十二話 再びの襲撃

 楽しい時間というものは、すぐに終わってしまう。


 子供の頃、両親と過ごしていた時間。秘密の友達と過ごした時間。


 いつだって、マローネが心から楽しいと思った時間は、誰かの手によって呆気なく終止符を打たれてきた。


 両親と過ごす時間は、母の死によって。秘密の友達との時間は――彼女の正体の露見と共に、大人達の手により無理矢理終わった。……そして、この花祭りでも。


(さっきから付いてきてるのは、二人……ですか)


 マローネは、先ほどから尾行してくる二人分の足音に神経を尖らせていた。


 どこにでもいる二人組。それこそ、なんの変哲も無い、町人の格好をした男二人だ。


 初めは気のせいかと思ったが、試しにその辺の店で足を止めれば、少しだけ距離を置いてとどまっている。

 楽しげに笑い合っていられた時間は、その時点で終わりを迎えた。


「……サイ様」

「はい」


 振り向かず、二人は言葉を交わす。


「……物盗りにしては、連中動きが妙です。明らかに、わたしたち二人だけに的を絞って狙っています」


 他に裕福そうな者や、隙だらけな者もいるというのに。

 マローネは、そこまで考えて唇を噛んだ。


「…………誘い込まれています」


 人気の少ない方へ、徐々に追い込まれている。


「そのようですね」

「次の曲がり角で振り返って、一気に走りましょう――っ」


 そこまで言って、マローネは言葉を切った。角から突然、男が二人躍り出てきた。

 賑やかな祭りの会場に紛れれば、埋没するだろう変哲無い格好で、手には短剣を握っている。


 殺る気だ。


 瞬時に察したマローネは、自分の主を守らなければと、サフィニアの前に飛び出そうとした。

 しかし、繋いだままだった手が、騎士としての行動を妨げる。


「危ない!」


 その一声と共に、マローネの手が、強い力で握られる。まるで離すまいと言うような強い力で、引っ張られた。

 とんっと、固い胸に体がぶつかる。何か言う前に、頭をかき抱くように押さえ込まれ……。


「っぅ……!」


 頭上からきこえたうめき声に、マローネは目を見開いた。


「これは……、笑えるな。盾にすべき者を、身を挺して庇うとは、手間が省ける」


 嘲笑が、空気を微かに揺らした。 

 マローネを抱え込むようにして守ったサフィニアは、肩を斬りつけられていた。じわじわと服が赤く染まっていく。


「サフィニア姫、お命頂戴」

「――っ」


 振りかぶった男は、手負いのサフィニアしか見ていない。


 マローネは、その時生じた隙を見逃すほど、間抜けでは無かった。


 小柄な体が、サフィニアの緩んだ腕をすり抜け、男との間に素早く滑り込む。

 そして、主と襲撃者の間に立ち塞がった彼女は、容赦なく人体急所の一つに蹴りを放った。


 そこは、決して鍛えることが出来ないとされる場所の一つであり、なおかつ男性しか持ち得ない急所である。


 今まさに振りかぶっていた男は、うめき声を上げる事すら出来ず、がくりとその場に崩れ落ちた。

 無慈悲な一撃を放ったマローネは、一瞥もせず男が取り落とした短剣を拾い上げる。

 そして、もう一人の男へ斬りかかった。


「ひ、卑怯者め!」

「どちらが、ですか!」


 マローネは、罵倒する男に怒鳴り返す。丸腰の女二人を狙うような姑息な連中に、卑怯云々と言われる筋合いなどなかった。

 すると、後ろから尾行していた二人組が、大急ぎで駆けてきた。

 マローネは、サフィニアを庇いながらも、三対一の構図を頭に描き、覚悟を決める。

 しかし、彼らはマローネを見て悔しげに顔をゆがめただけで、何も仕掛けてこなかった。


「退散だ!」

「なに?」

「騎士だ! もうすぐこっちへ来る!」


 顔色を変え、男は短剣をおろした。そして、倒れた男は見捨てて、三人は角を曲がり姿を消した。


「おい、待て貴様ら!」


 次いで、怒号と共に姿を現したのは、マローネがよく知る人物。


「逃げ足の速い奴らめ!」

「エスティ……!?」


 憎たらしそうに睨み付けているのは、質の良い服に身を包んだ、口うるさい同期だった。


「……無事か? とりあえず、応援は呼んである。民間人の襲撃を企んだ一味として、この男は拘束するが……」


 マローネが、容赦なく股間を蹴り上げた男を見下ろしたエスティは、チッと舌打ちした。


「……」


 サフィニアが、その様子をじっと見つめている。その視線が煩わしかったのか、エスティもまた、剣呑な眼差しを返した。


 サフィニアは男装中であるため、エスティは目の前の人物が、王族だとは思わなかったのだろう。誰に対しても不遜な同期ではあるが、さすがに仕えるべき王家に対しては、相応の振る舞いを心得ているはずだ。

 それよりも、マローネはサフィニアの肩の傷を心配した。


「痛みますか、サ……サイ殿」

「いいえ。これくらいは、どうと言う事もありません」


 偽名と言えど、様をつけて呼んだりすると、どういう身分の者だと余計な勘繰りをされかねない。マローネはあえて今までとは違う呼び掛けをした。

 サフィニアも状況を理解しているため、戸惑う素振りも見せず、すぐに返事をしてくれる。その口調もしっかりしていので、マローネはひとまず安堵する。


 気絶している男のベルトを外し、手首を拘束していたエスティは、傍らでそんな二人のやり取りを聞いて、鼻を鳴らした。小馬鹿にしたような口調で、いつもの小言が始まる。


「あぁ、そんなものは、かすり傷だな。一人前の男が、いちいちピーピー泣く程のものでもない。軟弱な男を、必要以上に甘やかなすな、馬鹿マロ」

「軟弱とは何ですか! これは、本来ならば私が負うべき傷だったんですよ! 私が至らないばかりに、こんな傷を負わせてしまって――」


 持っていたハンカチを傷口に当て、マローネはビリビリとスカートを切り裂いた。


「ちょっ! 何をしているんですか!」

「おい、馬鹿!」


 それぞれに咎めるように声を荒らげる二人だったが、マローネはまるっと無視を決め込んだ。

 応急処置として、止血を急ぐが、その胸中は、痕が残ったら死んでも詫びきれないという苦渋に満ちている。


「はやく、きちんとした手当をしないと」

「俺の怪我より、自分の格好を気にとめて下さい!」

「何を言うんですか! あなたの怪我の手当こそ、わたしにとっての最優先事項です!」


 マローネの発言に、サフィニアは額に手を当て、エスティは目を丸くする。


「……おい、馬鹿マロ。……この民間人は、お前の何だ?」


 訝しむエスティに、マローネは当然のように即答した。


「大切な人です」

「――なっ……」


 絶句するエスティの後ろから、複数の声が聞こえる。

 彼が言っていた、応援が到着したのだ。


「マローネ、行きましょう」


 まずいと思ったのか、サフィニアが、そっとマローネの腕を引いた。


「……おい、待て。これから話を」

「生憎だが……、こいつの仲間は、その格好の君を見て、騎士が来ると断言していた。人が来るでも無ければ、騎士を呼ばれたでもない。私服姿の君を見ても騎士だと判断できた……つまり、連中は、君を知っているという事になる」

「それがどうした? ……まさか、僕を疑っているのか?」

「そもそも、飛び込んでくる瞬間も絶妙だ。なぜ、君は我々の危機に気付いた」

「……それは」


 言葉に詰まるエスティに、サフィニアは冷ややかな視線を向けた。


「悪いけど、君の行動は信用できない」

「――貴様っ! 騎士であり、貴族である僕を愚弄するか!」

「貴族? それなら、なおさらだ」


 睨み合う二人に、駆け付けてきた騎士達は困惑した表情になった。

 エスティは、嫌そうな顔のまま、騎士達に気絶している男を引き渡す。


「……おい。お前達にも、事情を聞きたいそうだ。詰め所まで来い」

「わかりました。あの、サイ殿の傷の手当てをしたいのですが」


 一度、部屋を借りて傷の具合を見ておかなくてはならない。了承の返事を聞きながら、マローネはサフィニアを見上げた。


「行きましょう、サイ殿」

「…………」


 サフィニアは、またしてもエスティと睨み合っていたのだった。

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