三話 主従の距離感は難しい
屋敷に来て一ヶ月。その成果の一つとして、日中はサフィニアのそばにいる事を許可されている。
朝に呼ばれて顔を出し、護衛という名目で、主の話し相手をつとめるのが常だ。
しかし、サフィニアは仰々しく褒め称えられたりする事を嫌うため、二人の間で交わされるのは、いつだって他愛ない話題ばかりだ。
たまに、今朝のようにからかわれたりして、マローネが慌てふためく事もあるが、あれこれと仕事を与えられ、サフィニアには一切近づけなかった当初から考えると、会話を許されていると言う時点で、多大な進歩だった。
ただ、今度は別の問題が浮上する。今の距離感は、主従にしては少し近すぎる気がしてならないのだ。
マローネ自身は、邪険にされるよりも、受け入れてもらえる方がずっとずっと嬉しい。なので、自分という存在を認めてもらえた現在の状況を喜ばしく思う気持ちに嘘は無い。
だが、マローネはあくまで騎士であり、サフィニアは王家の姫君である。
わきまえなくてはならない部分、というものがある。
例えば、今のこの状況だ。
「あの――」
「動かないで」
「……はい、すみません」
マローネとサフィニアは、中庭の木の下で並んで座っていた。そして、マローネの肩には、敬愛する主の頭が乗っている。
(あ、まつげ長い……)
震えるまつげの長さが分かる程の、近い距離。ふー、と長いため息をはいて目を閉じているサフィニアは、驚くほど無防備だ。
疲労感を見て取ったマローネは、普段より抑えた声で話しかけた。
「サフィニア様、お疲れでしたら、お部屋で横になられたらいかがですか?」
「重いですか?」
「いいえ」
「……そうですか。――それなら、もう少しこのままで……」
家族や友人、あるいは恋人ならば、おかしくない体勢だ。しかし、マローネとサフィニアの間にあるのは、主従関係である。それなのにこの距離は、あまりにも近すぎだ。
(団長が見たら、激怒されそうですね。……お前は立場をわきまえろって、絶対に殴られます)
眼光鋭い騎士団長の姿が脳裏に浮かぶ。もしも、この状況を目撃されたら、首根っこをつかまれ、「騎士とはかくあるべき!」と朝までお説教の刑になるのは確実だ。
マローネ自身も、この距離感は主従として間違っていると思っている。騎士の領分を超えているという自覚がある。
それなのに拒否しないのは、主に逆らえないから……、そんな理由だけでは無い。
こうして、マローネの肩を求めてくる時のサフィニアは、本当に疲れているように見えるのだ。まるで、ようやく緊張から解放されたかのように、ほっとして力を抜いているのが分かる。
その事実に気が付いてしまうと、これは主従の距離感を超えているからと、拒否することが出来なくなってしまった。
むしろ、少しでも心が安まればいいと言う思いの方が強く出てしまい、いつもこうやって肩を貸す事になってしまう。
(……やっぱり、今朝の伝言が原因だったりするんでしょうか……?)
今朝方――腹筋云々で散々からかわれた後の事だ。
機嫌を直したサフィニアについて食堂に向かったのだが、席に着くなり息を切らせたヨハンが転がり込んで来た。
常に余裕綽々という態度を崩さない彼が、珍しく息を切らしており、その表情は曇っていた。
ただ事ではないと腰を浮かせかけたマローネは、サフィニアにより手を掴まれ制された。疲れた様子も、いたずらっ子のような笑顔も打ち消したサフィニアは、正しく主従の主人としての顔で、ヨハンを促した。
『何事ですか、ヨハン』
『……それが……、また呼んでいるんです』
一瞬だけ、サフィニアの顔が強張った。
『あぁ……また、ですか』
すぐに何事も無いような素振りで返事をしたが、マローネは僅かな表情の変化を見逃さなかった。
『はい。……王妃様が、サフィニア姫様をお呼びです』
ヨハンの声には、気遣わしげな色が混じっていた。そして、サフィニアは明らかに気乗りしていなかった。
――それからずっと、主の様子はおかしかったのだ。
(王妃様とサフィニア様は仲が悪いとか……疎んじているだとか……。好き勝手な噂はたくさんありましたが……)
王妃とサフィニアには、血のつながりが無い。
サフィニアの母は、元は地方貴族の娘だった。しかし、王がその美しさを見初め強引に側室にしたというのは、有名な話だ。
そしてサフィニアの母は、他国から嫁いできた王妃よりも先に、王の子を産んだ。それも、男女の双子を。
しかし、五年前のことだ。母子は、行楽の最中に突然襲われ、結果王子は亡くなった。サフィニアの母も、その時の傷が元で、後にこの世を去っている。
残されたサフィニアは、母によく似た容姿の愛らしい姫だった。……これが、王妃から疎まれる原因になり――隠れ姫が誕生した。
(この様子ですから……噂の真偽は別としても、得意なお相手ではないようですね……)
ヨハンがもってきた知らせを聞いてからずっと、マローネの大切な主はこの調子だ。
(王妃様……か……)
疲れたように目を閉じている、サフィニア。
本来ならばもっと輝ける場所に立っているはずの姫が、こうして人の訪れもない小さな屋敷でひっそりと暮らしているのは、いらぬ揉め事を避けたいからなのかもしれない。
それならば、サフィニアの心をくんで、放っておけば良いだろうに、なぜ王妃は、人の噂になるほど疎んじている側室の娘に、わざわざ会いたがるのだろう。
マローネには、不思議でならない。
「確認しているんですよ」
「え?」
主をここまで疲弊させる、王妃の行動。その真意が分からないと考え込んでいたマローネは、ふと呟かれた言葉に肩を揺らした。
「――あの方は、私が余計な事を考えていないか。ただひたすら人、形のように従順か、定期的に呼びつけては、確認しているんです」
目を開けたサフィニアが淡々と語る言葉。それは、マローネがたった今考えていた事への答えだった。
「どうして、わたしの考えていることがわかったのですか……!?」
一言も口に出していなかったのに驚けば、サフィニアはわずかに眉尻を下げた。
「おちびさん。貴方は考えていることが、全部顔に出るんです。ですから、非常に分かりやすい」
「!」
そうだったのかと顔を押さえたマローネを見て、サフィニアが吹き出す。
「別に、隠さなくても良いですよ。……私は、貴方のそういう分かりやすい所を、気に入っていますから」
「本当ですか……!?」
「――またそうやって……。貴方は本当に、嬉しそうな顔をしますね。……サフィニアに好かれるのは、そんなに嬉しい事ですか?」
肩から重みが消える。
頭を上げたサフィニアは、目を細めてマローネを見つめていた。
「もちろんです!」
貴方の騎士にして欲しいと押しかけた時よりも、軟化した態度。これを嬉しいと思わない方がどうかしていると、マローネは勢いよく頷いた。
しかし、サフィニアは逆にどんどん白けたような表情になっていく。
「……そうでしょうね。結局、行き着く答えはそこだ。何時だって、貴方の頭の中には《サフィニア姫》しかいない」
ぽつりと落とされた言葉は、少しも嬉しそうでは無かった。雰囲気を一変させた主の様子は、マローネに不安を覚えさせた。
目の前にいるはずなのに、急に遠くなったような錯覚を覚えてしまう。
ざわめきを覚える胸を落ち着けるため息を吐くと、マローネは改めて己の主である姫に呼びかけた。
「サフィニア様? ――あの、わたしは、なにか姫様を不快にさせるような事をしてしまいましたか?」
「…………」
新緑を思わせる緑の双眸が、物言いたげに見つめてくる。
けれどマローネには、その目が訴えている感情が何か、分からなかった。
――怒っているように見えるが、悲しんでいるようにも見える。それでいて、どこか諦めているようにも見えた。
深い感情が絡まり混ざり合っていて、何を考えているか察するのは容易ではない。
けれど、主の考えを知りたいマローネは、諦めきれない。サフィニアが押し殺す感情がなんなのか、懸命に読み解こうとした。
しかし、他でもないサフィニアが、これ以上探られるのを厭うかのように、すっと視線をそらしてしまう。
(あっ……!)
あと少しだけ、もう少しでサフィニアの抱える“何か”の端に手が届きそうだったのに、瞳をそらされたことでマローネが掴みかけた“何か”の片鱗も、わからなくなってしまう。
「不快な事……ですか。……初対面から、いきなり押しかけてきておいて、よく言えますね。あの後も、騎士としての仕事を果たすためだとか何とか言って、私の観察日記をつけていたし……。ここで、あげ連ねてもいいんですか? 不快な事なら、この一ヶ月間、両手で足りないくらいありましたが……――本当に、言ってもいいんですね、おちびさん?」
わざとらしく張った声でまくしたてたサフィニアは、にっこりと微笑む。
「あ、あの……! その節は、本当に、色々と、ご迷惑をおかけいたしました……!」
あからさまな話題転換だったが、マローネは素直にその転換に乗り、謝罪した。
ふと、サフィニアが安堵したように息を吐く。
「こそこそと後をつけられ覗き見されるよりマシだと思ったので、貴方がそばにいる事を許可したんです。それを忘れないように、今回も励みなさい」
確かに最初のうちは、あれこれ言いつけられる仕事の合間を縫ってサフィニアを観察していた。
だが、言い訳させてもらえれば、あれは覗き見ではなく護衛である。
主人の行動を知らず、いざという時に後れを取るなどとなれば、恥だ。だから、暗に自分のそばに寄るなと拒絶されていた頃は、遠目からサフィニアに関する情報を集めていたのだが……。
『……貴方は、毎日毎日、暇さえあれば人をつけ回し……何がしたいんですか』
ある日、草むしりをしていたマローネの前に、渋い顔のサフィニアが現れてそんな事を問いかけてきた。
『無論、サフィニア様をお守りしたいのです! ……ですが、わたしがおそばにいる事で、サフィニア様を煩わせてしまうのならば、なるべく遠くから、ひっそりと見つめ、何時いかなる時でも対応できるよう控えておく所存です!』
話しかけてもらえた事を単純に喜んで、マローネは主の質問にハキハキと答えたのだが……、彼女はなんとも言えない顔で黙り込むと離れていった。
その翌日だった、『今日から自分のそばにいるように』と言ってくれたのは。
(の、覗き見と思われてたなんて……!)
それはマズイ。騎士として、非常に不本意だ。
「あの、サフィニア様……わたしは、覗き魔ではありませんよ?」
この部分だけは引っかかったので、訂正させて貰うと口にすれば、サフィニアは肩を揺らして笑った。
「わかっていますよ。ただ、あの時は、女狐の手の者かと疑っていただけです」
「女狐?」
「――さて、休憩は終わりです。そろそろ支度しましょうか。……おちびさん、貴方も準備を」
立ち上がったサフィニアは、きょとんとしているマローネの頭に手を置いた。
「言ったでしょう? 今回も励め、と。――貴方はサフィニアの騎士として、ここに来た物好きなのですから当然、今回の呼び出しにも付いてきてくれますよね?」
「えっ!? わたしがお供をしても良いのですか!? ……てっきり、お声がかかるのはヨハン殿かと……! ――光栄ですっ!」
「…………。そこまで喜びますか。言っておきますが、楽しいものではありませんよ? これから行く城には、私に好意的な人間は一人もいません。当然、私と一緒にいるあなたに向けられる視線も、冷たいものになります。――引き返すなら、今ですよ」
引き返す、と首をかしげて反芻したマローネは、言われた意味を理解してバッと立ち上がった。
「わたしは、貴方の騎士です! 主が行くところには、どこへなりともお供いたします! その場所が、主にとって優しくない場所ならば、なおのこと! 貴方のお役に立ちたくて、わたしはここに来たのですから!」
今なら引き返せる。
サフィニアの言葉が意味することは、つまりこう言うことだ。
この屋敷の者以外、マローネがサフィニアの騎士になりたいと押しかけたことを知らないから、まだ《今なら引き返せる》と言っているのだ。
けれど、共に王妃の呼び出しに応じて城に向かえば、マローネという騎士がサフィニアに剣を捧げたという事が、周知となってしまう。
――それだけならば、まだいい。隠れ姫という、何の力も無い名ばかりの姫に忠誠を誓う騎士は、主同様に厭われるだろう……。
サフィニアは、マローネの騎士としての未来が断たれる事を心配して、わざとこんな言い方をするのだろうが、それこそ、今更だった。
言葉通り、マローネはサフィニア姫への恩返しがしたくて騎士を目指した身だ。そして念願叶った後、今度は主の役に立ちたくて仕方が無いのだから。
「どうか、連れて行って下さい、サフィニア様」
「……貴方は、本当に……」
真っ直ぐな眼差しのマローネを見下ろし、サフィニアは苦笑した。
「――本当に、《サフィニア》の事が好きなのですね……うらやましいくらいに」
ため息交じりにこぼれた、言葉の意味が理解できないマローネだったが――。
「支度しなさい、おちびさん」
すっと裾を翻し背を向けたサフィニアからは、これ以上の問いかけは許さないという拒絶がにじみ出ていた。
そのため、マローネは無言で主の背中に向かい一礼した。
騎士が主の命令を理解した事を示す、無言の礼だった。
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