双花斎宮料理帖
三川みり/角川ビーンズ文庫
第1話 一帖 春三年 咲かぬ都の蕾 その1
父は
そこに
(
遠い海辺の地へ向かうにしては、あまりに
春まだ浅き。桜は
「よい子にして、待っておいでね」
宮中で、常に
真佐智は
「はい。よい子にしています。父君は、いつお
「わからない。一年かもしれぬし、十年……百年かもしれぬ。
真佐智は、
馬の傍らに
(百年? 御門の、お許し? 父君は、……須王へ行かれるというのは、まさか……
父は「ではね」と言って馬に
馬が門を出ようとしたところで、
「いや……! 待って! 父君、待って! なぜ!? わたしも、連れて行って!」
父を追って
「父君! 父君! 置いていかないで、父君!」
「父君!」
父がいなくなる
真佐智は乳母の
それは新たな御門が
宣親の一子、真佐智は都に一人残され、父の帰りをひたすらに待った。
しかし御門の怒りが収まる気配がないままに、月日は流れ───三年。
今年も宣親不在の春が巡り、真佐智も同様の日々を過ごすのだろう。周囲の者も本人もそう思っていたが、この年、運命が動いた。
真佐智は都を
一年後空位になる予定の、
◆◆◆
息をすると、胸の奥から体の中へ
(あれが、斎宮様)
御簾の前。南の
世界の東の大陸は、
和国は崑国を
斎宮に、御門の代理として仕える女性が斎王だ。斎王のことは斎宮と呼び習わす。
現在の斎王は、真佐智の父・一条東宣親の
真佐智にとっては
指をつく
神々は古びることがないという
「一条東宣親の子、真佐智です。崑国へお
口上を述べると、
「
真佐智は顔をあげた。こちらから暗い御簾の向こうは見えないが、光の当たる彼の姿は斎王には見えているはずであった。「ほぉ」と、斎王が
「御門のご
廂の
ふん、と斎王が鼻で笑う。
「確かに。
斎王の気配に
「女の子では、ありません」
思わず口に出したあと、しまったと思った。容姿についてあれこれ言われると、ついむきになる
(望みを果たすまでは、従順に素直に、振る
「そのようなこと知っているわ。しかし女呼ばわりしたことで、おまえの
笑いを収めた斎王が、
「なるほど。言いたいことを言える口があるのは、好ましい。それは気にしない。ただしかし、おまえが心に抱く決意だけは───
真佐智はびくっとして、御簾の向こうを見つめた。
(不遜? まさか斎宮様は、何もかも見通されているのか?)
少し、
「
斎王が命じる声に、控えていた若い男が「承知いたしました」と頭を下げた。
「顔をあげていいぞ。長旅の後、すぐに斎宮様へのお目通りは
「
「ありがとうございます。小宮司」
しゃちほこばって頭を下げると、彼、冬嗣は茶目っ気たっぷりに、おどけた
「俺のことは冬嗣と呼べばいいさ。ここは宮中じゃない。神と斎宮様の前以外では、気楽にしていいぞ。まあ、とりあえず。君がこれから生活する場所へ案内する。ついておいで」
「はい、冬嗣様」
「うん。『様』もいらないな。ただ、冬嗣でいいぞ。俺も君のことは、真佐智と呼ぶ」
人を本名で呼ぶのは通常は無礼とされ、ことに上位や目上の人に対しては絶対に許されない。許されるのは
さすがに上位の人に本名で呼びかけることはないだろうが、それ以外は許されるということ。
「はい……冬嗣」
家人でもない目上の人を呼び捨てるのに慣れず、ぎこちなく答えた。冬嗣は、それでいいよと言うように、にっと笑う。「おいで」と言って歩き出す彼に、真佐智はついて行く。
(ここでわたしは───美味宮にならなければ)
それが決まったのは、わずか十日前だった。
父、一条東宣親が
この春も御門のお許しが下りる気配はなく、父が須王から送ってくる
しかしそれを、
当初は、父から
道具類を売り食いつないでいたが、それらも底をつきかけていた。
家人は一人減り、二人減りして、残ったのは
後見人を得て元服し、後見の
貴族の男子は早ければ十一、二歳、
真佐智は十四歳。元服するのに丁度良い
乳母と二人、どうやって生きていけば良いのか───。
雑草の
祭主は真佐智に対面すると、
「
と、告げた。
美味宮とは、
この勤めは十年前まで、百年もの間空位だった。十年前に、
(御門は、父君の子であるわたしが
そうとしか思えなかった。「御門もご承知」という祭主の言葉から、「おまえは、父のように逆らうのか? それとも従うのか?」と、御門から直接
ただそのとき真佐智は、
もしやこれは幸運かもしれない、と。
一年後美味宮になるとすれば、そのときは必ず元服する。その際の後見人は、真佐智の
祭主は、斎宮の中で最上位官である。しかも伊那の地に
立派な後見人を得て元服し、数年間、美味宮として務める。その務めぶりで祭主の覚えがめでたくなれば、美味宮を退き、宮中の末席にでも職を得ることは可能だろう。
(父君の罪で閉じられていた未来が、思わぬところから開ける)
その場で「
数日かけて、今日やっと斎宮寮に
要するに真佐智は、
乳母は
真佐智の母は彼のお産で命を落としたために、彼も乳母のことは、母代わりに
家人たちが次々去っても、最後まで真佐智とともにいてくれた乳母の真心に、
(けれどそれを、斎宮様に
不安なのは、斎王が真佐智に向かって放った「不遜」の一言。斎王はもしや、「美味宮という聖職を、出世の手づるにするのか」と、真佐智を責めたのではないか。
ただ、不遜は百も承知だ。
口元を引き
冬嗣に連れられて、斎王の住まう屋敷を出た。
国護大神を祭る斎宮は、深い森におおわれた
真佐智が今いるのが、その斎宮寮。
斎宮寮の周囲は連なる山に囲まれている。土地は多少の
白木の柱と
都ほど
斎王の住まう
この斎宮寮に暮らす者は五百人
「ところで、真佐智。君、
先を行く冬嗣が背中
「どちらも、ありません」
「まあ、貴族の
「当然ということは、やはり美味宮が御食を準備するというのは建前で、実際に御食を料理するのは別の者なんですね?」
美味宮の務めについては、祭主から聞かされた。しかし真佐智のような、料理の心得が
冬嗣が苦笑いする。
「おいおい。貴族の子弟なら料理ができなくて当然とは言ったが、そのままで良いとは言ってないぞ。君はこの一年で、神と斎宮様に食していただくに
「本当に、わたしが作るんですか?」
目を丸くすると、冬嗣は
「そう。君が美味宮となったときには、料理ができないと困るわけだ。そこで最低半年は修業のため、
崑国に渡るという美味宮は、斎王の
ただいくら美女だろうが、美味宮が誰もが認める重職であれば、崑国へ送られはしない。
(要するに美味宮は、その程度のお務めということ)
美味宮という務めに対して都人が
真佐智の口元に、
だからこそ、利用できると
「君もいきなり炊部司に入るのは、不安だろう。そこで
「友だちですか?」
問い返した声に、
真佐智には
しかし父が須王に流されると、友人とやらは
利用価値があるうちだけ、お
利用されるなら、こちらも相手を利用すれば良いだけ。そうすれば傷つかなくてすむし、うまく目的を達成できる。それが世の中なのだろう。
「ありがとうございます。楽しみです」
笑顔を作った。互いを利用するならば、まず相手に、真佐智は利用価値があると思わせないといけない。そのためには親しみやすさが必要。どうせ、用意された友だちとやらも、最初はこうやって作り笑顔で、上辺の親しさを演じてくるはず。
一年間修業が必要ならその間は、周囲との
冬嗣は、真佐智の笑顔を見て不思議そうな顔をしたが、すぐに
「うん、そうだねぇ。楽しみにしておいで」
板塀で区切られた十二司が並ぶ通路を
炊部司であろうと思われる白板塀の出入り口に、
「彼が、その友だちだ」
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