第32話 因縁の相手Ⅰ
「遅いから来てみれば、一体何をやっているんだい?
その声は唐突に冥の背後から聞こえた。
声音を聞いた瞬間、冥の脳裏に焼き付いた過去の記憶が蘇る。
それは穏やかなのに狂気に満ちた声。それは楽しげに兄を殺した声。それは地獄に誘う悪魔のように自分に迫った声。
恐る恐るゆっくりと振り向いた冥の視線の先に映った人物。
冥が殺した
あの日から焦がれるように冥が会いたいと思っていた相手。ずっと復讐を夢見ていた人物。いつも殺したいと願っていた男。
二年前からちっとも変わらない姿で、篠原遊星という偽名を用いて、警察官に成りすまし、自分の家族を惨たらしく殺した男がそこには立っていた。
「あ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
喉が潰れんばかりの叫びが、天地に轟いた。
溜まりに溜まった心の闇が噴き出す。抱えていた憎悪が爆発するとはきっとこういうことを言うのだろう。考えるよりも先に身体が動くのを冥は残っている少ない理性で初めて実感した。
疲れていたのが嘘のように冥は黒睡蓮を構え、全力で地を蹴る。
そしてこの二年間で積もりに積もった恨み、つらみ、悲しみ、ありとあらゆる負の感情を乗せて、未だ自分に見向きもしない目の前の男に黒睡蓮を力いっぱい振り下ろした。
しかし、
「愛がないねぇ……いきなりそんな攻撃をしてくる君は一体どこの誰なのかな?」
「あああぁぁぁ!!!」
相手の疑問には答えず、空を切る黒睡蓮を気にすることもなく、冥は怒りの咆哮を上げ、続けざまに心臓目がけて刺突を放つ。それを
無視をされる形になったが、落ち着いた様で冥の初撃、次撃を避けた
「う~ん?聞こえていないのかな?僕は君が誰なのかって聞いてるんだけどなぁ」
狂乱状態の冥に言葉を投げかけるが、聞いてくれないことに、
その間にも冥は攻撃の手を緩めない。振り下ろし、刺突、薙ぎ払い、殴打、石附での打突。顔や心臓、両手両足など、様々なところを狙い、がむしゃらに冥は黒睡蓮を振るう。
疲れや理性がきいていないこともあり、すでに型などはめちゃくちゃだ。ただ子供が遊びでおもちゃの刀を振り回すような、そんな雑な戦い方だった。
当然、
「はぁ、仕方ないか……」
それまで冥の攻撃をめんどくさそうに躱しているだけだった
何回目かの黒睡蓮からの刺突を首を傾げるように易々と避けると、そのまま冥の間合いのさらに奥に一瞬で潜り込む。そして隙だらけの彼女の腹部に拳を打ち込んだ。
「ごふっ!」
強烈な衝撃を受け、弾けるように後ろに吹き飛んで倒れる冥。すぐに起き上がるも、口の中に広がる血の味や込み上げる吐き気、さらには鈍痛のせいで顔を顰める。けれども、痛烈な一撃は彼女に少しの冷静さを取り戻させた。
よろよろと黒睡蓮を支えとして立ち上がった冥はキッと殺意溢れる鋭い視線を
その様子を見て、
「まったく、愛のない攻撃をいきなり仕掛けてきて、君は一体誰なのかな?」
「……忘れたのかしら、私を?」
「そう言われても……わからないなぁ」
「そう……覚えてないならいいわ。どっちにしてもあなたは殺す!そこの仲間である
殺意と戦意を漲らせ、冥は黒睡蓮を構える。
だが、
そして――
「君の言うそこの仲間である
――心底不思議そうに、
「え?」
逆に戸惑いを覚えたのは冥だ。自分の近くにある死体が
「まさか、この死体が
そこで冥が指し示す
驚きの感情を含んだその言葉に、冥は勢いよく返答した。
「当たり前でしょ!本人も肯定していたわ!
「!?」
冥の言葉にまるでショックを受けた様な表情で
それを見た時、冥の心に少なくない歓喜が湧いた。
「ふ、ふふ、自分の仲間を殺されて、どんな気分なのかしら?あなたが大切に思っている者を壊されてどんな気分なのかしら!?」
心の底から、楽しそうに、嬉しそうに、おかしそうに、冥は喜悦に歪んだ表情で
だが――
「……ぷっ、あははははは!!!!!」
――顔を伏せて、ショックを受けているかのような雰囲気から一転、顔を上げた
その反応に先ほどまでの興奮から打って変わって、逆に冥が大きく狼狽する。
ショックを受けていたのではなかったのか?悔しかったのではないのか?憎かったのではないか?
なぜ自分の仲間が死んだのに、目の前の男は笑っているのだろうか?
「な、何がおかしい!?仲間を殺されたのよ!なんで笑っているの!?」
怨嗟や憎悪を向けてくれたのなら、少しは自分の復讐心が満たされただろう。天国にいる家族も少しは浮かばれたかもしれない。でも、それとは正反対に位置する感情を向けられて、冥も困惑するしかなかった。
そんな冥を見て、
「はぁ~久々に結構笑ったよ。……それで、僕の仲間を殺しただったかい――それは誰のことを言っているのかな?」
「な、何を言っているの!?そこにいる男、
「僕が一言でもこの死体を
「は?」
その言葉に冥は今度こそ完全に固まる。
問われた言葉の意味がわからなかった。
自分は確かに
そんな愕然とした表情で動かない冥を見て、
「そろそろ姿を見せなよ、
そう言葉を発した瞬間、
「はぁ……なんで言っちゃうのかなぁ、
出てきたのは冥が殺した男とは似ても似つかない子供。小柄なところは一緒だが、顔ははるかに童顔で、血色もいい。
「久々に再会したら、まったく……もう
「いいじゃんかよ!陽動って言うめんどくさい仕事をしたんだ!せっかく獲物が来てくれたんだし、このくらいのご褒美があってもいいでしょ!」
「はぁ、そんなんだから君は捕まったんですよ。さっさと殺して、戻ってくればいいのに」
「僕は綺麗な人形が欲しいの!ぐちゃぐちゃに潰しちゃったら、台無しだよ!」
まるで大人がわがままな子供に言うことを聞かせるような構図だ。傍から見れば、子供が親に人形を強請っている様にも見えなくはない。
最初の
そんな二人を見つめながら、冥はようやく口を開いた。
「ど、どういうことよ?」
「どういうこともなにも、本物の
丁寧にも教えてくれる
「じゃ、じゃあ、私が殺したそこの男は……」
「考えてる通りだよ?そこの死んだ顔色の悪い男は僕の操り人形さ!言ったでしょ?
冥の疑問を氷解させるように本物の
第六位階『
そんな自分の情報をぺらぺらと話す
「いいのかい、
「いいよ、どうせ殺すから。あと
「わかってないのは君だよ、まったく。愛のない戦いなんてクソほどにも劣るゴミみたいなもの。狙うターゲットは心の底から愛して、黄泉へ送ってあげなければいけない」
「殺す相手に愛するとかホント
「恐怖に落として、殺した相手を自分の人形にする
「なにぃ!?」
「なんだい?
話の途中から険悪な雰囲気を放ち、喧嘩を始める二人。
冥を他所に、今にも一触即発といった空気だったが……。
突然飛び込むように接近してきた冥によってそれは止められた。
語られた事実や唐突に始まった喧嘩に事態が呑み込めず、呆然としていた冥だったが、我に返った瞬間、キッと目を細め、猛然と二人に向かって駆け出し、黒睡蓮を薙いだのだ。
「あぶなっ!」
「おっと!」
息ぴったりといった調子で、冥の攻撃を後ろに跳んで避ける
そんな二人に冥は自分の意思を再確認するように強く固め、殺意をさらに濃く乗せた視線で睨みつけた。
「死んでなかったのなら、別にそれでいいわ。私の本命が目の前にいる。それだけで十分!
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