第10話

「どこ?」

「何なに、ゴキブリ?」


 家族がテーブルの下を覗き込み、暗がりの足元に目を泳がせた。親父や母さんの視線は、霊体になったぶよぶよの俺の体をすり抜けてフローリングを見ていた。

「いないよ」

 テーブルの下から顔を戻すと、小鳥以外の面々は不思議そうに首をひねった。小鳥が唇を尖らせた。

「ホラ、そこだよ! 右のテーブルの足のとこ……スライムみたいなのが」

「魔物がいるのかもしれまセン。魔力で可視化できないかやって見まショウ」

 小鳥の言葉を受け、アリシアがチェーンソーを構えた。俺は思わず体を強張らせ目を見開いた。


 そうか、ようやく分かった。

 ”魔法”だ。


 俺の姿が、小鳥にだけ見える瞬間。

 一体どんな仕組みかは分からないが、異世界からやってきた魔女たちが”魔法”を使うたびに、霊感のある小鳥には魂だけになった俺の姿が見える。昨日の晩小鳥が初めて俺の姿を目撃した時も、思えばオリヴィアがここで火球を出現させ両親を驚かせていた。そして今も、アリシアが自らの魔法を実演したばかりだ。魔法の力が小鳥の五感と共鳴して、そんな現象が起きているのだろうか。

 これで小鳥が俺を目視できる理由が分かった。肉体奪還に向けて、一歩前進したと言えるだろう。

『ウオオオオオッ!!』

「あっ! 避けた! そこ、もっと右、右!」

「コラ、逃げるナ!!」

 だがそんな事は御構い無しに、アリシアが思いっきりチェーンソーを振りかぶって俺に向けて振り下ろしてきた。俺はアメーバ状になった体を何とか捻り、間一髪鋼鉄の刃にこの身を切り裂かれる事を免れた。アリシアはさらに、小鳥の指差す方角に向けて凶刃を振るった。


『ぎゃああああああ!!』

「そこ! あっ当たりそう……なんか叫んでる! もうちょっとだよ、アリシアちゃん!」

「怖くないカラ……大丈夫よ、大人しく切り裂かれて!!」

『怖いわ!!』

 目の前でブンブンと振り回されるチェーンソーの刃を、かろうじて躱しながら俺は縮み上がった。代わりに切っ先をぶつけられたテーブルや椅子や周りの家具が、アリシアの魔法によってどんどんサボテンだったりテディベアだったり、別のものへと姿を変えていく。半透明な俺の体のすぐ脇をかすめたチェーンソーが、リビングの中で大きく弧を描いて親父の飲んでいたビールの缶に当たる。その途端、ぽん! と音を立て缶はタラバガニに変わって、その巨大なハサミで親父の唇を挟んだ。家の中はしばらく騒然となった。


「はあ、はあ……」

「何とか上手くいきまシタ……これで魔力を持たない者にも、姿が見えるようになったはずデス。ところで、これは何という生き物デスか?」

 慈愛の笑みで俺を八つ裂きにしたアリシアが、とうとうリビングに体を現した俺の魂を指差して小首をかしげた。部屋のものが大量のぬいぐるみに変えられ山になっている中で、家族が俺の魂を不思議そうに見つめた。

「さあ……? 何だろう、これ」

「モンスター?」

『…………』

 彼らの目に映っていたのは、人の形を失ってドロドロの泥の塊のようになってしまった俺の魂の残骸であった。誰のせいとは言わないが、昨日から無駄にエネルギーを消耗しまくっているため今や俺は元の形を保つ事すら叶わなかった。


『返せ……俺の体返せよ……』

 俺は残った気力を振り絞り、巨大なサメのぬいぐるみの陰で俺を見つめているオリヴィアに手を伸ばした。半透明になったアメーバ状の俺の手が、訝しげな顔をするオリヴィアに近づいて行く。

『返せ……』

「この子、何か言ってる。なんて言ってるんだろう?」

「分からないわ。小鳥、危ないから迂闊に触れないでね」

「はぁい」

 母さんが心配そうな顔で自分の息子の成れの果てを見つめ、妹に鋭い声を出した。どうやら彼らには、俺の言葉は通じていないらしい。人の喉の形を保てなくなった俺の声は、彼らには獣のうめき声のようなものとして聞こえているのだろう。親父が唇からダラダラと血を流しながら右手にタラバガニを構えた。

「お父さん」

「下がってなさい。こう見えても、昔はよく友達にゲームのレベル上げでスライム狩りとかやらされてたんだ。俺が退治しよう」

 変わり果てた息子の体にタラバガニのハサミを突き立てようとした親父に、アリシアが割って入った。

「待ってくだサイ。この怪物、オリヴィアお姉様に向かってる」

「ヌ?」

 己の体を取り戻そうと、アメーバのようになってしまった手を伸ばす俺を見て、アリシアが言った。

「もしかしたら……”コレ”は、お姉様の守り神か何かなのかもしれまセン」

「守り神?」

「ええ。子供のころ、聞いた事がありマス。我がキルスト王家には、代々王の血を引く一族を守護する霊界の種族がいるのだと……。ファンタジアの伝説かおとぎ話に過ぎないと思っていましたが、これは……」

「なるほど、ワシを守るために遣わされた魔物、というワケじゃな」

 違うわ。

 異世界からやってきた姉妹が納得したように頷くのを横目に、俺は毒づいた。俺は怪物でも幽霊でもない、この世界の人間だ。自分の体を取り戻したいだけだ。だが何をどう勘違いしたのか、オリヴィアはぬいぐるみの山から身を乗り出し、恐る恐る俺に顔を近づけた。


「お主……ワシに協力してくれるんじゃな?」

『ゼッテーしねえわ』

「そうか、そうか。可愛い奴め」

『しねえって言ってるだろ!』

 満足げにほほ笑むオリヴィアに、あいにく俺の声は届かなかった。オリヴィアはスライム状になってなす術もない俺を指差して、意気揚々と立ち上がった。


「見よ! ファンタジアの英霊たちも、ワシの味方をしてくれとる! こうしてワシに使いを出して下さった!!」

「うぅ……デモ……!」

「まあまあ、いいじゃない」

 まだ何か言いたげなアリシアに、母さんがほほ笑んだ。

「そんな急いで帰らなくても、しばらくウチでお世話になっていきなさいな。ウチもつい最近一人いなくなったから、ちょうど良かったわ」

「そうだよ。部屋余ってるし! お母さんもそう言ってるし、ね?」

「皆様が良けれバ……」

 まだ少し戸惑った表情を浮かべるアリシアに、小鳥が嬉しそうに顔を綻ばせた。姉も妹もいない小鳥にとっては、オリヴィアやアリシアがもの珍しかったのだろう。こうして、俺がいなくなった家族の穴はいとも簡単に埋められた。

「裏の倉庫におじいちゃんが使っていた犬小屋があったな。アレ持ってこよう」

 さっきからタラバガニを構えていた親父が、俺の姿を見ながら何かに気がついたように頷いた。「決まりじゃな!」


 オリヴィアも嬉しそうに叫んだ。そして宙にふわふわと浮きだした俺の体を突きながら、高らかに宣言した。

「しばらくはココを根城にするぞ。そして見込みのあるツワモノどもと戦うのじゃ、我が守り神であるコイツが!!」



《第二幕に続く》

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