音が冥と出会ったのとほぼ同じタイミング。
『ウワハハハ!!!見つけたぞ!!!今度はお前だぁぁぁ!!!火野ォォォ!!!』
『ギャァァァ!?!?!?』
少し離れた方向からここまで綺麗に届く大きな怒号と絶叫が周囲に響いた。
苦笑い気味に内心で「ご愁傷様……」と思わなくもなかった祢音だが、今はそちらに意識を向けている暇はなく、その目を冥から離さない。
「私、実は何事にも決まって小さな目標を設定してるの。そういった小さな目的を積み上げれば、それがいずれ大きな目標達成に繋がるから」
「……ああ、それはいいことだと思うよ。明確な目的意識は人をより成長させるからな」
「それでなのだけど、この授業で私が設定した目標が何かわかる?祢音君?」
「……さぁ?」
「ふふ、それはね――祢音君をこの手で捕らえることよ!」
瞳を爛々と光らせ、口元を歪める冥を見て、祢音は脱兎のごとく逃げ出す。
冥もすぐさま怪しい笑みを携えたまま、彼の後を追いかけた。
畢竟、二人の熾烈な逃走と追走は授業が終了するまで続いた。
そして、祢音は珍しく少しだけ肝を冷やしたという。
凄まじきかな、冥の執念。
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