二十話 彼の望み


「……っ!」


 バッと寝台から飛び起きて、サイネリアは荒い呼吸のまま周囲を見回した。


 薄暗い、自分の部屋。


 数年前から変化が無かった、殺風景な自室だったはずだが、窓辺に一輪の花が飾られていた。


 その花を目にとめると、不思議と呼吸が落ち着いて、思わず表情も緩む。


 マローネと出かけた花祭り。あの時、彼女と交換した花だった。


 この花を見るだけで最悪な夢見が、あっと言う間に流されていくような心持ちになる。

 この花が特別な種類の花というわけではなく……。


(マローネ……)


 自分にとっては、花をくれた相手である彼女が特別なのだと、サイネリアは優しい眼差しを花に注いだ。


 面白いくらいに、ころころと表情が変わる少女。一途と言ってもいい、真っ直ぐな心根の騎士。


(……花のように、可愛らしい――俺の、騎士)


 彼女に釣り合う、主でありたいと思う。

 そして、マローネが剣を捧げたかったサフィニア姫。姉に、胸を張れる生き方をしなければいけない。


 いつまでも、隠れていることを、姉はよしとしないだろう。サフィニアの名を隠れ蓑にして、うじうじしている弟に、友達を任せるなど言語道断だと言いかねない。


(…………思い出した。マローネ、俺は貴方と直接会ったことは一度もありませんが、貴方のことは、よく知っていたんです)


 サフィニアが、延々と話していた唯一の友達。死んだ姉がいつか会いたいと、再会を願っていた相手は、間違いなくマローネだ。


 だから、もう隠れてばかりではいられない。

 サイネリアとして、目を背け続けたものと、向き合わなければいけない。


 ――大切なものを、大切なのだと、胸を張って言えるようになるために。


 サイネリアとして、騎士が誇れる主であるために。


「……もう、誰かの背中を見ているだけでは、駄目なんだ。…………俺自身の足で、立ち上がらなくては」


 決意し、花を見つめていた彼は、視界の端に榛色をとらえた。


(……あれは……、マローネ……? こんな時間に、一体どこへ……?)


 窓の外に、小柄な人影。たった今、思い浮かべていた己の騎士が、足早に外に出て行く所だった。



 ◇◆◇◆



「キョロキョロするな。僕はここだ」


 城の敷地内とはいえ、朝の早い時間だ。まだ、朝もやが晴れない時間帯ともなると、人気の無い場所は、いくらでもある。

 マローネが今いる、隠れ姫の屋敷周辺も、そんな場所の一つである。


 待ち合わせ相手であるエスティは、しかめっ面で、尊大に腕を組んだままマローネを横目で睨んだ。

 常に、不機嫌を顔に貼り付けている同期だが、マローネも、今更臆するような性格では無い。

 慣れている彼女は、屋敷の前に自分を呼び出したエスティに、先日――花祭りの一件についてのお礼から切り出した。


「先日は、危ないところを助けてもらい、どうもありがとうございました、エスティ」

「つまらない挨拶はいい。……あの暴漢、死んだぞ」

「…………」


 鋭い視線そのままで、今回の本題を告げたエスティに、マローネもまた険しい表情のまま一つ頷き、続きを促した。


「正確には、斬られた。取り調べ中に、非番の騎士が乗り込んできて暴れたんだ」

「……それは……、随分と――」

「あぁ。随分と、出来過ぎな展開……だろう?」


 思い返すように目を細めたエスティは、寄りかかっていた壁から体を離すと、マローネに正面から向き合った。


「……出来過ぎと言えば、花祭りの一件もそうだったな。隠れ姫にとって、唯一の騎士であるお前を狙ったことも、随分と出来過ぎじゃないか? ……お前は、どこからどうみても、ちんちくりんで、大金を持っているようにも見えない。祭りで浮かれる庶民を狙うにしても、もう少し羽振りが良さそうなのを狙うはずだ」

「……ちんちくりんって……」

「黙って聞け、ちんちくりん娘。……祭りの日、お前と一緒にいたあの男も、金を持っているようには見えない。というか、金のある男で、お前を相手にする物好きは、まずいない」


 あまりに酷い言われように抗議したくなったが、マローネはぐっと堪え、エスティの毒舌に耳を傾けた。


 同期のせいか、彼の辛辣極まりない物言いには、そこそこ耐性がある。今、毒と一緒に吐き出されている言葉が、重要な話なのだと察する程度には、エスティという人間を知っていた。


 ただ、話の内容が件の花祭りに触れているせいだろうか、マローネはなにやら嫌な予感にかられた。


「斬り殺される前に、捕らえた暴漢が口にした事がある。……あの裏路地にやってくる、一組の男女を襲えと頼まれたそうだ」


 それはつまり、計画的犯行と言うことになるのだが……――不可能だ。

 祭りは、前々から計画していた事では無い。

 サイネリアの思いつきで実行された、言わば突発的な出来事だ。

 即座に対応するには、サイネリアの行動をつぶさに把握していなければならないはず。


「…………そんな、馬鹿な事……」

「何を想像したかは、聞かないでおく。だが、覚えておけ。斬られた男は、ただの捨て駒だ。……ご丁寧に、わざと作られた穴だ」

「…………」

「隠れ姫の屋敷を襲撃した犯人達も、そうだ。素人過ぎだ。誰かが、わざと作戦にほころびを作っている」  


 エスティは、ふーっと息を吐いた。

 何か、重要な事を言う時、彼がよくする癖だ。


「内通者がいるぞ、マローネ」


 嫌な言葉だ。ぐっとマローネは唇を噛み、拳を握る。

 

「簡単に息の根を止められる距離にいるにも関わらず、自らは手を下さない。わざとお前達を泳がせている、物好きな内通者だ」

「……エスティ? あの、お前達、と言うのは?」

「隠れ姫と、お前に決まっている。すでに、二回も狙われているんだからな」

「ち、違います! は、花祭りの時は、わたしが狙われていたんです! あの方は、お屋敷にいて、それで、わたしは一人でお祭りに出かけて……!」

「隠れ姫を崇拝しまくっているお前が、命を狙われた姫を一人置いて、祭りなんぞに行くわけないだろう。……と言うかな、誤魔化すなら、もう少し上手くやれ。見ていて哀れになるくらい、ぼろぼろだぞ」


 エスティが、呆れたとばかりに鼻を鳴らす。だが、マローネはそれを咎める所ではなかった。


 決して結びつける事は出来ないと思っていたのに、エスティは、サフィニア姫と花祭りの時の青年を同一人物と看破している事を匂わせてきたのだ。

 不意を突かれるような形となったマローネは、動揺を隠すことができなかった。


「そもそも、一緒にいた男……。花祭りの時に顔を見た時点で、気が付くべきだった。あの男、ソニア様に、よく似ている」


 ソニアという名前に、マローネはぎくりとする。それは、サイネリアとサフィニアの母の名前だ。


「それは、あれです! たっ、他人の空似と言うものですね! よくある、よくある!」

「隠れ姫は、ここ数年、屋敷にひきこもっているばかりだ。たまに城に上がることはあれど、長居はしない。城での催しものに参加することも無い。――人目を避ける……その理由は、王妃様の癇に障らないように……だけではないだろう」


 エスティの唇が、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「長時間人目に触れれば、ボロが出るからだ。……違いますか、隠れ姫? いや、サイネリア王子」


 エスティは、挑戦的な口調でマローネの後ろに呼びかけた。


 朝もやの中から現れたのは、マローネが剣を捧げた主。


「ずいぶん、よく回る口ですね」


 彼もまた、挑むような目で、エスティを見据えていた。 


「サイっ……、サフィニア様!」

「構いません、マローネ。彼には、全てバレているようですから」

「……ですが……」


 マローネは、視線をサイネリアとエスティとの間で忙しなく動かした。


「先日は、どうも。肩の傷の具合はいかがですか?」

「ご心配なく。マローネがとても丁寧に手当してくれたので、何一つ問題はありません」

「……そうですか」

「わざわざ、私の騎士を早朝に呼び出した要件は、以上ですか?」

「……貴方は、命を狙われた。このマローネが、貴方の元へ行くまで、周辺は静かだったにもかかわらず、こいつが現れてから二度も襲われています。……マローネ・ツェンラッドを疑わないのですか?」


 エスティは淡々とした口調で問いかける。サイネリアは眉一つ動かさない。ただ、マローネだけは、不穏な問いかけに目をむいた。


「なんて事を言うんですか、エスティ! わたしが、どうして主を狙うんです! それも、こそこそとしたやり口などと言う、卑怯者めいたマネ、するはずないでしょう!」

「だ、そうです」


 サイネリアは、マローネの叫びを聞いて満足気に頷くと、エスティを見る。


「……馬鹿マロめ!」


 苦々しく呟くエスティに、マローネは目をつり上げてくってかかった。


「馬鹿な事を言い出す貴方に、馬鹿などと言われたくありません!」

「落ち着きなさい、マローネ。誰も、貴方が本気で襲撃を企てたとは考えていませんよ。……エスティ、と言いましたか? 滅多なことを言って、私の騎士をいじめるのはやめてもらえますか?」

「……失礼なことを言わないでいただきたい。僕は、はっきりさせたいだけだ。新参のマローネを疑わないのなら、話は早い。つまり、貴方は最初から、襲撃者達の背後にいる人間について、察しが付いていたわけだ」


 サイネリアは、否定の言葉も、肯定の返事も返さなかった。

 ただ、笑みを浮かべて、エスティを見つめ返す。

 その真意を隠す曖昧な笑みに苛立ったのか、エスティが元々鋭い目をさらにつり上げた。


「隠れ姫、貴方はいつまで、姫の真似事を続けるつもりだ……! こいつの剣は……、我々騎士の剣は、ただの腑抜けに捧げるものでは無い!」

「止めて下さいエスティ! 貴方の態度は、あまりに無礼です!」


 それ以上の暴言は許さないと踏み出したマローネの手を、サイネリアが後ろから掴んで止めた。

 振り返れば、彼は笑みを浮かべている。今さっきまで、エスティに向けていたものとは、また違う、暖かみのある笑みだった。


 毒気を抜かれたマローネの肩に、手を置くと、サイネリアは立ち位置を入れ替えた。

 マローネは、サイネリアの背中を見上げる形となる。


「……本当に、ずけずけ物を言う、生意気な坊やですね」


 どんな顔をしているのかは、全く見えない。


「そこまで言うなら、貴方にも協力して貰います」

「……何?」


 マローネからはうかがい知れないが、真っ正面から向き合っているエスティの、僅かに怯えた様子から、それはそれはいい笑顔を浮かべているのではないかと推測できた。


(サイネリア様、ちょっとだけ、意地悪なところがあるから……)


 輝かんばかりの笑みを浮かべ、問答無用の威圧感を漂わせているはずだ。


「まさか、ただで帰れると思っていたんですか? 頼んでもいないのに、こそこそかぎまわり、挙げ句人の秘密まで暴いておいて、はいさようならと? できるわけ無いでしょう」

「僕に、何をさせる気だ」


 警戒するように一歩下がるエスティ。


「正確には、貴方にではなく、貴方達にしてもらいたいのです」

「つまり、わたしとエスティですか?」


 サイネリアはマローネの方を振り返ると、頷く。そして、困ったように眉を下げた。


「……すみません、マローネ。貴方にこのような事を頼むのは、心苦しいのですが」

「何でも言って下さい。わたしは、貴方の騎士なのですから」


 マローネの力のこもった返事に、意を決したサイネリアが、大きく息を吸った。


「隠れ姫を殺す……――その手伝いをして下さい」

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