第25話
「逃げようたって無駄だ。この塔は大統領直々に、何重にも魔法障壁がかけられてるからな。生半可な魔法じゃ、ビクともしないぜ」
「…………」
食事を運んで来た兵士が、牢屋の片隅で蹲る俺の姿を覗き込み、せせら笑った。俺は何も言わず、鉄格子の隙間からねじ込まれるパンの切れ端をじっと見つめた。元よりこっちは魔法なんて使えないし、そんなつもりはさらさら無い。馬面の兵士のあざ笑う声とともに、扉が閉じられ、再び塔の中に静寂が訪れた。暗闇の中、俺は一日に一度の水と食料に飛びついた。
先ほどの兵士の話によると、どうやら、オリヴィアの魔法でこの塔を破壊してもらうことは不可能なようだった。ほんの一握りの食事を貪りながら、俺は栄養の行き届いていない脳で必死に知恵を絞った。どっちにしろ城の中は見張りの兵士がいっぱいで警戒が厳重だから、逃げ出そうと思ったら見つかることも覚悟しなくてはならない。頼みの綱が霊体になったオリヴィアの魔法だけというのは、余りにも心細かった。
「ふぅ……」
食事の量は、全く足りそうにもなかった。キリキリと痛む胃を何とか誤魔化しつつ、俺はため息を零した。もう何時間、いや何日が経っただろうか。俺はあれ以来大統領に呼ばれることもなく、ただただ与えられる食事と排泄の時間以外は、ずっと牢獄の中で過ごしていた。
やはり、弱った体で闇雲に動くよりは、助けを待った方がいい。そのためにも……。
「……オリヴィア!」
ふと、滑った壁の向こうから、青白い光が仄かに顔を出し俺は慌てて駆け寄った。これだ。オリヴィアが現れるのを、俺はずっと待っていたのだ。
「オリヴィア……! 良かった……!」
もう何週間も会ってないような気がした。俺は安堵のため息を漏らし、無事牢獄の中に戻って来た霊体を抱き寄せた。
思った通り、霊体は壁も床も関係なくすり抜けられるようだった。今までで一番、オリヴィアに会えて嬉しかった瞬間である。自分の輪郭さえ朧げな暗闇の中。俺は興奮気味に、腕の中のオリヴィアに小声で囁いた。
「オリヴィア、聞いてくれ。お前だけが頼りだ……お前、また酒飲んでるのか?」
霊体から漂ってくる匂いに気づき、俺は顔をしかめた。青白く光る霊体を掲げてマジマジと眺めると、その表面はほんのりと熱を帯び、微かにアルコールの匂いを漂わせていた。気のせいか、オリヴィアもまるで酔っ払ったかのように霊体を小さく左右に揺らしている。俺は呆れてため息を漏らした。
「そりゃ魔法を使うために、飲まなきゃいけないんだろうけどさ。いくら何でもお前、飲み過ぎだろ……だんだん俺の親父に似てきたな」
俺の言葉に、オリヴィアが腕の中で全身を震わせ子犬のような鳴き声を上げた。あいにく霊体だと人間の言葉を喋れないから、『イエス』なのか『ノー』なのかも分からない。俺はオリヴィアの心の中を勝手に代弁し適当に頷いておいた。
「分かるぞ、オリヴィア。俺もついこないだまで霊体だったからな。今すぐにでも自分の体に戻りたいよな……」
オリヴィアが縦に体を揺らし頷いた、ような気がした。彼女もきっと不安なのだ。そう思うと、いても立ってもいられなくなって、俺は冷たい牢獄の中でそっと青白い霊体を抱き寄せた。アルコールのおかげで熱を帯びた霊魂は、心なしか暖かかった。気がつくと、俺の頬を生暖かい水滴が伝っていた。涙だった。緊張の糸が解けたのか、拭っても拭っても目の奥から涙が溢れて来た。
「ごめんな……自分でも変だとは思うけど、やっぱ、いきなりこんな訳わかんねえ世界に来て、心細かったみたいだ……」
俺は鉄格子の中で膝を付いたまま、鼻を啜った。
「オリヴィア……」
俺は彼女の霊魂を抱きしめたまましばらく涙を流した。誰一人、知り合いすらいない異世界。そんな中、有無を言わさず牢屋に閉じ込められ、俺の心は随分と孤独に冷え切ってしまっていたようだ。目の前にオリヴィアがいるというだけで、胸の奥にポッと明かりが灯ったような気がした。
「頼む……どうにかしてお前の親父や、外の誰かに伝えてくれ。この公開処刑は罠だ。あいつらは、オリヴィアの体をおびき寄せようとしているんだ」
俺は大統領との会話を思い出した。このままでは、自分は何の抵抗もできないまま、民衆の前で殺されてしまうことになる。
「クソッ……こんな目に遭うのも、全部親父のせいだ!」
石畳の床を握り拳で叩き、俺は一人悪態をついた。愚痴を言わずにはいられなかった。
「そもそも親父が転生したいなんて言い出すから……無理やり異世界なんて行くから! オリヴィアたちを引き寄せて、こんなことになっちまったんだ!」
オリヴィアが俺の腕の中で小刻みに震えた。
「お前もそう思うか」
きっと同意しているのだろう。俺は頷いた。
「酷い親父だった。勝手にリストラされちまうし、黙って異世界に転生しちまうし……」
暗闇の中、オリヴィアの霊体が呻き声を上げた。
「だけど、俺ァ知ってるんだ。親父のエロ動画の隠し
『!』
「もし無事に帰ったら、全部バラしてやろうぜ! 俺や、お前に散々迷惑をかけた親父に、ギャフンと言わせてやるんだ」
『!!』
同意するように、再び小刻みに震え出すオリヴィアに向かって、俺は白い歯を見せた。親父にやり返すことを考えると、その怒りが原動力になったのか、何だか腹の底から無性に力が湧いて来た。相変わらず影すら見えない牢獄の中、俺は胸の中に微かに希望の光が差し込むのを感じていた。言葉が通じなくても、分かり合える。それはきっと、オリヴィアの魂も同じ気持ちなのだろう。俺はそれが嬉しかった。
「オリヴィア……お前がいてくれて良かった!」
別れ際俺はオリヴィアをしかと抱き寄せた。見た目はこんなふわふわとした霊体でも、中身が夢にまで見た王女様だと思えば、可愛いものだ。オリヴィアは何だか鳥肌でもたったみたいにブルブル震えていたような気がしたが、きっと武者震いという奴だろう。
「これを持って行ってくれ。親父なら、きっと俺のだって気がつくはずだ」
俺はシャツの中に着ていた学校指定の体操着から、名前のワッペンになってる部分を毟り取りオリヴィアに渡した。オリヴィアは霊体の中に『吉澤』と書かれたワッペンを取り込むと、そのまま湿った壁の向こうへとすり抜けて行った。ワッペンは平べったいから、何とか石畳の隙間を通り抜けることができた。青白い霊体が消えていくのを見届け、俺は少し勇気が湧いて来て、その晩はいつもより少し多めに眠れた。全てを託したオリヴィアが無事ワッペンを届けてくれることを祈りつつ、俺は牢獄の中でひたすら助けがくる日を待った。
◼︎◼︎◼︎
「来い。処刑の時間だ」
「あれっ!?」
数日後。突然扉の向こうから陽の光が差し込み、とうとう兵士たちが俺を連れ出しにやって来た。俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「どうした?」
「い……いや……」
怪訝な顔を浮かべる兵士達に俺は喉から曖昧な音を出して何とか誤魔化した。まさか自分がオリヴィアの霊体に頼んで密かに助けを呼んでいたとも言えなかった。
「……!」
兵士たちの手に握られた極太の鎖を見て、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。何となく、オリヴィアが親父と連絡を取り、遅くとも処刑当日までには助けに来てくれるものと勝手に思っていた。まさか処刑日まで何の音沙汰も無いとは思ってもいなかった。
「来い」
「!」
鉄格子が開けられ、俺は後ろ手に縛られると、兵士に引き摺られるようにして外に出た。久しぶりの外の光は、刺激が強すぎて俺は目を開けていられなかった。何も見えないまま、俺はフラフラと、塔の外に出た真正面にあるゴミ箱に頭から突っ込んだ。
「何やってんだ! 立て!!」
「うぅ……」
兵士が鎖を引っ張り、俺の体はうつ伏せになったままズルズルと引き摺られた。何とか両足を踏ん張り立ち上がろうとしたその時、俺は見た。
床に散乱したゴミの山の上。
『吉澤』のワッペンが、残飯の中に埋もれているのを。
「!!」
「行くぞ。処刑はもうすぐだ」
馬面の兵士が苛立たしげに俺を引っ張り上げた。俺は頭が真っ白になったまま、もはや抵抗する力もなく、処刑場へ向かう荷馬車へと押し込められた。
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