第26話

 目隠しを解かれると、眩しい光とともにいつぞやの港町の風景が目に飛び込んできた。青い地面に荷物のように乱暴に投げ出され、俺は呻き声を上げた。つい先日訪れた、半壊した酒場のすぐそばだ。街の真ん中にある広場には、たくさんの人だかりができていた。集まった人々は、しかし、決して商店街で買い物を楽しんでいると言う感じではなく……皆一様に、これからここで起こることに不安を隠し切れない表情をしていた。


 俺は地面にひれ伏しながら、先日訪れた時はなかった、十字架の数々を睨んだ。まるでケーキに立てられた蝋燭のように、広場の中央にたくさんの十字架が並べられている。さらに十字架には……俺と同じように、捕まっていたのだろう……やせ細った若い男性や女性、老人、子供に至るまで大勢の人たちが吊るし上げられていた。そこには、先日俺と一緒に捕まった酒場の店主の姿も見受けられた。俺は思わず息を飲んだ。


「来い!」


 馬車から降りてきた兵士に引っ張られ、無理やり地面に転がされた俺は無理やり叩き起こされた。兵士たちは、一番中央に残っていた誰も縛られていない十字架の前まで俺を連れてくると、他の者同様、そこに両手足を縛り上げ吊るし上げた。一際高いところに掲げられた俺に、集まった群衆の視線が痛いほど刺さった。十字架の脇には、剣や槍で武装した兵士たちが並び、少しでも妙な素振りを見せたら即処刑する、といった目つきで捕まった者たちを睨みつけていた。俺はもう頭が真っ白になって、何も考えられずブルブルと体を震わせた。


 どうやら俺が、最後に連れてこられた囚人だったようだ。これで、広場に立てられた十字架は全て埋め尽くされた。ざわざわと囁き声がひしめき合っていた広場も、しばらくすると水を打ったようにシン……と静まり返った。やがて耳に聞こえてくるのは、十字架に掲げられた者たちの呻き声や泣き声だけになった。


「……大統領閣下!!」

 そして、静寂の訪れた広場に、一番中央にいた兵士の大声が響き渡った。彼の号令が合図となって、辺りにいた兵士たちが一斉に地面をふみ鳴らし、天に向かって『大統領閣下!!』の合唱を繰り返した。ビリビリと震えるような空気の中、一際豪勢に装飾された馬車の中から、いつぞやの大男がゆっくりと姿を現した。煌びやかで派手な、真っ赤な衣装に身を包んだ大統領の登場に、広場は瞬く間に万雷の拍手で包まれた。だが、十字架の上から覗く、両手を叩く群衆の顔は、決して晴れやかなものばかりではなかった。


『……諸君』


 やがて大統領が、兵士が用意した台の上に立つと、拍手は鳴り止み辺りは再び静まり返った。先日俺を捕らえた大男が、集まった群衆を、そして十字架に掲げられた者たちを見渡して満足げに頷き、やがてゆっくりと口を開いた。その声には魔法がかけられ、広場全体に響き渡るように拡張されていた。


『知っての通り、我々は先代の王から政権を譲り受け……新しい時代のファンタジアを作ろうとこれまで奮闘してきた』

「…………」

ではなく、が国の主役になる……そんな新しい国作りのために。新生ファンタジア共和国のために』

 十字架に縛られた老人が呻き声を上げた。たちまち、隣にいた兵士が乱暴に老人の口を塞ぎ黙らせた。

『しかしながら!!』

 大統領が語気を強めた。


『中には未だに過去に固執し、新時代の幕開けを拒もうと言う頭の者どももいる。そいつらはあろうことか民衆の代表である我々を敵視し、古臭い王政を復古しようと各地で暴挙を繰り返している。ここに捕らえられた者がそうだ……』

 大統領が俺たちの方を振り返った。その目は冷たく、俺は校庭で井納に出会った時のことを思い出した。全く熱のこもっていない、昆虫でも観察するような冷淡な目だ。


『彼らは、可哀想なことに無知なオリヴィア元王女を唆し……などと吹聴し……反乱の旗頭に担ぎ上げた』

「嘘だ!」

 今度は俺のすぐ隣で縛られていた若い男が叫んだ。あの、酒場で出会ったタオル頭の店主だった。皆の顔が凍りつき、一斉に若い店主に視線が送られた。

「知ってるぞ! カルディナス……大統領、お前が王に毒を盛ったんだ。王が病に伏されたのは、お前のせいだ!!」

『お聞きになっただろうか、諸君』

 だが店主に糾弾されても、大統領の顔色は何一つ変わらなかった。店主はたちまち兵士に口を塞がれた。


『彼らは以前からずっとそう言って、私を貶めてきた。もう三百年間も……だがどうだろう? この三百年、我が国は衰退しただろうか? 自分たちの手によって、民主主義によって、街は荒れ果てただろうか? それは諸君らの知っての通りだ……』

 大統領が分厚い唇を釣り上げた。

『彼らは私を国賊のように罵るが……いたずらに異世界から武器や蛮族をかき集め、我が国を混乱させているのは彼らの方だ! と言えば聞こえがいいが、彼らの行いこそ、ファンタジアの伝統文化への破壊工作に過ぎない!! これを見ろ!!』


 そう叫んで大統領は兵士から受け取ったカバンを頭上に掲げた。俺は目を丸くした。ここに来る時、俺が持ってきた学生カバンだ。大統領は俺の学生カバンから教科書やら文房具やらを取り出し、憎々しげにそれを眺めた。

『こんな、訳のわからないものを……だとか、だとか、くだらない。異文化こんなものに毒されていては、ファンタジアの崇高なる魔法文化はどうなる? 未来ある子供たちに、こんなものを教えていいのか?』


 大統領は汚ないものでも触れるかのように教科書をつまみ上げ、カバンの中身を地面に放り投げた。俺は真っ白になった頭で、青い地面に捨てられた教科書をぼんやりと眺めた。


 俺も学校の授業は嫌いだ。物理なんてさっぱり分からない。だけど……それでもやっぱり大統領に同感はできなかった。もし俺が生まれも育ちも魔法の国ファンタジアで、学校の授業で魔法なんてもの教えられたら、同じように魔法を嫌いになるだろうな、と思った。集団の中で点数や優劣が決められ、周りと比べられる時点で……魔法だろうが物理だろうが、どんなに崇高なものでも途端にものに変わってしまうに違いない。


 その時俺はあることに気づきハッとなった。

 散らばった教科書の束の中に……オリヴィアの親父から出かけの時に渡された”魔法の本”が見え隠れしていたのだ。きっと冒険の役に立つと言われた、国王の魔力が込められた本だ。


 何とかあれに手が届きさえすれば……。俺は十字架に縛られたまま、隣にいる兵士に気づかれないようにゴクリと唾を飲み込んだ。


『そんなに異世界が好きなら……』

 やがて大統領が低く唸った。

『彼らを外の世界にして差し上げろ』

「!」 

 大統領の合図で、兵士たちが一斉に武器を構え、その刃の切っ先を俺たちに向けた。兵士たちが一斉に足を踏み鳴らし、広場に再び割れんばかりの拍手が鳴り響いた。その異様な光景に、俺はつま先から頭の天辺までガタガタと全身を震わせた。目の前で、銀の刃がキラリと光る。まさか、わざわざ異世界くんだりまで来て、こんな形で転生することになろうとは……。

『やれ!!』

 兵士が剣を勢い良く振り上げた。俺は息をすることも忘れ、思わずギュッと目を瞑った。どこからともなく、広場に悲鳴が走った。


『……なんだ!?』

 その時だった。

 地鳴りのような広場に、さらにそれを上回る爆音が頭上から降り注ぎ……辺りは一瞬にして青白い光に包まれた。突然の爆発音と閃光に兵士たちは皆身を屈めて身悶え、広場は一瞬時が止まったかのように全員が固まった。


「……大統領!!」

 やがて俺が恐る恐る目を開けると、広場には、武器を取り落とし地面に蹲る兵士たちや、騒ぎ出す集まった群衆の姿が見て取れた。かろうじて無事だった兵士の一人が慌てふためき、頭上を指差し叫んだ。


「来ました! 王女です!」

『……!』

 大統領が目をひん剥いて空を見上げた。


「”諸君”。待たせたようじゃな」

 俺も釣られて空を見上げた。

 そこには、”懐かしの”キマイラに乗って宙に浮かぶ、夢にまで見たあの王女の不敵な笑みがあった。

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