第15話

「ったく。困るんだよな、勝手なことされちゃあ」


 静まり返った夜の住宅街の一角。その片隅に風のように姿を現した井納が、メンドくさそうに頭をボリボリと掻いた。


『井納……! 何でここに……!?』

 俺は背筋が凍る思いでその場に立ちすくんだ。さらに暗闇に目を凝らすと、夕方校庭で遭遇した武装集団も目に入った。恐らく井納の部下……いや、部隊なのだろう。気がつくと、全身完全防備の、肩から巨大な猟銃ライフルをぶら下げた男たちが、吉澤家をぐるっと取り囲んでいる。今俺の家は、何十丁という銃で狙われていた。


「よりにもよって、全国放送のニュースのインタビュー受けるなんてさあ。ベラベラベラベラ喋ってくれちゃって。良ぃい? イチオウね、この国じゃあ魔法の類は持ち込み禁止ってことになってんの! 事の重大さが分かってんのかね、あのガキは」

 井納が誰に言うわけでもなくブツクサと文句を垂れた。その顔にはありありと苛立ちの色が見える。本来なら『勤務時間後』であろう夜中にこうして駆り出され、疲れを隠せていなかった。井納もまた、オリヴィアの奇行とも言える突飛な行動に心底嫌気がさしているようだ。この点に関しては、俺はこの男と意見が合いそうだった。暗闇の中に「ボッ」と一瞬灯りが点いて、井納が咥えた煙草に火をつけた。


「……いっそもうバラしちまうか、ここで」

『!』

 ふぅー……と吐き出した白い煙を夜の色の中に撒き散らしながら、井納がボソッと呟いた。その声はどこまでも冷たく、その顔はどこまでも冷静だった。

「なあ? あのガキ、昼間の出来事が単なる脅しだとでも思ってんのかね? もうめんどくせーよ。ここまで来たらもう十分処罰対象だろ?」

「は!」

 井納が怠そうに武装集団の一人に話しかけた。防弾チョッキを身にまとった若い男は銃口を俺の家の方に向けたまま、片手で井納に軽く敬礼して応えた。


「こんだけ人前で堂々と異世界の魔法使われたら、なあ? ”ゲームや漫画に影響されすぎた少年の妄言”ってことにする訳にもいかないだろうしなあ」

 俺はゾッとした。

 ハッタリではない。本気で言っているんだと、その表情が物語っていた。この井納とか言う男は本気でオリヴィアを……俺の肉体を、ここで始末しようとしているのだと。


「決めたわ。やっぱ今夜潰そう。この家ごと」

『!!』

「井納さん。この、よく分からない生き物はどうしますか?」

 頭に頑丈そうなヘルメットを付けた男が、足元にいた俺を指差しながら井納に尋ねた。井納は昼間の時と同じように、昆虫でも見るかのような冷たい目でちらりと俺を見た。それから短くなった煙草を俺の目の前にポトリと落とし、高そうな革靴の先端でグリグリグリグリ!! と踏みつけた。

「ぶち込んどけ。なんかの実験材料にはなんだろ」

「は!」

『!!!』

 

 それから井納はまるで興味を無くしたように俺から視線を逸らした。井納はゆらゆらと一、二歩前に進み、右手を俺の家に向けて掲げた。おそらく彼の右手に埋められた宝石が、風の魔法を操る触媒なのだろう。それが合図だったかのように、家を取り囲んだ大勢の男たちが臨戦体勢に入る。俺はどうすることもできず、ただその様子を狼狽えながら見つめるしかなかった。


『オイ……嘘だろ……?』

 俺は思わず呟いた。口元に三日月型の笑みを浮かべた井納が、右手に埋め込まれた宝石をキラリと光らせた、その時だった。

 ガチャリ。

 と音がして、俺の家の玄関がゆっくりと開かれた。暗くなった夜道に、開かれた扉の隙間から、家の中のオレンジ色の仄かな灯りが漏れて見えた。

「ム?」

 向こうから姿を現したのは、パジャマを着たオリヴィアだった。オリヴィアが顔を見せるなり、武装兵たちが一斉に彼女に銃口を向けた。オリヴィアは片手に鯖の煮付けを持ったまま、キョトンとした顔で目を瞬かせた。


「何じゃお前たちは?」

「これはこれは、こんばんは吉澤クン」

 オリヴィアを見て、井納がおどけるように囁いた。井納は社交ダンスのように馬鹿丁寧にお辞儀をしてみせた後、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「また一段と派手な御登場で」

「あ! お前は!!」

 オリヴィアが井納の姿を見て途端に血相を変えた。

「イノー! 何でここに……!?」

「何でここに……って、全国放送で呼び出しておいて、その言い草はないだろう」

 灰色のスーツが呆れたように肩をすくめた。オリヴィアは、家を取り囲んでいる武装兵を少し驚いた表情でぐるりと見渡した。


「杖を返せ!!」

「いやはや……全く、自分の立場というものが分かってない」

 井納は掲げた右手を指揮者のようにゆらゆらと揺らした。途端に、何もなかった空間に真っ白な鎌のようなものが浮かび上がった。周囲の風が集まってできた鎌。その鎌はアニメやドラマに出てくるステレオタイプな死神が持っているような、禍々しい形をしていた。井納が風でできた鎌をそのまま突き出した右手で握りしめた。


「杖を返せと言うとるのが分からんか!!」

「こいつか?」

 井納が嘲るように笑い、スーツの胸ポケットからオリヴィアの杖を取り出した。それから親指と人差し指で杖をつまみ、空中でゆらゆらと振って見せた。

「貴様ぁ……!」

「血気盛んなお年頃なのは分かるんだが、自慢の杖も取られて、一体どうやって戦うつもりなんだか」

「どうやって戦うか、じゃと?」


 今にも噛みつかんばかりの勢いだったオリヴィアが、井納の言葉に気を取り直し不敵な笑みを浮かべた。それから武装集団を見渡し、持っていた鯖の煮付けを一口齧った。

「マヌケめ。貴様は、杖よりももっと警戒すべきものを見過ごしていたようじゃな」

「はあ?」

「まだ分からぬか?」

「……?」

「そこにおるじゃろう、そこに」

 そう言ってオリヴィアは俺を指差した。井納が心から困惑した顔でこちらを振り返った。


「ヨッシーこそ、真の切り札! 神に背いた貴様らを討つための遣いよ!!」

『だから勝手なこと言うなって……!』

「こいつが?」

「今に見ていろ! ヨッシーが、貴様を地の果てまでぶっ飛ばすぞ!!」

 オリヴィアが嬉しそうに叫んだ。その期待に満ち溢れた目。俺は今すぐにでも逃げ出したい気分だった。井納が俺のそばにゆらゆらと歩み寄り、それからかがんで俺を覗き込んだ。


『……!』

 俺に鼻がくっつくくらい顔を近づけ、井納が怪訝そうに片眉を釣り上げた。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。間髪容れず、井納が握りしめた風の鎌を俺の頭上に振り下ろした。

『ぎゃあああああ!!』

 鎌が俺の魂を切り裂き、俺は絶叫した。魂だから、痛みはない。だが、自分の魂を真っ二つにされるまで、何の抵抗もできなかった。俺は目玉が飛び出るくらい目を見開き、目の前で凶器を振るうスーツ姿の公人を見上げた。井納は銀色の月明かりに照らされ、その丸い眼鏡を光らせた。


「……切られたぞ」

「そうやって、相手を油断させとるんじゃ! さあやれ、ヨッシー!!」

『ぎゃあああああッ!?』

「どう見ても泣き叫んでるようにしか見えないが……」

 井納が少し拍子抜けしたように肩をすくめた。


「……可哀想になあ。お前も向こうの世界で大人しく生きていたら、こんな目に合わずに済んだのになあ」

 井納がアスファルトの上でのたうち回る俺を見下ろして、憐憫の表情を浮かべた。騒ぎを聞きつけた近隣住民たちが、一体何事かと窓の向こうから外の様子を眺めているのが見えた。

「ヨッシー!!」

「ま。恨むんなら吉澤クンを恨むんだな」

 それから井納は再び鎌を両手で握りしめ、月明かりの下に高く掲げた。

『ぎゃああああああッ!!』

 

 真っ二つになった俺の魂に、もう一度風でできた鎌が振り下ろされた。俺は目をぎゅっと瞑った。鎌の切っ先が俺を貫くその刹那、走馬灯が頭の中を駆け巡る。母さんの顔、小鳥の顔、じいちゃんの、ばあちゃんの、友人たちの、そしてビールを飲んで顔を赤くしている親父の顔……もうダメだ。このまま狂風に八つ裂きにされる。魂は散り散りにされ、塵芥と化し大気中を漂う存在に成り下がるのだろうと、覚悟を決めたその時だった。


『……?』

 ……いくら待っても、鎌が降ってこない。いくら走馬灯を見ているにしても、長すぎる。元々知り合いもそんなに多くなく、流石に顔のレパートリーも尽きてきた。衝撃に備えて身を縮こまらせていた俺は、恐る恐る目を開いた。

『なんだ……?』


 気がつくと、辺りは真っ暗になっていた。

 もはや街灯も星の光も存在しない、先ほどよりもさらに深い闇の中。一体何が起こっているのか分からず、俺は混乱した。

「これは……瞬間移動か?」

『!』

 目の前で何かが蠢いた。真っ暗で何も見えないが、井納もまた、俺と同じように暗闇の中に閉じ込められたようだった。時折地面がガタガタと揺れ、遠くの方から轟々と重たい響きが耳に届いてきた。どうやら狭い空間のようだ。


「なるほど、下等生物でもイチオウ低級な魔法は使えるらしい……」

『へ?』

 俺の正面で、井納の丸眼鏡がキラリと光った。

「だが、こんな暗闇に閉じ込めた程度で、俺をどうにかできると思うな……」

『ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は何も……!?』

「来い、ヘルヴィス!!」


 井納が叫び、辺りに再び風が吹き始めた。次第に目が慣れ始めた暗がりの中で、昼間見たあの風のドラゴンが、井納の右手に合わせてゆっくりとその姿を形作り始めた。

『俺じゃないって! どうなってんだよ一体……!?』

 俺は慌てて叫んだ。俺は何もやってない。本当に、ここがどこだかも分からなかった。だが俺の声は井納には通じず、風のドラゴンはみるみるうちに大きくなり、やがて辺りは立ってられないほどの強風で満たされた。

「ソイツを食い尽くせ、ヘルヴィス!!」

『うわあぁあッ!?』


 ドラゴンは、いつの間にか連れてこられた暗闇の中をあっという間に埋め尽くし、爆発するようにその体躯を膨らませた。俺は揺れる地面の上で飛ばされないように必死に踏ん張った。元々その体は風でできているので、まるで狭い空間を突き破らんとする勢いで、ドラゴンはどこまでも大きくなった。井納の合図とともに、ドラゴンがその大口を開け俺を巨大な牙で貫こうとした、まさにその瞬間。


 バン! と音がして暗闇が四角く切り取られた。

 俺たちが閉じ込められていた空間の中に、向こうから光が差し込んできた。どうやらすぐ横が壁になっていたようで、切り取られた四角い形は扉の形だった。ドラゴンの体積がとうとう闇を凌駕し、扉を破壊したのである。


「なんだ……?」

 その瞬間、井納も俺も壊された扉を見た。一瞬の戸惑いを見せた後、

「うおおおおおおぉッ!?」

 井納はものすごい勢いで扉の方へと引きづりこまれて行った。辺りを満たしていた風のドラゴンも、井納と一緒に瞬く間に四角い光の中へと吸い込まれていった。扉から一番遠くにいた俺は、飛ばされないように必死に足を踏ん張った。


『あれは……!』

 俺は息を飲んだ。

 開け放たれた四角い扉の向こうには、満天の星と、眼下に淡い灰色の雲の海が広がっていた。

 これで俺はようやく理解した。

 俺たちが飛ばされたのは……飛行機の中だ。

『……!!』


 上空約一万メートル。

 機内との気圧の差によって、井納と、風でできたドラゴンは一気に外へと吐き出されて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る