ゴモリー=ノーツはこうして入門

 上流階級の者しか乗れないような高級感あふれる馬車が、トボトボと歩くゴモリーの横に着いた。

 気にも留めず歩きを止めないゴモリーの視界に入ってきたのは、その馬車から降りたライオー=マイワー。

 ゴモリーは、その人物を見るやすべてを忘れ彼を見る。その口は半開きになっている。


「かなり待たせてすまんかったの。さ、晩ご飯食べに行こうか。乗りなさい」


 事態を把握できず、言われるがままに竜車に乗ったゴモリーは、あとは事の流れに身を任せるしか出来なかった。

 いきなり降って湧いた天の助けは、実際ゴモリーにとっては命綱。

 しかしその後連れていかれた先のライオーの自宅を見てさらに言葉を失ったゴモリーには、腹は満たされたその日の夕食の味は何も感じられなかった。


「会場でも事情は聞いた。ゴモリー君をこのまま家に帰すのもどうかと思う。かといって親御さんに何も伝えず、親御さんが帰ってくるまでここで過ごすというのもなんだな。親御さんにはなるべく早く連絡をつけようか。それまでの間は緊急避難ということで、ここから学校に通いなさい」


 ただし、とライオーは条件を付け加えた。

 その気があるなら碁の技術を身につけなさい。

 おそらく君の両親は何かの専門技術を習得することに期待していた。

 冒険者に不向きなら当然別の道に進むことになるだろう。ワシならその技術を伝えられるかもしれない、と。


「早くても三日くらいで帰ってくるかもしれない。日中は学校あるし、宿題も……」


 ゴモリーは嘘をついた。

 両親の緊急の仕事で、三日くらいで終わらせられる簡単な物はない。

 両親からは何も期待されず、学校生活は次第につまらないものになっていき、ゴモリーには若干自暴自棄の気が入ってきた。

 ゴモリーの通う学校の入学は、両親から無理やり押し込まれたようなものである。だが実際学校から自宅に戻ると予習復習を忘れないゴモリーには、何かの手ほどきを受ける時間の余裕はほんの僅か。

 何かを習って物になるとも思えなかった。


「楽しむ気持ちや強くなる意思がなさそうだったの。それでもあれだけ打てるということは、素質素養があるっちゅうこっちゃ。なぁに、ワシは打つのも好きじゃが、教える方も得意。心配無用よ。ハッハッハ」


 ただし、教わっていくうちに面白くなっても、不登校になってまで教わりたいというのは禁止、とライオーは軽口をたたく。

 だが何かをする気力も失いかけ、そんな生活でもいいかなーと思い始めるゴモリー。ライオーのそれは藪蛇だった。

 週末の休校日。次の登校日は二日後のことだった。


 翌日いったん自宅に戻り、勉強道具全てを持ち出してライオーの家に戻り、そこで普段通りの生活をすればいつも通り、余暇の時間は平日よりも多い。

 午前はライオーが用意してくれた部屋で一人で勉強。

 午後は何もしなくてもいいように集中して机に向かい、午後からはライオーの計画通り、ゴモリーに月っきりで碁の勉強を始めた。


「思った通りの呑み込みの早さだな。三日どころか今日一日だけで十分だわ。これなら勝負になるぞい」


「勝負? 誰と?」


 ゴモリーはここで初めてライオーの素性を知った。

 元プロ棋士で弟子を拾っては育て、プロの世界に何人も送り込んでいる指導者。

 その弟子たちはタイトルを手にするほどまで成長している。


「プロの卵と言っても、上から下まで棋力には幅がある。そんな緊張せんでもええ。そんなにやる気はなかったんじゃろ? そんな気楽な姿勢でやってみい」


 夕食は、その弟子たちがいる食堂に連れて行かれた。

 しばらくここに滞在し、事の成り行き次第では仲間になる。

 ゴモリーのことをそう紹介された。


「そう言えば両親との連絡は……」


「うむ、話はついておる。それから大会三位の賞金の件も落着しとる。心配せんでええ。食事が終わったら……セルーベリー、相手になってくれんか?」


「え?」


 ゴモリーの知らない所でライオーはすべて話をつけていた。


「え? 私でいいんですか? って言うか、賞金って?」


 魚人族の女の子、セルーベリーが戸惑う。

 種族は違うが、見た目自分と同じくらいの年代。何かの遊びの大会にも賞金は出るかもしれない。

 ライオーの話から、ゴモリーは何らかの賞金を手にしたということは分かった。

 しかし師匠のライオーが連れてきた新顔といきなり対局をさせるするということは、素人しか出ない大会であっても碁の大会で入賞できる腕を持っていて、自分に匹敵する力を持つということは理解できた。


「他の者よりはかなり弱い。が、セルーベリーならちょうどいいはずじゃ。ま、互いに気楽にな」


 可愛らしい顔が一転。

 新参者に負けたとあっては、ほんの数か月前とは言え、元プロの直弟子の先輩の名折れ。

 その顔に気合がこもる。

 片やゴモリーは、いろんなトラブルがすでに解決済みで、しかもいきなり対局するように言われて、何が何やら。状況についていけない。

 表情の乏しいこの種族でも、彼を見た者なら誰でも彼がぽかんとしていることはすぐ分かる。

 二人を見たライオーの、年のせいか色落ちた彼の尻尾の毛が、気分良さそうに左右に揺れた。


 食事を終え、ライオーの館での本日最後の一局が始まった。

 ライオーとほかの弟子たちの見守る中、終局まで順調に進む。

 格下相手と見ていたセルーベリーは序盤のうちに、ゴモリーはライオーの言う通り互角の棋力を持つ者であることを認め襟を正す。

 ゴモリーはというと、何が何やら分からないうちに対局を始めさせられてる感がある。

 しかし浮足立つような様子はない。

 対局が進んでいくうちに、セルーベリーが焦り出す。


(何よ、これ。陣取りしないでこっちの陣地を荒らしてばかりで、でも素人じゃない打ち方で……このままじゃ振り回されっぱなしじゃないっ)


 ゴモリーの棋風は昨日の準決勝までの五局と変わらない。

 もっともその結果はすべて中押しだったから、最後まで打ち切ったことはなかった。

 セルーベリーが陣地を得ようとするが、その形が見えそうになる前にそのど真ん中に打ち込み、その形成を打ち消そうとする。もちろんその飛び込んていった石も四面楚歌に近い状態。

 陣取りよりも石取りの割合が盤面上に占めていく。

 互いに石を取られないように、安全な石と連結を優先すれば陣地は消され、広い陣地を得ようとすれば互いに石の連結が切り離される。

 二人の脳内ではその勘定で、一手ごとにせわしく動く。

 盤上の石は次第に増えていく。しかし囲まれて取り去られる石はわずか。

 セルーベリーの顔から気合は消え、混乱と焦りがさらに色濃くなる。

 ゴモリーは、半開きの口がようやく消え、かといってその顔には気負いも焦りも、何もない。


 終盤に入り、その混戦はセルーベリーの「参りました」の一言で幕を閉じた。


「な……何なの? これ……」


 そしてようやく出た言葉がこれである。

 感想戦をすれば、全く別の展開になりそうなこの盤面ではその気にもなれない。


「相手の陣地を削るなんてもんじゃない。欲丸出し……」


「にしては、自分も陣地を取ろうとする欲が見えない……」


「けどこんな感じの棋譜、どこかで見たことが……。あ、高段戦位のマーシー=ルーじゃないか?」


「あぁ。あの人もこんな極端な感じだったっけ」


 聞こえるのは他の弟子たちのささやきだけ。

 ライオーはそんな彼らに口を出す。


「基本的なことは助言をした。この戦い方は彼の棋風じゃな。珍しかったんで声を掛けたら、まぁ彼にもいろいろ事情があって……」


 ゴモリーの肩をポンと叩く。


「新たに仲間になる、ゴモリー=ノーツだ。仲良くしてやってくれな」


 周りが勝手に自分の話を進めている。

 ゴモリーの今後が一番見えていないのは、彼本人だけであった。

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