からかわれた
「……商品、抜かなきゃ……」
ふう、と息を吐いてから涙を拭いて、踞ったままチェックリストを見る。目の前にその商品があったんだけどダンボールに入ったままだったので、商品を傷つけないよう、カッターで慎重に封を切って中身を取り出す。
チェックリストでもう一度数を確認してから次の商品を見ると隣にあったから、それも抜いていく。
そして抜いた商品を持ったまま立ちあがろうとして、思いっきり棚に頭をぶつけてまた踞った。
「いったー!」
何やってんの、私! 今、「ゴンッ」ってスッゴい音がしたよ…………棚が。
「雀ー、こっちは終わったぞー、ってどうした!?」
隣に置いていたプラコンに商品を入れながら、目から星が出るって本当なんだなとぶつけたところを撫でていたら、寺坂さんが来た。踞っていたせいか、慌てたような声を出して側に寄ってくる。
「うー……商品を持ったまま立ちあがろうとして、棚に頭をぶつけましたー……」
「何やってんだよ……」
半笑いでそんなことを言いつつも、「よしよし」と頭を撫でてくれる寺坂さん。そんな彼の優しさが今の私には嬉しい反面、心が凄く痛い。
「んー? たん瘤できてるな……。冷凍庫に保冷剤があるから持ってくる。ちょっと待ってろ」
しょっちゅうぶつけてるから大丈夫なのにと思いつつも返事をし、ただ待ってるのも嫌だったので商品を抜き始める。一番下の棚にあるからそのままの格好で抜いていたら、そこにさっきの女性が顔を出して、一瞬固まる。
「寺坂ー! ってあれ? 寺坂は?」
「あ……冷凍庫に保冷剤を取りに行ってます」
「保冷剤? なんで?」
「商品を持ったまま立ち上がろうとしたら、頭ぶつけちゃって……」
「えっ⁉ ちょっと見せなさい!」
ギョッとした彼女が慌てたようにすっ飛んで来て、私の頭を掴んだ。え……何事!?
「どこをぶつけたの?」
「天辺と後頭部の間あたりで……いたっ」
「あ、ごめんなさい。……うん、傷はないけど赤くなってるし、たん瘤になっちゃってるわね」
「師匠も同じこと言ってました。それで保冷剤って言い出して」
そう説明したら、ホッとしたように息を吐くと「そっか」と呟いた。
「あの、さ……」
「雀、持って来たぞ。これでちょっとの間冷やしとけ。って堺? どうした?」
何か言いかけた彼女の邪魔をするかのように、ちょうど寺坂さんが戻って来た。なんか今、彼女が溜息をついたような……?
「あのさ、さっきのリキュールのことだけど」
「悪いけど、リキュールのことは所長に聞いてくれ。そろそろ集中して抜かないと、俺も奥も時間がヤバい」
「あー、ごめん。じゃあ上重所長に聞くわ」
「悪いな。雀、どこまで抜いた?」
保冷剤を受け取って手拭いでくるみ、痛い場所を冷やし始めると、聞くとはなしに二人の会話が耳に入る。ポンポンと会話する二人が羨ましい。
泣きそうなのをぐっと我慢してチェックリストを見ると商品の棚番が変わっていたので、それを伝えようとして急に立ち上がったら、長時間踞っていたせいか立ち眩みを起こしてふらついた。
「ちょっと待ってくだ、あ……」
「雀!」
「おっとぉ! 危なっ!」
誰かに抱き止められたまま、真っ暗になった視界を戻すべくしばらく目を瞑ったままでいると、「大丈夫?」と声をかけられた。恐る恐る目を開けると視界は戻っていて、見上げたら彼女が私を抱き止めてくれていた。
いや、抱き止めるというより、抱き締められているような……。
それに、彼女は寺坂さんのほうを見て、ニヤリ、なんて笑ってるんですけど……。え、なんで?
「大丈夫です。えっと……」
「堺よ」
「堺さん、ありがとうございます」
「どういたしまして」
さっき見たのとは違ってにっこりと微笑んだ堺さんは、本当に優しそうな笑顔だし綺麗な人だった。しかも、あの言葉はともかく、姉御肌なサバサバした性格の、ちゃんと気遣いのできる人だ。
なんで名字が違うんだろうと思うものの、プライベートはともかく仕事中は旧姓を名乗る人もいるから、そういうことなのかもしれない。
(……だから、寺坂さんも……)
そう思ったら胸がズキンと痛んだ。好きになっちゃいけない人を好きになって、自分勝手に嫉妬して妬む私は、堺さんからすればひどい女なんだろう。
「雀、たん瘤を冷やしながら、しばらく酒瓶ケースに座ってろ。そこから読み上げて」
「うん、座ってたほうがいいわ」
「はい」
「なら、私は所長んとこに行くわ。じゃあね」
いつも踏み台として使ってる酒瓶ケースを持って来た寺坂さんと堺さんの二人に言われるがままに座り、棚の柱によっかかる。「お大事にね」と声をかけて頭を撫でていった堺さんは、「冷蔵庫、寒っ!」と言いながらさっさと冷蔵庫を出ていった。
「おー。で、雀。どこまで抜いた?」
「〈25-F〉の棚を抜き終わったとこです」
「ちょうど半分か。なら、あとちょいだな。じゃあ、読み上げて」
「はい。〈25-G〉、福神漬けが3、らっきょう漬けが5です」
どんなに私が複雑な気分でも、仕事も時間も待ってはくれない。いろんな意味で頭を冷やしながら、チェックリストを読み上げた。
何とか一便の商品集めも終わり、寺坂さんはこまごまとしたサンプルを持ち、堺さんじゃないほうの女性を伴って出発した。お昼を挟んで二便の商品を抜き終えるころには、いろいろあって疲れたのか身体が怠くて、定時で帰宅できることにホッとしたのだ。
エプロンを脱いでいる時に着信音が鳴ったので、会社を出てから見てみれば【ご飯食べに来て】という
それから洗濯物をしまい、実家へと向かう。
実家でご飯を食べて、家族とたくさん話をして……でも、実家の自室で一人になると、今日の出来事が思い出されて、また涙が出てくる。
「う……ふぇっ、ひっく……」
好きになっちゃいけない人を好きになった……それがこんなにも辛くて、胸が痛くて、苦しい。
今はまだ、自覚したばかりの『好き』という気持ちが大きすぎて諦めることはできないけど、それまでは心の奥に全てをしまいこんで、道化を演じよう。
だから今は……今だけは、報われない想いを抱いて枕を濡らすことを許してください。
そして翌朝。いつもよりも早く起き、泣いたことで腫れた瞼を冷やした。なかなか眠れなくて、寝不足の頭で階段を下りている時だった。
「きゃーーー!」
階段を踏み外して三段ほど落ちた。昨日といい、今日といい、踏んだり蹴ったりだよ……。
「雀!? どうした!」
「雀ちゃん!」
「うう……足、痛い……」
私の悲鳴と落ちた音で次兄と義姉が顔を出した。血の気が引いて立てないばかりかなんか寒気がするし、寝っ転がったまま痛がる私に、次兄が飛んで来て足を見て一言。
「雀、足首が紫色になって腫れてる。うちの病院に来てレントゲン撮ろうか。処置や薬をもらったら、会社まで送ってやるから」
「うう……わかった……。会社に電話するから、居間にある鞄取って……」
次兄は内科医で、近くの病院に勤めてる。今日は午後から診察する日らしく、送ってくれると言ってくれた。
病院に行くには会社の前を通るし、病院は会社からも近いんだけど、せっかくだから次兄の言葉に甘えることに。
なんとか立ち上がって鞄を受け取ると中からスマホを出し、時間を見てから会社に電話して所長に変わってもらう。病院に寄ってから行くので遅れることを伝えると、『遅刻の理由として上に報告しなきゃならないから、診断書をもらって来てくれるかな』と言われたので頷き、ご飯を食べてから次兄と一緒に病院に出かけた。
会社の前を通ると昨日と同じメンバーが談笑していて、つい目を逸らしてしまう。
レントゲンでは骨折などの異常はなかったけどかなりひどい捻挫をしていて、整形外科の先生に「できるだけ歩いたり立ち仕事をしないように」と言われてしまった。
おおぅ、私は歩いたり立ち仕事したりが商売なんですけど……。座って仕事ができるか所長に聞かなきゃ。
診断書を書いてもらい、足の処置やらお薬やら支払いやらを済ませる。湿布を貼られたり包帯を巻かれている時は痛かったけど、湿布が冷たくて気持ちいと呟いたら、看護師さんに「それだけ熱を持っているのよ」と言われた。
痛いならすぐに薬を飲んでいいよと先生に言われていたので、売店でお昼を買うついでに水を買って薬を飲み、会社に連れて行ってもらった。
「ありがとう、兄さん」
「どういたしまして。無理すんなよ?」
「うん」
じゃあな、と言って車を発車させた兄に手を振って見送っていると、「雀!」と声をかけられた。振り向くと、なぜか微妙に不機嫌な顔をした寺坂さんが私のほうに歩いて来た。
そのちょっと後ろには堺さんともう一人の女性がいて、笑いながら話してる。今日も仕事が忙しくて不機嫌なのかな。
「おはようございます」
「おはよう。遅刻なんて珍しいな。病院に寄るって聞いたけど、どうした?」
「先に着替えて来ていいですか? あとで理由を話しますから。そう言えば、師匠は私が誰のフォローをするか知ってますか?」
「俺だ。冷凍庫を先に終わらせたけど、乾物・冷蔵はこれからだ。待ってるからさっさと行ってこい」
「はーい」
移動を始めた寺坂さんをちょっとだけ見送り、びっこを引いて歩く。着替えて事務所に行くと先に所長に診断書を渡し、「寝惚けて実家の階段を踏み外し、捻挫しました」と言ったら、事務所内にいる人たちに笑われた。
くそう……笑わなくたっていいじゃないか、ちくせう。
「先生からできるだけ立ち仕事をしないように言われました。なので、二、三日は座りながらのチェックリストの読み上げや、伝票チェックになってしまうんですけど、いいですか?」
「構わないよ。無理はしないようにね」
「はい。申し訳ありません」
そんなやり取りをしてタイムカードを打刻してから外に出たら、寺坂さんが台車を押してこっちに来た。移動しながら所長と同じ説明をしたら、やっぱり笑われた。
私が歩くペースに合わせてくれる彼の気遣いは嬉しいけど、優しくされると胸がギュッと痛くなる。
「ドジだな」
「ドジですみませんね! 兄が病院と会社まで車で送ってくれたので、助かりました」
「兄? さっきの車?」
「はい。二番目の兄が医者をしてるんですけど、その兄が勤めてる病院に連れてってくれました。会社からちょっと行った先にある、角の病院です」
「ああ、あの病院か。なるほどねぇ……」
私が来た時は微妙に不機嫌だったのに、今はいつもの態度だった。それに首を傾げつつも渡されたチェックリストをもらい、酒瓶ケースに座りながら読み上げていく。
途中で取引先から寺坂さん宛てに電話が来て事務所に行ってしまったので、無理をしない範囲で商品を抜いていたら、堺さんが近寄って来た。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
「おはよう! いいのよ。奥澤と出かける時に顔色が悪かったから心配してたんだけど、貴女……」
「あ、すみません。園部です」
「園部……ほほう、『雀』は名前だったわけだ」
「はい?」
「おっと、こっちの話よ。その、雀ちゃんは体調大丈夫だった?」
「疲れただけだったので今は大丈夫ですけど……す、雀ちゃん!?」
堺さんからまさかの名前呼びです。しかも、「寺坂に聞いたけど、捻挫したんでしょ? 商品は寺坂に抜かせればいいんだから、奴がくるまで座ってなさい」とまで言われてしまった。……お喋りめ。
「そう呼んだらダメ……かしら」
「構いませんよ。ここの人たちみんながそう呼んでいるので、慣れちゃいましたから」
「昨日、奥澤と寺坂から聞いたわ、それ。ふふっ、面白い突っ込み入れたんだってね」
「ぎゃーーー! 何してくれちゃってるんですか、あの二人は! 本社の人にまで知れ渡ってるし! 黒歴史なんで忘れてくださいよ!」
「イヤよ。広めたりしないから安心してね」
「安心できませんよ!」
堺さんにクスクスと笑われるも、なぜか彼女に突っ込みを入れてしまう。きっと、彼女と寺坂さんは何かが似てるんだ……なんて思っていたら、急に真面目な顔をしていきなり頭を下げた堺さんに慌てる。
「ちょっ、堺さん!?」
「……昨日はひどいこと言ってごめんなさい!」
「……え?」
その言葉に固まり、昨日のことを思い出してしまって、胸がズキズキと痛くなる。
「私は可愛いって意味で言ったつもりだったの。けれど、雀ちゃんがいなくなってから客観的に考えたら、そんなふうに聞こえないって気づいて……」
「……」
「すぐに冷蔵庫に行って顔を出したら、愚痴を溢しながら踞って泣いてる声が聞こえちゃって……やっちまったー! って凹んで……。だから、冷蔵庫で謝ろうと思ったんだけど寺坂に邪魔されるし……。本当にごめんなさい!」
「あ……」
あの愚痴を聞かれてただなんて思わなかった。それに、逆の意味だと思いもしなかった。
こんなふうに気づける
「あの、頭を上げてください。もう気にしてませんから。それに、本当のことですし」
「でも……!」
「大丈夫ですって。もっと太ってた時期を考えたら、痩せたほうですし」
「そう……なの?」
やっと頭を上げた堺さんに、一年半かけて10キロ以上痩せたことを伝えると、「頑張ったのね」と頭を撫でてくれた。昨日の冷蔵庫の中といい、今といい……なんでそんな扱い!?
「私の身長からすると、あと10キロ近く落とさなくちゃならないんですけど、停滞しちゃったのかなかなか落ちなくて」
「それは、寺坂のために落とそうとしてるのかしら?」
「へっ⁉ ち、違いますよ⁉」
耳元で囁かれてギクリとして否定するものの、顔に熱が集まってくるのがわかって焦る。
「おー、いいねえ。『寺坂のため』って言っただけで真っ赤になっちゃって、可愛い!」
「いやいやいや、堺さん私の話を聞いてますか⁉ 違うって言ってますよね⁉」
慌てる私なんかお構い無しに、堺さんは私の肩を掴んで真剣な顔を向ける。その顔に何を言われるのかわからず、内心ビビる。
「先に言っとくけど、私は『堺
「……は?」
「なんで寺坂が今の状態になったのか、私の口から話すことはできない。でも、これだけは言えるわ。寺坂には特定の女はいないって」
「意味がわかりませんよ、堺さん!」
「今はわかんなくていいの、いつか寺坂が貴女に話すはずだから。だから雀ちゃん」
「は、はい」
「寺坂を好きな気持ち、諦めちゃダメよ?」
堺さんにそう言われて、危うく叫びそうになる。なんで私の気持ちがバレてるのかな!?
それに、堺さんが奥さんじゃないとか、指輪をしているのに特定の女がいないとか、意味がわからないんですけど!
「理恵……私と一緒に来てるもう一人の子だけど。理恵と私と旦那、寺坂と奥澤は同期なんだけど、私たちがキレて心配するほど数年前の寺坂は荒れてたし、私たち同期の女以外は碌に見もしなければ話もしなかったの。そんな男が、貴女にだけは、自分から話しかけて笑ってるからそのことにびっくりしたし、ちゃんと話せる子がいるってことに安心して嬉しくなったわ。だからね、雀ちゃん……寺坂を諦めないでね?」
堺さんの話は、本当に意味がわからない。それに、なんで応援されてるのかもわからない。それでも。
「……はい」
堺さんが何を言いたいのか全くわからないけど、奥さんのいる人を好きになってしまった気持ちを忘れなくていいのなら……その気持ちだけでも、胸の奥にしまっておきたい。
なんで堺さんにバレたのかわからないし、顔は多分真っ赤だろうけど笑顔で返事をしたら、いきなりカシャッという音がした。そっちを見れば、プライベート用らしいスマホを私に向けてカシャッ、カシャッ、と音をさせていた。
多分写真を撮ったんだろうけど……なんで!?
「そのはにかんだ笑顔、超可愛いーーー!」
そう叫んだ堺さんに固まる。
え……なんなの、この人……奥澤さんといい、堺さんといい、寺坂さんの同期ってこんな人しかいないの!?
「うひひ……あとで奴に自慢してやろう」
ニヤニヤしながらスマホを弄り、それをポケットにしまう堺さん。
「ちょっ、堺さん! 何をしてるんですか⁉」
「ん? 雀ちゃんの写真撮っただけよ?」
「それだけでも問題なのに、今、誰かに自慢するとかなんとか言ってませんでした⁉」
「………………気のせいよ」
「今の間はなんですか⁉ 堺さん! それに、目が泳いでませんか⁉」
「何か言ったかしら?」
キコエナーイ! と叫ぶ堺さんに突っ込みを入れるも、どこ吹く風で……。捻挫で動けないのが悔しい。
結局、寺坂さんが来るまでそんなやり取りを続け、精神的にどっと疲れたのだった。
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