第16話 一日を振り返ると


 ゆっくりと崩れ落ちる碓氷を視界に収めながら、紫苑は祢音の実力に薄ら寒さを感じていた。


(強い……それも尋常じゃないくらいに……この歳でどうやってあれほどの力を手に入れたというの?)


 才能だけでは足りない。並の努力だけでも。


 この歳でここまでの強さを手に入れるには、それこそ才能と努力、さらにすべてに打ち勝つほどの強靭な精神力が必要だと紫苑は考える。本当に血反吐を吐いて、足掻いて、もがき苦しんで、ようやく手に入れられるといった、そんなレベルの力だ。


(一体どれだけの努力をしてきたのかしら……)


 祢音の戦闘を一番近くで見ていたからこそ、紫苑はその桁違いの実力を一番その身で感じ取っていた。


 自分を祢音に置き換えて、碓氷と戦った場合、どうなっていたのかと頭の中でシミュレートする。


(私だったら――)


 初撃の氷弾は避けることも防ぐことも簡単だ。ただ、身体強化だけで暴風を起こす荒業は自分には無理があった。


 それに次撃である氷檻にわざわざ・・・・自分から・・・・囚われに・・・・行く・・ことはしない。万が一囚われても、次の魔法に備えて、すぐに破壊するだろう。


 だけど……最後の攻撃。逃げ場のない氷檻の中、心想因子オドを過剰使用した氷閃華にくし刺しにされて、普通は無事では済まない。死ななくとも、出血多量で危険な状態には陥るだろうと思った。


 しかし、蓋を開けてみれば、祢音は全くの無傷。土煙でついた汚れ以外には、新品同様、制服にほとんど傷みはなかった。


 逃げ場がなく、冷気により体力も減っている中で、どうやれば四十振りもの氷剣の刺突を防げるのか。


 真似することなんて絶対にできないと思った。




「審判、判定はまだか?」

「え?」


 思考の海を彷徨っていた紫苑が現実に引き戻されたのは、いつの間にか近くまで来ていた祢音に声をかけられてのこと。


 紫苑はどうやら一度考えだすと、なかなか現実には戻ってこれない性格の女性なのかもしれない。深く考えすぎて、周りが見えなくなるタイプだ。


「あっ……そうだったわ、ごめんね。……この代理魔法決闘マギア・デュエルは無道祢音の勝利とします!」


 祢音に声をかけられ、意識が現実に戻ってきた紫苑はすぐに謝罪を口にすると、勝利者の名前をコールするのだった。




 ♦


 


 魔法決闘マギア・デュエルに祢音が勝利したことで、緑は上機嫌な表情で本棟の廊下を歩いていた。それというのも、やはりあのキザ男に少しでも屈辱的な気持ちを与えられたのが大きいだろう。


 あの後、祢音は歓声を上げるⅤ組、Ⅵ組の生徒達に迎えられ、気絶した碓氷は保健室へ運ばれた。それを見ていた内部生達は、外部生達とは対照的に、暗い雰囲気に包まれていた。


 自分達のクラスでトップレベルの実力を持つ碓氷が外部生に手も足も出ずに、やられたのだ。外部生をバカにしている内部生たちにとっては信じたくない光景だっただろう。


 碓氷が負けたことに、最初は納得いかなそうに喚き散らし、イカサマだと声高に叫んでいた宇都宮。


 だが、緑達のクラスだけじゃなく、意外にも自分が担当するクラスからも少ないながら、冷めた視線を向けられ、最終的に体を小刻みに震わせて、凛子に謝罪をした。


 その様子を見た緑は、今まで溜まっていた鬱憤がスッと晴れるような気分を味わえたとか。キザで高飛車なあの男には今まで散々イライラさせられていたのだ。このくらいは見返りがあってもいいだろう……とは緑の内心思っていること。


 現在、魔法決闘マギア・デュエル騒動は終息し、オリエンテーションも終わって、生徒達は帰宅していった。


 けれど、教師である、緑は帰れない。

 

 まだ、魔法決闘マギア・デュエル騒ぎの報告書を書かなければならないし、さらには消えた兵吾を見つけて、連れ戻さないといけないからだ。本当だったら緑のやる仕事は、兵吾がこなさなければならないはずなのだが、いつものことなので、仕方ないとあきらめるしかなかった。春休みに兵吾が仕事をしていた方が、ある意味奇跡に近かったのだ。

 

 吹き抜けの廊下を歩きながら、緑は考える。もちろんそれは今日起きた魔法決闘マギア・デュエルで見せた祢音の強さについて。


(わかってはいたけど、無道君の実力は学生の範疇を超えているわ……それこそ一介の魔法師では、相手にならないくらいに)


 思い出すのは実技試験でのこと。兵吾と戦っていた祢音を見て、鳥肌が立ったのを覚えている。


 あの戦闘を見るまでは、兵吾に勝てる学生などいないと思っていた。実際に全天ウラノメトリアに勝利できる学生が世界に何人いる?と質問を受ければ、迷わずゼロと答えるくらいには彼らの強さに畏怖や尊敬を抱いていたのだ。確かに緑の考えは正しい。普通はそれが常識である。


 けれども、その常識をあのたった一回の模擬戦でぶち壊された。


 試験の中での本気だったとはいえ、兵吾は自身の拳銃型MAW【大蛇】を使って相手をしていたのだ。学生どころか、最低ランクだが、E級ライセンスを持つ魔法師相手にでさえ、魔法を使わず、身体強化だけで倒せるあの兵吾が!


 青天の霹靂とはまさにあの時のことを指すのだろう。戦闘状況が激しく、驚愕で止めれなかったというのもあるが、本当はあの戦闘に見惚れてしまっていたのだと、二人の戦いを思い出しながら、廊下を進んでいた緑は今更そのことに気づくのだった。


 


 ♦




 紫苑は魔法決闘マギア・デュエル終了後、生徒会室に戻り、また一人黙々と仕事を片付け始めていた。


 片手間で卓上にあるコンソールを操作しながら、思考の大半を先ほどまで魔法決闘マギア・デュエルを行っていた一人の学生に割く。


(無道祢音君……祢音……)


 初めてあったとは思えない程、既視感を覚えた相手。それに、どこかで聞き覚えのある名前。


 天然なのかパーマのかかった黒髪は少し乱雑に切り揃えられ、その下から覗く瞳は刀のように鋭い。年頃にしては背も高く、顔も整っている。加えて、強さもあるときた。


 いや、あるどころの話じゃない。あれはすでに、学生のレベルを超えている。なにせ、碓氷才牙との決闘を魔法を使わず、身体強化だけで終わらせたのだから。


 しかも、驚くことにそれだけではない。


 二人の決闘が終了してから気がついたが、祢音の周りの足元だけ異様に綺麗だったのだ。まるで動いていないかのように。


 その事実に気がついた時、紫苑は体に寒気が走った。


 即ち、それはその場を一歩も動くことなく、碓氷を圧倒したということ。

 

 それができる本職の魔法師がどれだけいるのか?


 紫苑の頭の中では、全天ウラノメトリアという単語が浮かび上がる。つまり、それはもしかしたら、祢音の実力が彼らに匹敵するということなのかもしれない。


(入学したての新入生が全天ウラノメトリア級の実力者ですって?現実感がないわ……)


 リアリティが欠けた想像に紫苑は内心で自分自身を失笑した。


 それから、一旦頭を振って思考を止めた紫苑は、一度背もたれに深くもたれかかって、手を天井に突き出すように、伸びをする。


 そんな時だ。


 ウィンと作動音を響かせて、扉から一人の人物が生徒会室に入ってきた。


 赤よりなお、深い色合いであるくれないの髪をショートに切り揃えたスタイル抜群の一人の美少女。髪と同種の色の瞳は刃物のように鋭利で、紫苑はまた既視感のような違和感を感じた。


 その美少女は生徒会室に入室すると、勝手知ったる我が家のようにためらいもなくソファーにだらけるように腰かける。


「はぁ~、なんでそんな毎回堂々と入ってきて、ソファーに座れるの、紅音こうね。風紀委員長のあなたは風紀委員室にいきなさいよ。ここはあなたの部屋じゃないわよ?」


 紫苑は入室してきたその美少女の自由奔放なふるまいにため息を吐き、文句を飛ばした。紅音と呼ばれた美少女は紫苑の文句をめんどくさそうに聞きながら、言い訳を募る。


「別にいいでしょ、紫苑?生徒会と風紀委員会は持ちつ持たれつの関係みたいなものだし、それに親友のあんたがここの長なんだから、ここの部屋は私のでもあるわ」

「なによ、そのお前のものは俺のもの理論。まったく……」

「もう!細かいことはいいでしょ!それよりあんた今まで何してたのよ?さっき一回来たけど、なぜかいなかったし。ワーカーホリック気味のあんたが仕事をしていないなんて天変地異の前触れかと思ったじゃない!」


 ある意味、侮辱みたいな紅音の言葉に、紫苑は吠えるように、


「さすがに言い過ぎよ!私は別に仕事大好き人間じゃないわよ!」

「どうだか?……ってそんなことより、ほんと一体何してたの?」

「もう……ただ、内部生と外部生のいざこざの対処に当たっていたのよ」

「あー毎年あるやつね。お疲れ様」


 めんどくさそうに顔を顰める紅音。その表情からは、大体の事情を察したと同時に、毎年起こる内部生と外部生の軋轢に快く思わない色があった。


 まるで他人事のように労いをしてくる紅音に、紫苑はわずかばかりイラっとしながら、返事を返す。


「まったく!他人事だと思って!本当なら学園での騒動の対処は風紀委員会の管轄でしょ!」

「なんでそんなめんどくさいことに対処しないといけないのよ!私達の仕事は外部からくる悪意ある者達と戦うことだけよ!」

「違うでしょ!そこは、学園を守ることでしょ!それに生徒同士の軋轢の対処も風紀委員会の仕事でしょ!はぁ…………なんで紅音みたいなめんどくさがりが風紀委員長になれたのかしら?」

「それはまぁ、ひとえに実力がダントツで高いからでしょ!」


 紅音の言っていることは正しい。


 魔法師は実力がすべてだ。強い者は敬われ、弱い者は侮られる。


 その傾向は残念ながら、どの魔法師学校でも受け継がれていた。


 この学園でも、強者は無条件で羨望と敬意を持たれ、弱者は侮蔑と軽蔑の視線に晒されがちだ。そんな学園内で風紀委員会は学園の秩序と風紀を守る実力者の集まり。


 学園で起こる騒動に実力行使で止める権限を与えられた集団。また、外部から学園を狙う悪意ある者達を取り締まる武力組織。


 だから、風紀委員会に所属する者達は誰も彼もが学園で実力トップレベルの学生達。そんな彼らの頂点に立つのが、紫苑の前でだらけて座っている紅音なのだ。


 その姿からは想像できないが、紫苑でも戦えば勝率は三割を切るだろう強さ。武力集団の頂点にいるだけあって、この学園で実質トップの実力者だ。


「それで?一体何があったの?」


 ソファーにぐったりともたれかかりながら、問うてくる紅音。いざこざの内容を詳しく聞きたいのだろう。


「なんか、最初は教師同士の対立だったらしいのよ。宇都宮先生と篠田先生の」

「げっ!またあのキザ教師?」

「もう……女の子なんだから、そんな下品な声出さない方がいいわよ?」

「別に私の勝手でしょ。それで、続きは?」

「二人の口論の収拾がつかなくなりそうになった時に、風間先生が一つの提案をしたらしいの。それが、生徒同士による魔法決闘マギア・デュエルで解決を図るという案だったらしくて……」

「え!何それ!すごく面白そうな展開じゃない!くぅ~!私が行けばよかったかも!」

「はぁ~調子がいいんだから……」


 綺麗な手のひら返しに、呆れたため息しか出ない紫苑。本当に自由奔放で享楽主義な人間だと、親友ながら、彼女の将来が心配になった。


 だが、紅音はそんなこと関係ないとばかりに続きが気になるのか早く早くと紫苑を催促してくる。


「それでそれで?」

「まぁ、いろいろあって、内部生と外部生の決闘になったわけなんだけど……結果は外部生側の勝利で終わったわ」

「うそっ!?入学したばかりで外部生が内部生に勝利したの!?かなりの逸材じゃない!?」

「ええ、そうなのよね。本当に強かったわ、彼。正直私では勝てないんじゃないかと思うほど」

「……そんなになの?」

「ええ。そうね……まるであなたのように圧倒的で次元が違うような強さを見ているかのよう――」


 だった、と続けようとしたところで、紫苑は言葉を止めた。そして、一度紅音を凝視するように、注意深く観察する。まるで、何かを探るように。


 その態度を訝しく思った紅音は、紫苑に尋ねる。


「どうしたのよ?」

「……」

「ねぇ?」

「……」

「ほ、ほんと、な、なに?」


 尋ねても返事を返さない紫苑に、段々と見られていることに恥ずかしくなってきた紅音は、一度身じろぎするように体を動かす。


 それから少しして、紫苑は口を開いた。


「ねぇ……祢音って名前に聞き覚えある?」

「え……」


 焔魔紅音えんまこうねはその名前を聞いた瞬間、愕然とした表情で紫苑を見返した。




 ♦




 祢音が自室に戻ってきたのは夕日が沈みかける半ばほどのことだ。


 帰宅早々、疲れたようにベッドに目を閉じて、横たわる。


 別に寝ようとしているわけではない。ただ、主に気持ちの整理をつけたかったのだ。


(俺はまだ、過去のことを根に持っていたんだな……)

 

 もう整理ができて、消えた感情だと思っていた。だけど、昨日の入学式でもそうだったし、今日の対立でもそうだった。


 血を分けた双子の妹を見た瞬間、宇都宮の不快な嘲笑が自分の元父親の嘲笑と重なって聞こえた瞬間、過去の記憶がフラッシュバックし、心の淵から濃く濁ったような暗い感情が湧いてきた。


(我ながら情けないな……いつまでこんな感情を女々しく持ってる気でいるんだ、俺は)


 確かに、元家族達のことを憎むことで自分の存在意義を保ってきた。そうすることで、強くなれて、実力も伸びた。


 だけど、この感情を持ちながら、修行をしてもアリアの高みには届かないと、いつからか、気が付き始めた。だからこそ、彼女に追いつき、並び立てるように、憎しみや恨みの感情を捨て去り、純粋な強さというものを手に入れようと努力し始めたのに……。


(アリアは全部お見通しだったってことか……)

 

 敵わないな……と内心で苦笑を滲ませた祢音は、一旦思考を止めた。ただ何となく考えることを止めたくなったのだ。


 それからしばらくすると、眠気に促されようにして、祢音の寝息が聞こえ始めるのだった。



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