第12話

 突如目の前に現れた、砂と風でできた巨大な竜。

 穏やかで暖かい空気が包んでいた春の校庭に、突き刺すような鋭い突風が吹き荒れていた。オリヴィアは馬乗りになった俺の上から一度「グッ」と体重を乗せ、スライム状になった俺の魂が縮んだ反動を利用して「ぼよん」と窓の外に飛び出した。オリヴィアを追って、”キマイラ”もその牙と爪を光らせドラゴンに飛びかかった。


「おお……ッ!?」

『ぎゃああああああああ!!』

 外に出た途端、竜の体を形作っていた突風に巻き込まれ、俺とオリヴィアは為す術もなく天高く突き上げられた。まるで洗濯機の中に放り込まれたように、ぐるぐると竜の胴体の周りで円を描きながら、風によって上へ上へと押し上げられていく。胴体にコウモリの羽を生やした”キマイラ”も、強風に煽られ何もできずに四肢を泳がせた。”キマイラ”の爪も牙も、風と砂でできたドラゴンの体には何の役にも立たなかった。

「うぐっ……!」

 巻き上げられた砂や土が、突風とともに俺たちの体に容赦なく叩きつけられた。半透明になった体の中に、時速何百キロはあろうかと言う砂や小石の塊が突き刺さって入り込んでくる。魂だけになった俺に痛みはないが、あいにくオリヴィアの方はそうもいかなかった。飛んでくる木の枝や小石が擦り傷を作るたびに、彼女の顔が痛そうに歪んだ。

 マズイ。

 このままだと俺の肉体の方が飛んでくる”翼竜ゴミ”に引き裂かれ、ズタボロになってしまう。俺は強風の中必死に体の形を変え、オリヴィアの盾になるように、自分の肉体を魂で包み込んだ。


「!」

 半透明のボールに包まれ、オリヴィアは少し驚いたような表情を見せた。俺たちはそのまま一気に竜の頭の部分まで駆け上り、はるか上空へと放り出された。

『うおぉ……ッ!?』

 ドラゴンの上には、目を細めたくなるほど綺麗な青空が広がっていた。空中に投げ出され、内臓がふわりと浮くような感覚に、俺はありもしない背筋を震わせた。普段通っている校舎が眼下に見える。そこに、俺たちの方に首を伸ばし、大口を開けて待ち構えているドラゴンの姿もあった。

『あっ……』

 ……っと驚く暇もなく、俺たちはドラゴンの口の中へと吸い込まれていった。


□□□


 ……どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 しばらくして俺は、校庭の片隅で目を覚ました。いつの間にか、校門のすぐそばにある桜の木の根元にまで運ばれている。ぼんやりと霞みがかった頭で辺りを見渡して、俺はすぐにぎょっとなった。


 校舎が……ついさっきまでそこにあった校舎が半壊している。

 まるで隕石でもぶつかったかのように、二階から上部分の鉄骨が剥き出しになっていた。そこにあったはずの窓ガラスや壁が、粉々に砕かれて校庭に散らばっている。校庭には大量の救急車が入り込んでいるのが見えた。だんだんと聴覚が戻ってくる。辺りには大勢の負傷した生徒たちの鳴き声や、救急隊員たちの怒声が飛び交っていた。俺は思わず息を飲んだ。

『一体……!?』

「ふざけるな!!」

 突然すぐそばからオリヴィアの叫び声が聞こえてきて、俺は慌てて丸くなった身を起こした。見渡すと、目の前に広がる運動場の鉄棒の近くでオリヴィアと、もう一人見知らぬ男が立っていた。オリヴィアの近くで、全身に擦り傷を作った”キマイラ”が唸りを上げて男を威嚇していた。


「ふざけてなんかいない。こりゃあ全部、お前のせいだ」

「何だと……!?」

 男は、二十代から三十代手前くらいだろうか。高そうな灰色のスーツに身を包んだその姿は、学校関係者ではなさそうだ。

「ワシが悪いとでも言いたいのか!?」

「よぉく分かってるじゃないか。その通りだ」

 ゆらゆらと細い体を揺らす男に、オリヴィアが噛み付かんばかりの勢いで詰め寄った。男は気難しそうな鷲鼻をヒクつかせながら、丸い眼鏡を右手でクイッと上げ唇の端を釣り上げた。

「今日出た犠牲者は、全部お前が引き起こしたんだ」

「やったのは全部貴様じゃないか! 貴様の、あのドラゴンが……!」

「ったく、これだからガキはメンドくせえんだ。言葉の意図を読めやしねえ。いいか? 大人しくしてろって言ってんだ。お前がバカみてえに堂々と異世界の”魔法”なんてものを見せびらかしてなきゃ、俺がここに来ることもなかった」

「貴様は一体……?」

「名乗るほどのモンでもねえが、『全国異能災害対策本部』て部署の名称は覚えとけ。名刺渡しとこうか?」

「イノー……?」


 耳慣れない言葉に、オリヴィアが小首をかしげた。俺はそこでハッと気がついた。男の胸元に光る菊の金バッジ。異能災害対策課……政府直轄行政機関の国家公務員だ。男が差し出した名刺には、太文字で『日本国』と書かれた文字と『井納省吾』という名前が書かれていた。オリヴィアは苦々しい顔で、目の前に差し出された名刺を男の手のひらごと握りつぶした。

「オイオイ」

 井納という名の男は苦笑いを浮かべ、ゆらゆらと右手を引っ込めた。

「ハハッ、礼儀のなってないガキだ。吉澤芳樹クン」

 井納は、だがその目の奥は決して笑っていなかった。

「吉澤クン、はっきり言ってやろうか。お前は今政府の『駆除対象候補』になっている。どこでこんな道具手に入れたのか知らないが……」

 井納はポケットから、オリヴィアがいつも持っていた杖を取り出した。右手でくるくると回しながら、物珍しそうな目でオリヴィアの魔法の杖を眺めた。

「あ……貴様、いつの間に!?」

「この日本じゃ”魔法”はあいにくご法度だ。ご大層にこんな魔法生物まで召喚して……」


 そこで井納は、オリヴィアのそばで威嚇を続ける”キマイラ”をちらっと見下ろした。捕まえた昆虫でも観察するかのような、冷たい目だった。俺は慌てて桜の木の幹に身を隠した。今にも”キマイラ”をピンセットで突き刺しそうな表情で、井納は囁いた。

「……本来なら、俺が今すぐこの場で極刑にしてもいいんだが」

『……!』

「返せ!! そりゃ、ワシの杖じゃ!!」

「あいにくそうも行かん。我が国は法治国家でね。きちんとした手続きと書類がないと、これだけの『災害』を引き起こしたお前をしょっぴく訳にも行かないと言うことだ」

 井納が心底残念そうな顔で肩をすくめた。激しい突風によって半壊させられた校舎では、今も担架が担ぎ込まれ救助活動が続けられていた。井納がのんびりと言葉を紡いだ。

「あー、誠に遺憾だが……その代わりこの杖と魔法生物は政府が回収させてもらう。これでお前は、『駆除対象候補』から『要観察対象』へと格差げだ。嬉しいだろう?」

「格差げだと!?」

「あーあー、見ろよアレ。酷えモンだ。頭から血を流してやがる」

 俺はあっと息を飲んだ。


 まるで瞬間移動でもしたかのように、ヘルメットに防弾チョッキなどを装備した男たちが、どこからともなく風のように姿を現した。ざっと数えて十名以上はいるだろうか。背中に『特殊生物捕獲部隊』と書かれたジャケットを着た集団が、あっという間に両手に捕獲網を構え”キマイラ”を取り囲んだ。オリヴィアが抵抗する間も無く、呆気にとられているうちに”キマイラ”は瞬く間に頑丈そうな網の中へと捕らえられた。

 井納は言うことは済んだとばかりにくるりと踵を返し、運動場に広がる惨事に目をやり、他人行儀にため息をついた。 


「助かるといいなあ? ねえ、吉澤クン」

「貴様のせいだろ……!!」

「だから『誰がこんなことを引き起こしたのか』って、その報告書を作るのも俺の仕事なんだって」

 井納が、物覚えの悪い生徒を見る先生のような、哀れんだ目でオリヴィアに諭した。

「分っかんないかなあ? 分かんねえだろうなあ……」

「待て! ワシの杖を返せ!!」

「これ以上暴れたら、次は”死人”が出るぞって言ってんだよ」

「!」

 井納が冷たく言い放った。よくよく見ると彼の右の手のひらには、何やら宝石のような光り輝く石が埋め込まれていた。オリヴィアがピタリと立ち止まった。驚きと、怒りでごちゃ混ぜになった顔をしたオリヴィアに近づき、井納は彼女の耳元で楽しそうに囁いた。


「だから、な? キミももう高校生なんだから、ちゃんと俺の言葉の意図を読んでくれよ? 俺が何を言いたいのかって言うとだな……」

「…………」

「つまりこっから先君の人生、まずマトモに生きられると思うなよ、ってこった」


 オリヴィアが言葉を失くす前で、井納が嬉しそうに目を三日月型に細めた。それから井納は右手をゆらゆらと指揮者のように振ると、手のひらの中の宝石を緑色に光らせた。そしてまたしても、突然現れた武装集団とともに風が吹くかのようにその場から消え失せてしまった。

「…………」

 後に残されたのは杖を取り上げられたオリヴィアと、それから負傷した生徒たちの悲鳴だけだった。

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