四話 毒花のような人

 王妃の呼び出しに応じてやってきた城は、サフィニアの言葉通り、非常に居心地の悪い場所だった。


 ただ廊下を歩いているだけで、ささやきが波紋のように広がり、チクチクと視線が突き刺さる。


 そんな中、マローネは先を歩くサフィニアの背中を見つめた。

 ぴんっと真っ直ぐ伸びた背中。凜としたたたずまい。

 自分に向けられている、侮るような視線と嘲笑に、気が付かない筈がないだろう。

 それでもサフィニアは、堂々と前を見据え歩いていた。幼い頃、マローネを助けてくれた、あの時のように。


 それが、どんなに勇気がいることか、今のマローネはよく理解していた。

 だからこそ、サフィニアのことをなんとしてでも守らなくてはと、決意を強くするのだが、今マローネが出来る事は王妃と対面するサフィニアの後ろで礼を取る事くらいだった。



 ――王妃は、全身を磨き抜かれ、華やかなドレスに身を包んだ女性だった。

 とても、息子を一人産んだとは思えない見事な肢体の、豪奢な美女。

 後ろに三人の侍女を従えて、優美に微笑むその姿は、悠然と構えている風に見える。


 王妃は、政治的婚姻で嫁いできた、他国出身の王族である。

 それ故か、サフィニアを呼びつけた王妃からは、かしずかれる事に対する慣れと、絶対的な自信が透けて見えた。


「あぁ、サフィニアですか。わたくしは忙しいのですけれど、今日は何の用ですか?」

「お呼びと伺ったのですが」

「まぁ、そうだったかしら?」


 自分で呼びつけたにもかかわらず、何しに来たのだとサフィニアを邪魔者扱いするかのような言動。追従する侍女達はクスクスと嫌な笑いをこぼすだけ。

 姫を軽く扱っても許される――そんな間違った認識が、侍女にまで根付いている。


 マローネは、己の主を軽んじる彼女たちに腹が立った。

 咎められてしかるべき行動だろうに、王妃はそれを放置する。彼女は、優雅に首をかしげると、かかとの高い靴、ツカツカと床を鋭く叩き、サフィニアの元へと近付いてきた。


「――貴方は年々、母親に似てきますね」


 十分な距離まで近付くと、不意に王妃は優しげな声音でささやきかけた。

 サフィニアが、なにを答える暇もなく、すっと手入れの行き届いた細い指先が頬に伸ばされる。

 王妃は、サフィニアの頬に触れると、そのままぐっと力を込め表情を一変させた。


「忌ま忌ましいくらいにっ……!」

「……っ」


 王妃の凶器のような長い爪が、サフィニアの白い頬に突き立てられる。痛みを押し殺した声が、マローネの耳にもはっきりと聞こえた。


「サフィニア様に、何をなさいますか!」


 これ以上はもう見ていられず、マローネは思わず声を上げた。


「あら?」


 そこで、初めてマローネに気が付いたかのように、王妃は目を瞬く。そして、ことさらゆっくりとサフィニアの頬から手を放して、激情を打ち消し、おっとりとした口調で語りかけてきた。。


「あらまぁ……可愛らしい事だわ。許しも無いのに、わたくしの姿をその目に映し、口を開く……――可愛らしいけれど、躾はきちんと施さなくてはねぇ、サフィニア? ……そうねぇ、片目を抉れば、少しは礼儀を覚えるかしら」


 凶器のように磨かれた長い爪が、自分に伸びてくるのを、じっと見つめていたマローネだったが、すっと庇うように前出てきたサフィニアにより、視界を遮られた。


(えっ?)


 何を……と思う前に、これまで沈黙を守っていたサフィニアの声が響く。


「お許し下さい」


 サフィニアは、ドレス姿のまま膝を折っている。これは、王妃に向かって許しを請う仕草に他ならない。


「どうか、お許し下さい王妃様。金輪際、このような事がありませぬよう、私がよく言い聞かせておきますので、どうかどうか無礼をお許し下さいませ」

「――」


 跪いたサフィニアを見下ろした王妃は、驚きに目を見開いた後、赤い唇をにんまりと三日月につりあげた。


「えぇ、サフィニア、貴方がそこまで言うならば、そこの無礼者の咎を許しましょう」

「寛大な御心に、感謝いたします」

「えぇ、えぇ、いいのです。――所詮は、身分卑しき者。無作法には目をつむりましょう。貴方が用意できる騎士は、この程度の者しかいなかったのでしょうから」


 クスクス……クスクス。小さな小さな笑い声。それは、王妃から始まり、主人におもねる侍女達へと、さざ波のように広がっていく。


「可哀想ねぇ、サフィニア。貴方は、本当に可哀想だわ。お前達も、そう思うでしょう?」

「はい、王妃様。隠れ姫様は、まこと哀れな方。表に出ずに、ずっと隠れているのも道理というものです」

「だって、これでは恥ずかしくて外を歩けませぬものね?」


 明らかに見下していると分かる嘲笑。それを真っ正面から浴びつつも、サフィニアは黙って頭を下げていた。


「ふふふ、可哀想なサフィニア。ここは辛いでしょう? はやく、貴方に相応しい場所へ帰るといいわ。……それでは、わたくしはこれで失礼するわ。本日は、陛下や王子と共に、音楽会に出ねばならぬの」


 ――カツカツ。

 耳障りな音が、部屋の中から遠ざかっていく。

 しかし、凝った作りの扉が完全に閉じられるまで、サフィニアは微動だにしなかった。


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