最終話 その門出に

 その日、マローネは庭にいた。色づき、地に落ちた葉っぱを箒で集めていたのだ。

 すると、サイネリアがその熱心な姿を見つけ、近付いてくる。


「マローネ、俺の方は終わりました。こっちはどうですか?」

「はい! この落ち葉を集めたら、おしまいです!」

「そうですか」


 元気の良いマローネの返事に、ふと微笑むサイネリアは、ぐるりと庭を見渡した。

 

「――同じ敷地内とはいえ、住み慣れた場所を離れるというのは、やはり寂しいものですね」


 あの後、王妃は病気の療養という名目で王城から身柄を映され、監視がつけられた。

 そして、隠れ姫という存在は消え、サフィニアはようやく静かな眠りにつき、サイネリアは王子として表に出た。


 だが、王子という立場に戻ったからと言って、向けられる視線がすぐさま好意的なものに転じたわけではなかった。


 腰抜け、腑抜け、臆病者。


 おおよそ予想していた通りの酷評が、サイネリアにはついて回った。

 女装していた王子なのだから、当たり前だと言うのはエスティで、今の殿下の姿を見せれば分かる人には分かると力説するのがジェフリーだ。


 二人はなんだかんだ言って、サイネリア王子付きの護衛騎士になった。

 そのおかげか、今のサイネリアを見ようとする人も増えてきた。

 サイネリアは、徐々にだが、王子として受け入れられ始めている。

 

 もっとも、肯定的な意見ばかりではない。


 どれだけ努力する姿を見せても、認めない――今でも、サイネリアという存在に否定的な人はいる。だが、何事も急いではいけないと、サイネリア自身が言っているので、マローネは主の言葉に従う。


 自分が、主を悪く思う人間に所構わず噛み付けば、折角回復してきたサイネリアへの評価に、またしても色眼鏡が加わってしまうから。


 吠えるだけが騎士ではない。守るという事は、ただ矢面に立つだけではないのだと、少しだけ成長したマローネは考える。


 大切なものを守る方法は、きっと人の数だけ存在するのだ。


 薄紅の稚拙な腕輪を、肌身離さず身につけていた、あの青年がとった行動が、そうだったように……――。


 だからマローネは急がない。

 しっかりと、自分の足で地に立つ主のそばに控え、彼と一緒に悩み、考え――自分達なりの答えを出して、進んでいく。


 こうして少しずつ、色々なことを積み重ね、サイネリアは今日まで王子としてやってきた。

 そして、今日からサイネリアはお城に居を移す事になったのだ。


 この屋敷で一緒に暮らした者達――料理長は、城下で自分の店を持つ事なった。いつでも食べに来いと、最後もやっぱり豪快に頭を撫でていった料理長には、別れの寂しさは無かった。

 またすぐ会えるという確信が、彼にはあるのだろう。自分の料理が恋しくなって、必ず店に食べに来るという確信と、自信が。


 きっとその通りになるだろうけれど、お客として行った際には頭をぐちゃぐちゃにするのと、大盛りで出してくるのは止めて欲しいとマローネが背中に叫ぶと、豪快な料理長は体格に見合った豪快な笑い声を響かせ、屋敷を去って行った。


 そして、長年サイネリアの……サイネリア達の世話係を務めた老夫婦は、静かな田舎で余生を過ごすと言う。自分たちはもう年だからと寂しそうに笑った、優しい二人。

 だが、年齢だけが理由ではないだろうと、察することは容易だった。

 けれど、サイネリアもマローネも、引き留めるような真似はしなかった。


『サイネリア様をよろしくね?』


 ――しわくちゃの顔に、愛情のこもった笑みを浮かべたメアリ。彼女が口にした別れの言葉は、やっぱりサイネリアを思う、優しい言葉だった。


「……サイネリア様」

「はい?」


 マローネは、この屋敷で共に暮らした、優しい人達との別れを思い返しながら、サイネリアを見上げた。


「サイネリア様が、例えどこへ行こうとも、わたしはお供いたしますからね……!」

「一体どうしたんですか、突然? もちろん、少しも疑っていませんよ」


 サイネリアは、くすぐったそうに笑う。


「貴方は、俺の……――俺だけの、騎士ですからね」

「はい、もちろんです!」


 言われた言葉が嬉しくてマローネは、力一杯頷いた。

 その様子を、目を細め見つめていたサイネリアは、不意に「あ」と小さな声を上げた。


「サイネリア様?」

「……少し、動かないで下さい」


 サイネリアは、かがむとマローネの顔に手を伸ばした。


「え? あの、ええ?」


 サイネリアの秀麗な顔が近くにある。途端マローネの心臓は、落ち着かなくなるのだが、サイネリアは真面目な顔でマローネを見つめ、髪に触れた。


「……はい、葉っぱがついていましたよ」

「葉っぱ……?」


 確かに、サイネリアの手には、色づいた葉っぱが一枚つままれていた。

 掃除している間に、くっついていたらしい。


(な、なんだ、葉っぱでしたか……、び、びっくりした……)


 異様な近さに、ドキドキしてしまったと、マローネが安堵したときだ。


「まったく……。貴方は、本当に手がかかる」

「へっ?」


 葉っぱを取ったのだから、もうここまで近くにいる必要なないのに、サイネリアはいまだ至近距離でマローネを見つめたまま、微笑んでいる。

 そして、葉をつまんでいた手は、いつの間に葉ではなく、マローネの髪を撫でていた。


「ああああのっ!」

「辺りの葉っぱよりも真っ赤ですね、貴方は」


 でも、それでいいと、サイネリアは満足そうに笑うと屈んでいた身を起こした。


「貴方はそうやって、ころころと表情を変えていれば良い。……俺の、一番近くで、ずっと」


 真っ赤な顔で、呆けたままのマローネの手は、サイネリアに素早く、すくい取られた。


「返事はどうしました? おちびさん?」

「はっ、はいぃっ!」


 大きな手が、自分の手を持ち上げるのを、マローネは目で追った。

 青い石が揺れる手首に、主の唇が触れる。


「覚えて置いて下さい。俺は、この先ずっと、貴方を離しませんから」


 パクパクと口を開けたり閉じたりしているマローネ。その動揺具合に、サイネリアは悪戯が成功した事を喜ぶかのように笑い声を上げ、ひょいっとマローネを抱き上げた。


「と、言うわけですから。これからも、よろしくお願いします、マローネ。ずっと、俺に付いてきて下さい」


 主から告げられた言葉に、マローネの心が震える。

 この先、自分が全てを捧げてもいいと思うのは、この人だけしかいない。強い思いがこみ上げてくる。

 それは、騎士としてだけではない。早鐘のように脈打つ鼓動が、芽生えた想いを示している。


「……俺のおちびさん。お返事は?」

「はい! もちろんです、サイネリア様!」


 真っ直ぐに、迷い無く自分を映すサイネリアの双眸を見つめ返したマローネは、万感の思いを込め頷いたのだった――。

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隠れ姫の偽り事 真山空 @skyhi

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