第5話
「全力ダッシュしたのに、空振りとはな……」
こんなに走ったのは久しぶりだ。肩で息をしているのが自分でもわかる。一言で言うとキツイ。いやかなりキツイ。最近全然、身体動かしてなかったからな。
舞の表情にも若干、辛さが滲んでいた。そらそうだわな。今が柔らかな春の陽気で本当に良かったぜ。これが夏ならきっと死んでる。
「一足、遅かったようです」
wireを表示させて、画像と現場を見比べる舞。おれも覗き込んでそれを確認したが、やっぱりここで撮られた写真に間違いない。
「2人がここに、まだスタンバイで並んでいる可能性は?」
「それはおそらく、ないでしょうね。早く乗りたいと思うライドの前で、わざわざ写真を撮る人は少ないでしょう。つまりこれはライドに乗ったあとの写真だと推測できます」
「ま、確かにその通りかもな。さてどうする? ここのクイックパス、取っておくか?」
「悩みどころです。いま発券すれば、これに乗れるのは午後3時から4時までの間となっているようです。さすがは人気ライドですね。私たちがパスを取ったとして、その時間帯に再び例の2人が、果たしてスタンバイで並ぶでしょうか?」
「同じのに2度乗るってことか? ディスティニーマニアの気持ちは正直、わからんな。でも、おれはひとつ思ったことがあるぞ」
「なんですか?」
「ビーストのタイムラインだ。思った以上に、頻繁な更新してるだろ。これ、こいつのタイムラインの更新待ちの方が効率良いかも知れないぜ。クイックパスを取得しながらなら、もっと効率がいいかもな」
「各アトラクションのQPを取得しながら、ヤツのタイムラインの更新を待つと?」
「そう言うこと。で、更新されて場所が示されたならダッシュだ。今みたいにな。これどうよ?」
「一考する価値はありそうですね。私の予想では、おそらくスプラッタマウンテンか、あるいは別のアトラクションのパスを取った後、スペシウムのスタンバイに並んで乗ったと思います。時間的に見ても恐らく間違いないでしょう」
てことは、次にヤツらが乗る可能性があるのはスプラッタマウンテンってことか。でもあれだ、こちらの予想通りなら、ヤツらが並ぶのはクイックパスの列。こちらがスタンバイで並んでいて、本当に見つけられるのだろうか。
「なるほどな。そしたら次にヤツらが乗るのはスプラッタかも知れないってことか。どうする、今から引き返してスタンバイで並ぶのか?」
「……決め手に欠けますね。ヤツらが持っているパスがスプラッタのものとは確定していません。もしスプラッタのパスだったとしても、指定されている時間帯が不明です。別のアトラクションのパスを取っている可能性も考えられますし」
「じゃあどうする? ここのは保険で取っとくか?」
「いえ、ここは賭けに出ましょう。前にビーストが好きだと言っていたライドのパスを取ります。そのあと別のライドにスタンバイで並ぶ。もしかしたら、ヤツらがそこのパスの列で並んでくるかも知れません」
「了解だ。パスを取るのはどのライドで、スタンバイはどこに並ぶ」
「パスを取るのは、ヌーのファニーハント。スタンバイで並ぶのは、ホーンテッド・コンドミニアムです」
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「……と言うわけで、ヌーのファニーハントのパスを取ったあと、ここファンタジーエリアに位置する人気ライド、ホーンテッド・コンドミニアムにスタンバイで並んでる訳だが」
「また儀式ですか、修哉さん。律儀なことですね」
「放っといてくれ。これは仕事みたいなもんなんだ」
少しの移動を経て、おれたちはファンタジーエリアまで来ていた。ここはおとぎの国をモチーフにした、女の子受け抜群の可愛さ増し増しのエリアだ。
しかしなぜかここに、ディスティニーランドのお化け屋敷的ポジションのホーンテッド・コンドミニアムがあるのだ。不思議なことではあるのだが。まぁ何かしらの理由があるのだろうが、当然おれが知ってるはずもない。
目の前には長い長いQライン。先頭なんて当然見えやしない。まぁ、入口の表示板には『44min』って出てるから、大体の時間はわかるんだけどな。
「不思議に思いますか? 待ち時間44分なんて、えらく中途半端だなって」
「ほんとだな。言われてみて気がついた」
確かに、普通は5分刻みの表記だろう。他の遊園地でもそうだった気がする。それにしても、お化け屋敷で44分待ちとはシャレが効いてるじゃねーか。
「あ、なるほど。忌み数か」
「そうなんです。ここではあえて不吉さを出すために、こういう数が使われてるのですよ。それにしても3連休なのにこの程度の待ち時間とは、私たちは幸運ですね。いつももっともっと長いのに」
鼻歌でも歌い出しそうな顔で、きちんと列に並ぶ舞。思いっきり楽しんでんじゃねーか。まぁ、舞が楽しそうにしてるなら、それはそれで良いのだが。
「そう言えば、いつも不思議に思うんですよね。ファンタジーアイランドにホンテがあることを」
「TDL通はあれか、ここをホンテって呼ぶわけか。そんなツウの舞にも、ファンタジーなエリアに、このお化け屋敷がある理由はわからないのか」
「……驚きました」
「え、なんか驚きの理由でもあんの?」
「いいえ、修哉さんにですよ。初めて自分から私のこと、名前で呼んでくれましたね」
「そうか? 今まで何度か呼んでるだろ」
「私から呼ばせたのはありましたけど、修哉さん自身からはこれが初めてのことです。またひとつ、絆が強まりましたね」
えらく上機嫌の舞。可愛い女の子が隣で笑っているのを見ると、こっちも悪い気はしない。そうこれだよこれ。おれが夢の王国でやりたかったことは、こんな純粋なデートなんだよ。
まぁ残念ながら、隣にいるこの子はおれの彼女でも何でもないんだけど。もっと言うなら、おれ昨日彼女に振られたんだけど。
……涙出てくるわ。切り替えよ。
「そう言えば、コンドミニアムって何なんだ? あんまり聞きなれない言葉だけど」
「コンドミニアムって言うのは、日本語で言うと分譲マンションって言葉が一番近いですね。大きな集合住宅というやつです」
「だから外観がそう見える訳か。建物の背は、あんまり高くないけど」
「ここにはね、100部屋のうち99部屋にそれぞれ幽霊が住んでいて、その幽霊たちは毎日面白おかしく過ごしているのですが、今日ここに訪れたゲストである私たちを、どうにかして100部屋目の住人にしようとしてるのですよ」
「なるほどね。そういう設定なわけか」
「設定ではありません。事実です」
出たよ、ディスティニーマニアのこの発言。これに突っ込むといろいろ面倒だから、おれは口を噤むことにする。どの分野でもそうだけど、付け焼き刃の知識でマニアを相手にするのは1番の下策なのだ。
「だからね、幽霊なのにみんな楽しそうなんですよ。ここで暮らすのは最高に楽しいんだぜ、あんたも一緒にどうだ? って具合にね」
そう説明する舞の目は、いつも以上にキラキラしていた。ほんとに好きなんだろうなぁ、この王国が。こういう表情の舞は、やっぱり可愛い。普段からこれならいいんだけどなぁ。舞は、そのままの表情で言葉を続けた。
「まだまだQラインは動きそうにありませんね」
「確かに。さっきからちっとも動いてねーな」
「ちょうどいい機会かも知れません」
「なにが?」
「ここでお互いのこと、詳しく話しませんか。私、修哉さんのこと、まだあんまり知らないですし」
「そうは言っても最初に説明したとおりだぜ。26歳のしがないただの会社員。昨日彼女に振られたのに、なぜか今日ここでこんなことしてる。他に何か訊きたいことでもあれば答えるけど」
「修哉さんの出身は? 今はどこに住んでるのですか? 仕事は何関係ですか? 趣味や好きな食べ物は?」
意外にも、矢継ぎ早に質問が来た。ただの協力者ってことで、あんまり興味を持たれてないと思っていたのだが。ま、暇だし列に並ぶ以外することなんてないから、答えるのは吝かでない。
「出身は東京の端の方だよ。でも行ってた大学と、今の仕事の関係で18歳の時から関西に住んでる。おれには、意外と関西の空気の方が向いてるみたいだ」
「へぇ、こっちの出身だったのですか」
「田舎だけどな。それに仕事が忙しくて、滅多にこっちには帰ってきてないけど。そういう舞の出身はどこなんだ?」
「私の地元はここ、千葉です。とは言っても、私も千葉の端の方で、王国の近くではないのですが」
「良いところだよな、千葉って。九十九里浜だろ、マザー牧場だろ、鋸山に鴨川シーワールド。それになんといってもここ、東京ディスティニーリゾート。観光資源、目白押しじゃないか」
「そうですね。そう言われるとやっぱり、悪い気はしないです。ディスティニーリゾートがあることは、千葉県民の誇りかもしれません。実は私も、共通年間パス保持者だったりしますので」
「すげぇな。あれか、ディスティニーランドとシー、両方入れるやつか? あれって結構、高いんだろ? なぁ見せてくれよ」
「嫌です」
「また即答かよ! なんでだよ!」
「写真写りがあまり良くないのです。こう見えて、私も20代前半の乙女なんです。だからそういう写真を見せるのは、やっぱり嫌ですね」
「減るもんじゃねーし、いいだろ、見せてくれよ」
「精神的な何かが減る気がするんです。修哉さん、私に全裸を見せられますか?」
「え、全裸? なんか嫌だなそれは……」
「そうでしょう? その感覚と近しいと、そう考えてください。理由はさておき、とりあえず嫌だって感情が先に立ちませんか?」
「まぁ、何となく言ってることはわかる気がする。わかったよ、写真見るのは諦めるわ」
「そうして下さい。きっとその方が、お互いのためですから」
お互いじゃなくて自分のためだろ、という突っ込みはやめておくことにした。おれも学んだのだ。この短い時間で。何も考えず舞に突っ込むと、倍にして返されるってことをな。だからここは、話題を変えることにした。
「ところでさ、年間パスを持ってるってことは、何度も来てるんだろ? 飽きたりしないのか」
「飽きませんよ! ここは、来るたびに新しい発見があるんです。ここに来て飽きたと思ったことなんて、ただの一度もありません」
確かに、おれも好きなことならずっと続けられるタイプだ。好きだと思えることがこんな身近にあるなんて、本当に羨ましい限りである。
「でもまぁ、そのほとんどが所謂〝お独り様〟だったんですけどね。私、友達も多くはないですし」
「好きなことをするときって、独りのほうが気が楽じゃないか? おれはそうなんだけどな。これがしたいって思ったとき、それを遮られると腹立たない?」
「確かにそうですね。考えてみれば私も、独りで王国に来ることが寂しいなんて思ったことないです。もちろん恥ずかしいと思ったこともありません。でも、」
「でも?」
「やっぱりこの夢と魔法の王国は、誰かと一緒に来る方が楽しいですね。今日は久し振りに誰かと一緒なので、私もいつも以上に楽しい気がします。隣にいるのがあなたみたいな人でもね」
いたずらっぽく笑う舞。それが冗談だってことはすぐにわかった。
「ふん、相手がおれで悪かったな。でもま、本当に良い所だよな、ここってさ。年間パス持とうって気持ちも何となくわかる。家が近いならなおさらな」
「修哉さんも年パス持てば良いのに。転勤とかで、こっち方面に戻ってくることはないのですか?」
「ウチの本社は東京だから、いつかそんな時が来るかも知れないけど、当分はなさそうだ。ありがたいことに今の仕事がなかなか忙しいんだ」
「お仕事、そんなに忙しいのですか?」
「まぁな。この3連休だって、無理矢理ぶんどったようなもんだ。帰ったら仕事地獄が待ってるよ」
「社会人って、やっぱり大変なんですね」
「舞は21歳だっけか。もう始まってんのか、就活」
「もうエントリーは始まってます」
「そっか、頑張れよ。こっちで就職できたなら、またこの王国に通えるな」
「そうですね。地元で就職して、辛いこと、厳しいことがあった時、仕事帰りにここのショーやパレードを見て、『ようし明日も頑張ろう』って思えるような、そんな社会人生活を送りたいものですね」
「いい夢だなぁ。叶えろよ、絶対。努力し続ければいつかきっと理想にたどり着ける。きっとな」
何も考えずに、無責任な発言をしてしまったかと少し後悔したのだが。舞の方を見ると、なぜか晴れやかな笑顔をしていた。はっと息を飲むほどに、その笑顔は美しい。
「やっぱり、修哉さんっていいひとですね」
「……いいひとはやめろよ、恥ずかしいだろ」
「そうですか? 私は恥ずかしいとは思いませんし、それに修哉さんを褒めることなんて、多分この先、一生ないと思いますけど」
「一生!?」
「はい、一生です。長く見積もっても、あと2、3年くらいでしょう? 修哉さんの寿命って」
「いやもう少し生きる! まだ人生、目一杯楽しめてないんだよおれは!」
クスクスと笑う舞に、つられておれも笑ってしまう。今の舞は、本当に楽しそうな顔をしていた。
「とりあえず、今はホンテを楽しみましょう。時間はまだありますし、焦ってもいい結果は得られないと、そう思うのです。急いては事を仕損じる、とも言うじゃないですか」
「まぁ、舞がそう言うなら、別におれは構わんが」
「それでは行きましょう、修哉さん。今日ここの100人目の住人になるのは、あなたかも知れません!」
おいおいテンション上がりまくってんじゃねーか。まぁ、当の舞がああ言ってんだから、今はここを目一杯、楽しむのも悪くないかもしれない。
その後の待ち時間。おれと舞は、実にどうでもいいことについて話しあった。どうでもよすぎて会話内容を忘れるほど、どうでもいいことを。
だけど、これだけは覚えている。何だかとても、楽しかったってことだけは。
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