第27話

「襲撃だァァア!!」


 誰かが、広場のどこかで絶叫した。だがその声も、中空で不敵な笑みを浮かべる金髪少女の、閃光と爆音によって瞬く間にかき消されてしまった。絶叫は悲鳴に変わり、視覚と聴覚を奪われた兵士たちが次々に地面に平伏していく。

「ぎゃあああああっ!!」


 オリヴィアが右手に握り締めた『缶ビール』を口元に持って来た。そのたびに空から青白い稲妻が降り注ぎ、地上にいる兵士たちや立てられた十字架を襲った。集まった人々が泣き叫びながら逃げ惑い、辺りは大混乱に陥った。


 『魔法のビール』。間違いない、親父だ。親父の魂が、転生してオリヴィアの体の中に入っているのだ。俺は十字架に縛られたまま生唾を飲み込んだ。

「大統領っ! 危険です、お下がりください!」

『何をやってるッ!? 手筈通り追い込め!!』

「ですが……ッ!」

 雷撃が雨のように降り注ぎ、崩れた瓦礫から黒煙が上がる。電撃に負けないくらいの大きさで、大統領が叫んだ。俺は、朦朧とする意識の中、近くにいた兵士たちの狼狽した声を聞いた。


「攻撃が……効きません!」

『何だと!?』

「魔法も斬撃も手応えがなく……まるで王女の、すり抜けます……ッ!!」

『ムゥ……ッ!!』


 大統領が赤いスーツの内ポケットから杖を取り出した。杖を一振りすると、たちまち辺り一面を分厚い膜のようなものがドーム型に覆った。さっきから縦横無尽に降り注いでいた落雷が、ドームの膜に弾かれて跳ね返った。


「大統領! ここは一旦引きましょう!」

『クソッ……体を風に変えるだと!? オリヴィアめ、一体どんな上級魔法を……』

 兵士たちが大統領を引き連れ、停められていた馬車に逃げ込み始めた。すると、上空でビールを飲んでいたオリヴィアがいきなり急降下し、キマイラとともにドームの中に突っ込んで来た。以前俺を教室で散々痛めつけた、魔法生物キマイラの鋭い爪がドームのバリアを引き裂き、オリヴィアは逃げようとする大統領の目の前に降り立った。


『オリヴィア……!』

 大統領が歯を抜き出しにして、怒気に満ちた声を震わせた。慌てて兵士たちが各々に武器を構え、魔法や剣で彼女に襲いかかった。だが、命中したと思った彼らの攻撃は彼女の体をすり抜け、ことごとく当たらなかった。オリヴィアは……アルコールが回っているのか、ほんのりと頬を紅潮させながら……動揺する兵士たちを前に得意げな笑みを浮かべていた。

「異世界の異能も捨てたものではないじゃろう? カルディナス」

『こ、小癪な……!』

「ここであったが三百年目よッ!!」

「う……うわあああっ!?」


 オリヴィアがキマイラを嗾しかけ、大統領たちに突っ込んで来た。

『オイ、お前ら、待て!!』

 自分たちの攻撃が当たらず、兵士たちはたちまち戦意を喪失し散り散りになって逃げ出した。オリヴィアがビールを口に含み、青い稲妻を飛ばす。

「どわっ!?」

 大統領が自分の前にバリアーを張り、コースを外れた電撃はあろうことか十字架に縛られた俺に直撃した。思ったほど痛みはない。十字架の根元がミシミシと音を立てながら、ゆっくりと地面に倒れていった。ようやく手足が解放されたが、俺は怖いやら恐ろしいやら何が何やらで、しばらくその場を動けなかった。


『ぬんッ!!』

 敵もさる者で、オリヴィアの息つく暇もない波状攻撃もまた、大統領にことごとく弾かれ続けた。大統領がバリアーを張ったまま杖を振るうと、近くに停まっていた馬車がズルズルと大統領の方に引き寄せられた。大統領が急いで近くまできた馬車に乗り込むと、羽の生えた馬はそのまま空に飛び立ち始めた。


「逃すか!」

 オリヴィアは空に逃げる馬車になおも追撃を続けながら、辺りを見渡しキマイラを探した。キマイラは逃げ惑う兵士たちに襲いかかっていた。オリヴィアは口に兵士を咥えたキマイラに駆け寄ろうとして……たたらを踏んでよろめいた。


「ム……?」

 オリヴィアが頭を振った。その顔は茹で蛸のように真っ赤だった。明らかにだ。俺は慌てて、倒れこむオリヴィアの元に駆け寄った。


「おい、親父!!」

「ン……?」

 オリヴィアを抱え上げると、俺の腕の中で金髪の少女はぐったりと項垂れた。急性アルコール中毒にかかるヒロインなんて、そんなファンタジーは聞いたこともない。空飛ぶ馬車が遠く離れていく。俺は唇を噛んだ。

「何やってんだよ、もう!」

「お主……芳樹か?」

 オリヴィアの、焦点の合っていないぼんやりとした目が俺を捉えた。

「どうやってここに……?」

「どうやって、じゃねえよ。アンタを迎えに来たんだ!」

「迎え……?」

「ああ、そうだよ! 俺たち家族じゃねえか」

「家族……? ワシが?」


 オリヴィアは少し息苦しそうに顔をしかめた。俺はもう怒りに任せてぶち撒けた。

「いい加減にしろよ! 俺も、母さんも小鳥も……みんな家族だろ!」

「ワシ、が……家族?」

「惚けんじゃねえよ。あんだけ、俺たちずっと一緒にいただろうが!」

「…………」

「大体、リストラされたかなんだか知らねえけどよ。嫌なことがあったからって、全部ほっぽり出して一人別の世界に逃げ出すなんて、カッコ悪いって思わねえのか!?」

「に、逃げ出したわけではない……! ワシは、異世界に行き戦える力を……!」

「分かってくれよ……みんな、アンタを待ってる。アンタが必要なんだよ」

「ワシが、必要……?」

「ああ……そうだよ。俺は、こんなの許さない。絶対アンタを連れて帰るからな」

「そう、か……そんなにワシが必要か」


 それからオリヴィアは俺の腕の中で、なぜか少し満足げな顔をして目を閉じた。広場は半壊し、所々火の手が上がっている。兵士たちの姿はすでに見えなかったが、逃げ遅れた見物客たちの影がちらほらと見受けられた。キマイラはもう兵士を口に咥えておらず、崩れた瓦礫を何とかどけて逃げ道を作ろうと奮闘していた。

 これじゃ、あの時の……井納に襲われ教室を半壊させた時の二の舞だ。地獄のような光景を前に、途方に暮れる俺の元に、突然ひょっこりと見慣れたシルエットが姿を現した。

「お前は……!」


 現れたのは、オリヴィアの、魂の方だった。青白いブヨブヨとした丸い魂が、一冊の本を頭に乗せて俺におずおずと近づいて来た。

「おま……どこ行ってたんだよ! 俺のワッペン、捨てやがって……!」

 だが今はそんなことを言っている場合ではなかった。オリヴィアの魂が差し出した『魔法の本』を、俺は奪い取るように引ったくった。オリヴィアの親父が『きっと冒険の役に立つから』とくれた、例の『魔法の本』だ。俺は藁にもすがる思いで本を開いた。すると、そこにあったのは……。

「……!」


『太田胃散〈内服液〉』。


 本だと思っていた大きな箱の中に、小瓶が一つ転がっている。俺はぽかんと口を開けしばらく箱の中身を見つめていたが、急いで胃腸薬を手に取った。


 俺は腕の中で、冷や汗を掻き苦しそうに眠っているオリヴィアを見つめた。これが王子様のキスならまだしも、気付けの胃腸薬で目覚める王女様なんて、そんなファンタジーは聞いたこともない。しかし今はそんなことを気にしている場合でもなかった。


 俺は急いで瓶を開け、スッキリ飲みやすいミント風味の胃腸薬をオリヴィアの口の中に流し込んだ。

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