第19話

「オリヴィア……!?」


 気がつくと、俺の背後から飛び出してきた青白い霊魂が、矢のように降り注ぐ火球を一身に受けていた。ちょうど、薄いドームに包まれたような形だ。

 紫の炎はしかし、一度や二度では尽きることもなく、瞬く間に膜になったオリヴィアの表面を埋め尽くした。一直線に向かって来た火球の群れは隕石のように衝突し続けた。


「!」

 このままでは、破られる。

 俺は目を見開いた。火球の攻撃を受けるにつれ、だんだんと、俺を覆っていたドームの中の空間が押しやられ狭くなって来た。息つく暇もなく、俺は目の前に広がっていく紫の火の海を食い入るように見つめた。すると、ドームの表面に立ち上がる火柱の隙間から、大男がさらに新たな火球を作り出そうとマグカップを口に近づけているのが見えた。その瞬間、俺を覆っていた薄い膜が一度伸縮し、バネのようにマグカップの男に飛びかかった。


「うおッとォ……!?」

 霊魂の表面で燃え盛っていた炎ごと、オリヴィアが今度は男を包み込みに行った。男は慌ててその場を飛び退いたが、体を自由に伸び縮みさせる”オリヴィアちゃん”に追い縋られ、敢え無くそのスーツの端をアメーバ状の魂に捉えられた。男の来ていた灰色のスーツから、紫色の火の手が上がる。男は慌てて焼け焦げた服を脱ぎ始めた。


「何しやがんだ、てめッ!?」

 逃げ惑う男に向かって、オリヴィアはなおも追い討ちをかけるように、魂を燃やしたまま飛びかかり続けた。俺はまだ地面に座り込んだまま、呆然とその様子を眺めていた。

「こっちだ!」

 すると、並木道の向こうから俺を呼びかける声がした。

「親父……?」

 向こうから俺に声をかけたのは、会社に出勤したはずの親父だった。俺は思わずぽかんと口を開けた。黒のスーツに紺のネクタイを巻いた親父は、まだ朝だというのに右手に缶ビールを握りしめ、必死の形相で俺に手招きしていた。


「急いで、!」

 親父が再び叫んだ。俺は気を取り直し、弾かれるように立ち上がった。見ると、自分の作り出した紫の炎に巻かれた大男が、全身をオリヴィアに纏わり付かれ、近所迷惑な叫び声を上げて地面をのたうち回っていた。遠くの方で消防車のサイレンが聞こえる。男は炎に包まれ悲鳴を上げながらも、何かをつかみ取ろうと必死に手を伸ばしていた。俺は、男の手の先に転がっていた”魔法のマグカップ”を思いっきり蹴っ飛ばして叩き割り、急いで親父のいる方に走って行った。


□□□


「はぁ……はぁ……!」

「ここまでくれば、もう安全だろう」


 俺と親父は今いつもの通学路を遠く離れ、隣町に近い公園へと来ていた。だらだらと、顔から滝のように汗が流れて、草むらの上に雫を作った。親父はポケットからハンカチを差し出し、俺が息を整えるまで黙って待っていてくれた。


「芳樹くん」

 しばらくして俺が顔を上げると、親父は近くにあった白い石灰石のベンチに腰掛けていた。まだ肩で息をする俺に、親父はいつになく神妙な面持ちで話しかけて来た。


 その時、俺はこの間から感じていた親父への違和感に思い当たった。

 親父は俺のことを、他人行儀に「くん」付けで呼んだりしない。

「今こそ君に、真実を話そう。驚かないで聞いて欲しい……」

 親父は白いベンチに座ったまま、じっと俺の目を見据えて呟いた。


 親父は……いや、もしかしたら親父ではないかもしれないその人物は……いつもより精悍で、表情が引き締まって見えた。やっぱり、俺の予感は当たっていたのかもしれない。思えば最初にアリシアとオリヴィアが姉妹ゲンカを始めた時も、助けてくれたのは親父だった。まるで魔法としか思えないような動きで……あの時から、親父には何かしらの秘密があったのだ。


 俺は黙って頷いた。大丈夫だ。ここ最近じゃ、俺は体を奪われ魂だけの姿にされた挙句、異世界の魔女や魔物に置いたてられ、挙句政府の秘密組織に狙われる羽目になってしまったのだ。今更親父の正体が魔王だろうがなんだろうが、ちょっとやそっとのことじゃ驚かない。

「君のお父さんは……」

「…………」

「実は先月会社をリストラされ……家族に毎朝”出勤してくる”と嘘をついて、この公園で酒を飲んでいたんだ」

「えッ!?」


 俺は驚いてその場から崩れ落ちそうになった。親父はビール缶を握りしめ、どこまでも真剣な表情で頷いた。

「そして今、君のお父さんの体に入っている”私”は、何を隠そう、元ファンタジア国王のキルスト=イーストバーグなんだ」

「そ……」

 驚きどころを間違えた俺は、なんとも間抜けな返事をした。

「そうなんですか」

「そうなんだ。今まで黙っていてすまない……」

「いえ、こちらこそ……その、初めまして」

 苦悶の表情を浮かべる元国王に、俺は頭を下げた。ファンタジアの元国王ということは、あのオリヴィアとアリシアの父親に違いない。思えば何処と無くその西洋人風の顔立ちもアリシアに似ていた。国王は缶ビールを一口飲み干し、ほんのり顔を赤くして話を続けた。

「それで、さっき君を襲った連中のことなんだが……」

「いえ、待ってください」

 俺は国王を遮った。

「先に親父の話を聞かせてくれませんか。先月リストラにあったとかなんとか……」

「ああ。なんでも”ケイエイフシン”と言うやつでね。”カイシャハキボヲオオハバニシュクショウシシテンヤイクツカノブモンヲタタンダ”。それで君のお父さんは職を失い、異世界に転生しようと悩んでいたんだ」

「…………」


 それでか。俺はようやく合点がいった。

 なぜ急に親父が、家族の食事で転生などと言う話をし出したのか。

「そして君のお父さんは私の娘のオリヴィアちゃんと出会い、家族に内緒で転生していたんだ」

「…………」

 野郎、本当に家族を置き去りにしていきやがった。俺は喉まで出かかった「最低」と言う言葉を飲み込んだ。

「そして彼の魂は元の体を離れた……その時、きっと娘の持つ血の繋がりと魔力に引き寄せられたのだろう。私はすでに鎮魂されてファンタジアの墓場の奥深くで眠っていたのだが……引っ張られるように、気がつくと君のお父さんの体の中で目を覚ました」

「じゃあ、アリシアが会いに来た時は……」

「ああ。あの時すでに、私は君のお父さんの体を借りていた。二人が怪我をしないように、こっそり魔法の力を使って手助けをしたんだ」

 飲みかけのビール缶を掲げて、国王が頷いた。やっぱり、俺の推測は正しかった。正しかったが、それよりも『リストラ』の方が寝耳に水で、話がイマイチ入って来なかった。


「本当は正体を打ち明けるべきだったのだろうが……オリヴィアちゃんの耳に入ったら、この世界に住むと言い出しかねない。彼女はまだ、私が死んだことを色々と引きずっていたようだからね。そこでしばらくの間、脳から記憶を読み取り、君のお父さんのフリをして静観させてもらった」

「オリヴィアは……」

 俺は必死に記憶を手繰り寄せた。

 ファンタジアの魔女・オリヴィアはこの日本で、ツワモノを集めて軍を作りファンタジアを取り返すと宣っていた。そして彼女が魔女になったのは、確か彼女の父親が不治の病に罹って、その治療法を探すためだった。

「オリヴィアちゃんは、私が父親として責任を持って連れて帰る。他の世界への政治干渉など、あまり褒められた行為ではないからね。本当に多大なご迷惑をかけて、申し訳ない」

「いえ……」

「それで、君のお父さんの魂なんだが……」

 オリヴィアの父親が、少し困ったように頭を掻いた。

「おそらく君のお父さんは今、ファンタジアに転生している」

 俺は頷いた。万が一にも政府の用意した正規のルートで転生しているはずがない。オリヴィアの魔法で違法に転生したに違いないから、行き先は想像に難くなかった。


「君を追っていた連中、彼らが君を危険視するのも、その転生魔法のせいだ。オリヴィアちゃんの魔法は、彼らにとって自分たちの城壁を打ち破った”コンピューターウイルス”、”ハッキング”のようなもの。彼らにとっては、面白いはずがない」

「ご迷惑をかけて、本当に申し訳ございません」

「いや、こちらの方こそ」

 俺は深々と頭を下げた。国王も沈痛な面持ちで首を垂れた。しかし、かたやお転婆娘の尻拭いで、かたやリストラされた親父の後始末だ。これが王族と庶民の違いだろうか。俺はなんだか情けなくなって来た。


「しかしこうなった以上、全てを元に戻さねばなるまい」

 それから国王はビール缶をぐいっと飲み干し、顔を真っ赤にして俺に向かって低い声で言った。


「芳樹くん。君のお父さんを取り戻すために、ファンタジアに転生してくれないだろうか?」

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