第8話 入学式
閉じられたカーテンの隙間から差し込む眩い朝日に瞼を刺激されて、祢音の意識は浮上した。
体を包み込む弾力のあるベッドから起き上がり、あくびを一つかく。周りに眼を向ければ、シンプルな装いの部屋が目に飛び込んできた。
ここは、武蔵学園の学生寮。
祢音は合格が知れたと同時に、ホテルからこの学生寮に移り住んだのだ。
学生寮の一部屋の中には、最初からシックな造りの机に小型冷蔵庫、一人用のベッド、テレビ、またトイレにシャワールーム完備とホテルのような充実具合だった。しかし、備品の充実度に反して、祢音の私物はほとんどない。もともと持ち物が極端に少なかった祢音はほぼその身一つでこの武蔵にやってきたようなもの。その為、部屋の中はただただ殺風景のままだった。
起き上がった祢音はシャワールームに向かう。
気分のいい目覚めの後に浴びるシャワーのなんと心地よいことか。まさに至福の一時。
山奥生活時にはよく、寝起きにアリアから襲撃があった。ひどい時だと魔法を打ち込まれることもしばしばあったほど。アリアが言うにはこれも修行の一環らしいが、普通だったら命がいくつあっても足りない。だからだろうか、祢音はここ最近の安全な朝というものにありがたみを感じていたのだ。
さっぱりとした気分で浴室を出た祢音は髪を乾かし、合格後に届いた武蔵学園の制服に身を包みながら、仕度を始める。
時間が経つのは早いもので……。
魔法歴322年。4月10日。
武蔵学園高等部の入学試験からちょうど一ヶ月。
そう!今日は待ちに待った武蔵学園の入学式なのだ!
♦
入学式は大講堂で行われることになっている。
学生寮を出た祢音は現在その入学式が執り行われる予定の大講堂にいた。すでに着席して、これから始まる式典を待っている。ただし、一人ではない。
「見ろよ祢音!結構な人数が集まってるな!」
そう言って、横から声をかけてきたのは、実技試験の時に知り合った火野炎理だ。相変わらず、チャラチャラとした風貌が印象的である。今もしきりに興奮して落ち着かない様子を見せていた。
祢音がなぜ炎理と居るのかというと、どんな偶然が働いたのか、学生寮に引っ越した時にばったり再会したのだ。しかもなんと隣の部屋という奇跡。そんな不思議な縁を持つ炎理に誘われ、こうして一緒に大講堂まで連れ歩いてきたというわけだ。
「確かに人が多いけど、街に降り立った時ほどではないだろ」
「確かに初めてこの武蔵に来たときは驚いたぜ。あの人の数はやっぱ俺や祢音のような田舎者には珍しい光景だよな!」
「確かに初めて見た時は唖然としたなぁ」
二人がそんな会話をしている間にも、大講堂に集まっている人の数は増えていく。ここに集まっているのは武蔵学園に入学する学生達やその保護者、関係者などなど。
中等部と高等部の合同入学式のためか、結構な人数が集っていた。ここ武蔵学園には中等部と高等部が存在しており、その為、毎年入学式は合同で執り行うことになっているのだ。
炎理は今も続々と大講堂に入ってくる入学者やその関係者を眺めながら、祢音に話しかけてくる。
「お!なぁ祢音!今思ったんだけど、可愛い子多くね?」
「お前この前、街に出た時も似たようなこと言ってたじゃねーかよ」
「あれ?そうだっけ?」
「『都会って可愛い子多いなっ!最高!』って声高に叫んでいたのを俺は忘れてねーよ。そのせいで変に注目を浴びたこともな!」
「へへ!まぁいいじゃねーか!過ぎたことはよ!それよりこんだけ美少女が多いと選り取り見取りだよな、ぐへへ!」
「はぁー」
思春期の少年らしい会話を交わす二人。片割れの少年はいささか言動がゲスいが……。
そんなしょうもない会話がしばらく続いて――
『まもなく入学式を開式致したいと思いますので、皆様ご着席の上、お待ちください』
――スピーカーからの知らせが大講堂内に響き渡った。
釣られて祢音が時計を見ると、時刻はすでに九時五十五分。開会式は十時からの予定となっているため、残り五分もない。
大講堂内の座席はすでに満席状態。入学する学生達やその関係者がずらっと座っている姿は上から見たらなかなかに壮観だろう。
「お!そろそろだな!」
「ああ、ようやく始まりそうだ」
その知らせに炎理は気分を高ぶらせ、祢音も同様に少しばかりの高揚を感じながら、姿勢を正すのだった。
式も中盤に差し掛かった頃。
開会式から始まり、お偉い方の挨拶がしばらく続いた時間。
祢音の横にいる炎理は最初の勢いがウソのように、すっかり夢の世界へと旅立った。というか式が始まって五分ほどで眠りに落ちた。おおよそ予想はしていたが、炎理に難しい話やら面倒な話を聞く忍耐はなかったということだ。
『続きまして、在校生代表挨拶。生徒会長、
司会進行役の言葉で登場した一人の少女。
後ろで纏めた
垂れた大きな瞳。スッと通った綺麗な鼻梁。ぷるんと柔らかそうな唇。服の上からでも分かる抜群のスタイルや右目の下についた泣きぼくろが妖艶な雰囲気を感じさせる。少女の中にも隠しきれない大人の女性の色香があり、二つが合わさることでまるでハイブリッドな魅力を作り出していた。
鳴雷紫苑と呼ばれた少女は髪と同色の瞳で一度大講堂内を見回し、そのぷるっと柔らかそうな唇を舌で舐める。そして、洗練された一礼をしてから、祝辞を読み上げ始めた。
『春の麗らかなこの佳き日。桜吹雪舞う、新たな始まりの月に、彩りが添えられる
定型的な形の文章から入った紫苑のスピーチは流麗で一つ一つの言葉がすらっと頭に入って来るうまさがあった。それは先程まで散々話を聞き流していた新入生をも振り向かせるだけの力があり……。
というのは嘘。……いや、八割方が嘘。二割くらいは本気でスピーチが良くて聞き始めたかもしれないが、実際は大半の新入生がその容姿に惹かれたからだ。思春期真っ盛りの彼らなら仕方ないことかもしれない。
それは祢音の横の男も例外ではなく――
「な、なぁ!ね、祢音!なんだよあの妖艶な雰囲気の美少女は!」
いつの間に起きたのかものすごく興奮した様子で炎理が小声で話しかけてくる。
「お前……さっきまでぐっすりだったじゃねーか」
「美少女の美声が俺を呼ぶもんだから、遠い旅路から舞い戻ってきたんだよ」
「いや、何カッコつけて言ってんだよ。全然カッコよくねーからな?」
「んぐぅ……まぁいい!そんなことよりだ!誰なんだよ?あの美少女は!?」
「はぁ……生徒会長らしいぞ、ここの」
「ごくっ、生徒会長……………………決めたぞ!祢音!俺は生徒会に入ることにした!そして、あの人とお近づきになる!さらにゆくゆくは……ぐへへ」
「……そうか、がんばれよ」
愚直なまでに本能に忠実な炎理に呆れてため息を吐きたい気分の祢音。すでに炎理の思考は紫苑と仲良くなった状況を想定してるのか、顔がこれでもかとだらしなく緩んでいる。時折、小声で「ぐへへ、あなたって……そんな照れる呼び方はよせよっ」と祢音の耳に届くくらいは彼方にトリップしていた。
(友人の選択を間違えたかな……)
だなしない顔で妄想を垂れ流す横の変態を見つつ、祢音は若干後悔した。そして、炎理どころか、今やこの空間内にいるほとんどの人間を魅了する紫苑に視線を移し、思考する。
(それにしても『鳴雷』か……。あの容姿に苗字が鳴雷。それに一目見てわかる。村雨先生ほどではないにしろ学生にしては破格の実力を感じる。……間違いなく魔天八家の一角、鳴雷家)
日本が誇る魔法師輩出の名家、魔天八家。八属性存在する系統属性をもっとも色濃く受け継いだ八つの家柄を指す。火の『
もし祢音の想像通りなら、今も笑顔を振りまき、祝辞を続ける彼女は日本の魔法師界の中でもお嬢様的立場の人物ということになる。実際、魔天八家は魔法師の輩出だけでなく、日本の経済にも多大な影響を与えている権力者の家系でもあるため、お嬢様というのはあながち間違ってはいなかった。
そんなお嬢様を狙いにいこうとする横の変質者。田舎者と名門のお嬢様。客観的に見て、身分的には完全に不釣り合いだし、一歩間違えれば被害者と加害者になりそうな雰囲気まである。
……将来警察のお世話にならないことを祈るばかりだ。
『――以上を持ちまして、私からの挨拶を終わらせていただきます。最後に新入生のみなさん、今日は、本当に入学おめでとう』
祢音が思考に没頭している間に、紫苑の祝辞は終わった。
最後を可憐な笑みで締めくくった紫苑が一礼すると同時、満開の拍手が彼女を称えるのだった。
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