気づいたらいけない気持ち

 早いもので、入社してから二ヶ月がたった。お陰様で他の皆さんとも仲良くなり、全員とアドレスや電話番号を交換した。

 ついでとばかりに、所長にとあるSNSのアプリに連絡網代わりのグループ登録があるからと、その場で教わりながらSNSの登録とグループにも登録した。

 止めて下さいとお願いした名前呼びだけど、結局私自身の突っ込みのせいで『雀ちゃん』呼び(一部、呼び捨てや『雀さん』呼びあり)が定着しやがりました。ええ、呼び捨ては 寺坂さんだけです。そして雀さん呼びは、奥澤さんと所長の二人です。なぜだ……解せぬ。

 そしてこの二ヶ月の間に、平塚さんが寺坂さんのことを「師匠、師匠」って呼ぶからそれにつられて師匠と呼ぶことになったのと、寺坂さん自身がドSだと白状した出来事があった。それは五月半ばのことで、冷凍庫の中で商品の読み上げ(冷凍庫デビューは防寒着をもらってすぐでした)をしている時、私は独り言を言っているつもりだった。


「真イカゲソが2です。……まいか? しんいか? もおかだと地名だし……まいか、かな?」

「真岡って……ははっ! 正しい読み方を知ってるけど、教えない」


 笑いながらそう言われてチェックリストから顔をあげると、寺坂さんがニヤニヤしていて、それに小さく溜息をついた。


「……師匠って時々意地悪ですよね。まるでSみたいですよ」

「ん? だって俺、ドSだし」


 その言葉に一瞬固まり、でも条件反射でつい突っ込みを入れてしまった。


「うわ、やっぱりか! というか、師匠は鬼畜も入ってますよね⁉」

「雀に対してだけな」

「私だけ!? なんで私だけ! 師匠は鬼畜ドSか! わたしゃ師匠の玩具か!」

「あっはははっ! ある意味、みんなの玩具だろうが! ぶくくっ」

「笑い事じゃなーい!」


 なんてやり取りがあり、寺坂さんはこの日を境にして本領を発揮――いや、本性を丸出しにし出した。他の人に聞いたところ誰に対してもSを発揮するらしく、私だけがそんな目にあってるわけじゃないそうだ。

 ……私が一番ひどいだけで。


「それってイジメじゃ……」

「逆だよ逆~。愛情表現の一種だよ~?」

「あれが愛情表現!?」


 イジメじゃなくてホッとしたけど、あれが愛情表現だなんて、あり得ない! とびっくりしていたら、いろいろ教えてくれた。


「そうそう。寺はああ見えて好き嫌いがはっきりしてるから、嫌いなヤツには自分から絡んだりしないし、仕事以外の雑談はしないよ。気に入ってるやつほど、Sを発揮するな」

「だよね~。人となりを見極めるのが得意って言うか~」

「そうだね。 アイツはその人の本質を見抜く目を持ってるよ。そして、寺がダメだと判断したヤツは大抵すぐに辞めてるし、残っていても親しくはないからすぐにわかる」

「ここだけの話だけど~、師匠は森っちや山ちゃんを嫌ってるよ~。名前は言わないけど、社員は二人かな~? べっちちゃんならわかるでしょ~?」

「ああ、あの二人の社員ね。二人とも仕事に対して意欲を感じないし、間違いも多いうえに辞めそうな感じだし。森さんと山田さんは他からも嫌われてるな。特に山田さんね。シフトを無視して突然休むことが多いし、頼んだ仕事を拒否するし、ずっと喋っているからと注意しても、全然直さないからなんだけどね」


 平塚さんと奥澤さんに言われて思い出す。確かに名前があがったお姉様二人は、仕事の伝達はしても雑談しているのを見たことはない。していてもありきたりな話か、すぐに切り上げて仕事したり移動していることが多いし、社員も心当たりはある。

 この二ヶ月ちょっと、一緒に仕事をしたのは寺坂さんと奥澤さんで、二人が交代でいろいろと教えてくれた。寺坂さんが公休の時は奥澤さんと、逆に奥澤さんが公休の時は寺坂さんと一緒に仕事をしたのだ。

 ちなみに、奥澤さんは話し方も性格も穏やかな人の割にはノリがいい人で、奥さんと子供が二人いるんだって。そして寺坂さんや平塚さんを含めた三人を中心に、私が突っ込みを入れると他の人と一緒によくからかわれた。

 他の人のことも、私が聞いてもいないのにお姉様方が代わる代わる教えてくれたんだけど、皆さん結婚していてお子さんがいたり、独身の人も恋人や結婚間近の人がいるそうだ。お姉様方も小学生や幼稚園のお子さんがいるんだとか。

 それを聞いた私は、やっぱりかと胸が痛かった。寺坂さんと一緒に仕事をして、からかわれたり意地悪を言われたりしたにもかかわらず、時々垣間見せるその然り気ない優しさに惹かれ始めていたから。

 だから寺坂さんのフォローの時は厳重に鍵をかけてこれ以上惹かれないようにしたし、奥澤さんのフォローの時はホッとした。なのに、なんとか惹かれていく気持ちを押さえられていたのに、それができなくなって自覚する出来事が起きてしまった。


 それは、休み明けの月曜日。出勤したら寺坂さんと奥澤さんが缶コーヒーを飲みながら、パンツスーツを着た女性二人と笑顔で話していたのを見たから。


(珍しいな……見た事ない笑顔だ)


 破顔するという言葉がぴったりなほど、楽しそうな笑顔で女性二人と笑っていた。女性二人も楽しそうに笑っていてとても仲がよさそうに見え、その光景に胸がモヤモヤする。


(……スタイルいいなあ。それに、綺麗な人たちだなあ)


 寺坂さんと並んでも見劣りしない身長差。それにスタイルがいいし綺麗な人たちだから、カッコいい彼ととてもお似合いに見えたし、ある程度痩せたとはいえチビでなかなか痩せない自分の体型を見下ろして、余計に悲しくなる。


「はあ……。着替えて気持ちを切り替えよう」


 そう呟いて更衣室へと行く。エプロンを纏って仕事に必要なものをエプロンのポケットのあちこちに入れると、事務所に行ってタイムカードを打刻する。

 倉庫に行ってホワイトボードを確認すれば、今日は寺坂さんのフォローだった。


(嬉しいような、哀しいような……)


 微妙な気分になりながら、朝礼の時間まで出荷に使えない段ボールを潰す。そこに、まだ話してるらしい四人の声が聞こえて来た。


「でさ、堺が微妙な顔をしながら『ふざけんな! それは仕事じゃねえ!』っていうから、『それがアンタの仕事でしょうが。きっちりやりなさいよ』って言ったら、不機嫌になっちゃってさー」

「え、さよちゃんそんなこと言ったの!? それはちょっと堺くんに対してひどすぎない?」

「おい、おまっ、それは言い過ぎだろ!」

「ああ、ちょっと言い過ぎかな。それは仕事じゃないだろう?」

「えー、そうかな? どう考えても、ある意味仕事でしょ?」

「違うよ! それは仕事じゃないよー!」

「ああ、仕事じゃねーな。つーか、それを言ったらお前の仕事でもあるし二人の共同作業だろうが」

「まさか、お前一人でできる作業だとでも思ってるのか?」

「うー……。男二人にそれ言われちゃうと痛いわ……。あとで堺に謝っとく」

「そうしろよ」


 何の話をしてるのかわからないけど、寺坂さんの楽しそうな笑い声と四人の会話が仲よさげで、またモヤモヤしてくる。ダンボールもあらかた潰し終えたし、四人の話を聞きたくなくて潰せるダンボールを探しに行こうとしたら、朝礼の放送がかかった。


「お、雀ー、おはよう!」


 事務所への移動途中で寺坂さんに声をかけられて振り向くと、満面の笑みを浮かべた彼がいた。


「おはようございます」

「今日は頼むな」

「はい」


 寺坂さんに担当時にするやり取りに会話。その変わらない態度を嬉しいと感じるし笑顔にドキドキするけど、それ以上にモヤモヤと苦しさが勝ったのと、彼女たちが私を見てこそこそと話して笑っていたのが目に入って俯いてしまう。

 ぎゅうっと痛くなる胸の奥に蓋をして、寺坂さんから離れたところで所長の話を聞く。いつもならフォローする人の側で話を聞くんだけど、今朝はなんだか近くにいたくなくて離れたら彼は首を傾げていた。

 けど、私は曖昧な笑顔でお茶を濁した。

 そして所長がサンプルなんかの話をしたあと、女性二人を紹介してくれた。

 女性二人は都内にある本社から視察に来た人で、普段は営業をしているそうだ。今回来たのは販促のためで、この事業所の誰かしらのトラックに乗り、一緒に商品の紹介や営業の手伝いをするという。

 そうすることでこの営業所の売上が上がったり、お互いに勉強になったりするから、年に何回かは本社や支社から何人か来るらしい。ちなみに二人は水曜日までいるそうだ。


(……きっと仕事のできる人だ)


 そう思ったのは大当たりで、今まで見た事がない商品を して来ては、役職者である所長と、寺坂さんや奥澤さんにあれこれ聞きに来ていた。そのたびに中断されて、時には呼ばれて確認しに行ってしまうから、なかなか仕事が捗らない。

 まあ、ボケっと突っ立ってることなく商品抜きはしてるけどね。

 で、いつもの如く二、三度確認したものの商品が一番上の棚にあり、私だと微妙に手の届かない物があるわけで。


「うーん……届かない……。師匠は今いないし、誰かいないかなぁ……」


 酒瓶ケースに乗ったまま棚に掴まって周囲を見渡したけど、こんな時に限って近くに誰もいない。無理して取るなって言われてるし、仕方なく酒瓶ケースから下りてチェックリストの商品名に丸をつけていたら、「どうしたの?」と声をかけられた。

 そちらに向くと本社から来た女性のうちの一人で、首を傾げて私を見下ろしていた。声の感じから言って、愚痴を溢していた女性だと思う。


「あの、私だと手の届かない場所に商品がありまして。あとで取ってもらおうと思って、商品名に丸をつけていました」

「あー、貴女、小さいものね。それに丸いし」

「……あはは、よく言われます」


 彼女の言葉が胸に刺さる。そこに寺坂さんが戻って来たのでチェックリストを見せた。


「師匠、届きませんでした」

「どれ? ……あーこれな。俺んとこのルートしか使わないうえに週に一度か二度しか出ないから、つい上に上げちゃうんだよな」

「……雀みたいに小さくて丸くてすみませんね」

「誰もそんなこと言ってねーし。それに、今日は何だか突っ込みのテンションが低いな。普段は煩いくらいのテンションなのに、なんかあったのか?」

「誰が名前と一緒で煩く囀ずってる雀ですかっ! 私にだってテンション低い日があるわっ!」

「あっはははは! そ、そんなこと言ってねーし! それでこそ雀だよな!」


 無理矢理いつものような突っ込みを入れると寺坂さんと彼女が笑ってくれたので、私もなんとか笑みを浮かべる。いつもなら気にならない些細なことなのに、なんで今日に限って彼女や彼に言われたことに対し、こんなにも胸が痛くなるんだろう。

 それに、商品を抜きながら二人が仲良くあれこれと話しているのを聞いていると、なんだか私はお邪魔虫になったようでモヤモヤしてくるし、疎外感を感じる。


(ああ、そっか……)


 私は彼女に嫉妬しているんだ。

 二人にしかわからない話をしているから。

 私に向ける笑顔とは違うものを彼女に向けて、楽しそうに話しているから。


 ――私にはそんな資格などないというのに。


(きっと、この人が奥さんなのかもしれない……)


 そう思ったらダメだった。二人の側にいられなくなった。

 涙が出そうになってギュッと目を瞑って息を吐くと、逃げるための口実を作る。


「あの、お話し中にすみません、師匠」

「どうした?」

「師匠は忙しそうだし、このままだと一便の出発が遅れそうなので、二手に分かれませんか?」

「だよなあ……。乾物はあとどれくらい?」


 そう聞かれてチェックリストを見ると、ちょうど三枚あった。


「えーと……三枚です。ただ、最後の一枚は二行しかないです」

「そっか。なら、二手に分かれようか」

「ですね。だったら、私が冷蔵庫に行きますね。冷蔵庫なら上に乗ってる商品でも、酒瓶ケースに乗れば私でも手が届きますし」


 そんなことを言いながら乾物のチェックリストを渡すと、「行ってきまーす」と声をかけて冷蔵庫に向かう。


「おい、雀!」

「大丈夫ですって。わかんなかったら誰かに聞くか、師匠を呼びに来ますから」


 それじゃ! と言って手を上げるとプラコンを取りに行き、腰に巻き付けていた薄いほうの上着を羽織ると、そのまま冷蔵庫に駆け込む。一人になりたかったから、冷蔵庫に誰もいないとわかるとホッと息を吐き、チェックリストを見ながら商品を抜いていく。


『貴女、小さいものね。それに丸いし』


 彼女の言葉を思い出した途端に胸が痛くなって涙が零れ落ち、慌てて手拭いで目を押さえる。


「うー……。そんなこと言われなくたって、小さいのなんて元からわかってるもん……努力したって体重が落ちないんだから、しょうがないじゃない……」


 一番下にある商品を抜いているふりをして、踞って泣く。彼女に言われたことと二人が仲良く話していることに嫉妬して、気づいちゃいけなかった彼に対する気持ちに気づいてしまったから。



 ――寺坂さんが好きだ。



 惹かれてゆく気持ちに何重にも鍵をかけたつもりでも、鍵を突き破って気持ちが溢れ出る。

 指輪をしていると知っていたのに、気持ちを止められなかったのは私だ。



 報われない思いが痛くて、彼女に言われたことが痛くて、踞ったまま声を圧し殺してしばらく泣いた。


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