第13話

 学校と病院の間を、何台もの救急車が行き来している。オリヴィアはその場に突っ立ったまま、半壊した校舎から立ち上る黒い煙を、ただぼんやりと見つめていた。俺もまた、桜の木の陰に隠れたまま、オリヴィアと同じようにその場に立ち尽くした。


 両手があったら、頭を抱えているところだ。

 

 突然現れた、井納という男。

 校庭に現れた謎のドラゴンは、彼が作り出したものなのだろうか? 

 よっぽどの手練れなのだろう。彼の率いる謎の武装集団に、あのオリヴィアが、何の抵抗もできずに杖を奪われてしまった。『全国異能災害対策本部』とか何とか名乗っていたが、一体何をする機関なのだろうか?

 見当もつかなかったが、井納は国の統括する組織であるようなことを仄めかしていた。


 何よりも、彼が口にした”政府の駆除対象候補”という、決していい意味ではないであろう不穏な言葉が、俺の胸の中を掻き毟った。

 まさか……まさかとは思うが、彼らは俺が違法に別世界のアイテムを入手し、悪用しているとでも思っているのだろうか? 

 だとしたらとんだ勘違いだ。

 やったのは俺じゃなくてオリヴィアだ。異世界からやって来た小生意気な魔女が、俺の体を乗っ取ってめちゃくちゃなことをやり出したのだ。だけど……。


 彼らの標的になっているのは、俺だ。今やこの国にとって災害扱いになっているのは、あくまで俺の体だ。


 このままでは台風や地震と同じように、オリヴィアが暴れるたびに『緊急吉澤速報』として、全国報道されかねない。


 オリヴィアは先ほどから、じっと同じ方角を見つめたまま唇を噛んでいた。その視線の先には、剥き出しになった鉄骨や、かろうじて残った床の部分にうずくまる生徒の様子が写っている。無意識なのか、ぶら下げたその右手がもどかしそうに空を掴んだ。杖があったら、この程度の損傷など一瞬で片付けるのに……そんなことを思っているのかもしれない。俺はのそのそと桜の木の陰から這い出し、そっとオリヴィアに近づいた。


『あっ!? オイ!』

 俺が彼女の後ろの方で所在なくしていると、オリヴィアは突然半壊した校舎に向けて走り出した。俺は慌ててオリヴィアを追いかけ、彼女の背中に飛びかかった。

『オイ、どこ行く気だ! そっちは危ないだろ』

「くっ……離せ、ヨッシー!」

 アメーバ状になった俺の魂に纏わり付かれたオリヴィアは、足を絡め取られてその場に倒れこんだ。魔法の杖がなければ、ただの俺の体だ。元々の身体能力はそれほど高くない。オリヴィアはあっさりと俺に押さえつけられ、動けなくなった。

「奴らを助けに行かねば……!」

 オリヴィアは地面にひれ伏したまま、逃げ遅れた生徒のいる校舎の方を睨んだ。

『待て待て。杖もないお前に何ができる。救助隊を信じて大人しくしてろ……』

「離してくれヨッシー……! ワシのせいじゃ、ワシのせいでこんな……」

 俺の方を向いたオリヴィアの目は、今まで見たこともない怒りの色に染まっていた。


 俺はただ無言でオリヴィアを見つめていた。

 分かってる。

 あの井納という男は、いかすけない。こんなシャレにならない惨事を巻き起こしたのが、一体誰のせいだとか、今は責める気にもならなかった。何より、一番この事態に責任を感じているのは誰なのか、彼女のその横顔が十分に物語っていた。オリヴィアは俺にのしかかられながらも、半壊した校舎に向かおうと必死に腕をばたつかせた。

「離せ……離すのじゃ……!」

『オリヴィア……』

「モンスターに襲われているところすみません」

「!」


 不意に後ろから声をかけられ、俺は驚いて振り返った。

 そこには、マイクを片手に持ったスーツ姿の小ぎれいな男や、肩に大きなカメラを抱えた大柄の男たちが立っていた。彼らの腕に巻かれた臙脂色の腕章には、『報道局』の文字が並んでいる。地元のテレビ局の取材か何からしい。いつの間に事件を聞きつけていたのだろうか。校舎の中にまでやって来た報道関係者が、興味深そうにこちらを覗き込んでいた。彼らの視線は俺の半透明の魂を素通りして、地面の上で踠いているオリヴィアに注がれていた。


「大丈夫ですか? さっきから苦しそうですけど、お怪我は?」

「何じゃ……?」

「少々お話を伺ってもよろしいですか? 私たち、この高校の『吉澤芳樹』君と言う名前の生徒を探しているんですけど……」

「!」


 横たわるオリヴィアに若いアナウンサーがマイクを差し出した。俺は心臓に釘を打ち込まれたかのように、その場でギクリと体を強張らせた。もう広まっているのだ。オリヴィアの噂……俺の噂が。


「失礼ですが、あなたの上に乗っかっているそのモンスター、それってもしかして例の少年にやられたのでは……?」

 アナウンサーがオリヴィアの上にいる俺をまじまじと見た。オリヴィアは「フン」と鼻を鳴らした。

「何を言うか。吉澤芳樹というのは、何を隠そうこのワ……」

『ウオオオオオオッ!!』

「!」

 その瞬間、俺は雄叫びを上げ、全力でオリヴィアの体全体を包み込んだ。ブヨブヨの青白い魂に包まれたオリヴィアは、まるで鉢の中に入れられた金魚のような姿になった。俺はオリヴィアを魂の中に取り込んだまま、急いで校門の方へと向かった。呆気に取られる報道陣を置いて、俺は驚くオリヴィアを運び、そのまま転がるように自宅へと向かった。


□□□


『ゼエ……ゼエ……!!』

「……っぷはぁ!!」


 どうやら無事逃げ切ったようだ。オリヴィアを抱えたまま何とか自宅の前まで辿り着き、俺は息を切らした。オリヴィアは、中では息ができなかったのか、苦しそうに魂を突き破って顔を出した。上半身を球体から突き出したオリヴィアが、俺の魂の表面を両手でバンバンと叩いて抗議した。


「何をする、ヨッシー! 勝手な真似をするな!!」

『ンだって、あのままじゃ俺がニュースになっちまうだろうがよ! もうなってるかもしれないけど、そりゃ何かマズイって……!!』

 人間の喉の形を無くした俺の言葉はオリヴィアには届かなかったが、それでも俺は声を上げずには要られなかった。国の秘密組織のお尋ね者になってるだけでもマズイのに、テレビで顔を流されようものなら、もうどこにも逃げ場がなくなってしまう。

「ぐぎぎ……コラ! ここから出せ、ヨッシー! ワシはまた、あの学び舎に行かねばならんのじゃ……! 奴らを助けねば……」

『だからダメだって言ってるだろうが……!!』


 オリヴィアが囚われた俺の魂から抜け出そうと足をばたつかせた。俺は、自分の内側からの打撃に堪えながら必死に彼女を逃すまいと踏ん張った。

「離せ……!」

『嫌だ……!』

「オリヴィアちゃん!!」

 俺とオリヴィアが家の前で取っ組み合っていると、向こうから勢いよく玄関が開かれ、騒ぎを聞きつけた小鳥が飛び出してきた。

「オォ小鳥……ちょうどよかった。どうもヨッシーが、反抗期での……!」

「大変なの! アリシアちゃんが!」

「……何?」

 小鳥の言葉に、オリヴィアはようやく魂への抵抗をやめた。小鳥の顔は、今にも泣き崩れそうになっていた。アリシアは、学校に編入するわけにも行かないので、今日は一日中家で留守番していたはずだ。オリヴィアが眉をひそめた。


「何事じゃ?」

「さっき、突然背広を着た男の人たちがたくさんやって来て……アリシアちゃんが……」

 そこまで言って、小鳥が声を震わせた。つぶらな瞳にじんわりと涙を浮かべる小鳥の横をすり抜けて、オリヴィアは急いで家の中へと入って行った。背広を着た男たち……まさか……。嫌な予感がして、俺も慌ててオリヴィアの後を追った。


「アリシア!」

 家に入ると、リビングに横たわるアリシアの姿が目に飛び込んできた。意識を失ってはいるものの、見たところ怪我はないようだ。俺はひとまず胸を撫で下ろした。

「しっかりしろ、何事じゃ。何があったんじゃ!?」

 オリヴィアがアリシアの肩をゆすり、必死に自分の妹を揺り起こした。やがて、ゆっくりと目を開けたアリシアが、弱々しい目で姉を見上げた。

「アリシア! どうしたんじゃ!?」

「あァ……お姉様……」

 アリシアは姉に問い詰められ、悲しそうに目を伏せた。


「申し訳ございまセン……突然やって来たイノーという男に……!」

「イノーじゃと?」

 オリヴィアが目を丸くした。間違いない、井納だ。井納はオリヴィアだけではなくアリシアも追って、この家までやってきたのだ。俺は生唾を飲み込んだ。

「ハイ……必死に抵抗したんですが、不思議なことに私の攻撃は風のように彼の体をすり抜ケ……挙句、私のチェーンソーを取られてしまいまシタ……」

「イノー、あいつか……! 何ということじゃ……」


 アリシアの言葉に、オリヴィアが絶句した。

 井納はオリヴィアの杖だけでなく、アリシアの魔法のチェーンソーまで奪って行ったのだ。確かに井納の側からすれば、どちらも脅威に成り得るのだから当然のことだ。


「どうしまショウ」

 アリシアが姉の腕の中で目に涙を浮かべた。

「セッカク、吉澤のお母サンに玉ねぎのみじん切りを頼まれていたノニ……チェーンソーがなければ、夜までに”はんばーぐ”ができまセンわ……」

「おのれ……イノーめ! よくも”はんばーぐ”を……!!」

 オリヴィアの目に、再び怒りの炎が灯された。心なしか、その炎は先ほど学校にいた時よりも強いものに見えた。

「許さん……!」

 オリヴィアが立ち上がった。またどこかに駆け出そうとする姉を、アリシアが慌てて引き止めた。

「お姉様! 気ヲつけてくだサイ、あの者は相当手強いデス。何とも奇妙な、風の魔術を使いマス。こちらの攻撃は一切当たらズ、体をスリ抜け……。私が勝てなかったくらいデスから、いくらお姉様と言エど……」

「だからと言って、このまま黙って引き下がれるか! 我がキルスト家の名折れじゃ!」

「だケド、魔法の杖もナシに、どうやって……」

 頭に血を登らせた姉を、アリシアが心配そうに見上げた。

「おるじゃろう」

 オリヴィアはだが、妹の心配も意に介さず、不敵な笑みを浮かべてそれからなぜか後ろにいた俺の方を振り返った。


「あの風のドラゴンにも勝てる、我々に残された唯一の希望。ファンタジアの神々が遣わした魔獣が!!」

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