第10話 村雨兵吾
(女好きの炎理が女に怒るのは珍しいな……まぁ、最初に挑発されたからなんだろうけど。それにしても――)
気づかれないように祢音が横に視線を向ければ、暗条冥と名乗った少女は自分の携帯情報端末で読書に勤しんでいるようだった。勉強熱心なことだ。
綺麗な少女だと思う。まるで
だけど、人を寄せ付けない雰囲気。さらには一瞬だけ感じた負の感情。
(あれは私怨というか、憎悪というか、そんな仄暗い気持ちだった……)
自分も昔に抱いていた気持ちだからわかる。彼女は昔の自分に似たような感情を抱いていると。
まさか、炎理に恨みでも持っているのかと思ったが、さっきの罵り合いを見た感じだと二人とも初対面のようだから、ほぼないだろう。それに、炎理にというよりは、何か単語に反応を示していたように感じた。
しばらく思考していた祢音だが、それは予鈴が鳴ったことで中断される。祢音は思考を止め、ギリギリまで散らばっていた生徒は自分の席に戻った。
それから数分して、ウィンと作動音を響かせて、前の扉から一人の男教師が入室してくる。
その教師は青髪で無精ひげを生やし、目下に隈を作り、死んだような形相で現れた。その姿を見たなら、歩く亡者といっても信じられるだろう。それほどまでに男にはやる気と元気と生気が感じれなかった。
教師の姿を見た瞬間、相変わらずだなという思いが祢音の胸中を支配する。
見覚えのありすぎるその顔と雰囲気。担任教師は祢音の実技試験担当官だった村雨兵吾その人であった。
だが、若干雰囲気が以前よりもひどい。確かに前も戦闘以外ではほとんどやる気を見せず、だらしない態度が目立っていた。しかし、今はただだらしないとか、やる気が見られないとかではなく、単純に疲労困憊で死にかけているように見える。一体何があったのだろうか?
「……うーす。大丈夫だと思うがオリエンテーションを始めるぞー」
話すのも億劫そうに、兵吾は口を開く。
Ⅴ組の学生全員は思った。
――いや、あんたが大丈夫かよ!?と
その空気を察したのか、兵吾はやつれた顔で、力なく笑う。
「……はっ!まだデスクワークよりはいい。……俺はただちょっと、あの鬼女のせいで連日連夜仕事続きで死にそうになってただけだ、気にすんな」
いや十分気にするんですけど!仕事だけでどうやったら、そんなゾンビみたいな様相になるんですか!?僕(私)達、気になります!
Ⅴ組の心情は一致する。
祢音も兵吾の言葉を聞いて、鬼女という単語に、実技試験にいた風間緑を思い出す。そして、何となく事情を察した。
(あの時の仕返しに大量の仕事を与えたんだな、きっと。だいぶ振り回されて、怒ってたもんなーあの人)
若干兵吾に同情心が湧かないでもなかった袮音である。
「おーし。じゃあ、俺の自己紹介からするかなー。たぶん入学試験で見たやつもいるだろうけど、このⅤ組担任の村雨兵吾だ。主に担当科目は応用戦闘訓練と基礎魔法修練。まぁーよろしくな」
兵吾の自己紹介を聞いたⅤ組は、先ほどまでの静謐さとは打って変わって盛り上がった。それは実技試験時にも受験生達が兵吾に向けたような感情であり、彼らは兵吾の持つ地位に畏怖や憧れ、敬意を向けていた。
「え!まじか!村雨兵吾ってあの!?」
「うそ!ほんとに?」
「やった!世界でも数少ない旅団級魔法師の人が担任だなんて!」
「まさか
Ⅴ組の生徒たちが口々に話す旅団級魔法師という言葉。これは世界魔法師連盟が定めた魔法師の等級の一つである。第六位階、第七位階である上級魔法より上の位階、第八位階(旅団級)を使える魔法師達に与えられる等級のことだ。これよりさらに上の第九位階、第十位階になると、それぞれ師団級、軍団級となり、それらの等級が与えられることになる。
旅団級以上の魔法師は世界でも数が少なく、連盟に正式に認定されている数は大体三百人ほど。さらにその中でも戦闘力が高い上位八十八名は一人で一軍を相手にできるだろうと言われている力を持ち、世界でもトップの魔法師達。人々は畏敬の念を持って、彼らを天にも手が届きうるだろう魔法師――
そんなトップレベルの魔法師が自分たちの担任となるのだ。確かに興奮するのも理解できる。
まるで好きな芸能人に会えたかのような騒ぎ具合。兵吾は雑然としてきたⅤ組の生徒達を窘めた。
「あー静かにしろ」
「「「……」」」
ピタっとそれまでざわざわしていたクラスが静まり返る。
兵吾を少しでも知っている人間からすれば、珍しい威厳の発揮。生徒達の目がますます輝きを増し、尊敬と羨望が天井を知らずに高まっていく。
だが!その尊敬も羨望もすべてを一瞬でぶち壊すのが兵吾クオリティ!
静かになった教室を見て、兵吾は頷くと――
「うし、次だ次。お前ら電子情報端末を開いて、インフォメーション見とけ。それが終わったら、選択科目の受講登録もしとけよ~。全部終わったら教えてくれ。俺は寝るから~」
――そう早足で言うや否や兵吾は意見も聞かず、そのまま教卓に突っ伏した。続くようにして、聞こえ始める寝息。5秒もかかっていない。
そのあまりのスピードにクラスの誰も反応ができなかった。まさに瞬身、ならぬ
これには先程まで喜んでいた生徒達も目が点になる。自分達が憧れ、尊敬していた魔法師の理想が完全に崩れた瞬間だった。
♦
午前の予定はだいたい三時間くらいで終了した。
あの後、一時間くらいで起こされた兵吾は最初よりかは覇気を取り戻し、目元の隈も若干消えていた。
『ふぁ~、お前ら終わらせんの早いよ。あと十時間くらい寝たかったのによー』
あくびをかいて起きた兵吾の第一声はそれだった。仕事中に爆睡してることすらあり得ないのに、まさかの文句である。まさにクズの所業。見るからにダメ教師だった。
そして、現在――生徒達は昼休憩中である。
袮音は炎理と共に学園本棟にあるカフェテリアで昼食を取っていた。
カフェテリアは最大五百人は座れる広々とした空間に、ガラス張りの窓から映る美麗な庭も眺める事ができる学園でも人気の場所だ。
まだ、中等部と高等部の二学年、三学年は授業が始まっていないため、今日は一学年である新入生しかいない。
昼食をつつきながら、炎理は未だ冷めやらぬ怒りを愚痴にして吐き出す。実は未だに朝の怒りが冷めていなかったらしい。
「クソっ!あの女、まだムカつくぜ!すかしやがって!」
「確かに最初に挑発されたから怒るのもわかるが、ここまで引きずるなよ。暗条だっけ?美人だったじゃねーか」
「ケッ!確かに美人なのは認めるが、俺はボンキュッボンな美人が好きなんだよ!あんなペチャパイは守備範囲外だ!」
「……最低だな……」
清々しいまでのクズ発言。近くにいる女子からの視線が若干冷たくなったのは気のせいではないはずだ!
「はぁ~やめだやめ!あの女のことを考えるのはやめるぜ!イライラが治まらなくなる!それより午後の予定にある施設見学について話さね?」
このままじゃいけないと思ったのか、唐突に気分を変えるように話題を変える炎理。そのまま続けるように話を振ってくる。
「俺はMAWを整備したりする工房とか結構楽しみなんだけど、祢音はなんかないのか?」
「俺はそうだな……闘技場とか?やっぱここの戦闘関連系の設備とか見てみたいかな」
「確かにそれも外せないな!やっぱ魔法師になるんだったら強さは絶対に必要だし?その点、俺たちの担任が
「村雨先生は実技試験の時もあんな感じだったしな。今日ほどひどくはなかったが……」
「そういえば俺達の実技試験の担当はあの人だったな。やっぱ
「ああ。強かったな、確かに」
「祢音は実技試験どんな感じだったんだ?ちなみに俺はいい戦いができたぜ!途中で審判の先生に止められたけど、それまでは結構善戦できてたと思うし!」
「あー……俺はまあまあだったかな?」
実際は勝ってしまったのだが、それを言っても多分信じられない。いや、炎理だったらもしかしたら信じてくれるかもしれないが、だとしても、祢音としては勝ったことを言いふらしたいわけでもないので、曖昧に濁した。
「まぁ、実際は試験だったから、かなり手加減してくれてたんだろうけどな!MAW使ってこなかったし。それでも、やっぱ世界で認められてる魔法師に善戦できたことはかなり自信になったぜ!」
「はは、よかったな」
祢音の目から視ても、炎理のポテンシャルは高い。今現在でも学生にしては強いと思うし、鍛えていけば、
――それから食べ終えるまでしばらく、炎理はコンスタントに話を振り続け、祢音を「まるでペテン師のように口が回る奴だ」と呆れさせた。
教室に戻ると、朝までのぎこちなさ感が消え、クラスメイト達は各々のグループで駄弁り、雑然とした雰囲気を形作っていた。仲良くなるのが早いことだ。
ただそんな中、一人だけポツンと席に座り、読書に勤しんでいる冥。クラスのほとんどが立ち上がって、友人を作っている中、一人黙々と読書をしている冥はやはり浮いていた。
それを見つけた炎理はここぞとばかりに、にやりっと気味悪い笑みを浮かべ、冥に近づいていく。その笑みを見て、祢音は炎理が何をしようするのかを察して、苦笑いを浮かべた。
(やめとけばいいものを……)
「おやおや?暗条さん。そんな一人寂しそうに何をしているんだぁ?まさかお友達ができなくて、ぼっち飯だったのかぁ?なぁ?そこらへんどうなんだぁ?なぁ?なぁ?」
ものすごくいやらしげな顔での挑発。口調も普通にウザい。主に朝の仕返しだろう。小さい男である。
頭上から聞こえる嫌味ったらしい声音に、冥は煩わしそうに顔を上げて、炎理を一瞥した。そして、一言。
「失せなさい、チキン」
「誰が
「ごめんなさい、あなたの名前に興味がなくて全く聞いていなかったわ。で、なんだったかしら……ひ、ひ、ひ――ニワトリさん?」
「今教えたばっかだろ!?頭文字からどうやったらニワトリにつながるんだよ!?お前わざとだろ!?」
「あら、それくらいは気付ける頭があるのね。見た目通り鳥頭なのだから、米粒程度の脳みそしかないと思っていたけど、侮っていたわ。葡萄一粒程度の大きさはあるのね」
「ハッ!ようやく少しは俺のことを見直したようだな!」
「いや、炎理……お前まだ全然バカにされてるから」
「なんだとっ!?」
「呆れた……」
わかってはいたが、まるで相手になっていない。挑発したのに、逆に挑発し返され、すぐに激情した。
炎理は挑発に弱い、とこの頃理解し始めた祢音。煽られると、すぐにムキになってしまう。確かに日常のちょっとしたことでなら、それほど問題にならないかもしれないが、これが魔法師同士の戦闘中で起こると危険だ。怒りは視野を狭くする。殺し合いの最中に怒りで周りが見えなくなったら、それは死につながる致命的な隙となってしまう。だから、魔法師を目指すのなら、炎理はこれからその短気な性格を少しは改善していかないといけないかもしれない。
「用がないならもういいかしら?」
怒る炎理を他所に、冥は心底めんどくさそうに尋ねてきた。
「ああ、悪いな。こいつに付き合わせちゃって。あと、暗条も事情があるんだろうけど、そうつんけんしない方がいいぞ?まぁいらん忠告だと思うが聞いといてくれ」
「……そうね。余計なお世話だわ」
それ以上は会話が続くこともなく、冥は読書に戻り、祢音は炎理の怒りを宥めるのに手を焼くのだった。
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