第23話

 シン……と静まり返っていた店内に、カツカツと甲冑の歩く音が響き渡った。

 食器やグラスの音も、服の擦れ合う音ですら聞こえなくなった店内。その場にいた誰もが石のように固まって、突然現れた甲冑の兵たちを見つめていた。鼻ひげの鎧男はゆっくりと、そして堂々と胸を張りながら、客の顔を一人一人ジロリと眺めて歩いた。

「ゴホン! 知っての通り……元王女オリヴィアも今や世間をいたずらに混乱させる【反社会的勢力】と言っても過言ではない……」

(ヤバイ……!)


 俺はカウンターの下で中腰になったまま凍りついた。

 今見つかって調べられでもしたら、言い逃れできない。オリヴィアがこの世界の政府に不満を持ち、戦いを挑み続けているのなら、政府が彼女を捕まえようとするのも至極当然のことだった。『オリヴィア号』が停泊していた港も、きっと見張っていたことだろう。上陸した時や、この店に入る姿も、もしかしたらどこかで見られていたのだろうか? 鼻ひげがフフン、と鼻を鳴らした。


「現在港に、元王女を乗せた船が停まっていることも知っている。聞くところによると、何でもこの街で『協力者』を拾うためだとか……」

「まさか……」

「そうなのか?」

 鼻ひげの言葉に、客たちが顔を寄せ合い小声で囁き合った。どよめきが不協和音のように店内に広がっていく。その間も、鼻ひげは獲物を狙う鷲のように眼光鋭く客たちを眺め回していた。鼻ひげの足が、俺が隠れていたカウンターのすぐそばまで来て止まった。


「……!」

 鼻ひげはそこで、踵でくるりとターンして後ろを向き、飲んだくれていた客たちの方を振り返った。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。オリヴィアは、彼女の魂は、今まさに鼻ひげの足のすぐ横で、呑気にビールを飲んでいた。

「……一人一人調べろ」

「はっ!!」


 鼻ひげの号令とともに、入口を固めていた鎧姿の男たちが店内に雪崩れ込んで来る。客たちは抵抗する間もなく、ある者は後ろ手を取られ、ある者はテーブルに顔を押し付けられながら、政府軍を名乗る兵士たちに執拗に体や荷物を調べられた。活気付いていた店内は、一時騒然となった。兵士たちは入り口から順に店の奥へと進んでいき、やがて俺の隠れている場所まで近づいて来た。心臓の音が聞かれるんじゃないかと不安になり、俺は思わず息を殺して目をギュッと瞑った。

「クソッ……!」

 もうダメだ。このままでは、見つかるのは時間の問題……そう思った、その矢先だった。

「ぐあ……!?」

「隊長!?」

 突然、俺の上から何者かが鼻ひげ目がけて飛んで行き、そのままドロップキックを食らわせた。椅子に座って踏ん反り返っていた鼻ひげはそのまま前につんのめり、動揺する兵士たちを尻目にその人物は一直線に入り口へと走り出した。

「……逃すな! そいつが『協力者』だッ!」


 起き上がった鼻ひげが怒声を上げた。その時にはすでに、その人物は店の入り口にまでさしかかっていた。エプロン姿の、タオル頭のその人物は先ほど俺にグラスを持って来てくれたイキのいいお兄さんだった。逃げる彼に向かって魔法を飛ばそうと、鼻ひげを助け起こした兵士たちが杖を構えた。

「撃てッ! 撃て撃て撃て撃てッ!! 絶対に逃すなッ!!」

 ……しかし、兵士たちの杖から魔法の類が飛んでいくことはなかった。彼らに向かって、オリヴィアが机の下から飛びかかったのだ。

「うわあッ!?」

「何だこいつは……どこに隠れていやがった!?」


 アメーバ状のオリヴィアの魂に纏わり付かれ、兵士たちはバランスを崩し、鼻ひげの上に倒れこむように転がった。もうこうなったら、今しかない。俺は半ばやけになってカウンターの下から飛び出した。

「おい、逃げるぞ!」

 俺は酔っ払って政府軍に絡もうとするオリヴィアの魂を急いで引っ張った。

「ありがとよ! また、どこかで!」

「!」

 入り口に向き直ると、タオル頭のお兄さんが俺に白い歯を見せて外へと飛び出した。オリヴィアを脇に抱え、俺も急いで店の入り口へと走り出そうとした。だが……。


「逃すかあああッ!!」

 再び起き上がった鼻ひげが烈火のごとく怒り狂い、店内に散らばっていた兵士たちが今度は一斉に俺に向けて杖を構えた。まるで銃口を向けられたような気分になって、俺は思わずその場に固まり動けなくなった。

「……!」

 唾を飲み込むと同時に、頬から垂れた冷や汗がポトリと床に滴り落ちた。店内は、今や酷い有様だった。騒ぎのせいでテーブルや椅子はいくつかひっくり返り、並べられていたアルコールやおつまみ、パスタなどが床に散乱していた。

「一体……」

 俺の背中越しに、鼻ひげが低い声で唸るのが聞こえて来た。

「誰だ貴様は……? なぜ『協力者』の味方をする? まさか貴様も……」

 万事休す。杖を構えていた兵士たちがじりっじりっと距離を詰めて来た。客たちも呆然とした表情で、店の真ん中に立つ俺を眺めていた。オリヴィアは固まっていた俺の腕をするりと抜け出し、俺を置いてスルスルと床の上を這い進んだ。

「こいつをひっ捕らえろ! その怪しげな生き物もだ!」

 鼻ひげが叫んだ。その瞬間、

 

 ぼぼんっ!!


 ……と大きな音がして、近くに転がったテーブルや椅子、食べかけのサラダまでもが巨大なぬいぐるみへと変化した。

「うわああっ!?」

「な……なんだこりゃあッ!?」

 持っていた杖が突然タラバガニに変わって、兵士たちがハサミに挟まれまいと慌てて腕を振った。店内が再び蜂の巣を突いたような騒ぎになる。俺は床にいたオリヴィアの魂をマジマジと眺めた。


 魔法だ。

 この光景には、何となく見覚えがある。

 いつぞやの、オリヴィアが俺の体を乗っ取って、教室をめちゃくちゃにしてしまった時……。


、か」

 オリヴィアが床に零れたアルコールに群がっているのを見て、俺はようやく合点が行った。オリヴィアの目的は、初めからアルコールだったのだ。アルコールを摂取すれば、魔法が使えるから。そういえば彼女の父親も、魔法のビールを飲んで炎使いと戦っていたっけ。娘である彼女にも、その血が流れていてもおかしくはない。


「待てェ!!」

「っとと!」

 兵士たちが人形の山に埋もれている間に、オリヴィアの魂は俺の手を引っ張って店の外へと連れ出した。その間も、人形はどんどん数を増やし、めちゃくちゃになった店内で膨れ上がっていった。

「っぶねえ。助かったぜ、オリヴィ……」

 俺たちは勢い良く扉を開け外に飛び出した。外に出ると、店内の喧騒はどこへやら、のどかで真っ青な街が俺たちを待っていた。あのタオル頭のお兄さんは、とっくにどこかへ逃げてしまったらしい。俺はため息を漏らし、額を流れる冷や汗を拭った。店にやって来た追っ手から辛くも逃げ出し、ようやく一息つこうとした、その時。

「安心するのはまだ早いんじゃないのか?」

 俺たちの前に、一人の男が立ち塞がった。


 そいつは大木のように背が高くて、そこに立っているだけで俺たちはすっぽりと影に包まれた。頭の天辺が、もはや店の屋根を飛び越している。二階建ての一軒家くらいはあるだろうか。俺はこんな巨大な人間に今まであったことがなく、思わずぽかんと口を半開きにした。

 金髪で、浅黒い肌で、『いかにも』な高価そうな服を身にまとったそいつは、俺たちを見てニヤリと笑った。そしてそいつの右手には、先ほどのタオル頭のお兄さんが、まるで人形でも持っているかのような感じで、ぐったりと項垂れた様子で握り締められていた。その顔を見た瞬間、俺は背筋にゾゾゾッ! と冷たいものが走るのを感じた。


「逃げ……」

 そう判断した俺が、恐怖に駆られて叫ぼうとしたその瞬間、俺の意識はそこで途絶えた。それはオリヴィアの魂も同じだったのだろう。



 俺たちの目の前に突如現れたそいつこそ。オリヴィアの父亡き後、このファンタジアの初代総理大臣に就任したヘヴンリィ=カルディナスだと、俺はのちに知ることになった。

 

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