第4話 謎の少女
袮音の筆記試験は特に不都合もなく終わった。
アリアから修行だけでなく、勉学の方もスパルタのようにしごかれていたため、さほど手間取ることもなく、すべてを解き終えた。
次の実技試験は昼食を挟み午後になる。会場は実技棟にある複数の演習室と学園にある二つの体育館。内容は武蔵学園教師との模擬戦。
やはり魔法師学校でもトップを争う学校なだけあり、この実技試験はかなりの難易度を誇る。
そもそも魔法師学校に配属されている教師はもちろん全員が魔法師だ。それだけでも受験生と差があると言うのに、中には元軍隊所属と戦闘のエキスパートだった者達もいる。そんな相手達に受験生は合格できるパフォーマンスを披露しなければいけない。運がない受験生は戦闘に慣れ親しんだ教師と当たる可能性もあるのだ。いかに難易度の高い試験かわかるだろう。
だが、そんなことは袮音に関係なかった。
大半の受験生は昼食を取らず、実技試験のために開放されている学園の体育館で準備を整える。やはり生半可なことでは次の試験を乗り越えれないと知っているからだろう。
しかし、そんな中、袮音はこれから行われる実技試験の難しさをまるで知らないかのように悠々と学園内を練り歩いていた。実際、本当にどれほどの難易度なのかわかっていないのだが……。
昼食も学園本棟にあるカフェテリアですでにとっている。ほとんどの受験生が実技試験準備で追われているため、かなり空いていた。席を探すという苦労を強いられることもなく、手っ取り早く昼食を取り終えた袮音はまだ時間もあったため、学園内を散策していたというわけだ。
そんな感じで適当にぶらぶらと歩いていた袮音は改めてこの学園の広さに内心呆れていた。
(にしても本当でかいなこの学校……一体いくら金かけてんだよ……)
そうして漠然とただ当てもなく散策を続けていた袮音は気がつけば、自分が今どこにいるのかわからなくなった。
「やべ……どこだここ?」
今いる場所はどこかの小さな広場。大きな一本杉の木が立っている以外は何もない
「はぁ~ほんと広すぎだろ……」
袮音は疲れたようなため息を吐きつつ、まだ時間もあることを確認して、一本杉の下に腰を下ろす。これ以上適当に歩いて、本格的に迷子になるのを避けたかったのと、食後のウォーキングで少し眠くなっていたため、ちょうどよかったと考えたのだ。だから、そのまま一本杉に背を預けるようにして袮音は目を閉じた。
誰かに触れられている。そう感じて、袮音の意識は浮上した。
少しぼんやりとした瞳を瞬かせ、横を振り向くと、そこには先ほどから、袮音の顔をじっーと覗き込みながら、しきりに頬をツンツンとつついてくる一人の少女。
白磁のような肌。興味深そうにのぞき込んでくる薄紅色の瞳。その少女は桜色の髪を靡かせ、人形のような精緻な顔で袮音を凝視していた。それも一ミリも表情を変えず、ただ無言で袮音の頬をつつきながら。
それに何故か負けじと対抗するように袮音も少女を見つめ始める。
目と目がぶつかり合い、そのまましばらく、静寂のひと時。
「……おはよう?」
沈黙に耐えかねたのか、それとも別の理由か。どちらかはわからないが、先に口を開いたのは少女の方だった。首を傾げて、疑問げに朝の挨拶を口にする。
それに対して、内心勝ったと思いながら、袮音も返した。
「……昼を余裕で過ぎてる時間だけど、まぁおはよう」
どこか呑気に挨拶を交わし合う袮音と謎の少女。いろいろと疑問があるだろう中、最初の一言目が挨拶というのは二人ともなかなかにずれている。
とりあえず袮音は凝り固まった体をほぐす様に伸びをした。
そして、当然の疑問を口にする。
「ところで誰?」
「……知りたければ、まず自分から名乗るべき」
「……確かにそれもそうだな。悪い。俺は袮音。
「ん……
「ふ~ん?」
少し違和感がある自己紹介に疑惑の眼差しを命に向ける袮音だが、すぐに別にどうでもいいかと考え直し、再度話を振る。
「それより命はこんなところで何してるんだ?」
「……お気に入り」
「え?」
一本杉を指差して、そう言う命。曖昧な言葉使いに、一瞬何を言いたいのかわからなかった袮音だが、
「…………もしかしてここがお気に入りの場所とかそういう感じか?」
「(こくり)」
かわいらしく首肯する命。
どうやら正解らしい。なかなか独特な話し方をする少女のようだ。
「なるほど。お気に入りの場所にいきなり知らない男が寝てたら、叩き起こしたくもなるか……」
「……違う」
「ん?」
「……袮音は受験生?」
「まぁそうだな」
「……そろそろ実技試験始まる」
「え?」
「……だから起こした」
「まじか!?」
命の言葉に袮音は慌ててポケットから武蔵への送迎時に、アリアにもらった携帯情報端末を取り出し時間を確認する。
そこに表示されていた時間は一時五十分。
「やっべ!?」
実技試験開始の時間は二時。もうあと十分もない。ずいぶんとぐっすり寝ていたらしい。
(残り十分なら全力で走れば間に合うか?)
ここまで来た時間を計算して、全力で走ればなんとかギリギリで間に合うかもしれないと思考した袮音はすぐさま立ち上がると、起こしてくれた謎の少女、命に礼を言う。
「ありがとな命!助かったよ!」
「……ん。頑張って」
「ああ!」
感謝の気持ちを伝えると、袮音はその場から駆け出し、すぐに背中が見えなくなるほど離れていくのだった。
♦
そこは実技棟にある第三演習室。
残り時間一分を切って、本当になんとかギリギリに間に合った袮音。
第三演習室の中はすでに結構な人数が集まっていた。およそ百人くらいはいるだろう。それだけの人数がいるにもかかわらずこの演習室にはまだ数百人は入りそうな余裕がある。
(敷地だけじゃなくて施設内もこんなに広いのかよ……)
演習室に踏み込んだ袮音は今日何度目かわからない呆れたため息を漏らした。そして、中を見渡し自分以外の受験生の様子を確認する。
ほとんどが壁際で一人黙々とこれから始まる実技試験に集中を高めていた。中には余裕そうな姿勢を見せている者達もいるがそれはほんのごく少数。大体が顔に緊張と不安を張り付けている。
緊迫した空気の演習室内。
そんな空気の中、機械音を響かせて、第三演習室の扉が開き、二人の人物が入室してきた。立ち姿や服装から明らかに実技試験を担当する教師達だ。
集中していた受験生たちの視線が一気に入り口に集まる。
「あーそんなギラギラした目で見んなよ。怖えーな」
「村雨さん!もう少しちゃんとしてください!」
やる気の無さそうな声音でそう言ったのは先頭に立つ青髪に無精ひげを生やした中年の男。それに続くように声を発したのは、二歩ほど後ろをついて歩くスレンダーな美人。というより先ほど袮音の試験教室の担当だった風間緑その人だった。
二人は入室してすぐに集まった受験生を前に自己紹介をする。
「まぁー見てわかると思うが、俺が実技試験を担当する試験官の
「はぁ~審判を務める風間緑です。よろしくお願いします」
対照的な性格をしていそうな二人の教師。どこかだらしのない印象を受ける兵吾ときっちりとした印象を受ける緑。
その自己紹介に受験生はどこか絶望、不安、悲観、そんないろいろな負の感情が混ざった面持ちの反面、それと同時に羨望の眼差しを試験官である兵吾に向けた。
「村雨兵吾って……確か
「それだけじゃないわ!『村雨』って言えば
「最悪だ!なんでそんな怪物が俺たちの試験官なんだよ!」
「終わった……俺の受験はもう終わりだ……」
周りは完全にお通夜モードになっていた。それほどまでに目の前の中年男性を恐れ、敬っているのだ。
(『村雨』……か)
袮音は兵吾の苗字を聞いた途端、顔を少しばかり顰めた。正確にはその苗字に繋がる言葉からだが……。
その言葉から実の家族のことを否が応でも思い出してしまう。『村雨』と同じ
「静まりなさい!」
騒ぎ立てていた周りに緑の一喝が飛んでくる。厳格そうな見た目通り、その鋭い一声で受験生達は静まり返った。
「おいおい風間~。いきなり受験生を怖がらせんなよ~」
「村雨さんがそんなんだから私がちゃんとしなくちゃいけないんですよ!」
「へいへい、悪かったな」
「本当ですよ!まったくもう!」
「ところでお前最近胸大きくなった?」
「いきなりなんですか!?セクハラですよ!?というか今話すことじゃないでしょ!?」
「いや〜なんか毎日お前の胸元見てたら微妙に膨らみが変わってるのに気づいてよ。で、どうなんだ?」
「言うわけでないでしょ!ていうか毎日私の胸見てたって完全に変態じゃないですか!?」
「失礼な。俺はペチャパイに興味はない」
「殺すぞ!?」
先ほどからどこか緊張感がなくなるような二人のやり取り。いつの間にか最初の緊迫感や兵吾を見た時に漂った絶望感なども消え去り、演習室内はどこか拍子抜けしたような空気が流れていた。
「……じゃあそろそろ実技試験のルール説明でもするかな」
周りも静まり、適度に緊張がほぐれてきた、そんなタイミングで兵吾は説明を始めようとしたがーー
「えっと……やっぱ俺が説明するより風間の方がいいな。じゃあ風間。あとはよろしく。ちょっとタバコ吸ってくるから」
「は!?」
――と思いきや、緑に説明を丸投げして、一服するために自分は演習室を出ていった。
言うや否や、さっさと出ていった兵吾に唖然とする緑と受験生達。そして、完全に姿を消してから一拍後、緑は堪らず、
「ふ、ふざけんなよ!!あのクソ野郎!!」
敬語も口調もかなぐり捨て演習室内に絶叫を響き渡らせた。
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