その行動の意味がわからない
九時十五分前、私の朝は挨拶から始まる。
「おはようございまーす!」
タイムカードを打刻するべく事務所の扉を開けて挨拶をすると、事務所内にいる社員たちから「おはよう」と挨拶が返ってきた。タイムカードを打刻してからホワイトボードの前に行くと、自分の名前を探してから誰のフォローかを確認する。
(あー……今日も寺坂さんの補佐か。というか、今週は彼の専属と化しているような……)
嬉しいような悲しいような……。ローテーションはどうしたと思い、内心溜息をつく。
早いもので、寺坂さんに抱かれてから一ヶ月がたった。入社してからの毎日が濃い一日なので、あっという間に時間が過ぎていった。
そして、彼にしか抱かれてないからよくわからないんだけど、腰砕けというのはああいう状態をいうのだろう……。彼曰く、身体の相性がよすぎたせいなのか、気持ちよすぎたせいなのか、二回も抱かれ、二回とも気絶したと聞いたから驚きだ。
そのせいなのか、仕事中に寺坂さんの声を聞いて名前を呼ばれるだけで、身体があの時の記憶を思い出して疼いてしまう。そして、優しくされてどんどん彼を好きになっていってしまう。
私自身は他の人と話している時と全く同じ態度で接しているからうまく隠せている……とは思ってるんだけど、抱かれる前ならともかく、抱かれたあとの今は全く自信がない。
ただ、自分の気持ちを告げるつもりはないし隠せているとは思ってるんだけど、最近彼と二人きりになると困ったことがおきるのだ。
「うーん……何を考えてるのかな……」
ホワイトボードに貼られている名前を見つめながら、また溜息をつく。朝礼が始まるまでの間、ダンボールを壊しながら抱かれた翌朝のことや最近のことを思い返した。
***
あの日、彼の手によってめくるめく世界へと
そんな私でも寺坂さんは呆れることなく、むしろ「俺が全部教えてやる」と、ありとあらゆる快楽を教えられ、彼の存在を刻み付けた。
それが嬉しい反面、罪悪感と哀しみが凄くて……。
抱かれた翌朝、目を覚ましたら肘をついた寺坂さんが、上から覗くようにして私を見ていた。いつも固めている短髪はセットしていないせいかサラサラで、普段見ない優しい笑顔と目をしていた。そして彼と密着していて腰を抱かれていたのと、夢を思い出してドキドキしてしまった。
『雀……好きだよ。だから、俺に堕ちて来い。堕ちてくるまで、何度でも抱くぞ……?』
そんなことを言うわけないのにと思って、彼の名前を呼んだ。
『俺を……好きになってくれ、雀……』
鬼畜ドSな彼が私を愛おしそうに撫でながら、懇願するような声で、そんなことを言った。
『ん……私は、よしひろさんが……好きですよ……好き……』
好きだと言ってくれたことが、好きになってくれと言ってくれたことが嬉しくて、夢だからと素直に自分の気持ちが言えた。指輪が嵌っている寺坂さんに、現実では言えないから。
酔っていたから理性が働かなかった……なんて言い訳にしかならないけど、奥さんがいる人に対し、片思いでも好きな人に抱かれたいと思ってしまった私はひどい女なんだろう。
だから九時近くに起きてすぐ、寺坂さんに『寝る直前、俺に言ったことを覚えているか?』と聞かれて覚えてないと答えると、悪どい笑み……いや、真っ黒い笑みを浮かべて『お仕置きな』と言われて抱かれたのだ。
どんだけ体力があるの、寺坂さん……。やっぱり仕事の賜物とか、鍛えているから?
それからだ……寺坂さんが仕事中に、たまにセクハラ紛いのことをするようになったのは。まるで、自分のものだと主張すかのように。
それは、お盆休み明けすぐの金曜日のことだった。出勤前に所長からアプリのグループメッセージが届き、休み前に伝えたように今日はかなり忙しいからいつもより三十分早く出勤してほしいことと、残業できるか聞かれた。
主婦のお姉様方三人はお子さんが夏休みとあってどっちも無理だと言っていたけど、私は大丈夫なのでどちらもOKと返した。
仕事中に冷凍庫に入ると身体が冷えて夏でも寒くなるので、小さい水筒に熱いハーブティーを淹れ、大きい水筒にはいつものように冷たい麦茶を淹れて三十分早く出勤。その日も寺坂さんのフォローで、一便の出荷作業が終わり、お昼を挟んで二便の商品を抜いている時、三時過ぎてお姉様方は帰っちゃったし、これが終わったら水分補給でもしようかな、なんて考えた時だった。
「お、頑張ってんな、雀」
「きゃっ!?」
「危ないっ!」
帰って来たらしい寺坂さんにいきなり声をかけられたのだ。酒瓶ケースに乗って高い場所にある商品を抜いている時で、誰もいないと思ってたからびっくりして身体が跳ね、危うくケースから落ちそうになったのを後ろから支えるように助けられた。
「び、びっくりした……!」
「ごめん! そんなに驚くとは思わなかったんだよ……」
本当にごめん、と謝りながらケースから下ろしてくれたのはいいんだけど、なぜかそのまま抱きしめられる。暑いからやめてほしいんだけど、それを喜ぶ私もいるわけで。
「あの、お帰りなさい」
「ただいま」
「これから二便の分配と配達ですよね? あとちょっとで商品抜きが終わるし暑いんで、そろそろ離してほし……っ」
「やだ。雀を充電したいから、もうちょいこうさせて」
クソ暑いのに抱きしめたまま、キスをしたりとか。
また別の日のこと。その日は暇な木曜日で、パートのお姉様方三人はお休みだった。
平塚さんと森さんは公休だけど、山田さんはまた突然休んで、所長や他の社員に呆れられていた。しかも、山田さんは前日が公休だったんだから、余計だ。
翌日能天気に出勤してきた山田さんは、「次にシフトを守らず、たいした理由もなく突然休んだら、辞めてもらうから」と所長に言われて顔を青ざめさせていたのは余談だ。
私一人でどこまでできるかわからないけど社員もいるし、入荷してきた商品で置場所がわからない物は平賀さんたち事務の社員に聞けばいいかと思い、出荷に使えないダンボールをある程度片付けてからお昼ご飯にしようと、ダンボールを壊している時だった。
出かけたはずなのに、三十分もしないうちに寺坂さんが戻って来た。この日の私は奥澤さんのフォローをしていて、奥澤さんはついさっき出たばかり。
寺坂さんはそれよりも早く出たのになんでだろうと思っていたら、どうやら忘れものをしたみたいで、小さな段ボールを持っていたのだ。
「珍しいですね、忘れものですか?」
「うん、取引先に配るサンプルと新商品のチラシをね。あと、雀からのキスをもらい忘れた」
「は⁉」
寺坂さんの言葉に驚いて顔をあげたら、彼に唇を合わせるだけの軽いキスをされる。それに固まっていたら今度は頭を掴まれて、ディープキスをされてしまったのだ。
「ん……。じゃあ、行ってくる。雀、仕事頑張って」
「あ……はい。行ってらっしゃい。気をつけて」
「おう」
キスされたことに呆然としながらも、条件反射で行ってらっしゃいと言えば、寺坂さんは嬉しそうな笑顔を浮かべて出かけて行ったとか。
そういうのが週に一回とか二回もあると困るし、誰かに見られて責められたらと思うとすごく怖い。
キスをされたら嬉しいと思ってしまう。
胸を揉まれたら、もっと愛撫してほしい、抱いてほしいと身体が彼の手を求めてしまう。
だけど、それと同時に苦しくなってしまうのだ……私は――私たちは、倫理に反することをしているんだと。
だから、寺坂さんが何を考えてそんなことをするのかわからず、苦しくて、悩んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます