第31話 衝突



 冥の眼前にいる黒衣を羽織った男。目の下に深い隈を作り、亡霊のように青白い顔をした黒髪で小柄な男だ。冥はそれを見て、内心期待が外れたことにがっかりする。


 目的の人物の特徴とは似ても似つかなかった。あの男は中肉中背であり、さらには赤髪で穏やかそうな顔立ちだったのだ。


 それでも、覗く左手のタトゥーから目の前の男が【狂気の道化達クレイジーピエロ】の人間だと冥は確信する。ナイフを持ち喜悦に笑う道化のタトゥーは冥が何度も何度も調べたこの組織のシンボルと一致していた。


 かたや憎悪を全身から滲ませながら、相手を射殺すように睨みつけている人物、かたやその視線に少し怯えるように震えながらも、瞳に宿す狂気を隠しきれていない人物。


 当然前者が冥であり、後者が恐怖テモールである。


「……いきなり襲い掛かってくるなんてこわいなぁ。一体誰なのかな?君は?」


 突如自分に襲い掛かってきた冥に、恐怖テモールは質問する。


 冥はそれに対し、常時鋭い視線をさらに細め、もはや鋭利な刃物と変わらないレベルの眼光を恐怖テモールに向けて、言った。


「あなた、犯罪組織【狂気の道化達クレイジーピエロ】の恐怖テモールね?」

「!……だとしたらなに?君に何か関係でもあるのかな?」

「ええ、大ありよ。あなたの仲間に用があるわ。赤髪で柔和そうな顔をした男があなたの仲間にいるはずよ!そいつはどこ!?」


 感情を抑えられず、声を荒げる冥に対し、恐怖テモールは仲間のことを問われた瞬間、先ほどまでの怯える小動物のような雰囲気を消し、泰然とした姿で冥に向き合った。


「赤髪……柔和……もしかして慈愛アフェクティオを探しているのかな?」

「……慈愛アフェクティオというコードネームがあの男の名前なのね……居場所はどこ!さっさと教えなさい!」

「……なるほど、雰囲気からどうやら慈愛アフェクティオに恨みや憎しみを抱いている人間ってところだね。大切な誰かでも殺された感じかな?」

「あなたには関係ないことよ!さっさとあの男の居場所を教えなさい!」

「残念ながら教えることはできないよ。僕はこれでも仲間を大事にしていてね。仲間に危害を加えようとする人は基本みんな殺すようにしてるんだ」

「そう…………だったら、あなたを捕まえて口を割らせてあげるわ!!!」


 衝突は突然に起こった。


 憎悪を剥き出しにした冥が全力で地面を蹴り、恐怖テモールに接近したのだ。


「闇よ、捕らえろ!闇の鎖ネブリストルク!」


 さらには近づくと同時に、冥は闇の初級魔法、第三位階『闇の鎖ネブリストルク』を発動して、恐怖テモールの足を封じる。


「!」


 避けることができない恐怖テモールに冥はそのままのスピードを維持して、黒睡蓮を振り下ろした。身体強化で加速した速さと上昇させた筋力の相乗効果で冥の一撃はかなり高められて、恐怖テモールを襲う。


 冥の黒睡蓮が破壊の一撃となって、恐怖テモールの体を切り裂く。確実に決まった攻撃。体を縦に切り裂かれる致命的な斬撃を受け、恐怖テモールは戦闘不能になるはず……だった。


 だが――


「!?」


――絶対に決まったと思った攻撃は、恐怖テモールの体がドロッと溶けるように原形を崩したことで驚愕に変わった。


「いい動きだね。身代わりじゃなかったら、危なかったよ」


 その声は冥の後ろから響いてくる。即座に振り向いた先には、傷一つついていない恐怖テモールが何事もなかったかのように、立っていた。


「……第五位階『闇人形ネブリスドール』ね」

「さすが、僕と同じ属性を持つからすぐわかっちゃうか」


 魔法の正体をすぐに看破した冥。だが、慌てた様子もなく、恐怖テモールは冥を賞賛した。


「いつ変わったのかしら?」

最初・・からだよ」


 冥の疑問にも律義に返答を返す余裕すら見せている。


 その雰囲気は最初の印象とは雲泥の差だ。仲間の救出や恐怖テモールの態度を見ると、意外なことに【狂気の道化達クレイジーピエロ】という組織は仲間意識が強いのかもしれない。


 そのことを理解して、冥の苛立ちはますます強くなる。薄汚い犯罪者のくせに、自分の家族を奪った男の仲間のくせに、一丁前に人間らしい行動をとることに余計憎悪が増した。


「次は、きちんと叩き切ってあげるわ!」


 憎しみを力に、冥はまた地面を全力で蹴る。そこで恐怖テモールもようやく動きを見せ始めた。


「こわいけど、少し相手をしようか。すぐに君も僕の人形に変えてあげるよ」


 恐怖テモールの手にいつの間にか握られるようにして展開された書物型MAW【ガルドラボーク】。それを開くと、恐怖テモールは魔法を発動した。


闇の剣ネブリスグラディオ


 一人一人がBランクライセンスを持つ魔法師と同等以上の実力を持つと言われるだけあり、恐怖テモールは詠唱もせず、易々と初級魔法を使う。


 闇の初級魔法、第三位階『闇の剣ネブリスグラディオ』。闇で造られた剣を握り、恐怖テモールは冥の黒睡蓮を迎え撃った。


 ガキンと金属がぶつかり合うような音が小さな広場に響き渡る。


 その見た目とは裏腹に、恐怖テモールは難なく冥の黒睡蓮を防いでいた。


 初撃が防がれはしたが、冥は諦めずに攻勢にでる。得意の連撃で恐怖テモールに反撃の隙を与えない。


 しかし、恐怖テモールの方は右手にガラドラボークを、左手に闇の剣を持っているのにもかかわらず、すべての攻撃を片手の闇の剣だけで簡単に防ぎ、逸らす。反撃はないが、それでも冥は決定打を当てられるイメージが脳裏に浮かばなかった。


「弱弱しそうな見た目のくせに、剣捌きがうまいのね!」

「これでも僕は組織で一番近接戦闘が弱いんだけどね。でも君程度の学生になら十分なんだよ」

「言ってくれるわね!」


 鍔迫り合いを繰り広げながら、冥は皮肉を込めて、恐怖テモールを煽る。が、余裕綽々と言った様子で対応しながら、恐怖テモールは冥の言葉を流した。むしろ、挑発の言葉を返され、冥の怒りが増したくらいだ。


 事実、冥の黒睡蓮はまだ一度も恐怖テモールの体を捉えられてはいない。小柄でひ弱そうな見た目とは反対に、世界に名を売っている犯罪組織の一員なだけあって、恐怖テモールは強かった。


 でも、冥は二年間をただ無為に過ごしてきたわけではない。復讐を成すため、あの男を殺すため、力をつけたのだ。


 近接戦闘では埒が明かないと判断した冥。一度大きく後方に飛んで、恐怖テモールから距離を取った。


「あの男を殺すために覚えた魔法だけど、仕方ないわ。あなたで試してあげる!」


 瞬間、高まりだす冥の心想因子オド。強烈な憎悪を伴った漆黒の心想因子オドが周囲を満たすように冥の体から溢れだし、連動するように木々の葉が騒めきだす。


 それを眼前に、けれども恐怖テモールは余裕な態度を崩そうとはしなかった。


「ちょっとこわいけど、何をするのかな?ふふ、少しだけ見ててあげるよ」


 むしろ、冥の攻撃を迎え撃つかのような姿勢を示し、薄気味悪く微笑む。


「後悔しなさい!その余裕な態度を焦りに変えてあげるわ!」


 殺しはしない。それでは口を開かせることができないから。ただ反対に殺さなければ、目の前の男がどうなってもいいと思った。口があれば、話せれば、後はいらない。


 冥はそう思いながら、自身が持つ最大の魔法を発動した。


「闇より来たれ、祖は冷血にして悪逆、汝に滅びを与えん!がしゃ髑髏どくろ!」


 紡がれる三節詠唱。唱えられる魔法名。


 漆黒の心想因子オド現象粒子マナと幻想的に絡み合い、結合を果たす。


 闇が広場を埋め尽くした。ズズズッ!とまるで異界から悪魔でも召喚するかのように、その闇の中から何かが這い出てくる。


 そして最終的に姿を現したのは、上半身だけを晒した巨大な骸骨だった。


「へぇ!第五位階の『がしゃ髑髏』か!その歳でもう使えるなんてすごいなぁ」


 その魔法を見て、本心から驚いたように恐怖テモールは声をあげる。


 闇の中級魔法、第五位階『がしゃ髑髏』。これは以前祢音と戦った兵吾が発動した上級魔法『蛟竜』と同じ魔法生命体の一種。破壊力や心想因子オドの消費量などは上級に匹敵するのだが、発動難度や操作難度が低く、比較的扱いやすいため、中級に分類されている。


 だが、それでも学生で扱えるのは並大抵のことではない。


「はぁはぁ、これであなたにあの男の居場所を吐かせてあげるわ」


 冥は今のでほとんどの心想因子オドを消費した。かなりの疲労が体を襲うが、それでも強気な態度を崩さない。


「ふふ、来てみなよ」


 そして恐怖テモールの余裕の態度も崩れない。


「行きなさい!がしゃ髑髏!」


 息も切れ切れの状態だが、冥は命令を下す。それに従うようにがしゃ髑髏は巨大な手で、恐怖テモールに襲い掛かる。


 迫る大きな骨の手に恐怖テモールは魔法を発動させた。闇の剣では防げないと判断してのこと。


「黒く広がれ、闇の城壁ネブリスアジレス!」


 一節詠唱で紡いだ魔法は闇の中級魔法、第四位階『闇の城壁ネブリスアジレス』。第一位階であるクリペウス系より上位の防御魔法。


 恐怖テモールとがしゃ髑髏の手の間に差し込まれるようにして発動した闇の城壁。


 二つが衝突すると、甚大な衝撃波が辺りに広がった。


 バキバキと割れるような音を響かせ、闇の城壁ががしゃ髑髏の破壊力の前に崩れ去る。ただ、術者を守るという役割だけは達成された。


「まだよ!」


 冥は続けるようにがしゃ髑髏に命じる。がしゃ髑髏は見た目とは裏腹に俊敏な動きで、再度恐怖テモールに迫った。


 自分を捕えようと迫る骨の手に身軽な動きで避ける恐怖テモール。先ほどの衝突で何度も攻撃を防ぎ続けるのは難しいと判断した恐怖テモール心想因子オド量のことも考え、避けることに思考をシフトしたのだ。


 肌のほんの手前。自分を掴もうと、数センチの距離を骨の手が通り抜けていく。


 続けてがしゃ髑髏の口から放たれる灼熱の光線。それを空を舞うように躱す。


 さらに空中にいる際、自分を挟むように迫る巨大な骨の手。避けるすべはないはずだが、恐怖テモールは持っている闇の剣を使って、自分が抜け出せるほどの隙間を骨の手の中に作る。そして闇の剣を土台に跳んで手の中から抜け出した。


 ギリギリ、紙一重ですべてを躱す恐怖テモール


 最初の印象が嘘のように、その瞳に恐れはなく、どこか楽しんでいるようにも見えた。


 なぜか攻撃を仕掛けようとはせず、がしゃ髑髏に集中するように、避け続ける恐怖テモール


 だから、唐突に背後に現れた気配に反応が遅れた。


「油断大敵よ!」


 対峙する相手はがしゃ髑髏だけではない。冥もいるのだ。心想因子オドを消費しすぎて疲労困憊といった冥だったが、がしゃ髑髏が攻撃を仕掛けてる間、何もしていなかったわけではない。


 深呼吸して、息を整え、動けるように体を慣らしていたのだ。


 遊ぶかのようにがしゃ髑髏に集中しすぎていた恐怖テモールは自身の後ろに現れた冥の対処に一歩遅れてしまう。


「ぐわぁ!」


 その隙を待っていたかのように、冥は黒睡蓮を持つ手に力を入れ、全力の斬撃を見舞った。さらにダメ押しとばかりに、がしゃ髑髏の巨大な手でのはたき落とし。


 背中を大きく切り裂かれ、加えて叩き潰されるようにドォン!と地面に突き落とされた恐怖テモール


 その衝撃で土煙が辺りを舞った。


「はぁはぁ、やったかしら?」


 冥は疲れたように黒睡蓮を支えとしながら、恐怖テモールが落ちた場所に近づいていく。


 物語なら冥の言葉は盛大なフラグだが、今回ばかりは願いが通った。


 叩き落とされた衝撃で出来た小さなクレータの中心には大量の血を流し、全身がボロボロの恐怖テモールが倒れていた。


「ごほっ……ふふ、ミスちゃったよ。がしゃ髑髏に集中しすぎて、君を忘れていた」


 吐血しながらも、近づいてきた冥に恐怖テモールは微笑んで話しかけた。あの攻撃を食らってまだ意識があるのだから、見た目と違って本当に頑強だ。


 その姿を見て、恐怖テモールの首に黒睡蓮を添えながら、冥は突っぱねるように目的のことを尋ねる。


「……そんなことはどうでもいいわ!今すぐあの男の居場所を教えなさい!」

「……そこまで憎しみを持つなんて……ふふ、慈愛アフェクティオはとんだ恨みを買ったようだね。まぁ、それでも教える気はないけど」


 死にかけも同然なのに、恐怖テモールはなぜかまだ強気だった。冥はその意思を見て、絶対に口を割らないだろうと判断し、黒睡蓮を掲げる。


「……そう……言う気はないのね……だったら、もう死になさい!」


 宣言は一瞬。


 迷いもなく、冥はそのまま刃を恐怖テモールの心臓目がけて突き立てた。


 ぐしゅッと肉に突き刺さる刃。


 冥の手に返ってくる、生々しい殺しの感覚。


(人を殺すってこんな感じなのね……)


 最後まで余裕のある笑みを浮かべて死んでいった恐怖テモールを見つめながら、冥は何とも言えない思いが心に生じるのを感じた。


 本当なら、殺さずに捕まえた方がいいのだろう。だが、少しでもあの男への復讐を考えたら、その仲間を殺すことで間接的な痛みを与えることができるのではないかと冥は思った。自分が感じた親しい者を殺される痛みというものを。


 人間としては最低であり、さらにはあの男と同じ土俵に上がる行為だとは理解している。それでも心が、体が復讐を欲していた。少しでも、あの男への復讐になるのなら、自分は何でもするだろう。


「ふっ、私はだいぶ壊れていたのね……」


 自嘲の笑みが冥の口から洩れる。人を殺したことで初めて今の自分を客観的に見れるようになった気がした。


 冥はがしゃ髑髏を消すと、恐怖テモールの死体から離れた。


 あの男がどんな名前で呼ばれているのかがわかっただけ収穫だとポジティブに考えて、冥は森から出ようと疲れた様子で足を踏み出す。


 もうここに用はなかった。


 しかし――


「遅いと思ってきてみれば、一体何をしているだい?恐怖テモール


 ――唐突に後ろから響いてきた聞き覚えのある声音で、冥は足を止めざる負えなくなった。



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