第14話

『良いか? 今すぐワシに杖を返しに来い! そうすれば命だけは助けてやる。さもなくば、我がファンタジアの兵士どもと魔族の大群が、貴様を地の底まで追いかけ続けその魂が擦り切れるまで何百万回と”転生”させ続けてやる!!』



「……あらまあ。綺麗に映ってるわねえ、オリヴィアちゃん」

 リビングに置かれたテレビの大画面に、カメラに向かって怒声を放つ俺の顔が映し出されていた。スーパーで買ってきた惣菜を全員分の皿に取り分け、母さんが画面にちらりと見て感心したように呟いた。親父がその横でビール片手にうんうんと頷いた。


「全くだ。最近のテレビはすごいよ。解像度が違うんだ、解像度が」

「さぁ、今夜は鯖の煮付けですよ。入ったら、店員さんが半額シールを貼ってるところだったの。ちょうど良かったわ」

「うぅ……スイまセン、お母サン。私が不甲斐ナイばっカリに……」

「何言ってんの。アリシアちゃんは気に病まなくていいのよ。大した怪我が無くて何よりだわ」

「そうだよ。元気出して! 明日休みだし、オリヴィアちゃんと三人でカラオケいこ? ね?」

「小鳥チャン……皆サン。ア、アリガトウございマス……ッ!」

「もう! 泣かないの!」

「そうじゃぞアリシア。後はワシに任せい。ワシと、魔獣”ヨッシー”にな!」

「フフ……」

「そう、その意気よ。うふふ……」

「あはは」

「アハハハ……!」

「アッハッハッハッハ……!!」

『笑ってんじゃねえよォオイ!!』


 リビングで美味しそうに鯖の煮付けをつつき始めた家族に、俺は一人家族に聞こえない声で叫んだ。テレビ画面には、引き続きオリヴィアの怒りのインタビューが映し出されている。


『それだけ!? 俺の話題それだけ!? お気楽過ぎんだろ!? のん気に一家団欒してる場合か!? 全国で報道されてんだぞコレ! 事の重大さにもっと慄けよ!!』

「どうしたヨッシー? お主も”さばのにつけ”が食べたいのか?」

 テーブルの端で、魂全体を躍動させてアピールを続ける俺に、オリヴィアが何をどう勘違いしたのか食べかけの鯖を差し出してきた。俺は差し出された皿を触手のように伸ばした魂の先端で思いっきり弾いた。


「……どうしたんでショウ? この子、今日はなんだか荒れてマスね」

「魚は嫌いなのかなあ?」

 その様子を見て、夕食を食べていた小鳥とアリシアが不思議そうに俺を覗き込んできた。

「大事な戦の前じゃからな。気は立っとるじゃろうて」

 オリヴィアが二人の隣で腰をかがめ、少し誇らしそうに鼻息を荒くした。

『冗談じゃねえよ!! あんなバケモノ、勝てるわけないじゃん!!』

「とはいえ”はらがへってはなんとやら”だ。ホレ、今のうちにたらふく食っとけ」

『自分らは戦わないからってそんな悠長な……ぎゃあああッ!!』

 オリヴィアが俺の上にのしかかり、無理やり半透明の魂の中にさばの煮付けを押し込んできたので、俺はそこで喋るのを断念した。



 一体何をどう間違ったら、こんな事態になってしまうのだ。


 リビングのテレビでは、まだオリヴィアが夕方受けたテレビ局の取材の様子が報道されていた。あの後、オリヴィアは俺の静止を振り切り、家の前に集まったカメラの前で堂々とインタビューを受け井納に宣戦布告した。その様子は夜には各局の報道番組を駆け巡り、俺の顔と名前は瞬く間に全国に知れ渡ることになった。だからあれほど目立つなと言ったのに。ああいう輩に狙われるから、目立ちたくなかったのに。手遅れの事態にもはやどうしていいか分からず、俺は咽び泣いた。


「でも……」

 鯖に夢中になっている姉に、アリシアが少し不安そうに尋ねた。

「一体、どうやってあの風の竜に立ち向かうつもりデスか? お姉様」

 全くだ。

 アリシアの言葉に俺は激しく頷いた。

 魔法の杖も相手に取られ、ただでさえ触ることすらできなかったあの敵と、一体どうやって戦うというのだろう。あんなに堂々とカメラの前で宣戦布告したのだから、まさかオリヴィアもなんの考えもなしにただ威勢のいいことを喚いているだけではあるまい。


「ふむ。それはな……」

 不安げな妹に、オリヴィアは不敵な笑みを浮かべた。

「……きっとヨッシーが、考えてくれとることじゃろう」

『は?』

 俺の肩の辺りを、オリヴィアがポンポンと誇らしげに叩いて見せた。俺はぽかんと口を開けたまま、彼女の言葉の意味が分からずしばらくぼんやりと目線を泳がせた。


「まあ。そうだったンデスね!」

 姉の言葉に、アリシアは表情をぱあっと明るくし、両手を顔の前でぱん! と叩いた。オリヴィアがうんうんと頷いた。

「当たり前じゃろう。ファンタジアの神々が遣わした、百戦錬磨の魔獣じゃぞ」

『は……?』

「ワシが杖も”キマイラ”も奴らに奪われた時、ヨッシーが颯爽と現れて、身を挺してワシを助けてくれたのじゃ」

『は…………』

「それに魔法の杖を取られた以上、下手に加勢してヨッシーの邪魔をしてはかわいそうじゃろう」

『…………』

「そういう訳じゃから。ワシは邪魔をせんから、思う存分やっとくれい。頼んだぞ、ヨッシー」

『…………』


 オリヴィアがそう言って優しく俺の丸いボディを撫でた。何がそういう訳だ。俺はもはや何か言い返す気も失せ、テレビ画面に映し出される俺の顔のドアップと、見慣れた家の前の風景をぼんやりと眺めていた。


「”……非常に由々しき事態ですね。彼は今日だけでも自分の通う校舎を半壊させています。周囲の皆さん、危険が伴いますのでどうか迂闊に”吉澤芳樹さん”に近づかないようお願いします。……それでは続いてのニュースです。今夜のプロ野球の結果ですが……”」


 テーブルの上では家族が楽しそうに夕食を囲み、テレビは流れるように次のニュースの話題へと移って行った。俺は賑やかな食事の様子をぼんやりと見上げながら、彼らの笑い声をどこか遠くの出来事のように感じていた。


□□□


 逃げよう。

 

 夜中になり、家族が寝静まった後、俺はようやく決心した。

 このままでは俺の魂が持たない。

 家族全員が寝静まった後、俺はそっと玄関の扉を開けた。夜の街はすっかり暗く染まっている。遠くの方で深夜営業中のネオンの明かりがぼんやりと白く輝いていた。まだ春とはいえ、外の風は冷たかった。門を抜け道路に一歩踏み出すと、俺はブルっと魂を震わせた。

 これからどこに行こう?

 とにかく遠くがいい。俺の顔は割れてしまったが、幸い魂までは見つかっていない。あの風のドラゴンと戦わされる前に、全然関係ない土地へ……。


 夜風が一段と吹き荒れて、俺は身を縮こまらせた。

「やれやれ……」

「!」

 その時だった。

 家の近くの電信柱の影から、一人の男が風のように姿を現した。どこかで聞いたことのある声が俺の耳に届く。男はギクリと体を強張らせる俺の前に立ち、呆れたように肩をすくめた。


「だからあれほど目立つなと言ったのに……またえらく派手に立ち回ってくれたもんだ。君の飼い主と来たら……なあ? 百戦錬磨の魔獣クン」

 井納だった。

 灰色のスーツに身を包んだ井納は、逃げようとする俺の前に立ちふさがり、深々とため息をついた。

 

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