九話 心が向く先

 人は、表裏を使い分けて生きている。

 そう言ったヨハンへ、マローネは何気ない質問のつもりで「あなたもそうなのか?」と言った。


 返ってきたのは、静かな返事だった。

 そうかもしれない、という曖昧さを含んだ答え。

 続けられた、「俺も、アイツも」という言葉。


 引っかかりを覚えたものの、マローネは彼の指し示す「アイツ」について聞けなかった。

 ヨハンの口ぶりが、あまりにも寂しそうだったのと、サフィニアの怒ったような呼び声が聞こえたからだ。


「……随分と、楽しそうですね」

「あ、サフィニア様! 庭に出てきてはいけません!」

「…………。へぇ? 私が出てきたらお邪魔なようで」


 その目が、冷たいような気がするのは、決して気のせいではあるまい。


 マローネは、ようやく自分が主の思い人と二人きりで庭にいた事を思い出す。


 マローネには、主の恋路を邪魔する気など欠片もない。それに、今の今まで事後処理だったのだ。けれど、サフィニアの冷たい眼差しを伺うに、おそらく勘違いされている。


「サフィニア様が邪魔なんて事は、有り得ません! むしろ、わたしがお邪魔でしょう! 可及的速やかに退散いたします!」


 こうなれば、さらなる二人きりの時間をお膳立てするしか無い。

 決めたら即行動のマローネは、脱兎のごとく走り去ろうとしたのだが、寸前で襟首をサフィニアに捕まれた。


「ふぎゃっ!」

「どこへ行くのですか。そんなみっともない姿のままで」

「みっともない?」

「――髪」

「あっ!」


 マローネを引き戻したサフィニアは、渋い顔のままマローネの不揃いな毛先に触れる。


「私が整えてあげますから、大人しくしていなさい。……ヨハン、貴方は椅子と散髪道具を一式持ってきて下さい」

「はいはい、分かりましたよ」


 肩をすくめたヨハンは、駆け足で屋敷の中へ入っていく。


「え? えぇ~?」


 その背中を目で追いかけ、マローネは情けない声を上げた。


(なぜですか……!? これじゃあ、台無しです!)


 気を利かせて二人にするつもりだったのに、意中の相手を追い出してどうするのだと、マローネは思わずサフィニアを仰ぎ見た。


「なんですか、その不満そうな顔は」


 視線に気づいたサフィニアは、ぐっと眉間に皺を寄せる。


「そんなに、ヨハンと一緒にいたかったのですか? …………この私よりも?」


 拗ねたような一言に、マローネは目を見開いた。


「いいえ! わたしは、サフィニア様と一緒にいたいです!」


 条件反射のように、自分の望みが口をついて出る。


「それなら、よそ見はしないように」

「……ですが、サフィニア様を喜ばせたくて」

「私を喜ばせたくて、どうして貴方が逃げるんですか。かえって、私を苛立たせるだけでしょう」

「……え? だって、それは……」


 言ってもいいのだろうか、とマローネは迷った。


 こういう……秘めた恋心的な気持ちを、第三者が指摘したりしてもいいものなのだろうか?


 あいにくと、恋愛経験がないマローネには難易度が高すぎる問題で、すぐに答えが出せない。

 その上、はっきりしない態度が気に入らないのだろうサフィニアが「さっさと言いなさい」と視線で威圧してくる。


(む、無理です……正解が分からない……!)

 

自分の乏しい経験では埒があかないと、マローネはとうとう観念した。そして、コソコソと声を潜めて、主の恋心を指摘する。


「……その、サフィニア様は、ヨハン殿の事が、あの…………、お好きでしょう?」


 だから、二人きりにすれば喜んでもらえると思った。

 マローネが、自身が目論んでいた事を正直に告白した途端、サフィニアはあんぐりと口をあけた。


「…………あの、おちびさん、すみませんが、もう一度お願いします。よく聞こえませんでした。……かわりに、有り得ない言葉が聞こえましたが」


 声が小さすぎただろうか?

 マローネは、少しだけ声を大きくした。


「サフィニア様が、ヨハン殿を、恋い慕っていると……――」


 けれど、恋の話は繊細で壊れやすいと聞く。万が一、他の人……ヨハン本人などに聞かれたりしたら、普段は冷静で落ち着いているサフィニアだって、きっと恥ずかしくて泣いてしまうに違いないと、細心の注意を払った上での言葉だったのだが――。


「はぁっ!?」

「サフィニア……こ、声が……!」


 逆にサフィニア自身が、らしくもない大声を上げた。


「なんですか! その、気持ちの悪い勘違いは!」


 くわっと目をつり上げたサフィニアの剣幕に、マローネは思わずぴんっと背筋を正す。


「す、すみません! 絶対に誰にも言いませんから!」

「誰かに言う、言わない以前の問題です! 事実無根の勘違いだと言っているんです! なぜ、よりにもよって私がアイツを……! ~~っ、絶対に有り得ません、寒気がします……!」


 そこまで言うかと思うような発言だ。過激な照れ隠しだろうかと一瞬案じたマローネだったが、サフィニアは照れ隠しでキツイ言い方をしているようには見えない。それどころか、本気で嫌がっているようにしか受け取れなかった。

 けれど、それでは腑に落ちない事がある。


「で、でも……」

「……でも? でも、なんですか?」


 口をへの字に曲げたサフィニアに見下ろされ、マローネは「でもですね」と小さな声でごにょごにょと言いよどむ。


「聞こえません、おちびさん」

「でも! サフィニア様の態度が……!」

「…………態度?」


 冷たい視線が、さっさと言えと脅してくる。美しく整った顔立ちなだけに、迫力がありすぎるのだ。


(び、美人が怒ると怖いって……本当だった……!)


 マローネは、下手に取り繕う事はやめて、自分の考えを明かした。


「サフィニア様の態度が変化したので。……わたしとヨハン殿がいると、機嫌が悪くなったのが分かったので、もしかしたら、そうなのかなー……と」


 だから、気を利かせたつもりだったと打ち明けると、サフィニアは毒気を抜かれた顔で、マローネを見つめた。


「……あ、あの、サフィニア様?」


 はぁーと、サフィニアは長いため息をはきだした。


「どうしてそこまで察することが出来るのに、そっちの方向に思考が行くのですか……! いや、でもこれは、私が悪いのか?」


 顔を背けて、何事かをぶつぶつ呟くサフィニア。口元を片手で覆っているため、マローネには、その独り言の内容がよく聞こえないが、彼女の顔が赤いことだけは見て取れた。


「……サフィニア様、わたしは絶対に誰にも言いません。ヨハン殿にも言うなとおっしゃるのなら、誓って口外いたしません。ですから、そんなに恥ずかしがることは……」

「恥ずかしい……? 違います、誤解です! 私とヨハンは幼なじみとして育ちました。友情はありますが、貴方の言うような感情は双方、一切ありません! 断言出来ます!」

「でも」

「でもも、だっても無い! ……それに、ヨハンには随分と前から、想う相手がいますから」


 きっぱりと恋愛感情を否定したあと、サフィニアは憂い顔で付け加えた。


「では……サフィニア様の片思い……」


 それでも、しつこく邪推するマローネに、サフィにはとうとう眉をひそめ、呆れたようにため息をついた。


「片思いも、有り得ませんから。……まったく、女性というのは、本当に恋愛話が好きですね」

「サフィニア様は、興味ないのですか?」

「他人の色恋には、まったく興味がありません」


 即答したサフィニアは、ちらりとマローネを見下ろして、不揃いな髪に指を絡ませる。


「あ、あの……?」


 身をかがめたサフィニアは、狼狽するマローネの耳元に唇を寄せて囁いた。


「……生憎、私はおちびさんの世話で、手一杯ですから」

「!」


 どうしよう、とマローネはうろたえた。


(心臓がうるさい……!)


 サフィニアに聞こえてしまうのではないかと想うほど、心臓が大きく、早く脈打つ。

 マローネが、一人あたふためいている間に、ヨハンが椅子と木箱を抱えて戻ってきた。


「おまたせしました、サフィニア姫様、おちびちゃん」


 サフィニアは何事もなかったかのような顔で、かがんでいた身を起こす。


「あぁ、ヨハン。そこにおいて下さい。おちびさん、貴方は椅子に座って」


 涼しい顔で指示を出すサフィニアを直視できず、マローネは息がかかるほど近くで聞いた声を思い出し、耳を押さえた。


(どうしよう……、わたし、変です……)


 サフィニアは恩人だ。敬愛する主人だ。

 綺麗な人だと思うし、仕えることが出来て、幸せだとも思っている。

 けれど、彼女はあくまでも、仕えるべき大切な姫君のはずだ。

 それなのに、先ほど耳をかすめた声が、まるで男の人の声のように聞こえたなんて――自分を見下ろすサフィニアの顔が、異性のように見えたなんて、どうかしている。


(不敬! 不敬、不敬、不敬!)


 ぶんぶんと頭を振り、顔に集まった熱を追い払おうとしているマローネを、サフィニアは満足そうに見つめていた。

 そして、もう一度――非常に楽しげな声で「おちびさん」と呼びかけたのだった。

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