第3部

突然の出来事に思わず言葉につまる。

「ごめん、いきなりそんなこと答えられるわけないよね」

彼女は笑いながらまた一口コーヒーを口にする。


「どうしていきなり道路に飛び出しなんかしたの? これなら答えられる?」

僕は眼の前の彼女の存在がわからなくなりつつあった。

自分を助けてくれた命の恩人とも言える人にこんなことを言われるとは思っていなかった。


「自殺なんかじゃ、ないです。誰かに背中を押されて」

「へえ」

彼女はちらりと腕時計に目をやる。どうやら信じてはいないようだった。

「ま、それならいいや。自殺だったりしなくて。余計なことしたようじゃなくてさ」

「余計なこと?」

「自殺するような人助けちゃまずいじゃない。死にたい人は死なせてあげないとね」

「はあ……」

「うそうそ、冗談よ」

妙なことを言う。それでも彼女の表情はどこか飄々としていた。


「ま、助けてもらってありがとうの一言も無いからてっきり自殺かと何かかと」

彼女は意地悪そうな目で僕を見る。

「そんな、いや……ごめん。ありがとう……ございます」

「ま、こんな花束片手に自殺なんてのも妙だよね」

彼女は机の上に置かれた小さな花束を手に取る。


「じゃあ、これから花束なんて持ってどこいく予定だったの?」

「それは、その」

「どうしたの? 言いづらい目的? ……さては彼女だな」

意地悪そうな目でじっと僕を見つめる。

瞳の奥にちいさなな好奇心のようなものが見えた気がした。

「……それが、自分でもわからないんです」

「はい?」


それから僕はあの交差点のことを彼女に話した。

そこに至るまでの記憶が無いこと。誰かが、僕を道路へと突き飛ばしたこと。

その誰かが僕と同じ顔をしていたことは話さなかった。さすがにどう思われるかが怖かった。

彼女は僕が話す間、じっと目を伏せていた。そして話し終わると同時に小さくため息をついた。


「……もう少しマシな言い訳考えないの?」

「言い訳も何も、自分が話せるのはこれだけで」

「……要するに記憶喪失ってわけだ」

彼女は諦めたような目で僕のことちらりと見た。


「ま、そこまでして言いたくなことなら別にいいけどね。いいよ、記憶位喪失ってことにしといてあげる」

まるで僕から興味を失ったかのように、彼女は窓の外を行き交う人の流れをじっと見つめていた。

「キミ、だいぶ変わってるよね。花束だけ持って、ほかは何ももってないんじゃないの?」

彼女は視線を動かさないまま口だけを動かしていた。

僕はズボンのポケットの部分に触れてみる。

確かにその中には何も入っていないようだった。


「キミ、やっぱり自殺でしょ」

「そうじゃない」

「ほんとに?」

「さっきからそう言ってる。それにそんなことキミとどう関係があるんだよ」

「関係ある」

彼女は窓に向けていた目をこちらに向ける。いやに真面目な眼差しだった。

「自殺しようとした人なんか、滅多に会えないわけだし」

「……もうなにがなんだか」


「ま、簡単に理解してもらえるような考えじゃないよね」

コーヒーを飲み干して、僕のコーヒーを指差す。

「飲まないの? はやく飲まないと冷めるよ」

「……」

「大丈夫、私のおごりだから」


笑いながら彼女は言う。未だに僕は自分の身に起こっていることを何一つ理解できないでいた。

僕は目の前のコーヒーを手に取る。温かい香りが鼻を通り抜けていく。

温かい液体が体にしみ渡っていくようで、深くため息をついた。

そんな僕を彼女はおかしそうに見つめていた。

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