第38話 満開には遠くとも、それは始まりの蕾


 悔しさに震えるように、祢音は俯き、拳を握りこむ。


 その内心では自分の未熟さや不甲斐なさ、浅はかさなどが渦巻き、苛立ちを加速させていた。


 なぜ敵をあの二人だけだと思っていたのか。なぜ他に仲間がいるとは考えなかったのか。


 少し考えればわかることなのに……。


 常に優位に戦いを進めていたから、慢心し、侮り、勝手に終わりだと決めつけ、自己完結してしまっていた。


 だから、恐怖テモールが自分の仲間を招集していたことに気が付かず、まんまと出し抜かれた形で敵の救援を呼びこませた。


 もっとしっかり注意を払っとけば。甘えを許さず完全に気絶させていれば。


 あの二人を取り逃がすことはなかった。


 祢音の脳裏をそんな考えがよぎる。


 経験不足からくる油断。この世界に絶対はないが、少しでも自分が意識をするだけで、捕らえられた確率は1%でも上がっていたのではないかと思うと、祢音は自分に腹が立った。


 だが、何よりも祢音を苛立たせている原因は自分の力の無さだ。

 

 連戦で消耗した後だったから。相手が複数人だったから。冥を守りながらの状態だったから。


 そんな言い訳は祢音にとって毛ほども励ましにはならない。


 自分が憧れる最強の人物。目標とする彼女、アリアならあの程度の状況などさほど問題にはならなかっただろう。


 敵に一人全天ウラノメトリア級の力の持ち主がいようが、それに加えて、近しい実力者が複数人いようが、いつものようにおチャラけた態度で、笑いながら、味方を守り、そして敵を潰していたはずだ。

 

 アリアを目標としているからこそ、こんなことで躓くことが祢音には堪えられなかった。


(ちくしょう……俺はまだまだ弱い……)




 兵吾と緑が祢音達が戦っていた広場に到着したのはそれから十分後くらいのこと。


「うおっ!なんじゃこりゃ!」


 辿り着いた瞬間、兵吾が発した第一声はそんな言葉だった。


 それもそのはず。


 そこに広がるは爛れた惨状。大小さまざまなクレータ。切り倒され、吹き飛ばされた木々。地面に飛び散った小火。


 戦いの爪痕が深く残るその広場。


 兵吾ほどのリアクションを見せないものの緑でさえ、その惨劇を見て驚きに目を見開いていた。


「す、すさまじいことになってますね……。ここら一帯で心想因子オドの密度も高くなっているようですし……かなりの戦いがあったようですね、村雨さん」

「そんなのこの状況を見たらわかるわ。……とりあえず当事者に何があったか聞くぞ」


 兵吾は少し離れた木陰で、木に背を預けるようにして座っているシャツ一枚のスタイルな祢音に近づく。その隣では体に祢音のブレザーをかけられた冥が横になっていた。


 一瞬、その姿を見て不吉な予感が頭を過った兵吾と緑。が、冥の胸が小さく上下しているのを見て、ただ意識を失って寝ているだけだと知り、安堵の息を吐いた。


「どうやら、二人とも大丈夫そうだな……驚かせやがって」

「そうですね、安心しました」


 緑は除くとして、兵吾が胸をなでおろす様を見た祢音は場違いにも、この男に生徒の無事を心配するという教師みたいな姿勢もあるのだなと意外感を覚えた。


 怠け者でサボり魔。肝心なところではやる気を見せず、常に戦いかギャンブルにしか興味のないダメ人間の見本市みたいな存在だというのに……。


「おい、なんだ無道、その目は?俺がお前らを心配するのがそんなビックリするようなことかよ?」


 顔に出てしまっていたのか、祢音の表情を見て、兵吾は瞳を細めて、彼を睨んだ。


「いや、普段の先生を知ってるから、信じられないっていうか……まぁありえないのを見たなとしか思えなくてな」

「正直かっ!そこはもっとオブラートに包んで俺を傷つけないように遠慮しろよ!俺だって自分の受け持つ生徒が危険な目に遭っているのを知ったら、少しは心配するわ!まぁ、お前に関しちゃまったく以て気にしてなかったけどな!ほんと、これっぽ~~~~~っちも心配してなかったからな!」


 どこのツンデレだと言いたくなるような言葉を発する兵吾。ムキになるように兵吾は指で自分がいかに祢音を心配していなかったかの度量を示して、叫ぶ。


「ガキかよ……まぁ、それでこそ先生らしいけどな」


 それを見て、祢音は苦笑を浮かべた。


 そんな二人のやり取りを横で眺めていた緑はなぜか祢音と張り合おうとする兵吾に呆れたように嘆息を漏らす。


「二人ともそこまでにしてください。村雨さんも。そんな子供みたいなことしてないで。ほんと生徒の前で、恥ずかしい……」

「文句あんのかよ、風間!こいつから最初に売ってきたんだぞ!」

「村雨さんのいつもを知っている生徒だったらみんなそんな反応になりますよ!あなたはクズでゴミでダメの手本そのものなんですから!」

「いや、そこまで言われると俺もさすがに傷つくんだが……」

「知りません!常日頃の自分を見直してください!」

 

 思った以上に鋭い毒をカウンターブローのごとき勢いで兵吾に打ち込んだ緑。自分を支えてくれている秘書官的位置にいる彼女にそこまでドストレートに罵倒を吐かれた兵吾は、最初の勢いはどこへやら、肩を落として落ち込んだ。


 横で見ていた祢音はそのコントのごとき二人の掛け合いに小さく噴き出す。傷ついたような顔をする兵吾が少しだけツボに入ったのだ。


「とりあえず、村雨さんは置いといて。無道君も暗条さんも無事でよかったです。……それで、何があったかを聞いてもいいですか?」


 傷心していじける兵吾を緑は一瞬だけ視界に入れた後、すぐに無視し、そして、話題を変えるように祢音にここでの出来事を尋ねた。


「それはいいが……それより先生たちはどうしてここに?」

「火野君と白雪さんが慌てたように、あなた達がいなくなったことを知らせてきたのよ。かなり心配していたようだから、無道君は少し反省しなさい」

「……そうだな、あとでしっかりと炎理達に謝らないと」

「そうです。あんなに心配してくれる友人達を持ったのですから、大切にしないといけませんよ?」

「ああ」

「まぁ、大人のお節介はこんなものでいいでしょう。……それで、一体ここで何があったかを教えてもらえますか?」

「わかった――」


 緑の質問に祢音は頷いて、話し出す。


 冥が尋常ではない殺気を振りまいて消えたこと。それが気になって自分も学園を襲撃した異形を倒して追いかけたこと。辿り着いた場所で冥が殺されかけていたこと。敵は学園を襲った者達で、さらには拘置所を襲撃した者達の仲間だということ。追い詰めたはいいが、最後には自分の詰めの甘さで逃げられたこと。


 自分がここに来た経緯やこの広場で起こったことなど、冥の事情以外をすべて、祢音は緑に語って聞かせた。


「――という感じだ」

「そうですか……」


 祢音が全部を話し終えると、緑は眉根を寄せて、怜悧な美貌を深刻な表情で歪める。


 そんなどこか体から重苦しい雰囲気を滲ませ、考え事をするようにあごに手を置く緑に対し、同じように祢音の話を聞いていた兵吾が場違いにも明るい声を出した。


「ま、そんな難しく考えんなよ風間!こいつらが無事だった、それだけで十分だろ」

「村雨さんは事の重大さを理解しているのですか!?今回の首謀者はあの凶悪犯罪組織【狂気の道化達クレイジーピエロ】だったんですよ!?しかも唯一捕らえていた恐怖テモールが世に解き放たれてしまった!あの大量虐殺犯が!なのに、なんでそんな気楽そうなんですか!?」

「あのなぁ~風間。今そんな慌てても俺達にできることなんてないだろ?」

「う、そ、それはそうですけど……でも!」

「今はこいつらが無事だった……それだけでいいだろ。それにどうやら二人ほどは無道にかなりの手傷を負わされたらしいじゃねーか。しかも片方は恐怖テモール。あのイカレ連中、頭はおかしいが、仲間意識は強いんだ。だったら、すぐに活動を再開するとは限らない。しばらくは休息期間で、表には出てこないんじゃないか?その間に俺達は俺達でやれることをやった方がいい」

「……む、村雨さんのくせに……正論、ムカつきますね」


 普段の態度からは考えられない真面目な姿に、緑は反論もできず不貞腐れたように兵吾を罵る。


「お前ここ最近俺に当たりきつすぎだろ……まぁ、いいけど……」


 兵吾は兵吾でそれに少しばかり傷つくも、自業自得なためそれ以上食ってかかることはなかった。


 緑は兵吾に言い負かされたことに少しばかり不満そうだったが、さすがにずっと引きずることはなく、すぐに話を変えた。


「とりあえず、これからどうしましょうか?」

「そうだな……大体の話は分かった。……もういないかもしれないが、一応俺と風間はイカレ組織の連中を追ってみる。無道は暗条を連れて、学園に戻ってろ」

 

 少しばかり考える仕草を見せると、兵吾はすぐにこの場にいる全員に指示を出す。いつもの腑抜けた様な雰囲気はなく、そこには気迫溢れる一人の指導者が立っていた。


 今の兵吾の姿を見れば、全天ウラノメトリアの一人と言われても納得できるだろう。纏う強者の覇気に微量に漏れ出る濃青色の心想因子オド


 どこからどう見ても、今の兵吾は頼りになりそうだ。

 

 常にそんな姿を見せれば、周りも見直すのにと内心で思わないでもない祢音だったが、それを口に出すことはなく、


「わかった」


 とそのまま兵吾の指示に従うのだった。




 ♦




 心地よい揺れを感じて、冥は閉じていた目をゆっくりと開けた。


 目覚め直後のぼやけた視界に最初に映ったのは乱雑にそろえた様な黒髪。それは後頭部だったのか、綺麗なつむじが見える。さらには胸に触れる温かく、大きなぬくもり。


 一歩一歩動くごとに冥もゆさゆさと小さく揺れる。だが、不思議と不快感はなく、さらにはどこか昔を思い出させる快適な振動。


 どこか懐かしさを刺激するその感覚に、冥はまだはっきりとしない思考の中、口を開いた。


「……お、兄ちゃん?」


 ポツリと零れた冥の声。


 少し離れた距離ならば、風に流されて聞こえない程小さくか細い声だったが、現在は残念ながらかなりの近距離、というより密着している状態。


 冥を背負っている祢音にもそれはしっかりと耳に届いていた。


「気が付いたか、暗条?」

「えっ?」


 予想していた返答と違うものが返ってきたことに冥は戸惑うような声を上げる。段々と明瞭になってきた頭と視界で、冥は再度自分の下にいる人物を確認した。


「む、無道君?」

「ああ、俺だ。はは、悪いな、お前の兄さんではなくて」

「え、あ、わ、私の方こそごめんなさい。そ、その意識がまだはっきりしてなくて。それに後ろ姿とか、背中の大きさとかすごく似てたから、無道君を兄と見間違ってしまったわ」


 祢音に指摘されると冥は恥ずかしそうに、少し早口で言い繕った。

 

「いや、別に全然いいさ。それより俺の方こそ期待させたようで悪かったな」

「いえ、そんなことないわ。少し懐かしい気分が味わえたから、嬉しかった。もうこの世にはいない兄にまたおんぶしてもらえたようで……」

「……そうか、そう思ってもらえたんだったら光栄だよ。俺の背中も捨てたもんじゃないな!」

「……何よそれ。おかしな人ね」


 少しだけ気落ちした冥に祢音は軽い冗談を交えつつ、明るく振舞う。冥はその気遣いに内心感謝しながらも、素っ気なく言葉を返し、祢音の肩に少しだけ顔をうずめた。


 それからしばらく。


 夕焼けの下、お互い喋ることもなく、冥を背負いながら学園を目指していた祢音。


 学園まで残りの距離もわずかといったところ。それまで無口を貫き、ただ背負われるままだった冥が初めて祢音に話しかけた。

 

「あいつらはどうなったの?」


 あいつらが指すのはきっと慈愛アフェクティオ達のことだろう。


 意識もはっきりし、気絶する前のことをある程度思い出した冥は、頭の中を整理した後、最も気になることを祢音に質問したのだ。

 

 祢音は少し迷うようなそぶりを見せながらも、正直にすべてを冥に話した。


「……すまん、暗条。あんな大見得を切って任せろって宣言したけど、まんまと仲間を呼び寄せられて、あの二人に逃げられちまった。ほんと、悪い」

「そう……てことはまだあの男は生きているのね」

「……」


 祢音が話すのを躊躇った理由。それは、自分の失敗を語りたくないという心情もそうだが、何より冥の仇をみすみす逃してしまったことへの罪悪感から来るものだった。


 だが、冥は祢音の話を聞いて、落ち込むどころかむしろ喜びを覚えていた。その言葉からは深く暗い、淀んだ”想い”が伝わってくる。


 未だ取りつかれたように慈愛アフェクティオに妄執している冥に祢音は問う。


「暗条……お前はどうしても復讐を果たすつもりなのか?」

「当然よ。私は何が何でも私の家族を殺したあの男を殺す。その為にこの学園に入学したの。止めても無駄よ。これが私の生きる目的だから」

「……」

「この前、復讐にとりつかれるなと無道君は私に言ったわよね?でも、それは無理な話よ。復讐が私の生きる道なの。この道を逸れることは私にはどうしてもできない。今回助けてくれたことにはお礼を言うわ。だけど、あなたの言うことは聞けない。ごめんなさい」


 強く、強く、強く。


 その言葉からは強烈な意思が伝わってきた。


 ただでは曲がらない絶対の意思を感じたからこそ、祢音は、


「そうか……じゃあ、それを俺も手伝ってやる」


 冥の気持ちをくむように、その復讐を支持した。

 

「え?」


 それに驚いたのは冥だ。


 それもそうだろう。祢音はてっきり復讐に否定的だとばかり思っていたから。


「どうして?だって、無道君はあんまり復讐を良く思っていないんじゃあ?」

「別にそんなことはない。俺だって昔は暗条以上に復讐に取りつかれた鬼だったんだ。お前の気持ちを気軽に全部わかるとは言えないが、少しくらいなら理解を示せる」

「え?」

「俺にだってそういう相手がいたってことだ。まぁ、今もその”想い”はあるが、昔ほどではない。もうあの時ほど復讐にとりつかれてはいないよ」


 祢音は肩越しに冥に振り返り苦笑するように言う。それを見て、冥は不思議そうに尋ねた。


「どうして?どうしてそこまで私なんかに構うのかしら?」

「さっき暗条を助けた時にも言ったけど、俺にとってお前はもう友人の一人なんだ。友人が危ない橋を渡ろうとするのを見過ごすわけないだろ。まぁ、本当なら止めないといけないんだろうが、暗条は止まる気なさそうだし。それに気持ちは少しわかるんだ。だから、手伝うよ」

「……」

「復讐に取りつかれすぎて、今日みたいに実力差の離れた相手に突っ込み、死にに行ってなんて欲しくないしな。まずは実力アップだ。無茶なトレーニングを止めて、効率のいい鍛錬をした方がいい。上から目線みたいになるが、俺が暗条の鍛錬を手伝うよ。これでもこの世で最も強い人物から手ほどきを受けていたからな!」


 祢音はどこか自慢そうにそう語り、冥に子供のような無邪気な笑顔を向けた。冥はその笑顔を見て、耐えられない様に小さく噴き出した。


「プッ!フフ!!……本当におかしな人ね。私みたいな愛想もなくて口が悪い、さらにこんな厄介な感情を抱えた女にそんな親身に接しようとするなんて。普通なら避けるはずでしょうに。ほんとバカでアホでお人よしで愚かね」

「ひどいなっ!さすがに傷つ「でも、なぜかあなたの言葉、とても暖かくて、優しく感じるの。不思議とそれが悪くないの」


 冥がかぶせるように言葉を紡ぐ。それによって、祢音のツッコミは完全にかき消された。


 祢音の首に回す手を段々と強くしていきながら、冥は続けるように話す。


「いつも私の話を聞くと、多くは復讐は止めろとか、それは不幸になるだけだとか、人の気持ちも知らないで否定する人ばかり。私の”想い”に賛同してくれるような人はいなかった。……あなたが初めてよ。そんなことを言ってくれたのは」

「そうか」

「ふふ!まさかこんな気持ちになれるとは思わなかったわ。だから……ありがとう、無道君」


 耳元で小さく囁かれるように呟いた冥の感謝の気持ち。


 祢音が肩越しに振り返ると、そこには西日に反射してキラキラと輝く、初めて見る冥の小さな笑顔。


 それは先ほどまで見たドロドロと復讐に取りつかれて歪む鬼の顔ではなく、どこにでもいる一人の美しい少女の花のように可憐な表情だった。



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