第14話 闘技場Ⅲ


 「私が選ぶ決闘の代表者はあなたよ……無道祢音君!」


 そう言って、緑から視線を向けられた祢音に多くの視線が集まる。その多数の視線がなぜあいつが選ばれたんだといった、納得のいかなそうな感情を瞳に乗せて祢音を嫉視していた。


 突然に集まった視線にも動じず、祢音は聞き返す。


「俺?」

「ええ、そうです。あなたなら勝利は確実でしょう?」


 最初から必勝を確信しているように話す緑。その根拠とはやはり彼女が祢音と兵吾の模擬戦を見ていたからなのだろう。


 あの戦いで祢音は兵吾を圧倒し、倒した。それを見て、知っていたからこそ緑は魔法決闘マギア・デュエルを提案することにためらいがなかったのだ。


 そんな中、祢音が選ばれたことに疑問を持った生徒の一人が、緑に質問する。


「あの、先生。どうして彼なのでしょうか?理由があるのですか?」

「ええ、あります。あなた達は実技試験の時にこの学園の教師達と模擬戦を行ったことは覚えていますね?」

「はい」

「私は無道君の実技試験時の審判だったのですが、彼はその時に教師を倒して入学した実力者なんですよ」

「え!?」

「すでに現役魔法師を倒せる実力者なら、内部生も倒せると思ったわけです」


 教師を倒したという事実は生徒達に少なくない衝撃を与えた。


 確かに学生でも魔法師である教師を倒せないことはない。が、それでも実力差には大きな違いがあるため、それがいかに難しいか、生徒達は理解している。


 しかも、祢音が教師を倒したというのは入学試験時だというではないか。魔法師学校で鍛えた学生が魔法師を倒したというのならまだ納得もできるが、そうでもないただの少年が魔法師を倒したというのは到底信じがたい話なのだ。


 緑の話を聞いていた生徒達は信じられないとばかりに驚きに目を見開いて祢音を凝視する。そこに、先ほどまであった納得できないといった感情はなく、中には少ないが尊敬や羨望の眼差しがあった。


 周りが困惑、混乱、と小さい騒ぎが起きる中、凛子がとことこと祢音の前まで歩いてくる。


「わぁ~!君ってすごいのね~!その歳で、現役の魔法師である教師を倒しちゃうなんて~!それに背も高くて、かっこいいし、女の子にモテそうだね~!」

「え?あ、ああ……?」


 近づいてきたと思ったら、いきなり祢音の手をその自分の柔らかい手で包み込むように握りしめて、褒め称えてきた。ふわっと陽だまりのような凛子の香りが鼻孔をくすぐる。


 その唐突な行動にどう反応していいのかわからない祢音は珍しくも動揺した。普段は泰然自若とした祢音ですら動揺させてしまう凛子のマイペースっぷりはもしかしたら最強かもしれない。


 戸惑っている祢音を助けるため、緑が凛子を諫めるように引き離す。


「はいはい、あんたはさっさと離れなさい。無道君が困ってるでしょ!」

「ちょ、ちょっと!緑ちゃん~!襟元掴んで引っ張らないで~!」


 そのままずるずると引き離される凛子。首元を掴まれて持ち上げられる猫のような扱いに、二人の関係性が表れているようだった。そう、まるで飼い主とペットのようなそんな関係が。


「ごめんなさいね、無道君」

「いや、大丈夫だ」

「そう、ならよかったわ。それで、決闘の代表は受けてくれるのかしら?私としてはあの男を一度懲らしめたいから、あなたが出てくれるのだったら安心なのだけれど」

「……」


 再び、話題は最初に戻る。どうやら代表は強制ではないらしい。


 緑に懇願するように尋ねられた祢音は一度目を閉じて、黙考する。


 祢音としては、内部生と戦えるのは悪くないと思っている。それに、外部生を見下しきった宇都宮にムカついていたのは祢音も一緒だ。あの心底他人を下に見ているような声音からは、昔自分に向けられた実の父親のそれと重なるものがあった。


 なぜ今になってそんなことを思い出すのか。


 それは多分――


(もう昔のことは払拭できていたと思っていたんだけどな……やっぱあいつの顔・・・・・を見たからかな……)


 入学式でのことだ。登壇した新入生代表を見て、心の奥底にしまっていたはずの記憶がぶり返した。


 考えていなかったわけじゃない。魔法師学校に入学するからにはもしかしたらいるかもしれないと頭の隅にはあった。


 もう吹っ切ったことだし、彼女達と顔を合わせても自制できると思っていた。


 だが、成長した彼女の顔を見た瞬間、小さいころの嫌な記憶が溢れ出るように心の奥底から漏れ出し、憎しみや恨み、つらみ、嫉妬、いろいろな負の感情が湧いて出た。


 そんな過去の回想から流れ出てくる嫌な記憶が今も祢音の頭の中を駆け巡っている。


 思わず、入学式の時にも感じてしまった感情に囚われそうになって――


(……!これ以上は考えるな!)


 ――祢音は唐突に思考を止めた。つぅーと額から一筋の汗が流れる。


「ハッ!」と自嘲的な笑みが漏れた。


 どうやら吹っ切れたと思っていたのは表面上だけだったようだ。自分の心の奥底には未だ粘りつくような暗く淀んだ感情が残っていた。


(……アリアは俺の心の内に気づいていたのかもな。……もしかしたら魔法師学校入学を俺に勧めたのは、このことを気付かせて、克服させるためなのかもしれない)


 一度、頭の中を整理するように深呼吸を一つ。そうすることで負の感情を心の底に沈めた。


 そして、未だ回答を待つ緑に、祢音は考えた結果。


「……ああ、わかった。その決闘の代表、受けるよ」


 緑の要望を受けることにした。


「そう!よかったわ!」


 祢音が代表を受けるといってくれたことで、緑は嬉しそうに破顔する。


 ひとまず代表が決まったことに安心した緑は、この代理魔法決闘マギア・デュエルの申請をするため、一旦生徒達に指示を出した後、凛子を引き連れて、闘技場を後にするのだった。




 それから一時間後。


 緑達が決闘の申請に行っている間、祢音は炎理や守里などを筆頭に多くの生徒に詰め寄られて質問攻めにあっていた。やはり、学生が教師を倒したという話は彼らにとって興味をそそる話題なのだろう。しかもそれを成したのが、内部生ではなく、外部生だというのがなおさら興味を誘った。


 質問の多くが、一体どんな特訓をしていたのかやら、どんな魔法を使ったのかやら、と祢音の強さの秘密を知りたいというものばかり。


 囲まれてもみくちゃにされるという体験を始めた味わった祢音は二度と味わいたくないと思ったとか。


 ――そうして、現在。


 闘技場の決闘広場。


 中心で対峙するように緑、凛子の両名と宇都宮が向かい合い、睨み合っていた。その横には祢音とⅡ組の代表者である生徒もいる。


 その他の生徒達は観客席で座って決闘広場の様子を眺めていた。


「さて、負ける覚悟は整えてきましたか?篠田先生、風間先生?」


 宇都宮は顔を合わせると、すぐにキザッたらしい仕草で髪をかき上げ、緑と凛子を挑発する。


 それに対し緑が、


「それはこちらのセリフよ、宇都宮先生」

「ククク!まぁせいぜい頑張ってください」


 自分が負けるとは微塵も思っていないのか、強情な緑を宇都宮は嘲笑う。


 決闘が始まる前からすでにバチバチと視線による牽制が行われていた。


 両陣営を眺めながら、緑に連れられてきた決闘の審判役である鳴雷紫苑は毎年のように起こる内部生と外部生の確執にため息を吐く。


「両者、そこまでにしてください。そろそろ代理魔法決闘マギア・デュエルを始めたいと思いますので、代表の紹介をお願いします」


 進まない状況に業を煮やして、紫苑が割って入った。


 なぜ生徒会長であるはずの紫苑が審判役としているのか?


 それは生徒会室で仕事を片付けていた時、決闘の申請をしに来た緑に、ついでとばかりに連れてこられたからである。


 本来なら他の生徒会役員を派遣しているところだが、残念なことに今日は一学年以外がまだ休暇期間中。生徒会室では紫苑以外、生徒会役員はいなかった。つまりはそういうこと。


 一人で黙々と仕事を片付けていた彼女は頑張り屋さんなのだ。


「フッ、鳴雷家のご息女がそう言うのなら仕方ありませんね!」


 紫苑の催促に宇都宮はファサッ!と男にしては長い薄紫色の髪をはためかせ、カッコつけるように笑う。


 いちいちキザな言動と動きをしなければ、死ぬのかお前は、と言いたくなるほど、キザな口調や仕草が目立つ男だ。


 緑や凛子が気持ち悪そうに見つめる。紫苑は顔の表情をアルカイックスマイルに固定して対応した。


「では、まずは一年Ⅱ組側からの代表紹介をお願いします」


 促す紫苑に対し、宇都宮が自分の横にいる生徒を自慢するように肩に手を置きながら、紹介を始める。


「私達のクラスからは彼、碓氷才牙うすいさいが君が代表です。彼はすごいですよ!あの魔天八家が一角、白雪家の分家筋に当たる家柄、碓氷家の嫡男にして、この歳で結合安定率63%と上級魔法まであと少しで到達できる逸材!さらには、B級ライセンス持ちの魔法師である私と模擬戦をしてもいい勝負ができるのですよ!」


 宇都宮の賞賛に、横にいる碓氷は、


「やめてくださいよ、先生!相手の生徒が怖気づいちゃいますよ!外部生はただでさえ弱いのに、そんなことを言ってしまったらビビてしまって本来の力も出せないじゃないですか!まぁ、本来の力を出せたところで、瞬殺してしまいますけどね!」

「アハハ!!言うじゃないですか!碓氷君!それでこそ私の生徒です!」

「いえいえ!」

「やはり血筋も実力も内部生に限りますね!どこぞのわからない家系で実力も低い外部生には一生をかけても届かない高みがあるということを教えてあげなさい!」

「ええ、もちろんですよ先生!」


 紹介がいつの間にか、祢音を貶すことに変わってしまっている。弟子は師に似るというが、この教師にしてこの生徒ありだなと緑達は思った。


 ヘドロのように絡みつく悪意ある言葉に、しかし、祢音は動じない。入学式の時や一時間前に抱いた負の感情はない。それを向ける相手はこの二人ではないとわかっている。誰彼構わず、当たり散らすほど子供ではなかった。


 ひとしきり嘲笑った宇都宮は緑達に勧告する。


「どうです?自分たちの提案に後悔してきたでしょう?今なら止めてあげてもいいですよ?」

「いえ、結構よ」

「ふ~ん。そうですか」


 期待した反応が返ってこなかったことに宇都宮はつまらなそうに目を細めた。


 そうして、次は祢音の紹介の番。


 長々と紹介した宇都宮と違い、緑は簡潔に紹介する。


「こちらの代表者は彼、無道祢音君が務めます」


 紹介された祢音は頭を下げ、一礼する。


 宇都宮と碓氷はまるで値踏みするように祢音に視線を向けた。


 審判である紫苑はなぜか祢音の名前を聞いて首を捻りながら、誰にも聞こえない声で小さく呟いた。


「……祢音?」




 二人の代表の紹介も終わり、教師たちは決闘広場から出ていった。残ったのは祢音と碓氷、そして、審判の紫苑だけである。


 碓氷は人を見下す者にありがちな薄気味悪い笑みを浮かべ、対面に立つ祢音に話しかける。


「貴様も気の毒だな。どうせ押し付けられる様にして代表に選ばれたのだろう?外部の奴らは実力がないからな。内部生と戦うとなったら誰もやりたがらないものだ」

「……」


 その言葉からは軽蔑や侮蔑の色が強くにじみ出ていた。対する祢音は一度碓氷を一瞥してから、どうでもよさそうに視線を外した。


 祢音が反応しないのを見て、碓氷は「チッ!」とつまらなそうに舌打ちする。


 さらに続けて、祢音を煽るように言葉を放った。


「全く外部生はどいつもこいつも情けないにもほどがある。実力もない癖に栄誉ある武蔵学園に入学してくるなんて」

「……」

「その点、貴様はまだましな方かもしれないな。押し付けられて選ばれた代表のくせに、逃げずによく僕の前に現れたよ。そこは褒めてやろう」

「……」

「だけど、貴様の友人はゴミだな。外部生は基本すべてがゴミだと思っているが、貴様の友人は特にゴミだ」

「……なに?」


 そこで初めて祢音は碓氷の言葉に反応した。人形のように反応を返さなかった祢音が初めて反応したことで、碓氷は嬉しそうに勢いづく。それが祢音の怒りを加速させることを知らずに……。


「だってそうだろう?自分の友が魔法決闘マギア・デュエルで恥を掻きにいくだけなのに、代表を押し付けたんだからさ!友人失格だな!観客席でダサく応援しても、結果は変わらないというのに!」

「……」

「ククク!友人は選んだ方がいいぞ?なんだったら、僕の友人にしてあげようか?そんなゴミの友人より、血筋も実力もある僕と友人になった方が貴様の箔にもなるぞ?」

「……」

「それで、どうだい?君がどうしてもというのなら、僕の友人にしてやってもいいぞ?」


 碓氷は先ほどから観客席でひときわ目立つように祢音を応援している赤髪の大男を見て、嘲笑う。


 実はどうやって祢音を刺激しようかと話しながら、考えていた時、観客席で一人かなり目立っていた炎理を彼の友人だとあたりをつけ、そこから挑発する方向にシフトしたのだ。


 碓氷の試みは成功したといっていい。だが、それは眠れる獅子を叩き起こしたような行為だということを彼はまだ知らない。


 伏し目がちに下を向いて、話を聞いていた祢音は、そこで顔を上げると言った。


「さっきからピーピーとうるせぇんだよ。少し黙れ、雑魚」

「…………ん?なんだって?悪いね、聞き間違いかな?僕を雑魚と呼んだように聞こえたんだが……」

「ああ、そうだよ。囀ることしかできない雑魚は黙れと言ったんだ。耳腐ってんのか?」

「なんだとッ!」


 自分のことをどんなに憐れんでも、侮辱しても、別に何も感じなかった。ただ、友人を悪く言われた瞬間、祢音は例えようもない怒りが心の内から湧きだした。


(決めた……こいつは徹底的に潰す)


 挑発を嘲りで返され、碓氷の怒りは一瞬で頂点に達した。侮辱というものをあまり受けないからだろうか、怒りの沸点というものが相当低いようだ。


「こ、この碓氷家の次期当主であり、すでに中級魔法を完璧に扱う俺をよ、よりによって雑魚だとッ!?」

「雑魚は雑魚だろ?その程度の力で何を威張ってんだ?もしかして家の力を自分の力と勘違いしてんのか?」

「ゆ、許さん!貴様は絶対に許さんぞ!」


 碓氷の怒気が膨れ上がる。


 体から青白い心想因子オドが滲むようにして、碓氷の周りを漂い始めた。


「貴様は絶対に許さん!外部生の分際で僕を侮辱したこと、後悔させてやる!」


 碓氷は憤怒を乗せた瞳で、祢音を睨みつける。滲み出る怒りが殺気となって周囲を威圧し、体から溢れでる心想因子オドが周囲に物理的な重圧を与えていた。


 そんな殺気を一身に浴びている祢音は、まるで柳に風とばかりに受け流し、軽蔑の視線を男に向けながら、さらに挑発する。


「坊ちゃんに何ができるんだ?やってみろよ?」

「ほざけッ!」


 まもなく二人の魔法決闘マギア・デュエルが始まる。



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