第15話 闘技場Ⅳ


 重苦しい空気の決闘広場。


 少し離れた位置で紫苑は祢音を見つめていた。


(祢音って名前、聞き覚えがあるような気がするのよね?それに、初対面のはずよね?)


 名前を聞いた時に、何か記憶の奥で引っかかりを感じたのだ。どこかで聞いたことがある名前のような気がして。さらには、顔を見た瞬間、なぜか会ったことがあるような既視感も覚えた。


 過去の記憶を探るように、頭を抑えながら回顧しようと必死になる紫苑。だが、いくら頭を捻っても思い出せない。


「鳴雷先輩!そろそろ始めたいのですが、よろしいでしょうか!」

「え?」


 「う~ん、う~ん」とまるで悪夢にうなされるような呻き声を上げながら、体を左右に揺らして記憶を探っていた紫苑はそこで現実に引き戻された。


 全身から怒気を発し、瞳をギラギラさせた碓氷が紫苑に、決闘を開始してもよいかという確認を取ったのだ。


 どうやら二人とも準備が整っていたらしい。


 殺気立つ碓氷に少し気圧されながら、紫苑は返事を返した。


「そうね……そろそろ始めましょうか」


 頷いた紫苑を見て、碓氷は嬉しそうに口唇を吊り上げ、戦意を漲らせる。十メートルほど離れた位置にいる対面の祢音は、両手を下げた状態で、ただ自然体のままに立っていた。


 紫苑が軽いルール説明を入れる。


「まず、事前に言っておくわ。この決闘広場には光魔法である身体治癒上昇の魔法がかけられているけど、それでも危険はあるの。なので、相手の命を故意に奪いに行く危険な魔法は禁止。万が一使おうとした場合、使用者側は無条件で敗北とし、私が即座に止めに入るから。勝敗は相手が戦闘続行不能になるか、降参するかね。それじゃあ、両者、合図があるまではMAWを展開しないように」


 それを聞きながら、二人はルーティーンのような独自の動作でMAWを構えた。


 祢音は展開前のアノリエーレンを左手に握りこみ、碓氷はイヤリングに変化させた細剣型MAW【氷華ひょうか】に触れながら、紫苑の開始の合図を待つ。


 睨み合うように立つ二人の視線がバチッと交わる。


 静けさが辺りに漂い始め、観客席にいる両クラスの生徒達もじっとその始まりを待った。


 そして――


「始め!」


 代理魔法決闘マギア・デュエルが開始された。




 始まりと同時に両者はMAWを展開する。


 意外にも先に攻撃を仕掛けたのは碓氷の方だった。


 祢音の戦法の一つは、迅動を駆使した高速移動による先制攻撃だ。いつもなら始まりと同時に迅動を使い、相手に先制攻撃を仕掛けるはずなのに、祢音はそれをしなかった。


 なぜか?――それは後に分かることだろう。


「一瞬で終わらせる!十の氷の弾丸よ、敵を穿て!氷弾アイスバレット!」


 詠唱付きで碓氷が発動した魔法は第二位階魔法である『氷弾アイスバレット』。弾丸状にできた氷を相手に撃ち込んで攻撃する氷の初級魔法だ。熟練度の高い者は、サイズの大きさを自由に変化させられる。


 優秀と言われるだけあって、一瞬にして拳くらいの氷弾を周囲に十発作り出した碓氷は、氷華の切っ先を向けると、それを祢音に放った。


 高速で迫ってくる十発の氷弾。


 祢音は避けるそぶりを見せない。

 

 それを見て、碓氷は内心あっけなかったなと、捕らぬ狸の皮算用的な思考で勝った気になった。


 が、氷弾が祢音を穿つ瞬間は訪れなかった。


 なぜなら、祢音がアノリエーレンを抜いて、一薙ぎでそれらすべてを吹き飛ばしたからだ。


 祢音の緻密な心想因子オド操作技術によって施された身体強化は並みの魔法師の身体強化をはるかに凌駕する。祢音の身体強化の技術は、すでに人外の領域に足を踏み入れており、力任せに刀をたった一振りするだけで、暴風を巻き起こすほど。


「なんだとッ!」


 自分の魔法がまさかそんな防ぎ方をされるとは思わなかった碓氷は驚愕に目を見開いた。だが、そんなことよりもすぐに、有り得べからざる出来事が目の前で起きたことに気付き、祢音に問う。


「どういうことだ!なぜ黒髪なのに、貴様は風魔法が使える!」


 昔の日本人はほぼ全員が黒髪だった。しかし、現代では逆に黒髪の日本人の方が数は少ない。それは心想因子オドが関係しているからだ。


 心想因子オドは使えば使うほど、人体にある影響を及ぼした。それが、髪色の変化。心想因子オドが持つ属性という性質は人々の髪色に影響を及ぼす。火属性は赤髪、水属性が青髪と言ったように。


 属性が色と、俗称で呼ばれるようになった由縁である。

 

 属性が強ければ強いほど、人の髪色は属性の色に染まりやすい。現代では髪色を見れば、相手の持つ属性がほとんど・・・・わかってしまう。


 その為、黒髪は本来闇属性を持つはずなのに、祢音が暴風を起こしたことで碓氷は風魔法を使ったと勘違いを起こしたのだ。


 勘違いを正すように、祢音は碓氷の疑問に答える。


「残念ながら、俺は風属性じゃないし、魔法も使っていない。これはただ純粋な身体強化の技術によって引き起こした現象だ」

「ありえない!一体どんな身体強化の技術があれば、刀の一振りで暴風が起きるんだ!」


 祢音の返答に信じられないとばかりに叫ぶ碓氷。常識的に考えて、身体強化だけで魔法並みの力を出すのは無理がある。


 身体強化とは体の機能を上昇させる技術である。想像を事象として世界に投影した魔法とは違う。簡単に説明すると、身体強化が心想因子オドのみを使う力に対し、魔法は心想因子オド現象粒子マナの両方を使う力ということ。


 身体強化を使えば、筋力は増すし、走る速度も上がるが、決して魔法を超えた力が出せるわけではない。それがこの世界の常識。祢音の身体強化技術はその常識に真っ向から喧嘩を売っているのだ。


 だけど、今、そんな事情は祢音の知ったことではなかった。碓氷の驚愕など関係ないとばかりに、続きを促す。


「そんなことどうでもいいだろ?これで終わりじゃないはずだ。さっさと来いよ?」

「クッ!」


 祢音の催促に、碓氷は呻くような声をあげるが、


「た、ただ身体強化がうまいだけだろ!そ、そんなものいくらでも戦いようはある!」


 動揺したような声を出しながらも、気丈に、声高に叫ぶ。そして、続けるように魔法を発動した。


「凍てつく氷の檻よ、敵をとざせ!氷檻アイスケージ!」


 第三位階魔法『氷檻アイスケージ』。氷でできた檻で相手を閉じ込め、冷気で徐々に体力を奪っていく氷の初級魔法。使い手によっては堅牢な要塞ほどの堅さにまで高められる者もいる。


 まるで入り口の無いかまくらのようにガキンッと祢音を覆うようにして氷檻が発動した。


 だが、それだけでは安心できなかった碓氷は連続して魔法を発動する。たった一度見せられた祢音の力に恐れたからこそ、自身最大の魔法で決着をつける気でいた。


 けれども、未知の恐怖からくる焦りからか、碓氷は心想因子オドを使う量を間違える。その結果、碓氷の切り札であるその魔法は一つの命を容易に消せる危険な魔法へと昇華する。


 それを見た紫苑は事前に説明した通りに止めに入ろうと一歩足を踏み出そうとして……氷檻の中から放たれた強烈な威圧を受けて止まらざる負えなくなった。


(うそっ!?私の動きを感知してる!?)


 紫苑が威圧に意表を突かれた間に、碓氷の魔法が発動してしまう。


 青白い碓氷の心想因子オドが体から大量に溢れ、大気に存在する現象粒子マナと螺旋を描くように絡み合い、結びつく。


「凍てつく力よ、四十しじゅうつるぎと成りて、敵を滅せ!氷閃華ひょうせんか!」


 碓氷が持つ最大の魔法、第四位階魔法『氷閃華ひょうせんか』。無数に作り出した氷の剣を操り、敵を打ち滅ぼす氷の中級魔法。作り出す個数によっては、威力が上級魔法にまで匹敵するレベルになる。


 通常ならば、十作るのが精一杯のはずが、恐怖からくる進化とでもいうのか、造られた氷剣の数は四十。


 形成された四十振りの氷剣が氷檻の周囲を回転するように漂う。


 祢音を捕まえた自身が造れる最も堅い氷檻はそう簡単に抜け出せない。さらには冷気による体力減少は防御能力を極端に下げる。すでに祢音はかごの中の鳥なのだ。


「いけっ!」


 四十の氷剣は碓氷の指示に従うように氷檻に向けて、射出された。あえて氷檻に形成した小さな隙間に綺麗に氷剣が突き刺さっていく。


 ザンザンザン!!!と勢いよく。


 最後の一本が刺さり終えると、その場には、まるで黒ひげ危〇一髪のような綺麗なオブジェが出来上がっていた。




 ♦




 観客席。


 二人の魔法決闘マギア・デュエルを観戦していた緑達。


 炎理は祢音が氷檻に閉じ込められ、氷閃華が命中した途端に席から立ちあがって、叫んだ。


「祢音ッ!?」


 焦りからか、そのまま観客席を飛び降りて、祢音を助けに行こうとする炎理。だが、その前に緑から静止が入った。


「待ちなさい!火野君!」

「先生!だけど、祢音が!」

「心配なのはわかるけど、大丈夫よ。彼は無事だわ」

 

 緑は炎理を安心させるため、断定するように祢音が健在だということを伝えた。


「まじすかっ!?」

「ええ、本当よ」

「で、でもどうしてわかるんすか?」

「私の属性は風。そして、風属性の特性は感知。無道君の心臓の鼓動は今も私の耳に届いているわ。それも随分と健康状態のいい心音よ。安心しなさい」

「そ、そうすか……ならよかったっす」


 緑の説得に納得を見せた炎理は安堵した息を吐き、元居た席にまた腰を下ろした。


 それを横目で確認すると、緑は再度決闘広場に視線を向ける。


 彼女の内心は今、いろいろな疑問で埋め尽くされていた。


(身体強化だけで暴風を巻き起こしたのはすごいと思ったけど、それよりもなぜ、無道君は一瞬で終わらせないのかしら?彼があの高速移動技を使えば、決闘は一瞬で終わっていたわ。それに受け手に回っているのはなぜ?氷檻だって避けようと思えば、避けれたはず。彼の速さなら容易なはずなのに……なぜなの?)


 まるで迷宮に入ったかのように出口が見えない迷路を緑は彷徨う。兵吾と戦った時の祢音の実力なら、内部生である碓氷才牙など、一蹴することなど簡単なはず。


 しかし、実際は受け手に回るばかりで攻撃をしない。


 それは嵐の前の静けさのようで、緑は何か不安を感じた。


 そんな時、状況は動き出す。




 ♦




 奇怪なオブジェが出来上がったのを確認して、碓氷は氷華を地面に突き立てるように支えにして、疲れを見せた。一気に大量の心想因子オドを消費したせいで、急激な疲労が襲ってきたのだ。すでに碓氷に残っている心想因子オド量は全体の二割を切っている。


(こ、これを食らって無事なはずがない……僕の勝ちだろう)


 自信を持った攻撃。逃げ場も、防御も不能なはずの致命的な一撃だ。碓氷は完全に勝ちを確信していた。そこに、危険な魔法を使ったという意識はなく、ただ、憎たらしい相手を倒せた満足感だけがあった。


 ――が、その喜びは突如として崩れ去る。


 ドゴンッという衝撃音を伴って、碓氷が造った黒〇げオブジェが盛大にはじけ飛んだ。


「グッ!」


 その衝撃は離れていた碓氷にも伝わり、氷華を地面に突き刺していなければ、吹き飛ばされていただろう。


「な、なにが……」

 

 衝撃に耐え、視線を転じれば、土煙の向こうに一人の人影が確認できた。決闘広場に立っている人間は審判を除けば、碓氷自身と対戦相手である祢音だけだ。


 つまりは――


「ば、バカなっ!?」


 晴れた土煙の先から現れたのは、無傷の祢音。


 そのありえない事態に、碓氷は唖然、茫然と顔面を驚愕一色に彩る。目を大きく開き、ぽかんと口を開けて、美少年然とした顔を崩す姿はなかなかに哀れだ。


 呆け面で見つめてくる碓氷に対し、祢音は容赦なく威圧をブレンドした言葉を突きつける。


「おい?この程度で終わりか?さっさと次の攻撃をしてみろ。お前のできる最高の攻撃で来いよ?お前のすべてを否定して、徹底的に潰してやるから」


 友人を侮辱され、激情に駆られた祢音が思いついた仕返し。それは、碓氷の力を否定すること。彼が今までしてきた努力、鍛えてきた魔法の力、それらすべてを否定し、徹底的に打ちのめすことだった。


 祢音から放たれる圧倒的な威圧を一身に浴びる碓氷。自分の最高の攻撃は無傷で防がれ、さらには今までに感じたことのない威圧感が肌をビリビリと刺激してくる。


 思わず、恐怖から一歩、二歩と碓氷は後ずさった。


「なんだ?まさかもう何もないのか?…………じゃあ、終わらせてやるよ」


 恐れを瞳に浮かべ、視線を向けてくる碓氷に、祢音は相手の心がもう折れたと判断した。碓氷にすでに戦闘を続行する意思はないだろうと。


 だったら、続ける意味はないなと思い、祢音は決闘を終了させようと、一歩足を踏み出そうした。


 が、


「うわぁぁぁぁぁ!!!」


 それよりも先に碓氷が恥も外聞もなく叫びながら、突進を仕掛けてきた。


「へぇ……クズのくせに一端の勇気はあるんだな」


 恐怖を押し殺したような形相で迫る碓氷に、祢音は少しばかり感心する。


 残り少ない心想因子オドを身体強化に回し、細剣MAW【氷華】を駆使して碓氷は祢音に挑んで来た。


 疲労からくる倦怠感で満足に氷華を振れていないながらも、その剣筋からは教科書のお手本のような剣技を感じる。優秀と褒められ、周りにちやほやされながらも、才能に胡坐をかくことなく鍛えている証だ。


 だが、通常でさえ祢音には敵わないのに、疲れている状態ではなおさら勝負にならない。


 やぶれかぶれで振る氷華はすべて祢音のアノリエーレンではじき返され、逸らされる。一発も届きはしない。


 碓氷はがむしゃらに振り続けるが、まるで鳥の羽に攻撃しているかのように、流麗で掴みどころのない祢音の防御は難攻不落だった。


 碓氷自身なぜこんなにも抵抗しているのかわからない。自分をバカにされたから?家を侮辱されたから?それもあるかもしれない。だけどそれだけでもないのかもしれない。


 ――ただ、なぜか負けたくないと思った。


 祢音はそんな碓氷に対し、少しだけ印象を改めると、最後の言葉を送った。


「その小さな一端の勇気にだけは敬意を表してやる。だから、もう寝とけ」


 氷華をアノリエーレンで絡めとるように真上に弾き飛ばすと、碓氷の隙だらけの鳩尾をアノリエーレンのつかで突く。


「ゴフッ!?」


 体が浮くような衝撃に、吸った息をすべて吐き出した碓氷は、次第に遠のいていく祢音の顔を見ながら、意識を闇に落とすのだった。



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