第33話 因縁の相手Ⅱ


「ここまで恨みを持つ相手って珍しいね?本当に覚えてないの、慈愛アフェクティオ?」

「う~ん?わからないなぁ?ころした相手はすべて満足して旅立ってくれたはずなんだけど……?」


 冥の殺気を受けながらも、恐怖テモール慈愛アフェクティオは暢気に会話をしていた。


 恐怖テモールに問われ、慈愛アフェクティオは考察するように、自分の過去を振り返り、目の前に立つ少女を記憶の中から探る。


 その間、冥は攻撃を仕掛けられないでいた。


 先ほどの怒りで我を忘れた時にいやというほど思い知らされた実力の差。冷静になって相手を見つめても、悠々と会話をしている慈愛アフェクティオに隙らしい隙が見当たらない。


 またがむしゃらに仕掛けてもきっと同様に、何もできず地に伏せることになるだろう。


 だから、残り少ない心想因子オドと体力を考えて、確実に目の前の男を殺す方法を模索する。


 ただ状況は冥にゆっくりと考える時間を与えてはくれなかった。


「殺し損ねた相手だからそんな怨まれてるんじゃないの?」

「僕がころせなかった相手なんて……あれ?」


 唐突に思い付きで述べたような、恐怖テモールの科白。それによって、慈愛アフェクティオはある一つの記憶を呼び覚ました。


「ん?んん……!?」


 凝視するほど目を開き、冥を見つめる。


 以前一回だけ取り逃がした相手。邪魔が入り、きちんところせなかった人物。確かその時はまだ中等部位の年の頃で、ちょうど成長していたら、目の前の女の子のような綺麗な感じに育っているはず……。


「あはぁ!思い出したよ!そうだ、そうだよ!君、冥ちゃんだろ?暗条冥ちゃん!僕が唯一取り逃がした相手!うわぁ!まさかこんなところで再会できるなんて!大きくなったねぇ!」


 ピタッと記憶と現実が合致するように、目の前の少女のことを思い出した慈愛アフェクティオ。嬉しそうに狂気じみた笑みを浮かべ、喜びを露わにする。


 突然纏う雰囲気を変え、冥を薄気味悪い笑みで見つめ始めた慈愛アフェクティオに、憎き相手にもかかわらず、彼女の背筋に冷たい汗が流れた。


恐怖テモール、どうやら彼女は君の獲物ではなく、僕のだったようだね。予定変更。手は出さないでよ?彼女は僕がころすべき人のようだからね!」

「……慈愛アフェクティオがバラしちゃった時点で、僕の素敵な殺しができなくなったから、もう興味はないよ。あとはお前が好きにりなよ」

「ありがと!あはは!」


 急転直下。それまで穏やかだった雰囲気から一転、慈愛アフェクティオは狂熱を携えた笑みで、殺気を露わに、初めて自分から動き出した。


(く、来るッ!)

 

 慈愛アフェクティオを殺す算段を考えていた冥は、突如豹変するように変わった目の前の男を見て、思考を中断し、黒睡蓮を身構えた。


「すぐには殺さないよ!きちんと僕の愛を示してから、最後に盛大に旅立たせてあげる!」

 

 体を屈め、砲弾のように駆け出す慈愛アフェクティオ。数メートルほど離れていた距離はものの数秒ほどで潰れた。水面を跳ねる魚のように、浮き上がり気味で冥の懐に一瞬で潜り込む。


「――――!」


 ぞわりと背筋が凍るような感覚が冥に走る。


 避けなければまずいと警鐘が頭の中に鳴り響く。が、恐怖テモールのせいでだいぶ弱らされた今の冥に、懐まで入られて、避けるだけの体力はなかった。


 掌底を叩き込もうとしてくる慈愛アフェクティオに、冥はどうにか黒睡蓮を盾にすることで、その攻撃をガードするしかできなかった。


 ズドンッ!とまるで爆発音のような音が衝突した中心で轟く。


「きゃあ!」


 衝撃に弾かれたように、勢いよく冥が後方に吹き飛ばされた。ズザザッと地面を滑り、数十メートルほど飛ばされた冥は、木に衝突することで何とかその勢いを止める。


 直撃を避けたのはいい判断だった。何せ今の爆発の衝撃だけで、全身の骨が軋むほどの威力が体に加わったのだ。万が一体に当たってたら、ゲームオーバーだっただろう。


「どうだい?僕の愛を感じるだろう?」


 黒睡蓮を支えに、よろよろと立ち上がる冥に慈愛アフェクティオは口端を吊り上げながら、近づいてくる。


 悦に浸ったような、そんな浮かれた表情で聞いてくる慈愛アフェクティオに冥は強がるように笑った。

 

「……最悪ね、気持ち悪いわ」

「あはは!強がるね」


 しかし、慈愛アフェクティオは気にした様子もなく、黒く微笑む。


 恐怖テモールの人形と戦った時にすでにかなりの体力と心想因子オドを消費していて疲労困憊という状況の中、さらには今の慈愛アフェクティオの一撃で少なくないダメージが冥の体に蓄積された。


 疲れとダメージから足と手は震え、口端からは一筋の血が垂れている。ボロボロで黒睡蓮を支えに立つのがやっとという状態。


 もうほとんど戦える状態ではないにもかかわらず、冥は気力を萎えさせない。それどころか、瞳の憎悪は更に増し、心は熱く燃え滾っていた。

 

 それを見た慈愛アフェクティオは、嗜虐心をそそられる様にさらに深く口唇を吊り上げる。そして再度、地を蹴った。


 またしても、距離を一瞬で潰され、冥は至近距離まで迫られる。だが、同じ攻撃を食らうほど冥も馬鹿ではない。


 確かに速いが、一直線でさらには狙いもわかりやすい。先ほどのように体を直接狙いに来ているのが丸わかりだった。


 冥は来るとわかったと同時に、横にステップを踏み、距離を空けていた。


「お?」


 避けられるとは思わなかったのか、目を少しだけ見開く慈愛アフェクティオ。疲労とダメージで十分疲れ切っているはずなのに、まだ切れのいい動きができたことに驚く。


 それだけでなく、今の一行動で冥は慈愛アフェクティオの間合いから逃れ、さらには長物である自分の黒睡蓮の間合いに持ち込むことの両方をやってのけたということにも、内心で少なくない感嘆を覚えていた。


 冥は空を切る拳を横目に、反撃に打って出る。


 黒睡蓮を下方から斜めに跳ね上げるように慈愛アフェクティオの首を狙う。今の状態では長期間の戦闘はできない。だから、残りの心想因子オドを身体強化に回し、一撃で仕留めるため、積極的に急所を狙い、殺しに行くことにしたのだ。


 下から迫る黒睡蓮の刃。だが、慈愛アフェクティオは頭を後ろに下げることで易々と避けてしまう。

 

 冥は追撃するようにすぐさま刃を返す。上斜めから袈裟切りのごとく、心臓付近を狙って黒睡蓮を振り下ろした。慈愛はそれを紙一重の動きで、上半身を後ろに引くことで、体すれすれに躱す

 

 しかし、冥も諦めることはない。本能が告げるかのように、攻撃を止めれば、今の自分では座して死を待つだけになってしまうと理解しているからだ。


 後ろに下がる慈愛アフェクティオを追いかけるように、冥は一歩踏み込み、鋭い刺突を急所に打ち込む。なにがなんでも自分の間合いから逃さないという意気が見て取れた。


 得意の連続刺突。速さ、正確さ、鋭さが、すでに一級品に達している冥の刺突だが、慈愛アフェクティオはさっき同様、すべて見えているかのように華麗に躱していく。


 けれど、先ほどまでと違い、冥は我を忘れていない。怒りや憎悪が心を満たしているが、冷静に一個一個の攻撃を仕掛けている。その為、慈愛アフェクティオも迂闊に反撃には出れないでいた。


 そんな戦闘の最中、攻撃を避けていた慈愛アフェクティオが暢気にも微笑みながら冥に話しかけた。


「ずいぶんと殺す気満々だね、冥ちゃん!さっきから狙いが急所にしか来てないよ?」

「当たり前でしょ!私はあなたを殺すためだけにこの二年を生きていたんだから!絶対にあなたはここで殺す!!」

「う~ん!いい殺気だね!あんなに可愛かった冥ちゃんもこんなに成長したのかと思うと、時間の流れは残酷だなぁ」

「余裕そうね……だけど、すぐにそれもなくさせてあげるわ!」

「強きだねぇ。もう体力も心想因子オドもスッカラカンの状態なのに」

「体は動くわ!この体だけあればあなたを殺せる!」


 更に鋭くなる刺突の嵐。疲れているのが嘘のように、冥は気力を振り絞り、全神経をこの攻撃に集中させた。確実にこれで慈愛アフェクティオを殺すため。


 刺突の嵐の中、慈愛アフェクティオは内心少しばかり焦りを抱いていた。冥の攻撃が思いのほか、鋭く速い。避けるのは容易いが、先ほどのように反撃ができないでいた。


 まだ時間に余裕はあるが、自分達は逃亡している最中なのだ。後々めんどくさい連中が自分達の居場所を突き止めて集まってくる可能性もある。


 盛大に冥を旅立たせたいが、ここであまり長い時間足を止めるわけにもいかなかった。


「……仕方ない。少し予定を変えるか」


 冥には聞こえないような声で慈愛アフェクティオは小さく呟いた。


 必死に自分を殺そうと健気にも攻撃してくる冥を見つめ、慈愛アフェクティオは深く顔に笑みを刻む。そして冥にとっては致命的と言ってもいい言葉を発した。


「あはは!兄妹だから殺気から怒り方まで影正君と似ているね!君の両親を影正君の前でころした時も彼は今の君のように僕に向かってきたよ」

「!」

「でも彼も最後には僕にころされて旅立った。あは!四肢を切られて、痛みに叫びながらも、最後まで冥ちゃんのことを心配していたのには感動しちゃったなぁ」

「それ以上喋るなぁぁぁぁぁ!!!!!」


 冥の口から怒号が轟く。それまで冷静さを保って放たれていた刺突が荒々しく、遮二無二なものに変わる。怒りに我を忘れ、ただ殺意の赴くままに自分を律せなくなっていた。


「あはは!!本当に似ているよ!軽く挑発をされただけで、激昂するその姿も!」

「絶対に殺すッッッ!!!」


 そんな怒りで視野の狭くなった冥の隙を見逃してくれるほど慈愛アフェクティオは甘い相手ではない。


 そして、冥に大きな隙が生まれる瞬間は案外早く訪れた。


「ッ!?」


 すでに体はボロボロであり、脇目も振らずにそれを酷使すれば、どこかに支障が出る。すでに何十回目という刺突を打った時、冥の腕にしびれるような痛みが走った。そのせいで、次の刺突を打つために黒睡蓮を引く動作が遅れる。


 それを見逃す慈愛アフェクティオではなかった。


「まだ未熟だね、冥ちゃん?」


 慈愛アフェクティオは一瞬止まった黒睡蓮を掴みとると、自分の方へ引っ張る。剛力のような力の強さに、冥はなすが儘に引き寄せられた。


 そして――


炎熱掌イグニスパルム!」


 ――吸い寄せられるように冥の腹部に慈愛アフェクティオの魔法が直撃した。


 第四位階『炎熱掌イグニスパルム』。術者の手から強烈な熱を発生させ、相手に叩きつける火の中級魔法。


 空気が燃えるほど強烈な熱が冥の腹部を貫通する。焼けるような痛みを感じたと同時、冥は口から大量の吐血をした。


「ゴフッ!?」


 冥の視界に地面が近づいてくる。


 ドサッと冷たい地面の感触が冥の肌に伝わった。


 口から流れる血が砂に吸収されていくように、自分のいろいろなものがこの冷たい地面に吸われていく。倒れ付した冥は自分の体から徐々に感覚が無くなっていくことを他人事のように実感していた。


 そんな冥に、頭上から会話する声が降ってきた。


「全く何を手こずっていたんだよ、慈愛アフェクティオ?」

「なかなか強く成長していたから、驚いていたんだよ。それに、まだ終わってない。次で完全に旅立たせるからもう少し待っててよ。本当だったらもっと盛大にやりたいけど、あまり時間もないし、今回は彼女を綺麗に滅して、送ってあげよう」


 慈愛アフェクティオ恐怖テモールにそう言うと、初めて自身の大鎌型MAW【アマーレファルス】を展開した。赤い大鎌が慈愛アフェクティオの手の中に現れる。


「……久々の再会だけど、やっぱ慈愛アフェクティオの感性はよくわからないや」


 呆れる恐怖テモールの横で慈愛アフェクティオは魔法の準備に取り掛かった。


 冥の目に二人の姿は見えないが、なんとなく雰囲気だけは伝わってきていた。


 自分はもうすぐ死ぬのだろう。


 家族の仇も討てず、一撃すら憎い相手に入れられず、ただ無様に倒れている。そのことがたまらなく悔しくて、そして不甲斐ない自分にたまらなく腹が立った。


「じゃあ、そろそろ冥ちゃんも旅立ちだよ!今、家族の元に送ってあげるからね!」


 冥は頭上にかなりの心想因子オドの高まりを感じる。自分の息の根を完全に止めるため、慈愛アフェクティオは極大の魔法を放とうとしているのだろう。


 走馬灯が冥の脳裏を過った。家族と過ごしていた時間や鍛錬で起きた出来事など。楽しかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、いろいろな思い出が流れては消える。そして、最後には意外なことにまだ短い時間しか過ごしていない学園生活の思い出が流れた。


(……私は意外にもあの二人と話すのが嫌いじゃなかったのね)


 突っかかてくる赤い鶏冠とさかをつけたニワトリのような人間、火野炎理。いつもうるさく、常にアホそうな面を引っ提げて自分に反抗的な態度を向けてくるバカ。


 そして、彼の友人である無道祢音。物静かでクールな見た目の反面、どこか野性的な雰囲気も感じる端正な顔立ちをした少年。自分達の口論をいつも仲裁してくれて、取りなしてくれる。さらに力の底がまったく見えないほど実力が高く、どこか不気味な印象を抱いたが、不思議と頼りになる男の子。


 あの強さに冥は、少しだけ憧れを抱いていたと今更ながらに気が付いた。


(本当に今更なことね。死ぬ直前になってそんなことに気が付いても遅いというのに……)


 内心で苦笑する冥。


 そんな冥を嘲笑うように、状況は動いていく。


「愛ある炎よ、無垢なる邪気を包みて、導かん!聖なる焔サン・クアル・フランマ!!」


 慈愛アフェクティオが三節詠唱で発動したのは第六位階『聖なる焔サン・クアル・フランマ』。対象とする相手だけを塵も残さず焼き尽くす火属性の上級魔法。


 大鎌型MAW【アマーレファルス】に纏われるように深紅の焔が渦巻く。

 

 チリチリと頭上に感じる灼熱の焔に冥は知らず知らずのうちに一筋の涙が流れた。


(ごめんなさい、お母さん、お父さん、お兄ちゃん。仇、討てなかったよ……)


 あと数秒もすれば、自分は跡形もなくこの世から消える。そのことを察して、冥は静かに目を閉じた。


 その瞬間、確かに冥は自分の生を諦めた。


「バイバイ、冥ちゃん!」


 狂気の宿る声で慈愛アフェクティオは最後にそう言って、アマーレファルスを振り下ろす。


 だが――


 カッ!!!


 ――猛烈な目を焼く程の光が瞬いたかと思うと、強烈な心想因子オドの奔流が慈愛アフェクティオに襲い掛かった。


「!?」


 反射的に聖なる焔サン・クアル・フランマを纏うアマーレファルスを振って、対抗しようとした慈愛アフェクティオ。しかし、それは意味をなさないどころか、ただの愚策。


 心想因子オドの光線とでも言っていいかのようなその奔流に自身が発動した聖なる焔サン・クアル・フランマをぶつけた瞬間、聖なる焔サン・クアル・フランマは一瞬でかき消えてしまう。


「なっ!?」


 さらには勢い止まらず、自分にまで迫った心想因子オドに、危機感を煽られた慈愛アフェクティオは大きく横に跳んでそれを躱した。


 結局、心想因子の奔流は明後日の方向まで飛んでいくと、空気中に溶けるようにして消えた。


 広場に静寂が漂う。


 誰もが、唖然呆然とする中、空から倒れる冥の前まで降って登場する人物が一人。


 驚いたように顔を少しだけ上げた冥が、自分の目の前に着地した人物を見た瞬間、驚きや疑問、動揺、感動、様々な感情がないまぜになって、思わず涙ながらにポツリと呟いた。


「……む、無道……君?」


 冥のピンチを助けに、そこに颯爽と現れたのは、無道祢音その人だった。



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