六話 新たな誓いと動きだす影
このままではいけない。
マローネは、焦燥感に駆り立てられるままに、何度も何度も剣を振り下ろす。こめかみから、つぅ……と顎までを伝った汗が、ぽたりと地面におちて、何個目かのしみを作った。
すでに素振りを始めてから一時間は過ぎていたが、マローネは構わず剣を振り続ける。その胸の中は、ぐちゃぐちゃした感情でいっぱいだった。
サフィニアが頭を下げねばならぬ事態を招き、またみすみす彼女に傷を負わせてしまった己の不甲斐なさ。
その上、屋敷に戻ってからも率先して手当をすることもできず、自己嫌悪でみっともなく泣きわめいただけ――自分がどれほど未熟で使えない騎士か痛感したマローネは、サフィニアに合わせる顔が無かった。
(守るっていったのに、役に立つと決めていたのに!)
自分はもう、いじめられて泣いているだけの小さな子供では無い。
あの日のサフィニアが勇気をくれたのだから、自分は変われたはずだ。
そう思っていた。
実際、マローネはサフィニアとの出会いを経て変われたのだ。
だから、弟や母親を亡くし気落ちしているサフィニアの騎士になりたいと思った。
今の自分なら、恩人の力になれると過信していた。
しかし結果は――。
マローネの脳裏にサフィニアの頬に走る痛々しい赤いひっかき傷がよぎる。
「――っ!」
サフィニアは、マローネを責めたりしなかった。無礼を咎めることもなかった。逆に優しい言葉をかけてくれた。
(サフィニア様の優しさに甘えては駄目!)
決して勢いが落ちないように、剣を振り下ろす。
空気を切る、鋭い音が耳に届く。
(惰弱な心身に、活を入れないと……!)
この音のように、未熟な自分も断ち切ってしまえれば良いのにとマローネは剣を握る手に、さらに力を込めた。
その時だった――。
「不自然な力が入っています。そのやり方では、余計に疲れますよ、おちびさん」
咎めるにしては随分と優しげな声音が、かけられた。
マローネが手を止めおそるおそる顔を上げると、サフィニアが中庭に出てくるところだった。
「――サフィニア様……」
「なんですか、その顔は。日もあるうちから、幽霊でも見たような表情ですね」
「…………」
何を言えば良いのか――いや、それ以前に、主を守り切れなかった自分が、今更何か言う資格があるのか?
胸中に迷いを抱いたマローネは、サフィニアの軽口には答えられなかった。
そうして、とうとう俯いてしまったマローネを見下ろしたサフィニアは「まだ気にしているのですか?」と、呆れたようにため息をつく。
「――申し訳ありません」
他に何を言えば良いのか。
じわりと目が熱くなり、マローネは慌ててきつく目を閉じる。
もう自分は、泣き虫な子供では無いはずなのに、目の前の人に失望されてしまったと思うと、どうしようもなく怖くなってしまう。
(これじゃあ駄目、これじゃあ駄目なのに……!)
もっと強くならなくてはいけないと、心の中で呪文のように繰り返し手を握りしめていたマローネだったが、俯いていたその頭に、ぱさりとタオルがかけられた。
「不細工」
容赦の無い一言とともに、頭に手が伸びてくる。そのまま、わしゃわしゃとタオルごとかき回された。
「――さ、サフィニア様!? ちょっ、やめてください……!」
自分が汗まみれである事も拒否の一因であるが、込められている力がなかなか強くて、痛かったため、マローネは止めて欲しいと訴えた。だが、サフィニアの返答はつれない。
「駄目です。やめません」
「えぇ……?」
「まったく……。私が、もういいと言っているのに、いつまでもジメジメと……。この、強情っぱり。見ていると、こちらの気が滅入ります」
「それは、申し訳なく思っております……はい……」
ごしごし、わしゃわしゃと、手荒く撫で繰り回していた手が止まった。
「――マローネ」
頭をしっかり抑えられ、強引に上を向かされる。
見上げたサフィニアは、真剣な目をしていた。
「貴方は、笑っている方がいい」
「…………え?」
「ここに来た時のように、馬鹿みたいに明るくて、うるさいくらい賑やかなのが、ちょうどいいと言っているんです」
これは、もしかして励ましてくれているのだろうか。そう考えると、なんとか堪えていた涙腺が決壊しそうだった。
泣いてはいけない。情けないところはみせられない。
マローネは、騎士として最後の一線だけは守らなくてはと、口を引き結び、こみ上げてくる感情を抑え込もうとしていた。
しかし、サフィニアの声も、眼差しも、ただひたすら優しくて、すっと心に入り込んでくる。
「こうして、私のために思い悩む暇があるのなら……これから先は、私のためだけに笑いなさい。……返事は?」
そう言って、顔をのぞき込んでいるサフィニアに、マローネは泣きそうになりながらも、なんとか返事をした。
「――はい、サフィニア様……!」
「よろしい。それならば……ほら、今も、私のために笑って下さい、おちびさん」
乞われて、笑おうとしたマローネだったが、ぽろりと涙がこぼれてしまい台無しになってしまう。
「ご、ごめんなさい……!」
「……泣き笑いとは……。私のおちびさんは、器用な事をしますね。まぁ、よろしい。とても余所には見せられない顔ですが、私の前では許容します」
「もったいない、お言葉です~っ」
「……あーぁ……。だから、泣くか笑うかどちらかにしろと……。鼻水をたらすなんて、年頃の娘がする事とは思えません」
言いながらも、サフィニアは笑っている。
「本当に、仕方の無い人だ……」
「――っ」
サフィニアの右手が、今度は優しくマローネの頭を撫でた。
(サフィニア様の手、なんだか撫でられると安心します……――って、駄目ったら駄目!)
気が付けば、サフィニアに抱きしめられるような位置に納まっていたマローネは、慌てた。
「サフィニア様!」
「はい?」
「わたしは、サフィニア様のおっしゃった通り、自分の力を過信しておりました! わたしの未熟さを見抜いて忠告して下さったのに、あの時のわたしときたら……! ですから、改めて誓います!」
ばっと素早くサフィニアの両手を握りしめると、サフィニアは目を丸くしてマローネを見下ろしている。その繊細な面立ちに走る、三本の赤い筋……――それを見据え、マローネは新たな誓いを立てた。
「この先、わたしは二度と貴方に無様な姿を見せません。名実ともに、高潔な貴方にふさわしい、強き騎士となってみせます! マローネ・ツェンラッドは、何時いかなる時も、貴方のために笑みを忘れず、またいかなる時も、貴方の笑みを守ることをお約束いたします。……剣に誓って!」
そして、マローネはまとめていた自身の髪を、無造作に掴んだ。
「おちびさん? 一体何を……」
「これを、その証しと」
ブツンと音がして、一気に頭が軽くなる。
マローネが願掛けとして伸ばしていた髪は、彼女自身が手にした剣で切り落とし、肩口までのざんばら髪になった。
その、惨状……としか言えない状態に、サフィニアは大きく目を瞠ってマローネを凝視した。
「――ばっ……」
「はい?」
押し殺したような声が、途中で途切れる。聞き取れなかったマローネは、首をかしげて問い返した。
その手には、切り離した三つ編みの髪束を握ったままで、ぷらぷらと揺れてい。
言葉に詰まり、ぶるぶる震えていたサフィニアは、その風に揺れている残骸を目に入れるなり血相を変え、マローネに詰め寄った。
「馬鹿ですか、貴方は!」
「ひぇっ!?」
なぜ急に馬鹿呼ばわりされるのだろう、とマローネは飛び上がるほど驚いた。
しかし、サフィニアの勢いは衰えない。凄まじい剣幕だ。
「馬鹿だ、馬鹿だとは思っていましたが、ここまで直情的な馬鹿だったとは……! どうして、唐突にこういう事をするんですか!」
「あ、あの……未熟なりとも、せめてわたし自身の決意と誓いの証しを、お見せしたくて……」
マローネは勢いにおされつつも、己の中に立てた新たな誓いと誠意を伝えようとした。だが、答えを聞いたサフィニアは、目眩がするとばかりによろめく。
「信じられません……! この、直情型イノシシ娘! とても綺麗な髪だったのに、なんて事を……!」
「サフィニア様は、わたしの髪が気に入りでしたか!? す、すみません……! 今すぐ、直ちに、くっつけて……!」
「そんなぶつ切りにした髪が、くっつく訳がないでしょう! あぁ、もう――貴方は本当に、どこまでも手がかかる……!」
姫らしくない大股で近寄ってきたサフィニアは、マローネの不揃いな髪に手を伸ばすと、ため息をついた。
「……だと言うのに、それが不思議と嫌では無いのだから、私も毒されたものです……」
向けられた眼差しは、呆れているようにも諦めているようにも見える。けれど、その目はどこまでも暖かくマローネを見下ろしていて、意識した途端なぜか、急に気恥ずかしくなった。
マローネは、赤くなった頬を隠したくて俯こうとしたが、ふと動きを止める。
年頃の娘らしい照れた顔から一変、真顔になり周囲にざっと視線を走らせた。
「……サフィニア様、わたしの後ろに」
「マローネ?」
サフィニアを背に庇いながら、マローネは中庭を囲む茂みの方を睨み付けた。
かさり、とわずかに葉が揺れ、男が三人現れる。いずれも、手には抜き身の剣を携えており、どう考えても正規の訪問客ではない。
「ここは、サフィニア姫様のお屋敷です。主の許しを得ずに踏み入るとは無礼。いますぐ立ち去りなさい」
「……まだ子供か」
マローネの警告を、男達は鼻で笑った。
自分たちの優位を信じて疑っていない、そんな態度だ。
「サフィニア姫、貴方に恨みは無いが、ここで死んでいただく」
まだ陽が沈んでいないのに、堂々と屋敷にまで乗り込んで来た男達は、口ぶりとは裏腹に、全く悪びれの無い態度でマローネとサフィニアに剣を向けた。
しかし、主を守る騎士として対峙するマローネは、その宣告を一笑に付す。そして、何の予告も無く、手に持っていた三つ編みの髪束を先頭の男へ投げつけた。
男は難なく剣で払いのけたが、次の瞬間、顔から余裕が消える。
「なっ――」
それ以上、男が言葉を続ける事は無かった。
こぷりと口から血を溢れさせ、信じられないと驚愕の表情を浮かべたまま、崩れ落ちる。
「まず、一人」
男が建っていた場所には、無造作に血の付いた剣を振り払う、マローネがいた。
「こ、このガキ!」
「落ち着け、多少は腕が立つようだが、所詮は躾のなっていない子供だ」
どうとでもなる……、そう続けるはずだった男もまた、それ以上の言葉を語る事が出来なかった。
「二人」
マローネの淡々と数を数える声だけが、張り詰めた空気を揺らす。
空恐ろしい声音に取り残された男は震えた。
「――」
あっと言う間に最後の一人となってしまった雇われ男は、ようやく目の前にいる人物への認識を改めなければいけないと気が付いた。
ただの子供だ。伝え聞いた話しでは、隠れ姫のそばにいるのは、ただの粋がった子供一人の筈だった。
格好ばかりが一人前の、躾もなにもなっていない子供で、隠れ姫が体裁悪さに耐えきれず方々を当たり、何とか連れてきた、所詮は名前だけの騎士なのだと。
事前に聞いていた話では、そうだった。
しかし、実際はどうだ?
仲間は二人とも、何をするまもなく死んでしまったではないかと、男は自分の足下を見下ろす。
雇い主は、嘘つきだ。
これは、名ばかりの騎士では無い。
名ばかり与えられた、お飾りでは無い。
正真正銘の――。
そこで、男はとうとう恐怖心に負けた。
「ま、待ってくれ! 許してくれ! 金が欲しかったんだ! 隠れ姫を殺せば、金をくれるって言うから、アンタみたいな腕利きなんていないから、大丈夫だって聞いていたから、だから!」
「雇い主は、誰ですか?」
「し、しらねぇ! 店は、場末の安酒場だったから暗かったし、名前は聞いてねぇ……!」
「…………」
カチリと、マローネがこれ見よがしに剣を鳴らすと、男は腰を抜かしへたり込んだ。けれど、懸命に両手を振り、自分は何も知らないのだと訴える。
「本当だ、本当に知らねぇんだ! ただっ! ただ、若い男だった! 妙な奴で……!」
「妙?」
「あいつ、金持ちらしい身なりだったけど、つけてるものが、ショボかったんだよ!」
マローネとサフィニアは、揃って眉を寄せた。
「ショボかった?」
「あぁ、そうだ! 金持ちなら、もっと高そうな指輪やら腕輪やら身につければ良いだろうに、あいつ、まるでガキのオモチャみたいなっ――ひぐっ!」
恐怖心からか饒舌になっていた男の言葉が不自然な形で途切れた。潰れた声で悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちてしまう。
「ご無事ですか、サフィニア様!」
後ろには、血相を変えたヨハンが立っていた。
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