第8話



「はあぁ。ミラトスカ、それもパークビューの部屋だなんて。もう溜息しかでませんね。本当に、修哉さんの元カノさんには足を向けて寝られません。嘘です普通に寝ますけど」


 ホテルに着くなり、舞のその表情はうっとりしたものになった。いつもの状態から3割、いや5割増しくらいでキラキラしてる気がする。


「よくわからんまま予約を取ったけど、やっぱりここはいい部屋なのか?」


「まずミラトスカが凄いホテルなんです。ディスティニーシーの中に作られてるホテルなんですよ。つまりここに泊まれば王国の魔法が解けないってことです。それにね、シーの中が窓から見えるパークビューの部屋は、本当に人気でなかなか予約が取れないのです。クローズした後のパークの様子や、ショーのリハーサルなんかも観れるんですよ。ほんと、こんな良い部屋よく取れましたね、修哉さん」


 よく一息で説明できたな、ほんと。舞のおかげでこの部屋が本当に良い部屋なのだと言うことが実感できたが、それと同時に悲しくもなる。

 ここは、元カノのために取った部屋だから。


「まぁなんだ、元カノがここに泊まりたいって言ってたんだよ。ここでないと嫌だとも言ってたから、割りと頑張って取ったんだ。今となっちゃ意味なかったかもだけどな」


「それはそれは。そこまで、元カノさんのことを本当に愛していたんですね」


「さて、どうだろうな。好きは好きだったんだろうけど、1ヶ月も付き合ってないし、おまけにばっさりと振られたからな。今は腹立つ気持ちのが強いよ」


 本気で好きだった、のだろうか?

 本当に好きだと思える前に、振られてしまった感が強いのは事実だ。まぁ、おれには誰かと違って、復讐したいほどの強い気持ちはないけれど。


「ふうん、そうですか。まぁ心中はお察ししますよ。それより歩き疲れましたねぇ。私、シャワー先でもいいですか?」


 いや全然察してねーだろ! と、突っ込む前に。落ち着け、落ち着くんだおれ。深呼吸をひとつ。あぁだめだ落ち着けない! 原因は言わずもがな。さっきの舞のセリフだ。

 ……私、シャワー先でもいいですか、だと?

 どう考えても、そのセリフは卑猥すぎる。まさかここに来て、ドキワクタイム突入ですかッ!?


「あ、そうだ修哉さん」


「な、なんだ舞?」


「なぜ声がうわずってんですか」


「う、うわずってなんかねーよ! で、なんだよ?」


「私、シャワー先に浴びますけど、もし覗いたりなんかしたら……」


「覗かないって! あ、安心してくれ。おれはこう見えて紳士なんだ。近所でも評判のな」


「いえ、別に覗いたって構いませんよ?」


「え? 構わないの?」


「はい、構いません。でも、覗いてしまったら、」


 舞はそこでなぜかニヤリと笑って、そのままバスルームに入って行った……。



 ──────────────────────



 シャワワワワワワワワ……。室内に響くのは、シャワーの水音だけ。

 シャワーって単語はこの音から来てんのだろうか。気になってスマホで検索してみるか、ってそんな場合じゃねぇ!

 ベッドに放り投げたスマホの、ほんのわずか数メートル先。扉1枚隔てて、あの舞が一糸纏わぬ姿でシャワーを浴びていると想像すると、もうなんかいろいろとヤバイ。


 落ち着け、まずは落ち着くんだおれ。心がアツくなっても、常に頭はクールでいろ。あれ、誰のセリフだっけこれ。

 ていうかそんなことより、どうしよう? 舞は確かに、覗いても構わないと言った、言っていた。それは絶対間違いない。

 しかしそれは、明らかにおれを試しているセリフだろう。ここで覗くと、舞の信頼は得られない。


 しかし、だ。もし、もしも本当に、舞がおれに覗いて欲しかったとしたら……? 可能性は限りなくゼロに近いかも知れない。しかし完全なゼロではない。

 ゼロに何を掛けてもゼロのままだが、小数点以下でも値があれば、可能性はあるのだ。その時は、行かざるを得ないだろう。万難を排してでも。


 どっちだ? どっちなんだ!? 普通に考えたら間違いなく前者。犯罪、ダメ、絶対。

 しかし、本当に低い確率だが後者もあり得る、ていうかあり得て欲しい! どうかお願いします!


 ……と、とりあえず。ここは精神統一のために筋トレだ。頭を空にしての腹筋。それしかあるまい。

 心頭滅却、心頭滅却……。腹筋、腹筋。


 イチ、ニィ、サンッ、シィ!

 ゴォ、ロク、シチッ、ハチ!


 それからしばらくの間、おれは心を無にして腹筋に勤しんだ。心の中で鎌首をもたげる邪念を気合いで払拭するのだ。


「……何やってんですか、修哉さん」


「シャワーはや!」


 筋トレに夢中だったからだろうか、背後の舞に全く気がつかなかった。ていうかほんとシャワー早ぇよ!


「そうですか? 30分くらいは、シャワーを浴びてた気もしますが」


 バスタオルで濡れた髪を乾かす舞。加えてまさかのバスローブ姿だ。ふわりと、シャンプーやらボディソープやらの香りが、おれの鼻腔をくすぐる。

 あぁ、女の子の香りって、なんでこんなに色んな気持ちをかき立てるんだろうな。せっかく頭からっぽにして無心で筋トレしてたのに。一撃でおれの自制心は砕かれた。まさに、防御あたわず。


「それで修哉さん。一体何をやっているのか、訊いている訳なのですが」


「……筋トレだ」


「そんなの見ればわかりますよ。なぜ今、ベッドの上で筋トレして、パンプアップさせる必要があるのか、と訊いてるんです」


「習慣なんだよ。風呂に入る前の」


「へぇ、それはそれは。その割には、あまり腹筋が割れていないようですが。……えい」


 ぷに。舞の指がおれの脇腹に刺さる。そしてずぶりとめり込んだ。しかも続けざまにこちょこちょされるおまけ付き。容赦ねーなこいつ!


「や、やめっ、うは、うはははははは」


「ふん、鍛え方がまるで足りませんね。大方、私のシャワー姿を覗くかどうかで悩み、欲望と良心の泥仕合を経た挙句、苦悩の末にとりあえず心頭滅却しようと無駄に筋トレでも始めたのでしょう」


「……エスパー舞?」


「その呼び名は嫌いです」


「いや、どう考えてもエスパーだろ。頭の中を覗かれた気分だぞ」


「ふん。男の人の考えなんて、簡単に読めますよ。だって、そんなことしか考えてないんですから。と言うか、そんなことより修哉さんもシャワーを浴びて来てはどうですか。そしてスッキリと洗い流して下さい。あなたのその邪な欲望ごとね」


 舞の言う通りかも知れない。とりあえず、冷たいシャワーを浴びよう。文字通り頭を冷やすには、物理的手段に限るに決まってる。

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