第22話
ボートはやがて岸まで流れつき、俺は青い地面の上へと恐る恐る足を伸ばした。固い。見た目こそ海のように半透明だが、その上にちゃんと立てるのが何だか不思議な気分だった。俺は自分の降り立った地面の下を覗き込んだ。奥深くには、大量の小魚が群れをなして土の中を”掘り進んで”いるのが見えた。
「……!」
呆気に取られていると、『草原の海』を漂っていたオリヴィアの魂が俺の足元にすり寄って来た。
「ありがとな」
俺は丸くなったオリヴィアを撫で、改めて辺りをキョロキョロと伺った。港町にはたくさんの船がずらっと並んでいた。まだ朝だからだろうか、目の前の大通りに人はそこまで多くない。ぼんやりと辺りに漂う霧雨の向こうには、白いレンガで出来た四角い建物が立ち並ぶ。その窓から、うっすらと部屋の明かりが漏れて見えた。
オリヴィアがその形を傘に変えた。俺は『魂の傘』を差しながら、岸辺を歩き桟橋の隣に浮かぶオリヴィア号に近づいた。船の乗り込み口には屈強な体をした見張りが二人立っており、その手には長い槍が握りしめられている。彼らは入り口から微動だにせず、俺の姿を見かけるとジロリと睨んで来た。俺は何食わぬ顔で、慌ててその場を通り過ぎた。どうにも船に入れてもらえるような雰囲気でもなかった。
「やっぱオリヴィアに親父が転生してるのかな……」
俺は先ほど盗み聞いた船員たちの話を思い出し、霧雨の中を独り言ちた。オリヴィア元王女は確か、ファンタジアでは政権を降ろされ厄介者扱いされていたはずだ。あの船に乗っている者たちは、さしずめ今の政府への反逆者と言ったところだろうか。
とりあえず、船からオリヴィアが出てくるまで待っていようかと思った矢先、魂の傘が俺を引っ張り、船とは逆方向の建物の方に向かった。
「おいおい……オリヴィア、どこに行くんだよ?」
俺は傘に導かれるままに港町を歩いた。青い地面、白い町。傘はそのまま商店街のような並びの通りまで進んでいった。白い建物にはボチボチと明かりがつき始め、色鮮やかな看板が道の前に出されている。辺りには肉を焼いたような、美味しそうな匂いが漂っていた。その匂いにつられ、俺は急に腹が減りだした。
「そっか……そういえば、まだ何も食ってなかったな」
どうやらこの道の並びにあるのは、飲食店のようだった。店の前に掲げられた看板には、お皿に盛られた、見たこともない食べ物の絵が並んでいる。右側に八百屋のような店があって、俺は試しに、道端に並べられた商品を覗いて見た。サッカーボール大の真っ赤な肉が、刺々しい緑の鱗を付けたままドクドクと脈打っていた。商品の前にぶら下げられていた値札を見て(【カマド=ドラゴンの心臓/10gあたり2000ルビィ】)、俺はそそくさとその場を後にした。
「オリヴィアったら!」
オリヴィアはなおも俺をぐいぐいと引っ張り、商店街を奥へ奥へと進んでいった。やがて俺たちは飲み物の絵が描かれた、巨大な看板の前まで辿り着いた。道の前にまで漂う、独特の匂いで俺は何の店だかすぐに分かった。
「朝っぱらから酒かよ……お前まで」
俺は呆れてため息を漏らした。オリヴィアが連れて来たのは、大衆酒場だった。
もちろん俺はまだ高校生だったから、今まで居酒屋や酒場に入ったことはない。
だが、情報を集めると言う意味ではもってこいな気がした。ゲームや漫画でも、よく酒場で飲んだくれているおっさんたちの話を盗み聞き情報を聞き出しているシーンがあるではないか。
それに……ここは日本ではないのだ。
俺は興味深げに入り口の擦りガラスから店の中をちらりと覗き込んだ。ここは異世界・ファンタジアなのだから、未成年だから飲めないとは限らない。この店に入るのも、親父を、そしてオリヴィアを救い出すためなのだ。
「ったく……しょうがねえなあ」
……とか何とか言い訳しながら、俺は少しドキドキしつつ酒場の扉を押した。なんだかんだ言って、やっぱり俺も入ってみたかったのだ。
◼︎◼︎◼︎
「いらっしゃあい!」
店の中に入った瞬間、頭にタオルを巻いたエプロン姿の男性が俺に向かって大きな声を飛ばして来た。それから、むせ返りそうになるほどのアルコールの匂い。俺は少し顔をしかめ、『傘ヴィア』をたたみながら空いているカウンターの席に座った。
朝だと言うのに、店は活気に溢れていた。
朝の一仕事を終えた漁師たちが、それぞれ四〜五人でテーブルに座り顔を赤らめていた。店内に流れるゆったりとした音楽、そして時折色んなテーブルから爆発したように巻き起こる笑い声がBGMだった。壁にはたくさんの酒瓶が並べられていたり、誰かの顔のドアップのポスターがデカデカと貼られている。何もかもが物珍しくって、俺は右に左に目を泳がせた。
「お客さん、何にします?」
「え? えーッと……」
タオル頭の、いきのいい男性に話しかけられ、俺は慌てて置いてあったメニュー表を手に取った。読めない横文字がずらりと並んでいたので、仕方なく俺は一番値段が安いやつを指差した。
「あいよ! とりあえず生ね!」
カウンターのお兄さんが白い歯を見せて奥に引っ込んだ。やった。本当に、お酒を注文できた。俺はまだちょっとドキドキしながら、近くのテーブルに座る漁師たちの話に耳を傾けた。
「それにしてもよォ……ヒック」
白髪の生えた漁師たちは、グラスにオレンジ色の泡のついたアルコールを片手に話に華を咲かせていた。
「三百年も封印されてたってのに……こっちはいい迷惑だよな、ヒック」
目をトロンとさせたジジイが、呂律も怪しく隣に座っていた仲間に話しかけた。隣にいた男は、テーブルに突っ伏したままピクリとも動こうとしなかった。
「あいつのせいで、お国の目は厳しくなるしよオ」
俺は椅子に腰掛け前を向いたまま、老人の話に耳をすませた。
「戦争するなら……こっちを巻き込むな、ってんだよ。一人で勝手にやれってんだ」
「まぁまぁゲンさん。もういいじゃないか……」
「よかねえよ!」
和気藹々としていた店内に、机をドン! と叩く音が響き渡った。
「あいつのせいで……魔女狩りが始まって。ウチの一人息子は徴兵取られちまったんだ。稼ぎ頭失って、ロクに目も見えねえバアさんと二人で、どうやって暮らしていけっつーんだよ……」
「ゲンさん、もう飲みすぎだよ」
「そうだよ、それに俺たちもいるだろ。だからこうやって、引退した後も俺たち仲間で毎晩漁に出てるんじゃねーか」
他の仲間が白髪の老人の背中を撫り窘めた。ゲンさんと呼ばれた老人はしゃっくり交じりに泣き出してしまった。
「お待たせ! 生一丁!」
「……どうも」
突然目の前にグラスが置かれ、俺は我に返った。だが目の前に泡立つアルコールが置かれても、俺は手をつける気にならなかった。
間違いない。
きっとあの老人たちが話しているのは、オリヴィアの……そして俺の親父の件だ。思った以上に大きな問題になっている……そして親父が他所の世界にまで迷惑をかけていると言うことに、俺はちょっと胸が痛くなった。俺がじっと伏していると、カウンターの下からスルスルと半透明の魂が食指を伸ばしてきて、俺からグラスをかっぱらって飲み始めてしまった。
「あ……おい!」
俺がオリヴィアから酒を奪い返そうとカウンターの下に潜り込んだその瞬間。
「失礼する!!」
突然大きな声とともに、店の入り口が勢いよく開かれた。
集まっていた人々は水を打ったように静まり返り、一斉に入り口を振り返った。机に突っ伏していた酔っ払いまで、何の騒ぎかと目を覚ました。
「我々はファンタジア政府防衛軍である!!」
俺はカウンターの下に潜り込んだまま入り口を盗み見た。銀の甲冑を着たたくさんの男たちが、店の入り口を埋め尽くしている。一番先頭に立っていた背の高い男が、鼻ひげを揺らしながら店内に響き渡る大声で叫んだ。
「実はこの店に、かの反逆者オリヴィア元王女に賛同する……」
オリヴィアの名前が出て、俺は思わず身を強張らせた。
「……政府に反旗を翻す『不穏分子』が紛れ込んでいると言う情報が入った!! 全員、今すぐ協力してもらいたい!!」
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