プロ棋士を目指すその竜人族はあの道を断念する

 碁の才能素質のある身寄りのない子供達の指導をするこんな生活を始めて四十七年。

 その間、面倒を見てきた子供達誰一人として挫折することなく、二十人の子供達がプロ棋士としてライオーの元から巣立っていった。

 今現在ライオーが面倒を見ているのは九人。

 それにジーゴとミイワの二人が加わった。


 プロになるための条件は棋力と年齢の上限。種族ごとの平均寿命の四分の一までとされていた。

 しかし種族によって寿命や力の衰えの時期の違いがあり、種族もそれぞれ亜種によって違いも現れることから一律生後二十年を上限と定め、その上限を超えた者は、出場した大会で優秀な成績を一定期間中に一定数獲得した者は推薦枠に入れる措置を取ることとなった。


 今現在、ライオーが世話をしている彼らの中で、年齢棋力共に一番上にいるのが、十八才のゴモリー=ノーツ。

 彼もまた、彼の一族から追い出された者の一人。六年前からライオーの世話を受けている。

 彼にはもう家族や一族に何の未練もわだかまりも感じない。

 それどころか無関心。最初からいなかったようなもの。そんな認識である。


 ゴモリーには、竜族あるいは竜の亜種もしくはいろんな種族の副種族の一つの誰もが持っている特徴が見られない。

 聞く者すべてに何らかの影響を与える咆哮と、口から五大元素を吐く能力がなかったのである。

 それが、龍の亜人である彼にとって幸不幸両面に関わっていた。

 あらゆる種族の子供達は、普通の場合はまず普通の学校に通うことになる。そこから将来の進路次第で、そのまま普通科に籍を置くか冒険者養成所に編入あるいは転入となる。

 養成所に通う者達は、普通の学校で学ぶ内容のほか冒険者としての知識などを学ぶことができる。

 ゴモリーのその症状は先天性のもの。龍の血を引く者としては致命的なコンプレックスを持つことになってしまった。

 冒険者への道は断たれ、一般人として生活していくよりほかに生きる術は見つけられなかったゴモリー。

 彼の代々並びに一族からは冒険者として高名な者達が多く輩出していた。

 彼の両親もそうだった。だから自分らの息子もそれに続くものと思っていたが、その期待を諦めざるを得なかった。

 一般の学校では他の生徒から、竜あるいは竜の種族いう外見で怖がられるも、そのコンプレックスの原因が好転を呼び込んだ。

 近寄っても危険でも何でもない。

 そのことが外見とのギャップで人気者の一人となった。

 さらに知力の高さが彼の特徴と魅力に加わった。

 元々竜の血を引く者達は他の種族と比べて桁違いに長寿である。

 当然得られる知識の量の差も、その生の長さに比例する。

 しかしゴモリーはそこまで積み重ねた人生経験はまだない。

 他の種族と同等の知識量。だが知力と知識量は別物で、元々の知識の吸収力、つまり学習能力が高く頭の回転の方も優れていた。

 しかしそのことを嫉妬した同級生達は、ゴモリーの根も葉もない噂を意図的に流す。

 表情にほとんど変化のない竜族。

 外見上肯定も否定もする様子があまり見られないゴモリーを見て、教師達の気持ちはその噂話を信じる方に傾きつつあった。

 そんな日々の中、彼が入学したエモシーナ初等部から中等部、いわゆる中学校に入る準備も始めるような時期。

 学校から戻ると両親の書置きが残されていた。


『急に仕事が入ったので、お父さんとお母さんは一週間ほど地形調査に行ってきます。当面の生活費は封筒に入れてあなたの部屋の机の引き出しに入れておきました。足りなければ家計の袋から必要な分を使うように』


「いきなり仕事に出かけて不在ってのも久しぶりだな」


 その文面を見て自室に戻る。

 そしていつも通り、授業の復讐と予習を済ませ、そろそろ夕食時という時間にその封筒を確認する。


「……空っぽ?」


 冒険者になる期待を裏切られた。

 その仕打ちがこれか?


 すぐさまゴモリーの心の中に浮かんだ思いがそれだった。

 小さい頃に受けた愛情が、自分の欠陥が判明した時から急に薄らいでいくのを感じつつあった。

 普通の冒険者一家の場合、子供一人だけ残して仕事に出かけるよりも、安全対策をしっかり用意した上で子供も一緒に連れて行き、将来のためということで仕事の現場を見せる。その手の知恵は机上の学問より現地に連れていく方がよほど勉強になる。

 しかしゴモリーの欠陥判明後はそんな体験を一つもしたことがなかった。

 自立するより先にどこかに放り出されるんだろうな。

 そんな予感はしていた。

 けれど、まさかこういうことをされるとは。


「家計の袋から取り出したら……」


 両親は必要分だけ用意したと思っているはずだ。

 なのにそれと同額分、家計の袋からなくなっている。

 家庭内でお金が盗まれた。その犯人は息子である。

 両親がそう考えるのは自然だろう。


「本人のミスを棚に上げてこっちに擦り付けるってのはやりすぎだろ。寮付きの学校に入れてくれればこっちだって……」


 小学生相手に金を貸すような人物はいない。

 ましてやいくら知恵が回ろうともしょせんは小学生。

 夕食は買い置きの物を頼りに普通に過ごせるが、明日以降はどうなるか分からない。

 ましてやいつ戻るかも分からないのだ。

 学校に相談を持ち掛けることも有り得ない。

 近所との交流もほとんどない。


「……明日になってから考えるか」


 ゴモリーはその日、早めに布団に入った。

 しかし心配事や不安なことがあると、寝付いてもすぐ目が覚める。

 ゴモリーは、今までで一番長い夜を体験した。

 翌朝、日が昇りきる前に布団から出る。

 心配事は、いつになるか分からない両親の帰宅よりも目の前の食事。

 買い置きが切れる前に何とかしようと考えたゴモリーはまだ目覚めていない町の中を、何かないかと散歩がてらに足の向くままに歩いて回った。

 そこで目についた一枚のポスターの中の文字。


『賞金五万K』


 何かの大会の優勝賞金というのは分かった。

 食費にだけ使うとなれば、昼は学校給食があるから贅沢をしても十日はもつ。

 その大会開催日は今日。学校は休日。

 その競技は、両親から教わったことがあり、それなりにやりこんだこともあった。

 その腕前は大人を驚かせるほど。しかしその熱も今は冷めている。

 自分で何とかしなければいなけない金銭的危機。周りの大人に頼る考えは既にない。


「時間と場所は……、うん、分かった」


 ゴモリーの心の内ではその熱意が再燃することもなく、楽しかった家族との交流の思い出に浸ることもない。

 ただ淡々と、この先の予定のことを考えるのみ。

 一旦家に戻り、そう遠くないその会場である商店街の集会場での開場時間まで待機する。満足に食事が出来ないことによる空腹感や両親への不信感すら抱かずに。


 そのイベントに来る人達は大勢いたが全員が参加するわけではなく、観戦しに来たものがほとんど。

 一般部門と未成年部門の二つに分かれていて、賞金しか眼中にないゴモリーは何の迷いもなく一般参加にエントリー。

 大人の中に子供が混ざる。

 知識、経験、技術、戦略、どれを取ってみても大人より優れた子供などいるはずがなかろう。

 周りからはそんな奇異の目で見られたが、ゴモリーはそれにお構いなし。

 未成年の部門には、ゴモリーの悪評を広めた同級生らも参加していた。


「あいつ、大人に混ざる気かよ」


「とっとと負けちまえ、バーカ」


 謂れのない悪口もゴモリーの耳には届かない。

 エントリーした後は、大会開始の時間をただ待つのみ。

 そしてただ対局のみを考えていた彼は、大会開始から注目を浴びる。

 順調に勝ち進んでいくが、優勝以外何も考えていなかった彼の結果は準決勝で終わった。


「なかなか大したもんだったの。負けるかもしれんと思うて冷や冷やもんだったわ」


 その声を聞いて、ゴモリーはこの日初めて対局相手の顔を見た。

 棋風とは異なる穏やかな老セントールだった。

 序盤から圧倒された。

 中盤に差し掛かった辺りで諦めた。


「鍛えりゃもっと強くなれるぞ?」


 強くなりたいとかは全く考えてなかった。

 この後の食生活はどうなるだろうという心配以外、何も考えられなかった。


「なんじゃ? 両親はどうした? フーム……」


 感想戦が、ゴモリーの身の上相談の時間になった。

 食事の世話くらいならしてやろう。ただし、碁の勉強もしてみんか?

 そんな条件は壁でも障害でも何でもない。

 老セントールは、ライオー=マイワーと名乗った。

 名前を聞いても、どこの誰かも分からない。全然ピンとこない。

 それでも見知らぬ他人に信を置くゴモリー。

 それは、親や学校に対して持つことがなくなった感情だった。

 ともあれ、食事の心配は消え去った。


「ところでな」


「うん」


「賞金は三位にも出るぞ。知らんかったんか?」


「え?」


 ゴモリーの頭にあったのは優勝賞金のみ。

 開会式での大会の説明も全く聞いていなかったゴモリーは目を丸くする。


「まだ決勝戦が残っとるからな。観戦しながら表彰式を待つといい」


 ゴモリーはようやく一日ぶりに気持ちを落ち着かせることが出来た。

 そして改めて負けた対局を頭の中で振り返る。

 ライオーの優勝は決まりだろう。どんな勝ち方をするのか。

 関心は対局に変わった。

 しかしライオーはあっさりと中押し負けになった。

 自分との対局での強さは圧倒的だった。

 だがこの惨敗ぶりは何だろう?

 ゴモリーがそう思うのも無理はない。


「昼はここで弁当を貰えただろうが、あれくらいじゃ足りるまい。ワシの家も近くはない。さっさと終わらせて帰るとするかの」


 出るからには優勝を目指してるんじゃないのか?

 大会に参加する目的が違うような気がするライオーという老人を不思議に思うが、今はそれどころじゃない。

 トーナメント戦での準決勝敗退は、同率三位の入賞対象。

 賞金は優勝の五分の一。とは言え、ゴモリーには多すぎる賞金だ。


「え、えっと……帰り支度してきます」

 ライオーにそう告げて、大会会場でもある閉会式場から退出し出場者控室に向かった。

 ライオーはその出入口でゴモリーを待つことにした。


「よう、お前、賞金貰ったんだってな」


 控室に入るとゴモリーは声をかけられた。

 そこで待ち構えていたのは、例の同級生達だった。


「おい、無視してんじゃねぇよ」


 不意に荷物をとられ、中身を開けられる。


「な、何を」


「これだな。俺達のためにありがとよ。これ、お礼な」


「うがっ!」


 ゴモリーの腹部に蹴りを入れて転ばしたあと、彼らは何事もなかったように控室を立ち去った。

 思いの外痛みが強いお腹を抱えながら、荷物をそのまま回収して後を追う。

 しかし痛みが強く思うように走れない。

 周りに声をかけようとしても苦しくて声が出ない。


 ライオーに声をかけられて、しばらく生活の不安は解消された。

 だから賞金獲得にこだわる必要はなくなった。

 けれども手放してはならない物がある。

 奪われた賞金がただのお金なら諦めてもいい。

 けれども自分の命を紡ぐ縁が、誰の目でも見ることが出来る物。

 お金ではなく、お金よりも大切な物。ゴモリーにはそう感じられた。

 だからこそ必死に追った。

 けれどもその物の呼び名は変わらない。

 控室から出てきたゴモリーの異変にライオーは気付いた。


「お金……賞金……あいつら……」


 同じ制服の子供らが、ゴモリーが控室から出る前に出ていったのを見たライオーはそのことを確認すると、ゴモリーの元からすぐに駆け去った。


「……金、盗られた……。あの爺さん、何者か分かんねぇ……。終わった……」


 空腹感と絶望感がゴモリーの中で甦る。

 会場から次々と大衆が立ち去っていき、館内の照明も次々と消されていく。

 明るいのは玄関のロビーと事務室と、そこまでの廊下のみ。

 同級生の家にまで押しかけて、自分が得た賞金を取り返しに来たことをその家族に伝えたところで、誰がそれを信じてくれるだろうか。

 信じてもらえるはずがない。

 自問自答の結果、ゴモリーは何とか立ち上がるのがやっとというくらいにまで落ち込んだ。

 けれど理性は理解している。ここにいつまでも座り込んでても事態は好転しないことくらいは。

 ゆるゆると立ち上がったゴモリーは、ようやく和らいだ腹の痛みをまだ感じながら表に出る。

 夕方の街から夜の街に姿に変わりつつある時間。

 まだ大人に守られるべき年齢のゴモリーには、初めての景色。

 親に期待もされず、親を当てに出来なければ一人で何とかするしかない。

 そう思っていたゴモリーは自分の勘違いに気付いた。

 自分にはまだ知らない世界がたくさんある。

 何とかするしかないではなく、何とか出来るかもしれないという、親から見離されてもまだ楽観的な思いを持っていたことに。


「住む所があったって、食いもんなきゃどうにもなんない……」


 しかしゴモリーに出来ることは、帰宅と同級生達への糾弾くらい。

 力なく誰も何もない自宅に向かって、力のない足取りで歩き始めた。

 そのとき、この町ではめったに見ることのないきれいな装飾で彩られた竜車がゴモリーの横で停まった。

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