第2話 一帖 春三年 咲かぬ都の蕾 その2 


 ◆◆◆


 冬嗣が近づくと、少年の方も気がついたらしい。柱から背を離し、こちらを見た。

「待たせたな、。連れてきたぞ。彼が美味宮うましのみや候補の、真佐智だ」

 真佐智よりも一つ二つ年上に見える少年、奈津は、真佐智よりも頭半分背が高い。七分のそでから出ている腕にはくっきりと筋肉の筋が浮き、いかにも強そうだった。何よりも引き締まった口元と切れ長の目が、大人びている。

 奈津は、こちらがひるむほど真っぐ真佐智を見た。

「真佐智。彼は奈津だ。炊部司のかしを務めて、十人ばかりを配下として使っている。君は今日から、彼といつしよに炊部司に勤めなさい。何をするかは奈津が教えてくれる」

 冬嗣に背を押され、真佐智は奈津の前に進み出る。

「よろしく。真佐智です」

 方便の笑顔を最大限に発揮し、名乗った。が、奈津は表情を変えない。何度かまばたきして相手の反応を待ったが、反応らしきものはない。

 奈津はしばらく真佐智を見つめていたが、ふいっと視線を外し、冬嗣に頭を下げた。

うけたまわりました、しようぐう

 真佐智の存在は、かんぺきどおりで無視された。奈津は、相手が名乗ったら名乗り返すれいを知らないのだろうか。「名を」とうながそうとしたら、彼は、わざとさえぎるように冬嗣に問う。

「小宮司。この後は、俺が引き受けて自由にすれば良いんですよね?」

 真佐智はおどろいた。

(意識して、わたしを無視してるのか)

 冬嗣は奈津の態度を別段気にした様子もなく、ひらひら手をる。

「うん。たのむよ。じゃあね、真佐智。しっかり勤めろ」

 そう言ってきびすを返す冬嗣に、真佐智は慌てた。

「冬嗣! 行っちゃうんですか!?」

「君のめんどうは、奈津が見てくれる。奈津に従ってればいいから。まあ、何か困ったことがあったら相談に来ればいい。俺は中院の主神かんつかさにいるから」

 にこやかに告げ、行ってしまう。冬嗣は奈津の、冷淡な態度に気がついていないのか。それとも気がついているが、そこは自分で対処しろということなのか。

 背中に痛いほど奈津の視線を感じ、振り返った。奈津は腕組みして、みするように真佐智を見ている。何を言っていいかわからず、とりあえず再度名乗る。

「あの……真佐智です」

「さっき聞いたから知ってる。俺の名は、小宮司が言ったから二度も言わない。おまえが、明日から毎日立つ厨に案内してやる。来いよ」

 あごをしゃくって、奈津はすたすた歩き出す。余りに素っ気ない。彼の背を追ったが、となりに並ぶのは躊躇ためらわれて、半歩後ろをついて行った。

 前を向いて歩く奈津の肩や背は、大人の男になりかけの、かたい強さがみなぎっている。

(なんだろう、この態度。まさか、名乗っただけできらわれる、ということもないだろう。都人とちがって斎宮寮の人は、あまり笑ったりしないのか?)

 これから最低半年、いやでも奈津とは顔をつきあわせていく。友好的な関係を築く努力が必要だろうと、彼の背に声をかけた。

「君のこと、奈津って呼んでいい?」

 しかし返事はないし、振り向きもしない。

 どうやら奈津は真佐智と違い、上辺だけでも友好的に振るう気がないらしい。こちらも実は、友だちになりたいわけでも、親しくなりたいわけでもないから、同じような態度に出たいのはやまやま。しかしそれでは、しゆぎように支障が出るはず。言葉を重ねる。

「年はいくつ? わたしは十四だけど、わたしより少し上? いつから炊部司に勤めてるの?」

 早足で歩きながら、奈津がようやく振り向く。その目は、冷ややかだ。

「見た目通り、女みたいによくしゃべるな。おまえ」

 なるべく冷静に対処しようとしていたが、これにはかちんときた。

「わたしは女じゃない。しかも女みたいにと言うのは、女の人にも失礼だ。無口な女も、おしゃべりな男も、大勢いる」

「女とは言ってない。女みたい、と言ったんだ。しかも女に失礼だって言うなら、言い直す。おまえは、おしゃべりな部類の女みたいに、よくしゃべるな」

「なんで、わざわざ『女みたいに』ってつける」

「そう思ったから、言っただけだ」

 いよいよ嫌な感じになってくる。真佐智のにんたいも、ほころぶ。

「いきなりその態度はないだろう? 会ったばかりなんだから、少しは笑ってみたらどう?」

「よく知らない相手に、へらへら笑えない。都人は、知らない相手にへつらうように、へらへらするのがつうか?」

(こいつ!)

 こぶしを固め、いかりをこらえる。

だ。冷静に対処しろ。こいつはきっと、あいわらいもできないへんくつなんだ)

 深呼吸し、自分をなだめた。奈津は、真佐智の知る種類の人々とはずいぶん勝手が違う。しかし彼とけんでもして、美味宮候補失格と見なされてしまったら、真佐智は行き場を失う。

 奈津は建物の間をすいすいとけ、真佐智をくりやへと連れてきた。

 厨にゆかはなく、土を突き固めた土間に、かまど、洗い場が造られていた。

 午後のおそい時間だったので、ゆうを準備している最中らしく、厨には十人ばかりが立ち働いていた。彼らは奈津と真佐智が入ってきたことに気がついたようだが、ちらっとこちらを見ただけで、動きによどみはない。

 ぜるまきの音と、菜を刻む包丁の音が厨には響いていた。働く者たちはぐちたたかず、自らの役目を知りそれにてつするはたらありのように、てきぱきと動いていた。

「美味宮が、神とさいぐう様のために朝のを用意する。炊部司はそれ以外、要するに斎宮様の夕餉を作る。美味宮がし上がるあさと夕餉も、炊部司が用意する。今は、斎宮様と美味宮の夕餉を準備している最中だ。おまえは俺たちと働いて、料理の基本を習い覚えるんだ。いくら覚えが早くても、基本をひととおり覚えるだけで最低半年かかるぞ」

 戸口で立ち止まった奈津が、真佐智に顔を向けることなく説明する。

 神にささげる御食は一日一度。朝に準備されるそれをさいだんに捧げ、さいおういのりが終わった後、御食はそのまま斎王の朝餉となる。その御食を作るのが美味宮の役目だ。

 和国での食事は通常、朝餉と夕餉のみ。昼間にをつまむことはあるが、特にそれを必要としない程度に、朝餉はたっぷり食す。

(斎宮様の夕餉と、美味宮の朝餉と夕餉? 斎宮様の夕餉は当然として、なぜ美味宮の分まで?)

 真佐智は初めて目にする厨の様子がめずらしく、働く者たちの動きをせわしなく目で追っていたが、奈津の説明を聞いて不思議に思う。

「美味宮は料理をするのが役目だろう? 自分の食べるものくらいは、料理できるはずなのに、なんで炊部司が?」

「何を言ってるんだ、おまえ」

 奈津の目にあきれたような色がかび、それからいまいましげにき出す。

「祭主め。どういうつもりで、美味宮がなんたるかも知らないやつを候補にしたんだ」

 血の気が引く。どうやら自分は、鹿なことを質問したらしい。

 立ち働いていた者たちの視線が、真佐智に集まる。

 薪が燃えるかわいたにおいを、強く感じる。奈津がげんそうな顔のままうでみし、ようやく真佐智を真っ正面から見た。真佐智は、彼の視線を受けとめようと腹に力をこめた。

「おまえ、本当に美味宮になるつもりで来たのか?」

「そのために、都をはなれたんだ。しきも財産も全部処分して来た。帰る場所はない」

「なぜ、美味宮になりたいんだ」

「それは……」

 言葉にまった。美味宮になる決意をしているのは確かだが、本当の意味で、美味宮になるつもりはない。乳母うばの苦労にむくい、父の罪によってかろんじられ続け、傷ついた自分のほこりを取りもどしたいのだ。美味宮を足がかりとして、出世したいだけなのだ。

 そう告げれば、奈津をふくめたこの場にいる全員が、斎王と同じく「そん」と言うだろう。

 どう答えるべきか迷っていると、奈津が冷えた声で言う。

「別に、理由はなんでも構わない。想像はついてる。美味宮になることに、別のえさがくっついているんだろうな。おまえの身の上は、斎宮寮にも聞こえてる」

「なんだよ、身の上って」

「父君がかどの怒りを買い、須王に流されて三年。元服すらままならず、祭主の計らいで美味宮候補になった。違うか?」

(また、父君か!)

 かっとした。真佐智はここ一年余り、父と自分を切り離したくていらっていた。

ふみ一つ送ってくれない父君など、いらない。わたしは、自分で道を切りひらきたいのに)

 父もこんきゆうしているのだろうから、金を送ってくれなくなったのはいたし方ない。

 しかしなぜ、文すら送ってくれなくなったのか。文がれて一年半、さびしさを飼い慣らすように理由を考え続けていた。しかしそれを過ぎると、理由を考えるのすらめてしまった。心の中にあったこいしさ、かなしさ、わびしさという名の生き物が、飼い慣らそうとで回し続けたせいでろうし、息を引き取って、むなしく消えたかのようだった。

 後に残ったのは父に対する、冷ややかなぶんせきだけ。父が何の罪を得てざいに処せられたのか知らないが、御門の怒りを買ったことそのものが、かつだと思うようになった。

(宮中一の歌人などと呼ばれ、良い気になっていたのだろう。もしくはだれかに、足元をすくわれたか。どちらにしても、わたしは父君のようには、なりたくない)

 めぐってきたこの機会を上手うまく利用するため、伊那の地まで来た。財産も屋敷も処分して、もう戻る場所がない。とにかく何事もそつなくやりおおせ、美味宮になる以外にない。

 それなのに、またここでも父が持ち出される。

「それがなんだ。父君が流罪で、わたしが元服できないままで、それが悪いか。わたしと父君は関係ない。わたしは、あんな人といつしよにされたくない。あの人の子であろうが、わたしはあの人とは別だ」

 感情をおさえようとしたが、わずかに声が高くなった。父を引き合いに出されることが、忌々しくてたまらない。どこまで父の存在が、真佐智のじやをするのだろうか、と。

「別に責めてるんじゃない。ただどんな理由にしろ、おまえが美味宮になると決めてここに来たのなら、美味宮うましのみやとしてきちんと務めるべきだと言っておきたい。俺たち炊部司は、美味宮の食す料理を作る。どうしてかって、さっき、おまえいたよな?」

 表情を変えず、冷静に奈津は続ける。

「美味宮は料理をするが、それは神と斎宮様のためだけのわざであって、自分に使ってはならないからだ。ただひたすらに神と斎宮様のために務める美味宮を支えるのが、炊部司だ」

 たんたんとした声が静かなぶんだけ、余計に真佐智をむかむかさせた。身の上をどうのこうのと言ったあげく、説教するかのような彼の態度が気に入らない。

「役目をまつとうできるように、美味宮をじゆうそくさせることを俺たちは考える。自分たちが支える美味宮が、いい加減な者に代わるのだけはまんならない。それだけだ」

 奈津は真佐智に背を向けると「そこで、見てろ」と言い、自分は立ち働く者たちの中へと交じって、料理に取りかかった。

(いい加減と、なぜ決めつける。わたしの望みは元服して都で官職を得ることだけど、美味宮になって務める間は、手を抜こうとは思わない)

 しかし奈津が言ったのは、手を抜くとか抜かないとかではなく、もっと別の意味のような気がした。実際真佐智には、奈津の真意はくみ取れなかったが、何もわかっていないと言いたげな、ゆうのある奈津の態度に腹が立つ。

 奈津の真意はくみ取れないまでも、真佐智は何もわかっていないわけではない。よくわかっている。美味宮とは簡単に退ける務めで、自分はその程度の務めを得るために、遠い伊那の地まで来た。そんな務めでも得られなければ、帰る屋敷もなく路頭に迷う、と。

 何もかも、はっきりわかっているのだ。

(わたしは、父君のようにはなりたくない。ここで上手く、立ち回らなければ)

 いそがしく働く奈津の背をにらむ。

 竈から米がけたかおりが立つ。白磁に盛られた飯と数種の菜が準備される。そこへ美味宮にゆうを運ぶ神職見習いのじようと、斎王へと運ぶめのわらわが呼ばれ、彼らがぜんを運び去った。

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