第58話
冥達がアリアからの特訓を受けて、数日が経ち、ようやく今日は晴れて延期になっていた風紀委員会の役員試験本選の日となった。
修理された闘技場施設は元通りに戻り、その観客席には休日にもかかわらず、武蔵学園の学生が本選を見に集まっている。
祢音と炎理、それと命も冥の応援に駆け付けるように観客席の一角で座って、試合の開始まで待機していた。
すると、暇だったのか、炎理が祢音達に向けて語り掛けてくる。
「暗条の奴、アリアさんに教えてもらった技術をどこまでものにしてるかな?」
「どうだろうな?……三人共、あの一日では全く形になってなかったもんな」
「……ん、凄く難しかった。二層を作るだけでも、大変」
あの一日の特訓だけでは、さすがにアリアから教わった技術を習得などできなかった。
三人の中で身体強化を主軸にし、最も才能を見せた命でさえ、ほぼ積層を形作れず、何度も痛い思いをしたのだ。
それも当然のことで、魔法属性には恵まれなかったものの、それ以外のことでなら圧倒的な才能者である祢音ですら積層形成に数ヶ月を要し、さらにはその状態で全身に纏えるようになるまで数年を必要としたのだから、冥達が丸一日だけで、あの技術を扱えるようになったら、彼の立つ瀬がなくなっていたことだろう。
しかし、できなかったからと言って、彼等に何も恩恵がなかったわけではなかった。
「ただ、全く形にはできていなくても、炎理達の
「ああ、魔法を使ってみて驚いたぜ!
「……ん、少しだけ身体強化が良くなった」
限界のある身体強化のせいで、成長の足止めを食らっていた命も少なからずの実感をしていると言うのだから、相当のものだろう。
久々に手ごたえを感じれているのが嬉しいのか、その顔は輝いて見える。
二人が実感できたというのだから、ここにはいない彼等のもう一人の友人である冥も同じだと言うことはきっと言うまでもない。
彼女が特訓の日から数日の自主鍛錬でどこまでその技量を伸ばせたのか。
それはこれからの役員試験本選で分かることだ。
◇
本選に残った風紀委員会の立候補者達に与えられた控室のとある一室に暗条冥はいた。
彼女は端に置いてある椅子に腰を落ち着け、目を閉じて瞑想を行いながら、試合の時間を今か今かと待ち構えていた。
今回本選に出場した立候補者は全部で八名。
そして、今年風紀委員会に空いた議席は二つ。
つまり、風紀委員の椅子を欲する立候補者達は必ず決勝までに残らなければいけないということになる。
要はこの本選で二度勝てば、風紀委員になれるということだ。
しかし、言葉にすれば比較的容易に聞こえるかもしれないが、事はそう単純ではなく、むしろかなり至難と言えるだろう。
毎年この風紀委員会の役員試験に立候補するのは大半が高等部の二学年と三学年達だ。新入生や中等部からの立候補者は少ない。ほとんどの立候補者は冥よりも長く武蔵学園で鍛錬を積んできた者達であり、普通に考えれば、新入生が勝ち進むことなど無理だろう。
事実、本選出場者も冥ともう一人の高等部一年以外は全員が上級生となっている。
その為、新入生の立候補者の中には風紀委員になれなくとも、視察に訪れる各業界のお偉いさんにアピールできればという考えを持って挑む者も多い。
(……私は何が何でも勝つッ!)
だが、冥の思考に負けるという概念は入っていなかった。
彼女の目には風紀委員の席と自らの悲願しか映っていないのだろう。
(必ずあの男をこの手で処断するためにも!)
冥の脳裏に過るのは、先月末に再会した怨敵。
自分では手も足も出なくて、逆にギリギリまで追い詰められ、結局は祢音に助けられたことで事なきを得た。
あそこまで死を身近に感じたのはおそらく初めてのことだ。
悔しくて、不甲斐なくて、情けなかった。
あの男を殺すために努力してきたのに、それが無駄と言われているようですらあった。
自分の無力さを思い知った日。
でも、同時にあの日は新たな巡りあわせを与えてくれた日でもある。
世間からすれば間違いであろうこの想いを否定せずに向き合って、さらには背中を押してくれる存在。
すごく嬉しかった。
それと同時にあの背中に追いつきたいとも思った。
強く、大きく、広いあの背中に。
だけど、それはまだまだ先の話だ。
せめてこの悲願を遂げることができるまでは。
そこで冥の思考は中断される。
『それでは風紀委員会・役員試験本選の初戦を始めたいと思います。立候補者様はステージにお上がりください』
スピーカーからアナウンスが流れたからだ。
それを聞いた冥はパチッと目を開け、立ち上がった。
彼女は第一試合にエントリーしていたのである。
(我儘に付き合ってくれた祢音君やアリアさんのためにも無様は晒せないわ。それに命やあのニワトリも見ている。なにより私にとって風紀委員になることはスタートラインなのよ――これくらい簡単に勝ち取って見せる!)
最後に深呼吸を一つ。
自らを鼓舞するように気合を入れた冥は一歩を踏み出した。
◇
冥がステージに上がると、すでに対戦相手が立っていた。
背の高い見目麗しい女生徒。
見覚えのない人物だ。
ただ、制服につけるリボンの色が赤いことから、相手が二年生だということが分かる。
「へぇ、私の相手は今年唯一の外部生の一年生じゃない。私は二年Ⅰ組の
相手側は冥のことを知っていたのか、気さくな様子で自己紹介を交えながら話しかけてきた。
冥は上級生、それも内部生の相手が自分のような下級生で外部生の存在に親しげな空気で声をかけてきたことに少し驚いた様子を見せる。
が、返事をしないのもまずいと思い、すぐに挨拶を返した。
「暗条冥です。よろしくお願いします」
「はは、そんな固くならなくてもいいのに」
「……」
緊張が伝わったのか、千早の指摘に冥は少しだけ眉をぴくりと動かした。
だが、冥の性格上をそれを認めるのも癪なためか、表情を動かさず、視線を目の前に固定することで無視を決め込む。
千早はそれを見て、少しだけ不敵に笑った。
二人の顔合わせが終わると、すぐ審判役の教師が二人の間に割って入る。
「それでは指定の位置に離れ、準備をお願いします」
教師の言葉に二人は頷き、開始線まで離れ、MAWを手に、構えを取る。
一瞬の静寂が辺りを支配し、そして――
「はじめ!」
教師の合図で二人は同時に動き出した。
先に攻撃を仕掛けたのは冥。
彼女は黒睡蓮を展開後、すぐに一節詠唱で魔法を発動する。
「連弾!
一瞬で宙に十数個の禍々しい黒い球体が浮かび、相手の立候補者に向けて放たれた。
対し、千早も迫りくる暗黒弾に展開した相棒の三節棍型MAWを繋ぎ合わせ、一つの棒に変化させると、対抗するように詠唱破棄で魔法を発動。
「
ゴウッと地面から火が爆ぜるように吹き出し、高い壁となって千早の前に現れる。
二人の発動した魔法が同時に着弾。
結果は冥の魔法が全て燃焼して、防がれる。
一つたりとも冥の暗黒弾が炎熱壁を超え、千早に当たることはなかった。
冥はそれを見て、内心で舌を巻く。
(さすが二学年の内部生……第三位階を詠唱破棄で、あんなにも強力に発動できるなんて!)
千早の力に素直に感嘆を示す冥。
ただし、そうやって思考している暇はあまりなかった。
冥の魔法を防いですぐ、今度は千早が行動を開始する。
彼女は相棒のMAWを手で器用に回転させながら、自身を守る炎熱壁を削るかのように火の粉を巻き散らし始めた。
「ッ!何を?」
まだ効力の消えていない自身の守護魔法を自ら壊すかのようなその行動に冥は訝しげな表情を浮かべ、思わず動きを止めてしまう。
千早はそれを一瞥してから、その僅かな慢心に対し小さく口元を曲げた。
(ふふ、未知のことに対して足を止めてしまう気持ちは分かるけど……実戦だったら終わりだよ?)
思考も早々。
「《
千早は詠唱破棄で前面に小岩ほどのサイズの火炎弾を展開後、すぐに手に持つMAWを火炎弾の中心に真っすぐ突き出した。
次の瞬間、火炎弾が無数に分裂し、宙に舞う火の粉を吸収して、より強力となった状態で波紋を広げるように散弾銃の如く猛烈な破壊の嵐を起こした。
それは前後で発動した魔法を連鎖反応させることで、本来は単独で使えない上位の魔法に発展させる技術――魔法の直列行使。
発動した中級攻撃魔法・第五位階の火炎流星弾が容赦なく冥に襲い掛かる。
「クッ!《
迫りくる火の弾丸の雨に冥は苦い表情を浮かべ、黒睡蓮を地面に垂直に立てながら、すぐに守護魔法を詠唱破棄で発動した。
眼前に円形の闇が冥を守るように広がる。
「――うッ!」
だが、それでも瞬時に発動した第一位階の守護魔法では中級上位の魔法を食い止めることが叶わず、所々闇の盾を突き破って、火の弾丸が彼女の体に被弾した。
防御・耐久に優れたトレーニングウェアを着用しているので、そこまでの大けがに繋がることはないが、それでも痛みは感じる。
焼けるような熱さに、冥は顔を顰めて耐えた。
嵐が去った後、冥の展開した闇の盾は穴だらけとなり半壊していた。
ただ、それでも術者を守り切ったのだから、意味はあったのだろう。
冥は立ち上がって、すぐに反撃を行おうとした。
「ふふ、これで終わりじゃないよ?」
けれど、すぐに前方から声をかけられ、驚きで目を見開く。
再度真新しく展開された炎熱壁の奥、そこには先ほどと同じような光景が広がっていた。
舞う火の粉に中空に漂う火炎弾、そしてMAWを突き出すように構える千早。
冥は顔を引き攣らせ、瞬時に地を蹴り、その場を離脱。
同時にその場所にまた破壊の嵐が通り過ぎた。
(くっ!厄介すぎる!)
直列行使の利点は本来は使えない位階の魔法を使えることや、また使えたとしても発動に時間がかかるところを短縮して発動できる点にある。だが、その反面に使う
「ハハハ!どんどんいくよ!どこまで耐えられるかな!」
千早は恍惚とした表情を浮かべながら、どんどんと冥を追い込んでいく。
近づこうにも攻撃の回転が早くて近づけず、反撃を試みようとも炎熱壁がそれを妨げるように防ぐ。
冥はなんとかステージの端に沿って逃げ回るくらいしかできなかった。
(……予選の時の上級生とは比べ物にならないわね!)
このまま手を拱いていたら、おそらく敗北は必至だ。持久戦という手もあるが、今回のこの舞台に制限時間が設けられている。時間が来てしまえば、審判の判断で確実に押されていた自分の負けが決まることだろう。
そもそもの話、持久戦に持ち込んで自分の体力が先に尽きらないとも限らない。相手は仮にも二学年の内部生なのだ。自分よりはるかにこの学園で研鑽をしてきた人物である。
安易な考えは持たない方が良い。
(なら……ここは一発奇を衒ってみようかしら)
しかし、相手の実力の高さに認識しつつも、冥は目の輝きを失うことなく、諦めた様子はなかった。
地を駆けぬけながら、活路を見出そうと視線をくまなく動かしていた彼女は、この嵐から抜け出す一筋の光明を見出していた。
ふぅと小さく息を吐き出し、冥は逃げに徹する足を止める。
それを見て、彼女が諦めたと思ったのか、千早は情けをかけるように言葉を送った。
「ふふ、もしかして降参?」
「そんなはずないでしょ?」
「そう――じゃあ、少し痛いかもだけど、我慢してね!」
その言葉と共に、千早が今まで以上に大きなサイズの火炎弾を生み出し、直列行使を始動。
先ほど以上の威力を持つ分裂した無数の火の散弾が冥に迫る。
視界いっぱいに映る赤き光に冥は目を細め、そして駆け出した。
「闇よ、〝纏え〟!
一節詠唱の後、前方に向けて発動した冥の暗黒の波動が波打つように火炎流星弾と衝突。
だが、当然すべてを打ち消すことは叶わず、数発は体に被弾し、宙に
体を貫く衝撃に足を止まりそうになるが、冥は急所をできるだけ守ることでそれをすべて凌ぎ切った。
千早はその対処法を見て、随分とギリギリな橋を渡るなと内心で思ったが、慌てた様子はない。
「ふふ、期待の外部生って言われるだけあるわね。私の火炎流星弾を凌いだのはさすがだわ。でも――あなたでは私に届かない」
そう、直列行使を得意とし、攻防一体のような魔法を使う千早にはまだ冥の行く手を阻む炎熱壁が残されていた。
この魔法をどうにかしない限りは、千早に冥の攻撃が達することはない。
加えて、突破に少しでも時間を費やす間に、次の矢が放たれる準備が完了する。
勝負はほんの一瞬。
冥は地面を疾駆しながら、キッと視線鋭く炎熱壁を見据え――そしてその身を投げ出すように火の中に飛び込んだ。
「自爆ッ!?」
千早が思わず声を上げる。
千度以上の熱を放つ火炎の中に自ら飛び込むなど正気の沙汰ではない。
これではトレーニングウェアを着ていたとしても、重症を負う可能性があるのだ。
誰だって冥の行動は自殺のようにしか思えなかった。
自分から負けに行くような行為に、当然千早もわずかに動きを止めてしまう。
そのせいで、パターン化していた直列行使にも綻びが生まれた。
――だからこそ、それが二人の勝敗を左右した。
刹那のこと、冥が火炎の中から飛び出る。
「なっ!?嘘でしょ!?」
まさか冥がその身一つで火炎壁を突破したことに、千早は目を大きく見開き固まった。
そして、その隙をつけないほど、冥は弱くない。
一瞬で懐に潜り込んだ冥は素早く石突にて、千早に三連撃を加える。
「カフッ!」
首元、鳩尾、腹部と高速の刺突が襲いかかり、千早は痛みに呻きながら地面に膝をついた。
その彼女の首元に冥は素早く黒睡蓮の刃を当てる。
その瞬間、審判は試合終了の声を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます