第2話 一帖 春三年 咲かぬ都の蕾 その2
◆◆◆
冬嗣が近づくと、少年の方も気がついたらしい。柱から背を離し、こちらを見た。
「待たせたな、
真佐智よりも一つ二つ年上に見える少年、奈津は、真佐智よりも頭半分背が高い。七分の
奈津は、こちらが
「真佐智。彼は奈津だ。炊部司の
冬嗣に背を押され、真佐智は奈津の前に進み出る。
「よろしく。真佐智です」
方便の笑顔を最大限に発揮し、名乗った。が、奈津は表情を変えない。何度か
奈津はしばらく真佐智を見つめていたが、ふいっと視線を外し、冬嗣に頭を下げた。
「
真佐智の存在は、
「小宮司。この後は、俺が引き受けて自由にすれば良いんですよね?」
真佐智は
(意識して、わたしを無視してるのか)
冬嗣は奈津の態度を別段気にした様子もなく、ひらひら手を
「うん。
そう言ってきびすを返す冬嗣に、真佐智は慌てた。
「冬嗣! 行っちゃうんですか!?」
「君の
にこやかに告げ、行ってしまう。冬嗣は奈津の、冷淡な態度に気がついていないのか。それとも気がついているが、そこは自分で対処しろということなのか。
背中に痛いほど奈津の視線を感じ、振り返った。奈津は腕組みして、
「あの……真佐智です」
「さっき聞いたから知ってる。俺の名は、小宮司が言ったから二度も言わない。おまえが、明日から毎日立つ厨に案内してやる。来いよ」
前を向いて歩く奈津の肩や背は、大人の男になりかけの、
(なんだろう、この態度。まさか、名乗っただけで
これから最低半年、
「君のこと、奈津って呼んでいい?」
しかし返事はないし、振り向きもしない。
どうやら奈津は真佐智と違い、上辺だけでも友好的に振る
「年は
早足で歩きながら、奈津がようやく振り向く。その目は、冷ややかだ。
「見た目通り、女みたいによくしゃべるな。おまえ」
なるべく冷静に対処しようとしていたが、これにはかちんときた。
「わたしは女じゃない。しかも女みたいにと言うのは、女の人にも失礼だ。無口な女も、おしゃべりな男も、大勢いる」
「女とは言ってない。女みたい、と言ったんだ。しかも女に失礼だって言うなら、言い直す。おまえは、おしゃべりな部類の女みたいに、よくしゃべるな」
「なんで、わざわざ『女みたいに』ってつける」
「そう思ったから、言っただけだ」
いよいよ嫌な感じになってくる。真佐智の
「いきなりその態度はないだろう? 会ったばかりなんだから、少しは笑ってみたらどう?」
「よく知らない相手に、へらへら笑えない。都人は、知らない相手にへつらうように、へらへらするのが
(こいつ!)
(
深呼吸し、自分を
奈津は建物の間をすいすいと
厨に
午後の
「美味宮が、神と
戸口で立ち止まった奈津が、真佐智に顔を向けることなく説明する。
神に
和国での食事は通常、朝餉と夕餉のみ。昼間に
(斎宮様の夕餉と、美味宮の朝餉と夕餉? 斎宮様の夕餉は当然として、なぜ美味宮の分まで?)
真佐智は初めて目にする厨の様子が
「美味宮は料理をするのが役目だろう? 自分の食べるものくらいは、料理できるはずなのに、なんで炊部司が?」
「何を言ってるんだ、おまえ」
奈津の目に
「祭主め。どういうつもりで、美味宮がなんたるかも知らない
血の気が引く。どうやら自分は、
立ち働いていた者たちの視線が、真佐智に集まる。
薪が燃える
「おまえ、本当に美味宮になるつもりで来たのか?」
「そのために、都を
「なぜ、美味宮になりたいんだ」
「それは……」
言葉に
そう告げれば、奈津を
どう答えるべきか迷っていると、奈津が冷えた声で言う。
「別に、理由はなんでも構わない。想像はついてる。美味宮になることに、別の
「なんだよ、身の上って」
「父君が
(また、父君か!)
かっとした。真佐智はここ一年余り、父と自分を切り離したくて
(
父も
しかしなぜ、文すら送ってくれなくなったのか。文が
後に残ったのは父に対する、冷ややかな
(宮中一の歌人などと呼ばれ、良い気になっていたのだろう。もしくは
それなのに、またここでも父が持ち出される。
「それがなんだ。父君が流罪で、わたしが元服できないままで、それが悪いか。わたしと父君は関係ない。わたしは、あんな人と
感情を
「別に責めてるんじゃない。ただどんな理由にしろ、おまえが美味宮になると決めてここに来たのなら、
表情を変えず、冷静に奈津は続ける。
「美味宮は料理をするが、それは神と斎宮様のためだけの
「役目を
奈津は真佐智に背を向けると「そこで、見てろ」と言い、自分は立ち働く者たちの中へと交じって、料理に取りかかった。
(いい加減と、なぜ決めつける。わたしの望みは元服して都で官職を得ることだけど、美味宮になって務める間は、手を抜こうとは思わない)
しかし奈津が言ったのは、手を抜くとか抜かないとかではなく、もっと別の意味のような気がした。実際真佐智には、奈津の真意はくみ取れなかったが、何もわかっていないと言いたげな、
奈津の真意はくみ取れないまでも、真佐智は何もわかっていないわけではない。よくわかっている。美味宮とは簡単に退ける務めで、自分はその程度の務めを得るために、遠い伊那の地まで来た。そんな務めでも得られなければ、帰る屋敷もなく路頭に迷う、と。
何もかも、はっきりわかっているのだ。
(わたしは、父君のようにはなりたくない。ここで上手く、立ち回らなければ)
竈から米が
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