十一話 花祭りの二人
「わっぷっ」
人混みの中で、小柄な少女が悲鳴を上げた。
そのまま人の波に流されそうになるのを、伸びてきた腕が少女を抱き寄せ阻止する。
「大丈夫ですか?」
「っ! 申し訳ありません」
つばのある帽子を目深く被った青年が、腕の中の少女に問いかけると、恥ずかしいのか彼女は顔を真っ赤にして俯いた。
榛色の髪には、白い花が飾られていて、よく映えた。
青年は、つばをわずかに持ち上げると、自身の胸で咲く薄紅の花と少女の髪を彩る白い花を見比べ、満足そうに唇を持ち上げる。
人混みの中、何気なく二人に目を向けていた人々は「そういう事か」と微笑ましそうに目を細め、流れていく。
「すごい人ですね」
「た、たぶん、大道芸が始まるので、みんなそちらに移動しているんだと思います」
「そうですか。――しかし……このままでは、話もできませんね」
呟いた青年は、少女を腕に抱いたまま人の波に逆らい突っ切った。
噴水広場の一画を抜ければ、人の流れはかなりマシになっていた。
「貴方は小柄ですから、あまり人が大勢いると流されてしまいかねないのですね……。盲点でした、すみません」
青年は、一息ついた少女に謝罪する。
すると、少女は大げさなまでに首と突き出した手を左右に振った。
「とんでもない! わたしが、小さいばかりにご迷惑をおかけして!」
「誘ったのは、こちらですから。女性をエスコートするのは、男の役目でしょう」
「いえ、あの――でも……」
顔を真っ赤にした少女は、言いづらそうに口をもごもごとさせ、俯いた。しかし、青年はお構いなしに、少女の手を素早く握り混んでしまう。
「はぐれたりしたら事なので、ここからは手を繋いで移動しましょう」
「えっ!? な、なにも、そこまでしなくても……」
「――嫌ですか?」
悲しげな声に、少女は硬直した。
「貴方が、どうしても嫌だというなら、無理強いはしませんが……」
「い、いやでは、ないです」
「それはよかった」
「でもっ、サフィ」
熟れた果実のように真っ赤になった少女が、それでも懸命に何か訴えようとした。
開きかけたその唇に、青年の指が伸びてきて、撫でるように触れる。
「駄目」
「っ」
「やり直し」
悪戯っぽく笑った青年は、少女にささやきかけた。
「ほら、練習したでしょう? ……俺の名前は?」
「あ、えと……サイ様……です」
「はい」
青年は、機嫌良く笑うと、少女の髪型を崩さないように配慮しつつ頭に手を置いた。
「よく出来ました、マローネ」
「~~っ!」
そう。白い花を頭に飾った小柄な少女はマローネである。
そして、サイと呼ばれた帽子を被った青年は、花祭りが開かれている城下町にお忍びでやってきた、サフィニア姫本人だ。
マローネの必死の説得から、女の格好がまずいのだという解釈を導き出したサフィニアは、それなら自分が男であればいいのだろうと男装し、マローネには娘らしい格好を言いつけた。
そして二人が花を交換すれば、安心だろうというのがサフィニアの弁なのだが――。
(心臓が……! 心臓が、持ちません!)
マローネは、先ほどからドギマギしてしまい、サフィニアの顔を上手く見られない。
元々身長も高い方で、すらりとしたサフィニアは、男装が似合いすぎた。
ヨハンの所から借りてきたと言う、若者らしい服に着替えたサフィニアは、線の細い美青年にしか見えない。
言葉を失ったマローネに向かって、上機嫌に笑いかけたサフィニアの目は、いつもより生き生きと輝いていた。
悪戯を考えつき、実行に成功した子供の顔だった。
ここまでされては駄目とも言えず、孫を見る様な目で笑うメアリに見送られ、二人で城下にやってきたのだが、想像以上に気恥ずかしくて、マローネは先ほどから挙動不審になっている。
まるで備えていたかのように、偽名まで考え、声までいつもより低くしているサフィニアは、非常に楽しそうなのだが――どう考えても悪ノリが過ぎる。
マローネも、一言言わないといけないと決意するのだが、その度に楽しそうに笑い、目を輝かせているサフィニアの表情が目に入り、言葉に詰まってしまう。
「今度は向こうに行きましょう、マローネ」
手を引く姿は、あまりにも自然だ。
誰も、この青年がサフィニア姫だとは思わないだろう。
「――あの、サ……サイ様……、楽しいですか?」
マローネは思わず問いかけた。
「はい。楽しいです」
笑顔で頷いた後、サフィニアはふと顔を曇らせた。
「……もしかして、貴方を退屈させてしまいましたか?」
「いいえ! わたしも、楽しいです!」
「……それなら、よかった。わがままを言ってすみません、マローネ。――貴方から祭りの話を聞いたとき、どうしても我慢できなくなったんです。――俺が、貴方と一緒に行きたいと」
はにかむサフィニアに、マローネは真っ赤になったまま、たどたどしくも、なんとか「光栄です」という言葉を返した。
(だから、そんな言い方はずるいです!)
女とバレないためなのか、一人称を俺で通し、男のように振る舞うサフィニアに、マローネはずっと調子を狂わされている。
(美しくて凜々しくて、なおかつ誇り高くお優しい……――その上、男装もこなすなんて、サフィニア様は完璧すぎです……!)
先ほどから収まらない胸の動悸は、きっと完璧な主への強い崇拝の念が引き起こしている症状に違いないと、マローネは胸を押さえる。
顔に、体中の血液が一気に集まっているかのように熱くなるのもそうだ。
全ては、己の忠誠心の産物。
そうでなくてはいけない。
美しい主を、異性のように見てしまい、胸をときめかせるなど、騎士としては言語道断であると、マローネは自身を強く戒めた。
しかし、サフィニアは黙りこくっているマローネが、表情を変えた事に気付いてか、低い声で名前を呼んだ。
「……マローネ」
「は、はい!」
「今、なにか余計な事を考えませんでしたか?」
「いいえ!」
「――何を考えていたか、言いなさい」
サフィニアの手に、力がこもる。有無を言わさぬ強い視線が、マローネに注がれた。
「それは、その……」
「……貴方は、やはりサフィでなければ駄目なのですか?」
「は?」
それは、不思議な問いかけだった。
サフィとは、サフィニアの愛称だ。
幼い頃、彼女はそう名乗っていた、きっと普段から母親や弟王子にそう呼ばれていたに違いない。それに、小さいうちは、自分の事を名前で呼んでいてもおかしくは無い。
ただ、思わず昔の癖が出てしまったにしては、まるで別の人間を語るような口ぶりだった。
サフィニアは、寂しさと悲しさがない交ぜになったような……迷子を思わせる表情を浮かべていた。
「さ……、サイ様?」
呼びかけようとして、本名はまずいと気付き、マローネはとっさに、教えられた偽名の方を口にした。偽名を呼ばれたはずのサフィニアは、肩をふるわせ、何も答えなかった。
ただ、無言のまま繋いでいた手を引っ張って、マローネを抱きしめる。
そうすると、身長差どころか、普段は気にとめていなかった体格差も意識せざるを得なくなる。
「――サイ様、あの……どうかお離し下さい」
マローネは、こみ上げてきた羞恥心に振り回されるかのように、自身の両腕をどこに落ち着ければ良いのか分からず、広げたまま固まっていた。
「……こうして、俺に抱きしめられるのは、嫌ですか?」
「え?」
「俺では、駄目ですか?」
辛そうに細められた目。まるで、耐えがたい痛みを感じているかのような表情のサフィニアを見て、マローネは自然と首を横に振っていた。
「いいえ……。いいえ、そんな事は有り得ません。――ただ、その…………、なんだか、恥ずかしい、と言うか……。あのっ! 決して嫌では無いですからね! それだけは、絶対に有り得ませんから!」
「……はずかしい……」
マローネの言葉を繰り返したサフィニアは、不意に腕に力を込めた。
「――俺もです」
「え……?」
「俺も、貴方にこんなことをするのは、とても気恥ずかしいです」
「えぇっ!?」
「でも、貴方が恥ずかしいと思ってくれたのなら……嬉しいです」
痛みを堪えたような表情が嘘のように、サフィニアは屈託無い笑みを浮かべた。
「――」
その笑みに見惚れたマローネは、束の間言葉を失った。
女性らしい艶のある笑みでも、深窓の姫らしい楚々とした笑みでもない。
王族らしい、真意を隠した微笑みですらない。
全く、《サフィニア姫らしくない笑顔》だ。
だと言うのに、どうしてだろうか?
マローネには、今見せてくれた表情こそが、再会してから一番鮮やかな笑顔に見えた。
「は、恥ずかしいのが、嬉しいのですか?」
「はい。……それは、つまり……、貴方が俺を意識している事に相違ないでしょう」
「意識?」
「…………」
サフィニアは、曖昧に微笑んで答えなかった。鮮やかだと思った笑みが消えてしまったことを残念に思いながらも、安堵するという矛盾した気持ちを抱えたマローネを、サフィニアはやんわりと解放した。
「……折角ですから、もう少し歩きましょう」
ただ、すぐに片手が伸びてきて、マローネは手を握られる。
「――」
見上げれば、サフィニアはにっこりと愛想よく笑うだけ……。
少しだけ迷ったマローネだったが、手を握り返し笑い返した。
「はい、行きましょう、サイ様」
サフィニアの目が、一瞬の動揺を表すかのように大きく見開かれ、繋いだ手に力がこもった。
「花祭りは、まだまだ続きます。楽しみましょう」
気にせずに手を引くと、サフィニアは帽子のつばをついっと引きながら、マローネから顔を背ける。
それでも、マローネは不安を覚えたりしなかった。
サフィニアの口元は、隠しようも無く嬉しそうな笑みを描いていたから。
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