第40話 過去編Ⅱ


「あ、あの、と、父様?ど、どうですか?」


 測定を終えた朱音はスキャナーの寝台から下りると、恐る恐るといった調子で父親に結果を聞く。


「どうだ?」


 剛毅はその問いに答える意味も込めて、モニターを操作する使用人に結果を尋ねた。問われた使用人は取り付けられた画面を見つめながら、少し興奮気味に結果を告げる。


「現在保有量は八千五百。保有色は赤。結合安定率は38%。それから潜在的保有限界量が……ひ、百五十万です!」

「ほう!」


 その報告に剛毅は珍しくも口角を上げて、小さく笑んだ。


 五歳の年の子供でこの結果はかなり優秀だったからだ。


 通常五歳児の保有する心想因子オド量はおよそ二千ほどで、結合安定率に関しては10%前後の数値が平均だ。


 加えて、心想因子オドの潜在的保有限界量が百五十万という数値。


 大方の魔法師になる人間で潜在的保有限界量は基本的に三十万を行けばかなり優秀とされている。日本の魔法師を輩出する名家でも百万を超える数値を出す者は歴史的に見ても少ない。


 最初から現在保有量も結合安定率も平均の四倍近くで、さらには潜在的保有限界量が一般よりもはるかに高い朱音は魔法師の才能がかなりあると言ってよかった。


 あまり表情を変えない剛毅が笑うのも納得というもの。


 何せ、自分の娘が魔法師として大成するのは確実と言っても良かったのだから。


 剛毅は先ほどの朱音の質問に対し、小さく口唇を上げると、彼女を称えた。


「さすが俺の娘だ。お前はすごい魔法師になれるぞ」

「あ……は、はい!」


 剛毅に褒められたことで、朱音は不安そうな表情から一転、すぐに嬉し気な笑顔を浮かべる。


 近くで見ていた祢音や姉の紅音、母親の由利音も、


「良かったね、朱音!」

「すごいじゃない、朱音!」

「うふふ、この結果は大したものだわ、朱音ちゃん!」


 と朱音の出した結果に自分のことのように喜んでいた。


「あ、ありがと!兄様、姉様、母様!」


 朱音はその賞賛に少し照れたように頬を染め、お礼を返す。


 その家族の団欒と言ってもいい光景を一瞥した剛毅は、


「次は祢音だ」


 とすぐに測定の続きに入った。


「は、はい」


 声をかけられた祢音は朱音同様、緊張したように返事を返す。


「がんばって!兄様!」

「頑張りなさい!祢音!」

「うふふ、頑張ってね、祢音君!」


 傍から見れば三姉妹にも見える祢音の家族は全幅の信頼を寄せるように、口々に祢音に声援を送る。


「お前の結果を楽しみにしているぞ。次期当主になる者として、素晴らしい結果を示してくれ」

「うん。わかってるよ、父さん」


 最後に剛毅が発破をかけると、祢音も応えるように強く頷いた。


 祢音は生まれた時から焔魔家の期待を一身に背負っていた。初めての男児の子供であると同時に、生まれた瞬間から感知できるほどの膨大な心想因子オドを持って誕生したことがその理由である。


 なぜか焔魔家特有の深紅の髪色を持って生まれなかったことに疑問を持つ者達もいたが、過去にも髪色と属性が合わないという例外な人物がいた。その為、彼らも祢音の髪色をあまり気にすることはなかった。


 それ以上に祢音の身体の奥から漂う膨大なまでの心想因子オドに彼らは期待と希望、羨望、ありとあらゆる正の感情すべてを注いだ。


 僅か五歳ですでに心想因子オド量だけなら大人の魔法師以上だろう。後は測定で火属性をきちんと持っていると判定されれば、祢音は焔魔家始まって以来の最強の魔法師になるのは確実だった。


 祢音自身もそのことを幼いながらに理解していたし、事実そうなるものだと思って今まで父親の教育にも耐え、頑張ってきた。


 ――僕が焔魔家を今よりも栄えさせ、日本一の家にする!そしてお姉ちゃんや朱音を幸せにしてあげるから!


 これは祢音の目標であり、姉妹二人と交わした大事な約束でもある。


 だが、運命はひどく残酷で儚い。


 それがわかるのはほんの少し先の未来のこと。


 祢音は剛毅に促されるように、スキャナーの寝台に横になる。家族の期待に応えたいがためか、祢音の体は緊張したように固い。


「よし、始めろ」


 祢音がしっかりと位置についたことを確認すると、剛毅は使用人に向かって指示を出した。


 先ほど同様、心想因子オドを感知するセンサーが祢音の体を透過し、丹念に調べるように何度も何度も往復していく。


 最終的に朱音の時と同じように、センサーは二桁往復に達したというところで止まり、スキャナーからはピピピという終了の合図が鳴った。


 固さが抜けきらない状態で寝台から下りる祢音。心臓がドキドキと鼓動を刻み、今か今かと結果の報告を待った。


「どうだ?」


 剛毅はそんな息子の様子を見て、使用人に結果を確認する。


 尋ねられた使用人はモニターをのぞき込み、そして驚いたように大きく目を見開いて、固まった。


「どうした?」


 答えない使用人に剛毅は眉を寄せ、不機嫌そうに再度尋ねる。


「え、あ、は、はい!」


 その声にようやく反応したその使用人は、慌てたような声を上げてすぐさま結果の報告に入った。


「ほ、保有量じゅ、十八万。潜在的保有限界量、け、計測不能……」

「さすがにすさまじいな……それで肝心の保有色や結合安定率はどうした?」

「……あ、あのこれは……」

「どうした?」

「い、いえ……」


 保有量と潜在的保有限界量だけを言って、続きを言い惑う使用人に、剛毅は不審そうな目を向ける。


「だったら早く言え」

 

 結局、主の有無を言わさない促しに、その使用人は恐々と続きを報告した。


「……ほ、保有色は透明。け、結合安定率は0%、です」

「……なに?」


 剛毅は結果を聞いた瞬間、聞き間違いかと疑った。その威圧のある聞き返しに、使用人は聞こえなかったのではないかと思い、もう一度、次はちゃんと聞こえる声で結果を告げた。


「保有色は透明、結合安定率は0%です!」

「……」


 二度目の正直。


 最初に述べた報告は聞き間違いではなく、きちんとした事実。それを実感した剛毅は表情を消した。


 祢音は最初それが何かの聞き間違いであってほしいと思った。だけど、二度も同じことを聞き間違えるはずがない。


 透明。その色を持つということは、属性が無いということ。もし未知の系統外属性などの場合なら、スキャナーの結果は”該当なし”と出てくるはず。


 まぎれもなく、祢音が持っている色は透明であり、無属性だった。


 使用人の報告にその地下の一室には先ほどとは打って変わって、陰陰滅滅とした空気が流れた。


 祢音は、この現実を誰かに嘘だと言って欲しくて、助けを求めるように周囲を見渡す。


 姉と目が合う――その表情は驚きと困惑で塗り固められていた。


 妹と目が合う――その顔には何が起きたかわからないという色が浮かんでいた。


 母と目が合う――沈痛そうな面持ちで悲しそうに綺麗な顔を歪めていた。


 最後に父と目が合う――初めて見るかのような強い侮蔑の色を面貌に浮かべ、瞳の奥で失望を露わにしていた。


 その日、祢音の日常は崩れ去った。




 ♦




 五歳の誕生日の次の日から祢音は焔魔家の本邸ではなく離れで暮らすようになった。


 父親である剛毅の命令だ。


 そして、その生活もかなりの変貌を遂げる。


 外出は禁止され、常に一人の使用人に監視される毎日。三食の食事も使用人が運んでくるため、祢音はほとんどの時間を部屋での生活となった。


 もちろん家族に会うことはできず、日課だった父親からの熱心な教育も無くなっている。


 加えて一番変わったことは、今まで向けられたありとあらゆる正の感情が、一転して完全に真逆の負の感情に変わったことだろう。


 尊敬は軽蔑に。羨望は失望に。賞賛は嘲笑に。


 離れから出るたびに、祢音は分家の者達やその使用人にそれらの感情を向けられた。


 中には、


「おい!無能!これが魔法だぜ!火よ、敵を焼き、滅ぼせ!火炎イグニス!」

「うぐぅぅぅ!!!」

「ハハハ!!!すごいだろ!もう第一位階の魔法を使えるんだぜ!僕は!」

「スゲぇ!さすが分家筆頭である炎月えんげつ家の跡取り、宗祇そうぎさんだ!」

「君達もこの無能を的にして、魔法の練習をすれば、きっと上達するさ!」


 と、このように祢音を使って魔法の練習台にするという分家の子息なども現れ始める。すでに祢音が本家の嫡男だという認識は彼らになく、日頃溜まった鬱憤を晴らすように彼を痛めつけた。


 


 そんな過酷な日常を半年過ごした時。


 祢音は誕生日以来、久々に本邸の、それも父親の執務室に呼ばれる。


 今の祢音の体はかなりひどい状態だった。この半年で分家の者達にやられた傷は手ひどく、食事も昔と比べ質素で貧しくなったため、体重が落ちている。


 可愛らしかった見た目は現在、手足などには火傷跡が目立ち、栄養不足なのか痩せ細って、見るも無残といった様子。


 にもかかわらず、祢音の瞳の奥はまだ絶望に染まってはいなかった。


 自分をこんな風にした者達に対する恨みがないと言えば嘘になるが、そんなことよりも祢音には姉妹との約束の方が大事だった。


 ただ紅音達と交わした約束。焔魔家を今よりも発展させ、紅音と朱音を幸せにする。今の自分でどうやってこの目標を成し遂げられるのかということを半年程真剣に考えた。


 まだ答えは出ていないが、祢音は今回の呼び出しをチャンスに思っていたのだ。


 本邸の目前まで来た時や本邸内に入った時もそうだったが、辿り着いた父親の執務室は半年ぶりだからか、ひどく懐かしく感じられた。


 祢音が入室すると、真っすぐ視線の先に座る父親の姿が。


 その右隣りには母親である由利音、姉である紅音、妹である朱音が並んで立っている。


 久方ぶりに見る自分の家族が全員揃っていた。


(なんだろう……?)


 だが、祢音は彼らを見て、小さな違和感を覚えた。父親である剛毅以外の様子がどこかおかしい。


 母親にはいつものような穏やかさが、姉にはいつものような大らかさが、妹には天真爛漫さが、なぜか感じられなかった。


 というより、どこか彼女達の雰囲気は人間ではなく・・・・・・……


「来たか」


 とそこまで祢音が思考を回した時だ。


 剛毅が初めて口を開いた。


 その半年ぶりに聞く父の声はひどく冷たい。今まで祢音が剛毅には向けられてこなかった声だ。


 祢音は辛そうに俯き、唇を噛み締める。父親から初めて向けられる蔑視の感情に祢音はそうしてなんとか耐えた。


「と、父さん……きょ、今日はどうして僕を呼んだんでしょう?」


 そして、剛毅が自分を呼んだ理由を震える声で尋ねる。


 剛毅は怜悧な目元を更に鋭く細め、侮蔑の色も隠そうとせず、祢音に向かって端的に告げた。


「お前の廃嫡が正式に決定した」

「え……」


 剛毅の口から述べられたその宣言。聞き間違いであってほしいと願うも、祢音の耳は剛毅の言葉を一語一語正確に聞き取った。


 さらに――


「それだけではない。無能であるお前はもうこの家にいる資格はない。本日中には出て行ってもらう」

「そ、そんな……ま、待って!ぼ、僕は!」


 それを聞いて、祢音は剛毅に何かを言い募ろうとする。しかし、剛毅は祢音の言葉を全て聞くことなく、途中で斬り捨てた。


「何を言っても結果は変わらん。お前はもう焔魔家の一員ではない。今すぐ出ていけ」

「ま、待ってください!僕はまだ!」


 なおも祢音は状況を変えようと、言葉を紡ごうとするが……それより先に由利音がヒステリックな叫びをあげた。


「お願い!早く出て行って!」

「え……か、母さん?」

「もう見たくないの!嫌なの!……あなたみたいな色なし産むんじゃなかったわ!」

「な、なんで……」


 その言葉は祢音の心に亀裂を入れる。


 さらに続けるように紅音が軽蔑を隠そうともしないで祢音に告げた。


「お母さんの言う通りよ。早く出ていきなさい。……ほんとなんであんたみたいな人間が私の弟なのかしら?最悪だわ」

「ね、姉ちゃん……?」


 亀裂は増すように深く心に刻み込まれる。


 最後は朱音が締めるように蔑みの視線を向け、ポツリと呟いた。


「……もう顔も見たくない」

「……」


 それが限界だった。


 心に刻まれた亀裂は端々に深く深く浸透していき、やがて決壊した。


 祢音は立つこともままならず、ガクリと膝をつく。


 その目に光はなく、ただ俯き、現実に向き合えないでいた。


 その哀れな息子の姿を見た剛毅は最後に嘲笑を一つ浮かべ、


「魔法師輩出の名門である我が家から、まさかお前のような無能がでるとは思わなかったぞ。この家にゴミはいらない、出ていけ!」


 ――


 ――――


 ――――――


 そうして、気が付けば祢音はこの樹海の中に捨てられていた。


 すでに捨てられてから一週間程が経つ。


 この一週間、まともなものは口にしておらず、ただ地面に生える草や花、さらには土を食べて腹を満たした。


 水は、運がよかったのか、雨が降ってくれたおかげで、少しは摂取できていた。万が一雨が降っていなかった場合、祢音は一週間も持つことはなかっただろう。


 けれど、もう祢音は限界に近い。


 森を歩いて転んだときにできた擦り傷。枝に引っかかってできたかすり傷。この半年ほどで受けた虐待でできた打撲痕に火傷跡。それに空腹による体力の低下。


 五歳児の体力などあってないようなものなのだ。


 今、這って動けるだけでも奇跡に近かった。


 思考もままならず、亀よりも遅い歩幅で、ただ無心で祢音は突き進んでいた。


 そんな時だ。


 近くの草むらでがさがさと音がした。


 耳でその音を拾った祢音はゆっくりと音の方向に視線を向ける。


 視線の先から出てきたのは、一人の女性。


 日も沈み始める時間帯にもかかわらず、その輝くような銀髪は暗くなり始めた辺り一帯を明るく照らす。霞む視界に映る顔は人外の美貌を誇り、今までに見た何よりも美しいと祢音は感じた。


「どうしてこんなところに子供が……」


 癒しの効果でも施されているのか、鈴の音を転がしたような綺麗で澄んだその声に祢音は眠気を誘われる。


 というより、事実、目頭が重たくなっていた。


 一週間ぶりに見る人。普通は警戒するべきところだが、祢音にそんな体力もない。何よりも、その女性を見た瞬間、なぜか不安よりも安心が体を包み込んだ。


 だから、祢音は抵抗することなく、落ちる瞼に従うように、段々と意識を闇に落とす。


 偶然だったのか、はたまた必然だったのか。


 それは過去に世界を救った英雄と後の未来で世界を救うことになる英雄の邂逅。


 大魔法師とその息子になる存在の運命の出会いであった。


 

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