第二幕

第11話

「それにしても……」

『ウオオオオオオッ!!』

「いやぁ〜……。大々的に全国放送されちゃってるね、ヨッシーの姿」

『オオオオオオオオオオッ!!』


 吉川が自分の机に肘をつき、スマホのニュースアプリを見ながら苦笑いを浮かべた。俺はそれに応える余裕もなかった。ちょうど教室の中で、荒れ狂う”ライオンに良く似た猛獣”に追いかけられ頭を食い千切られそうになっていたからだった。


□□□


「ま、アレだけ堂々と魔法を使ったんだから、そりゃニュースになるか」

 吉川が納得したように独り言ちた。

 彼の目の前にあった机は”オリヴィアの魔力で作り出された猛獣”に吹っ飛ばされ、教室は今や洗濯機にかけたみたいにぐちゃぐちゃになっていた。謎の魔法動物が暴れ回ったせいで、窓ガラスは全てかち割られ黒板は縦に傾いている。綺麗に破られた窓ガラスから、朝の太陽の光が清々しいほどに燦々と降り注いでいた。しかもなぜか、クラスメイトたちはこの異常な状況を受け入れ、淡々と片付けをしながら朝のHRを待っている。一週間も経てば皆慣れてしまったのだろうか。どんなにオリヴィアが魔法で暴れまわっても、誰も文句を言う者はいなかった。

 いや、文句を言っても仕方がないと言う、最早諦めなんだろう。

 

 なんせ相手は魔女なのだ。

 初日から上級生を猫にしただのボールにして蹴っ飛ばしただのと言った姿を見せられたら、誰も文句を言う気にもならないだろう。あれほど目立つなと言われていたのに、俺の体に乗り移ったオリヴィアは今や暴君と化していた。


『ゼエ……ゼエ……!』

「休憩が終わったら、また”キメイラ”と”戦場イメージトレーニング”を再開しようぞ」

 オリヴィアが俺の顔で朗らかにそう宣言した。俺はと言うと、ぶよぶよと丸く魂の形を維持するのが精一杯で、散らかりきった教室の片隅で、巨大なサッカーボールみたいになって息を切らしていた。かろうじて魂を引き千切られずに済んだ俺の上に、オリヴィアがバランスボールよろしく飛び乗ってきた。


『グエ!!』

「よしよし、そう焦るな。逸る気持ちも分かるが、適度な休憩も大事じゃぞ。毎日の練習の積み重ねこそが、守護霊であるお主をより一層強靭なものにするであろう」

『誰が守護霊じゃ……こんなん、強くなる前に噛み殺されて死んでしまうわ!!』

 俺は、頭はライオンで、尻尾はヘビという”いかにも”な猛獣を見ながら抗議した。”キメイラ”と呼ばれた猛獣は教室の片隅で、ゴロンと横になり真っ白な毛並みの整った腹を見せて伸びきっていた。


 ここ数週間、オリヴィアは”トレーニング”と称して霊体になった俺に魔法で作り出した猛獣を嗾けては愉しんでいた。彼女曰く、『さらに強くなりファンタジア奪還をより確実なものにするため』らしい。おかげで俺は毎日、彼女が召喚する”火を吐く巨大トカゲ”やら”全身岩で出来た巨人”なんかにタコ殴りにされながら過ごす羽目になった。今の俺に肉体は無いから物理的ダメージはない。だけど、毎日謎の巨大生物に追いかけ回されて過ごすのは、決して精神的に”よろしい”ものではなかった。


 この魔女の暴挙を、一刻も早く何とかしなくては……。俺は息を切らしながら恨めしそうにオリヴィアを見上げた。

「強くなるんじゃぞ、”ヨッシー”。ファンタジア奪還は、お主の肩にかかっておるのじゃからな」

『ハァハァ……! 気安く呼ぶな……! ”守護霊愛護団体”に訴えてやる……!!』

 そんな団体があるのかも知らないが。少なくともボール状になった俺に肩はなかった。人間の喉の構造を失った俺の声は、当然ながら未だにオリヴィアには理解されず意思疎通が取れない。それどころか、何をどう勘違いしたのか「よしよし」と嬉しそうに俺の表面を撫で始める始末だった。


「そのスライムみたいなのが、ヨッシーの、守護霊なの?」

 吉川が物珍しそうに霊体の方の俺を覗き込んだ。この吉川もまた、”諦めた”者の一人だ。アリシアの魔法によって、ようやく俺の姿を周りの連中にも見せられるようになったものの、あいにく魂の形が変わりすぎて誰も俺のことを吉澤芳樹だと認識できなかった。おそらく魔女の召使いの、謎の魔法生物くらいにしか思われていないのだろう。

「そうじゃ。可愛いじゃろう?」

「ウゥン……」

 吉川が半透明な丸い謎の生き物を見つめながら曖昧に喉を鳴らした。対してオリヴィアは、まるで子供のように俺の上でぼよんぼよん飛び跳ねていた。


『…………』

 実際、ここ最近のオリヴィアはとても嬉しそうだった。学校でのはしゃぎっぷりも相変わらずだが、家に帰ってもいつもニコニコしている。いつもしかめっ面をしていた普段の俺からすれば、その表情の変わり様は不気味なくらいだった。もはや自分が魔女だと言うことを隠そうとする意思さえ見受けられない。


 その原因は……恐らく俺だった。


 俺がオリヴィアの前に姿を見せてからと言うもの、オリヴィアはずっと上機嫌なのだ。俺が思うに、きっと口では強がっていながらも……見知った者が誰もいない、縁もゆかりもない別の世界にたった一人で転生して……彼女も寂しかったのだ。そこに守護霊(ではないが)の俺が現れて、オリヴィアもホッとしたに違いない。忠犬でもできたような気分なのだろう。

 とにかく彼女から、『コイツは自分の守護霊なんだから、すごいことをしてくれるに違いない』的な期待をひしひしと感じていた。家に帰っても、オリヴィアは常に霊体の俺をそばに置いていようとしたし、寝る時も一緒にベッドに連れ込もうとした(これがアリシアみたいな可愛い女の子ならまだしも、えびす顔の自分に抱かれて眠るなど、俺にとっては悪夢極まりなかった)。


 確かにオリヴィアがここまで嬉しそうにしているのを見ると、まるで親戚の小学生が親に初めてペットを飼ってもらえた時の笑顔を見ているような、なんとも言えない気分だった。


 だが俺はそもそも守護霊でもなんでもないし、魔法の類も一切使えない。人の形すら失った、魂の残骸だ。どれだけこの無意味な殺戮トレーニングを続けようとも、およそ効果があるとはとても思えなかった。


「みんなー、席に着きなさい。HR始めるわよー」

 ガラガラと引き戸を開けて、副担の近藤がひっくり返ったおもちゃ箱みたいな教室に入ってきた。近藤はもう、教室の中に”キマイラ”が寝っ転がっていても何も言わなかった。本当に『マジック』だと思っているのか、それとも『これは夢だ』と自分に言い聞かせているのか、とにかく近藤はこの一連の”不思議な現象”を一切無視することに決めたようだ。クラスメイトたちが”キマイラ”の爪に引っかかれないように壁際に避難する中、近藤は淡々と出席を取り始めた。


 その時だった。


「ん?」

「オイ……なんだよあれ?」

 突然、教室全体が、電気が切れたようにすっぽりと影に包まれた。クラスメイトの一人が、窓の外を指差した。青々としていた窓の外に、降り注いでいた太陽の光を遮断して、巨大な”何か”が校庭に聳え立っていた。俺はみんなにつられて窓の外に目を凝らした。いつの間にか、外は風が強く吹き荒れていた。ゴウ……ゴウ……と、不気味な風の音が窓の外から低く教室にまで響いてきた。

「ハリケーン……?」

「そんなバカな……こんなところでハリケーンなんて、起こるわけないだろう。そんなの現実的じゃないよ」

”キマイラ”が寝そべる教室で、窓の外の強風を見たクラスメイトたちが口々に囁き合った。俺の上で飛び跳ねていたオリヴィアも、不思議そうにそちらを眺めた。


「なんじゃ……?」

「オイ……あれ!」

 すると、突然風が唸りを上げて、校庭に広がっていた砂を巻き上げ始めた。俺たちが見ている前で、突風は砂を竜巻のように巻き上げ、どんどんとその大きさを増していった。やがて、校庭を埋め尽くしていた砂がほとんど削り取られてなくなるくらい、竜巻は高層ビル並みの高さにまで膨れ上がり、たちまち校舎の三倍はあろうかと言う大きさになった。絶句する生徒たちの前で、巻き上げられた砂は徐々にその形を変え……

「なんだよこれ……?」

「ありゃあ、まるで……」

「……ドラゴンじゃないか」

 ……風と砂でできた、巨大な竜が窓の外に立っていた。さっきから念仏を唱えるかのように無心で出席をとっていた近藤も、さすがに窓の外を見上げていた。竜は俺たちの遥か頭上で大口を開け、街中に響くような大きな鳴き声を轟かせた。その大きさたるや、俺は耳がないのに鼓膜が破れたと思ったくらいだった。


「なんじゃ……?」

 オリヴィアが俺の上で、再び首をひねった。お前に分からなかったら、ここにいる誰にも分かるはずはない。オリヴィアが俺に馬乗りになったまま、ボヨンボヨンと飛び跳ね窓枠に近づいた。

「ちょうどいい」

 砂と風の竜が、ゆっくりとその首を下ろし窓の割れた教室にまで顔を近づけてきた。その顔が教室全体を覆い尽くし、ボール状になった俺の五倍ほどはあろうかという巨大な目玉で中をぎょろりと覗き込んできた。起き上がった”キマイラ”が警戒して、不機嫌そうに喉を鳴らした。オリヴィアが俺の頭をぎゅっと握りしめた。

「行くぞ、ヨッシー!」

『はあ?』

「ちょうど、お主の力を実践で試したいと思っていたところじゃ。小手調べと行こう!」


 ……とかなんとか、オリヴィアが好き勝手なことを言った。

 俺がハイともイイエとも言う前に……俺の体はオリヴィアと共に教室の外に飛び出していた。

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