十話 主のわがまま、騎士の困惑



 屋敷に侵入してきた暗殺者達の一件の後、マローネが危惧した通り、サフィニアの住まう屋敷に警護はつかなかった。

 そもそも、暗殺未遂事態が、予想通り表沙汰にならなかったのだ。

 誰かの横槍でもあったのか、不自然なほどあの一件は話題にならなかった。


 だが一方で、騎士団は素人に隙を突かれたという失態に我慢ならず、秘密裏に調べているらしかった。

 しかし、十分な情報を引き出せなかった事もあり、首謀者捜しはすでに行き詰まりを見せ、進展は無い。


 だが、朗報もあった。

 夜警の巡回経路に、サフィニアの屋敷が組み込まれたのだ。

 おかげで、マローネやヨハンが寝ずの番をする事は避けられた。

 それだけでも助かっているのだから、多くは望むまい……と他ならぬサフィニア自身が納得している。なので、マローネは主の扱いを不満に思いつつも黙っていた。

 そんな、上辺だけは穏やかさが戻ってきたある日のことだった……。



 穏やかな陽気が降り注ぐ、サフィニアの部屋。主のそばに控えていたマローネは、のんびりとした会話に興じていた。

 だが次の瞬間、困惑する羽目になる。


「行ってみたいです」


 サフィニアが、とんでもないことを言い出したのだ。


「行ってみたいって……。え? 今話していた、お祭りに……ですか?」

「はい。貴方が今、自分で言ったでしょう? 訓練生の頃は、今の季節、町の広場で開かれる花祭りに出かけたと」


 数秒前の、他愛ない会話だったはずだ。

 マローネ自身がなんの頓着せず口にした、今の時期に城下で行われる祭りの話だ。

 これに、なぜかサフィニアが興味を持ったのだ。


「確かに、言いましたけども……」

「この間、屋敷に来ていた……、あの生意気そうな少年……――彼とも、出かけたのでしょう?」


 襲撃事件の際、どんな人間がやって来たのか。

 主であるサフィニアは、屋敷の中からでもきっちりと、出入りした者の顔を確認していたらしい。


 人となりを的確に把握している言葉に吹き出しかけたマローネだが、主の表情は真剣だった。そのため、一人笑い出すなんて事はできず、ごほんと咳払い一つで誤魔化すと、話を続けた。


「まぁ、同期全員で出かけたので、一応エスティもいました」


 本人は、何故自分が庶民の祭りなんかに……と文句をたれていたのだが、結局付き合いが良い彼は、祭りの最後まで帰ることは無かった事を思い出す。


 しかし、それがどうしたのだとマローネがサフィニアを見ると、その綺麗な顔には、“不機嫌”の文字がありありと浮かんでいた。


「あの少年とは出かけられて、なぜ私とは出かけられないのですか?」

「いえ、そうは言ってはいません。ただ、花祭りは、広場を集めた花で飾って、みんなが浮かれ騒ぐだけの祭りでして……、サフィニア様のような姫君が好むような、上品なものではないと――」


 花祭りなどと銘打ってはいるが、ただ騒ぎたいだけの祭りである。


 屋台が出て、大食い大会やら飲み比べ大会やらが開催され、夜には明かりを灯した広場にて男女のペアが手をとりあい踊る……。


 とても、姫であるサフィニアが楽しめる祭りとは思えない。


 マローネは、そんな祭りへ主を連れて行くのは気が進まず、何とか思いとどまって貰おうとした。


 しかし、サフィニアはますます不機嫌になるばかりだ。

 ならば奥の手だと、マローネは花祭りの隠れた目玉であり、深窓の姫君ならば絶対に尻込みするだろう恒例行事を明かした。


「あのですね、花祭りはその――男女の出会いの場でもありまして……、サフィニア様のような美しい方が行くと、大変な事になるというか……」

「出会いの場? 貴方は、そんな場所にあの生意気な奴と行ったんですか!」

「いえ、ですから、同期全員で行ったんですよ! ……花祭り事態は、勿論みんなが楽しむ祭りではありますが、出会いの場という側面があるんです!」


 花祭りの広場で男性は白い花、女性は薄紅の花を貰い、意中の人に渡す。申し込みを承諾するなら、自分が持っている花を相手に渡し、貰った花を男は胸に、女は髪に飾る。そして、夜祭りの際一緒に踊る。

 ただし、異性の花を身につけている人は、すでに約束が決まっているため、声をかけてはいけないという暗黙の了解がある。

 だから、先を越される前にと、人気のある男女には異性が先を争い殺到するのだ。


 そんな場所に、サフィニアが行けばどうなるか?


 考えるまでも無い。

 飢えた男共からの申し込みが殺到するに決まっている。マローネはその情景がありありと目に浮かび、震える。訓練生の頃に、争奪戦のすさまじさを直に目にしてきたため、これがただの杞憂で終わらない事を、よく知っているのだ。


(サフィニア様は、お美しいから……もしかしたら、力ずくで花を奪おうとする輩だっているかもしれない……いいえ、絶対います!)


 サフィニアの手の中にある、可愛らしい薄紅色の花を求めて、我先にと群がる男達……。

 その地獄絵図すら、容易に脳裏に描ける。


 ――自身は一度も縁がなく、興味すら無かったマローネは、いつも露店で買った食べ物を食べつつ、気迫に満ちた争奪戦を遠巻きに見ていたのだ。

 あの頃はただ笑っていられたが、主が渦中に巻き込まれるとなれば笑い事ではすまない。


「もちろん、わたしは全力でお守りする所存です! ……ですが、貴方を狙う男達と、その男達の誰かを狙う女達が混ざってしまうと、その場はもう、大混戦で……」


 目の色を変えた男よりも、女の方が遙かに怖い。


 花祭りの争奪戦で、身ぐるみを剥がされかけ、女性不信になった元女たらしの騎士がいたほどだ。


 実際に自分が目にした衝撃的な出来事を引き合いに出し、花祭りがどれほどの激戦の場か、マローネはとうとうと語った。


「――なるほど、貴方の心配はよく分かりました」


 マローネの必死さをみて、冗談事では無いと理解したのか、サフィニアは真面目な顔で頷いてくれた。


 そして……。


「女だと思われなければいいのでしょう?」

「え」


 サフィニアは、斜め上の結論を出したのだ。


「その上で、すでに相手がいる事を示せばいいのなら、簡単なことです」


 にっこり微笑んだサフィニアは、困惑しているマローネの両頬を、むにゅっと両手で挟んだ。


「さぁ、メアリに可愛くしてもらいましょうね、おちびさん」

「えっ? あの、えぇっ?」


 メアリは、サフィニアに母の代から仕えている使用人の老女である。

 まるで祖母のように優しい雰囲気を持つ彼女の名前を出され、目を白黒させているうちにサフィニアはテーブルの上のベルを鳴らす。

 程なくして現れた老女に、サフィニアは笑顔で言った。


「メアリ、今から二人で出かけるので、このおちびさんを、可愛らしく仕立ててください」

「まぁ、マローネちゃんをですか?」

「はい。……マローネ、貴方も騎士服以外の服くらい持っているでしょう? その中で、一番女の子らしい服を着てきなさい。支度はメアリが手伝ってくれますから」

「あの、サフィニア様? ちょっと待って下さい、何をするつもりなんですか? と言うかですね、女の子らしい服だなんて……、そんな格好をしたら、貴方をお守りするのに邪魔なだけで」

「メアリ」


 マローネの切々とした訴えを無視し、サフィニアは信頼するばあやを呼んだ。


「はいはい、心得ました。さぁ、お部屋に行きましょうねぇ、マローネちゃん」


 優しく促す、しわくちゃの手を払いのけるなどという鬼畜な行為を、マローネが出来るはずが無い。

 流されるように自室に向かったマローネは、どうしてこうなったのだと内心頭を抱えていた。

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