幕章
第39話 過去編Ⅰ
鬱蒼と木が茂る森の中。
一人の幼い男の子が倒れるようにして、地面にうつ伏せに横たわっていた。
身なりはボロボロで、着ている服のあちこちには泥や赤いシミといった汚れが目立つ。さらには、服から覗く腕や足はかなりやせ細っていて、素肌にも数多くの切り傷や打撲痕、火傷などといった、いかにも満身創痍な風貌をしていた。
その子供は誰がどう見ても、死にかけの状態だった。
にもかかわらず、ズリズリと地面を這うように子供は一歩一歩、前に進もうと、もがくように動く。その先に何があるかはわからないが、それでも子供は止まらない。ただ、衝動につられるように、”想い”に駆られるように、器用にも手と足を使い突き進んでいく。
(どうしてこんなことになったんだろう――)
その子供――焔魔祢音は、力の入らない体を必死に動かしながら、当てもなく、亀よりも遅い歩みで前へ前へと這って進む。
そして、その傍らで現在の状況になるまでの経緯を思い出すのだった。
――――――
――――
――
それは約半年程前のこと。
五歳の誕生日と同時に焔魔家では子供に
通常ではこんなに早く子供に
魔天八家や魔法師を輩出する名家のほとんどは早くから魔法師教育を子供に施すため、大体このくらいの歳の時期から測定をするのが一般化していたのだ。
その例に漏れず、焔魔家の長男と次女である、焔魔祢音と焔魔朱音の五歳の誕生日にも、二人の
焔魔家の本邸の地下にある一部屋。
焔魔家とゆかりのある名家の者や分家の者達を集めた大々的な二人の誕生パーティーが終わった後、その一室には現在、祢音の家族と数名の使用人だけが集まっていた。
中央には一台数千万円はする横置きタイプの
固くなるのも無理はない。何せこの測定で自分の未来が決まるかもしれないのだ。大人でも過敏になる状況で、まだ五歳の二人にリラックスしろという方が無理な話であった。
「に、にいさま……だ、だいじょうぶかな?」
朱音は隣に立つ双子の兄、祢音の服の裾を握り、不安そうに声をかける。それを聞いて、自分の憂慮を押し隠し、祢音は双子の妹を勇気付けるように笑顔で励ました。
「だいじょうぶだよ、朱音!ぼくもついてるから!」
「う、うん……で、でも、こわい。私、にいさまみたいに運動できないし、体も弱いから、きっとダメだよ……」
「そんなことない!朱音は僕と双子なんだよ?僕だけがすぐれて生まれてくるはずないだろ?僕にいいところがあるように、朱音にもいっぱいいいところがあるんだから!」
「ほ、ほんと?」
「ああ、ほんとだよ!朱音は頭もいいし、魔法の知識だってもうたくさん覚えてるじゃないか!僕なんかよりぜんぜんすごいよ!」
「……え、えへへ!ありがと、にいさま!」
大好きな兄に褒められたことで、朱音は少しだけ自信を取り戻す。
それを見ていた二歳年上で二人の姉でもある紅音は面白くなさそうに頬を膨らまして、二人の間に割って入った。
「むぅ!祢音!朱音だけ褒めるのはずるいわよ!私のいいところも褒めて!」
後ろからガバッと抱きつき、顔に頬ずりをしながら、拗ねたように口を尖らせ、祢音に唐突な要求を飛ばしてくる。
「ッ!姉ちゃん!?」
祢音は突然の衝撃に少し驚き、対する朱音は、
「ねえさま、ずるい!私もにいさまに抱きつく!」
姉が祢音にするスキンシップを見て、嫉妬もあらわに、対抗するように祢音の懐に飛びついた。
「むっ!朱音!祢音から離れなさい!」
「いやッ!ねえさまが離れて!」
「いやよ!朱音は今日、私よりも長く祢音と一緒にいたんだから、今くらいは私が祢音を一人占めしてもいいはずよ!」
「そんなの知らない!にいさまは私の!」
「むぅ!生意気よ、朱音!」
「ねえさまだって!」
バチバチと祢音を挟みながら、上と下で見えない火花を散らして牽制し合う姉妹二人。普段は仲もよく、お互い大切に思い合っているが、なぜか二人は祢音のこととなるとしょっちゅう喧嘩をする。
揉みくちゃにされるように姉妹からぎゅうぎゅうと引っ付かれる祢音は、少しだけ苦しそうだ。
「ち、ちょっと!」
堪らずといった様子で、祢音が二人に訴えても、
「「我慢して、祢音 (にいさま)!!」」
「う、うん……」
と、なぜか息ぴったりに返されてしまい、撃沈させられてしまう。
わかっていたけどね、と含蓄がありそうな雰囲気で祢音は苦笑した。
実は毎回のように、張り合う中で二人は時折ほんとに喧嘩してる?と言いたくなるような意気投合を見せる。それがまたなんとも鬼気迫る感じであり……祢音は二人からそう言われてしまえば、後はもう何も言い返せなくなってしまうのだ。
喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもので……まさに今の紅音と朱音にぴったりの言葉だと言えた。
そうやって三人がいつものじゃれ合いをしている、その時だ。
「もう……紅音ちゃんに朱音ちゃん?祢音君を困らせちゃダメでしょ?」
祢音に助け船を出すかのような、そんなおっとりとした穏やかな声が壁際から発せられる。
「だって、お母さん!朱音が言うこと聞いてくれないんだもん!」
その声に紅音が反射的に言い募るように返した。
「紅音ちゃんはお姉さんなんだから、あまりわがまま言わないの。それに朱音ちゃんも。お兄ちゃんが少し困ってるわよ?」
二人にメッと叱るような声をかける人物。怒っているのかいないのかわからないような叱り方だが、本人的にこれは叱責だと思っている。
そんな穏和な印象を声から与える相手。紅音の言葉からもわかるように、それは祢音達の母親である
薔薇のように赤く艶やかな髪を真っすぐ腰元まで伸ばし、美麗で端正な顔立ちは歳での衰えを感じさせない。すでに四十代に差し迫ろうかという年齢にもかかわらず、紅音達の姉と言っても通用しそなほどの美貌の持ち主だ。
「もうすぐ測定が始まるんだから、そろそろ二人とも祢音君から離れましょう?」
由利音はどこまでも和やかでゆったりとしたような声で彼女達を説得する。
「むぅ……私は今日、祢音成分が足りないの!だからダメ!」
「私もにいさまから離れたくない!」
だが、二人は反発するようにさらに祢音を抱く力を強めた。
「あらあら、もう……この二人ったら。本当に祢音君のことが好きなのねぇ」
それを見て、言うことを聞かない二人に由利音は困ったように頬に手を当てる。純白の和服に身を包み、首を少しだけ傾げて、悩ましそうにため息を吐く由利音は、絵画から飛び出してきたかと思うほど美しい。
もう少しきつく叱ってもいいだろうと思うのだが、このふわふわと柔らかい気質こそが何よりも由利音の良いところであり、悪いところでもあった。
「朱音、さっさと離れなさい!」
「いやッ!ねえさまがどいて!」
視線の先では紅音と朱音の祢音を巡る戦いが第二ラウンドに突入しようとしていた。
争いの中心で祢音はすでに思考を放棄している。もう流れに身を任せる気でいた。その可愛い顔には諦観という文字が色濃く浮かび上がっているほどだ。
近くでは由利音は「はぁ、どうしましょう」と小さく呟き、控える使用人達もどうしようかとおろおろ惑う。
すでに二人の姉妹を止められるものは部屋にいないかに思われた。
その矢先。
「お前達、そろそろ止めろ」
真後ろから厳かで迫力のある、低くも良く響く声音が祢音達に届いた。三人が三人ともビクッと震えて、恐る恐る振り返る。
入室してきたばかりのその人物。パーティー終わりだからか、深紅のスーツを身に纏い、それと同色の髪をオールバックに決めた姿。長身で服を着ていても分かる鍛えられた躰に、年月が経ちどこか貫録を帯びた端正な顔立ち。そこにいるだけで周りを圧倒し、膝をつかせるような王の如き覇気を発する男性は――
「お、お父さん……」
代表するように紅音がポツリと男の正体を零す。
そう。祢音達を静止させた男は焔魔家現当主にして、三人の父親、
「遊びはそこまでだ。そろそろ祢音と朱音の測定を始める」
剛毅は三人を見下ろして、冷めた様な声で告げる。
「「は、はい」」
その声に従うように、紅音と朱音はすんなりと祢音から離れた。先ほどまでかなり渋っていたというのに、驚くほど素直だ。
三人にとって母親である由利音が安心する存在であるのに対し、父親である剛毅は畏怖する存在だった。
家柄を厳格に重んじ、他者にも己にも冷徹なほどにまで厳しい剛毅。
それは物心つき始めた子供達にすぐさま英才教育を始めたことからもわかる。祢音達は言葉を話せるようになった三歳くらいの頃から英才教育を受け始めた。それは言葉だったり、文字だったり、果てには一般教養から魔法までと様々なものを。
特に次期当主となる祢音にはより苛烈に、より厳重に、剛毅自ら教えていた。
しかし、祢音達はそんな父を恐れていはいるものの、別に嫌いというわけではない。教育を熱心に施す裏側で、子供達は剛毅が家族にたまに見せる優しさを知っていたから。
寡黙だが、たまに褒めるように小さく「よくやった」と言ってくれる。難しい問題を解いた時などは、軽くポンと頭を撫でてくれる。
そういう小さいながらも、優しさを見せる姿を祢音達は嫌いになれるはずもなかった。あまり笑顔を見せることはなくとも、不器用なりにしっかりと自分達に愛情を注いでいると祢音達は幼いながらも理解していたのだ。
だから、祢音達は厳しい教育にも弱音を吐くことなく、ただ父から教わることすべてを吸収していった。父の期待に応えるため、父のような立派な魔法師になるために……。
「最初は朱音から始める。その次に祢音だ。大丈夫か?」
「「は、はい」」
剛毅が二人にそう告げると、祢音と朱音は緊張したように頷く。それを見て、剛毅はすぐに使用人達に準備を始めさせた。
――それから、およそ五分とかからずに測定準備は終わる。
「まずは朱音」
「は、はい、父様」
父親に促されるように、朱音はスキャナーの台に乗り、上向きに寝そべった。
「始めろ」
朱音が指定の位置にきちんと横たわったのを見た剛毅は使用人に操作の指示を出す。
すると、取り付けられた感知センサーが動き出し、朱音の体を透過するように読み込みを始めた。
朱音の小さな体を感知センサーは何度も行き来する。細部まで細かく調べるように右へ行っては左へ、左へ行っては右へと往復していく。
最終的に都合二桁往復に達するくらいで、センサーは止まり、スキャナーからはピピピと終了の合図が鳴り響いた。
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