第20話
「いいかい? 私が”魔法のビール”を飲み干す。すると、この地面に……」
国王が座っていた白いベンチの横を指差した。
「この世界から、ファンタジアへ繋がる”異界の門”が開く。君は合図とともにその穴に飛び込んでくれ。魔法が上手くいっていれば、ものの数分と立たないうちに君は
「上手くいってなかったら?」
公園の地面にぽっかりと空いた巨大な落とし穴に落ちていく様子をイメージしながら、俺は何となしに国王にそう尋ねた。よく晴れた、心地の良い肌触りの風が吹いていた。日が昇ると公園には次第に人影がポツポツと増え始め、芝生の上を散歩したり、ジョギングする利用者の姿が見て取れた。これ以上人が増える前に、早いとこやってしまった方が良いだろう。
「そうだな……その時は、君は地下数百メートルの穴に真っ逆さまに落ち、全身を殴打することになるだろう」
「リスクたけーなオイ」
最悪、怪我するだけならまだマシだが、生き埋めになったりしたらそれこそ転生する羽目になってしまう。国王の言葉に俺は思わず表情を強張らせた。国王は親父の顔で、俺の不安を豪快に笑い飛ばした。
「大丈夫だ。私を誰だと思っている。仮にも国王だった男だぞ。祖国へ通じる穴を作るなど、朝飯前だよ。安心して飛び込んでくれ給え」
「でも……」
「それよりもっと重要なことがある。いいか? 一度ファンタジアへ”異界の門”を開通させるが、ずっと開けっ放しって訳にもいかん。近隣住民とか、君を追って来た奴らに見つかってもマズイしな。そこで、君が
国王が俺の目をじっと覗き込んで来た。
「しかし一度
「一週間……」
俺は生唾を飲み込んだ。つまり、一週間は帰り道の塞がれた一方通行という訳だ。剣や魔法が平気で跋扈する異世界に、丸腰で乗り込んでいくというのはいささか気が削がれた。
「これを渡しておこう」
国王は親父が通勤の際に使っていた鞄から、何やら分厚い本のようなものを取り出した。
「これは?」
「”魔法の本”さ。少ないながらも、私の魔力を込めてある。きっと君の冒険の役に立つはずだよ」
「俺、魔法は使えないんだけどな……」
いくら呪文や詠唱がたくさん載っていても、肝心の魔力がなければ何の効果もない。イタリア語を知らないのに、イタリア語の本を読んでいるようなものだ。少々不安を覚えながらも、俺は国王から”魔法の本”を受け取り自分の通学鞄に入れた。
「君がファンタジアでお父さんを探している間、私が君を追っていた連中を足止めしておこう。覚えておいてくれ。一週間後、再び同じ地点に
「親父の行き先に何か当てはあるんですか?」
俺が国王に尋ねた、その時だった。
「見つけたぜェ……!」
「!」
全身真っ黒焦げになった大男が、ベンチの前の雑木林の中から俺たちの前に姿を現した。さっきの、政府の刺客だ。男はところどころ顔から血を流しながらも、黄ばんだ歯をむき出しにしてニンマリと笑っていた。タフなやつだ。それから男は手にしていたボロ雑巾のようなものをコッチに投げてよこした。
「オリヴィア!!」
俺はボロ雑巾をキャッチした。ボロ雑巾のようなものは、オリヴィアの魂だった。青白かった霊魂は煤に塗れ、ぶよぶよだった表面はささくれ立っている。変わり果てた魂の姿に、俺は思わず悲鳴を上げた。
「いかん!」
予想以上に早い追っ手に、国王の顔色がさっと変わった。国王は手にしていた”魔法のビール”を急いで口に運んだ。
「おお……!?」
すると、俺たちが立っている地面が突然揺れ始め、地割れのようにひび割れた。異界の門だ。俺も、大男も息を飲んでその様子を見守っていた。転ばないよう必死にバランスを取りながら、中を覗き込むと、ひび割れた地面の奥に真っ白な霧のようなものが浮かんでいた。思ったより、狭い
「急げ、芳樹くん!」
「!」
国王がそう叫び、俺を庇うように男の前に立った。それから通勤鞄から二本目のビールを取り出し、ぐいっと飲み干した。目の前にいた大男も、負けじと新品のマグカップを口に運んだ。
「ウオオオオオ!!」
「オアアアアア!!」
俺は息を飲んだ。服を焼け焦がした男の周りに紫の炎の群れが出現し、矢のように一斉に俺たちに向かって飛んで来た。しかし、国王の背中にも無数の泡立った金色の……ビールだろうか……水でできた人魂のようなものが現れ、火球を迎え撃った。静かな公園の一角で、紫の炎とビールの塊が空中でぶつかり合った。
「しゃらくせえッ!!」
魔力同士がぶつかり合い、互いの力量が分かったのか、半裸の男の面構えが変わった。それから追撃を召喚しようと、マグカップを飲み干す。国王もまた、深刻な表情で三本目の缶ビールを取り出した。再び、芝生の上で紫の炎とビールで出来た流星群が衝突する。魔力を何も持たないものが側から見たら、二人が何やら向かい合ってお互い叫びながら、何やら新手の飲み会でもしているとしか見えないだろう。ただ、向こうは清涼飲料水なのに対し、こちらはアルコール飲料だから、限界はこちらの方が早そうだった。
「急ぐんだッ! 早く飛び込めッ」
「う……!」
国王が俺に背を向けたまま、鋭く叫んだ。俺は一瞬躊躇ったが、意を決して”魔法の本”とボロボロになったオリヴィアの魂を抱きかかえたまま地割れの中を覗き込んだ。
「うおおお……ッ!?」
俺の右頬を、ビールの網を掻い潜った紫の火球が猛スピードで掠めて行った。慌てて地面を蹴ると、そのまま俺たちは白い霧の中に吸い込まれていった。
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