第9話
「ははあ、なるほど。アリシアちゃんは、オリヴィアちゃんの妹になるわけか」
「ハイ。異世界ファンタジアからやって来たアリシア=フォン=キルストといいマス」
親父の問いかけに、ピンクのフリフリを着た少女が頷いた。
アリシアと名乗った、日本人離れした外見の少女は、母さんから出されたほうじ茶ラテを物珍しそうに眺めていた。何だか留学生がホームステイにでもやって来たみたいだ、と俺は思った。
「あの……先ほどはすみませんでシタ」
「いやいや、気にするこたぁないさ。いつも部長と課長の殴り合いの間に割って入ってるから、こっちも慣れちゃっててね。ハッハッハ!」
親父の乾いた笑い声が、吉澤家のリビングに響き渡った。四角いテーブルの席に着いたアリシアも、オリヴィアも小鳥も母さんも黙ってそれを聞いていた。坂道で一悶着終えた俺たちは、間一髪のところでつばぜり合いを止めた親父に連れられ、吉澤家の食卓に並んでいた。
……親父の話は、本当だろうか?
俺はアリシアの足元で、スライムみたいに体をブヨブヨさせながら訝しんだ。親父が運動が得意なんて話は聞いたことがないし、あの俊敏な動きは咄嗟にできるようなものではないだろう。万が一本当だったとしても、下手したら自分の体が真っ二つになってしまうところだったのだが、一体何を考えていたのだろうか。
「なあに、もし切られちゃったら、その時はそれで転生できるじゃないか。息子の体はまだしも、オリヴィアちゃんの魂が傷つかなくて良かったよ。ハッハッハッハ!!」
親父は得意げに鼻の下を伸ばし、少し照れたように頭の後ろを掻いた。親父の手元には、すでに空になったビール缶が三本くらい転がっていた。死を覚悟した武士みたいなことを言い始めた親父を、アリシアとオリヴィアが尊敬の眼差しで見上げた。何が息子の体はまだしも、だ。親父は多分、酔っ払ってキザなことを言っているだけだ。全力でそう抗議したかったが、あいにく今の俺にはその手段がなかった。
「さすが、ワシの見込んだ男よ」
「うぅ……ごめんなサイ……!」
オリヴィアもなぜか得意げになって鼻息を荒くした。対照的に椅子の上でシュンとなってしまったアリシアに、母さんが夕飯の唐揚げに手を伸ばしながら優しく話しかけた。
「それで、アリシアちゃんはお姉ちゃんを連れ戻すために、異世界からやって来たのね?」
「ハイ」
アリシアが縮こまって頷いた。チェーンソーさえ担いでいなければ、線の細い清廉な美少女である。
「お姉様は……魔女になる前は、私たちが住むファンタジア元王国の、第一王女だったんデス」
アリシアがおずおずと姉の方を見上げた。オリヴィアはさらに鼻息を荒くしながら、不機嫌そうにぷいっと横の方に顔を背けた。
「もう三百年以上前……私たちはファンタジアという国で王族をやっていまシタ。キルスト家は、建国以来ずっと王としてその土地を治めて来た由緒正しき一族だったんデス。周りと比べて栄えた国ではありませんでシタが、それでも皆平和に、慎ましく暮らして来たと思いマス。デモ……」
アリシアは少し間を置いてその顔に影を落とした。
「私たちの父上……先代の王が、ある日不治の病いに倒れ床に臥してしまったのデス」
「まあ……」
「私は”飛行術”を使い、ファンタジア中を飛び回り病気を治す方法を探しまシタ。ですがもちろん。そう簡単に見つかるはずもなく……自分たちの世界になければよその世界からでもイイと、お母様は転生の魔術発展に力を入れ始めまシタ。
それから、お姉様は周りの反対を振り切り一人山奥に向かい、黒魔術を習い始めました。”黒”は、魂や寿命を犠牲にするなど”生命の尊厳”に関わるため、王族では禁忌だったのデスが……」
「フン」
オリヴィアは『知ったことか』と言った顔で、四つ目の唐揚げを口に放り込んだ。チェーンソーだって”生命の尊厳”にがっつり関わる気がするのだが、王族の考えることは庶民の俺にはよく分からない。
「その間に、父上は残念ながら亡くなってしまい……」
「……………」
「……父上が臥している間、ファンタジア王国には男子の後継がいなかったこともアリ、王政を廃止する声も上がっていまシタ」
そう語るアリシアの目は暗かった。
「……そして遺言状にも、『我が王国の政権を、これからは民の手に委ねる』と父上の手でしっかり書かれてあり、王の死を持ってして数千年の歴史を持っていたファンタジアはとうとう王政を廃止することになっタんデス」
「なるほど。時代の流れというわけか」
親父が四杯目のビールを胃に流し込み、しみじみと呟いた。オリヴィアは五つ目と六つ目の唐揚げを一気に自分の皿に運んだ。
「新しく国のトップに立ったのは、カルディナスという初代総理大臣です。私たちは元王族として、政権は失ったものの城にそのまま住むことも許され、不自由のないようにカルディナスから丁重に扱われまシタ。私たちも、納得の上での王政廃止だったのデス。デスガ……」
アリシアはそこで困ったような表情を浮かべ、オリヴィアをまじまじと眺めた。オリヴィアはとうとう、最後の唐揚げにまで手を伸ばして口の中をリスのように膨れ上がらせていた。
「お姉様は一人修行に出ていたのでそのことを知らず……城に帰って来た時”民が侵攻し、王を倒した”と勘違いしてしまったのデス」
「勘違いではない!」
「激昂したお姉様は、事情を説明する私たちの話も聞かず、カルディナスたちに攻撃を始めまシタ。何度説き伏せても、お姉様は事あるごとにあの手この手で新生ファンタジア”共和国”の政権転覆を企みまシタ。私たちは仕方なく、市民たちと協力してお姉様を石版にして封印することにしたんデス」
「そりゃあ、オリヴィアちゃんが悪い!」
「何を言うか!」
目を座らせた親父に、オリヴィアが負けないくらい顔を真っ赤にして叫んだ。
「さっきから勝手なことばかり言うとるが……少なくともワシは、彼奴らの宣う”民主主義”などに同意したことは一回もない! 全員が納得の上など嘘っぱちじゃ。ワシに説明しておらぬ以上、強引に奪ったのも同じこと!」
「まあまあ、オリヴィアちゃん。そう興奮しないで。唐揚げ落としますよ」
テーブルを勢い良くどん! と叩き、立ち上がったオリヴィアを見て母さんが諌めた。オリヴィアは構わず、口の端から小さくなった唐揚げの塊を噴射した。食卓に雨のように降り注ぐ肉の塊を見て、小鳥が嫌な顔をした。
「父上が死んだのはあいつらのせいじゃ! あいつらが勝手なことをしたから……ワシの黒魔術に頼っていれば、父上は死なずに済んだのじゃ!!」
そう叫んだオリヴィアの目には、うっすらと光るものが浮かんでいる、ような気がした。
とんだわがまま王女だ。
俺は話を聞きながら、テーブルの下でため息をついた。
だから、オリヴィアは昼間あんなことを言っていたのか。だけど、いくら自分たちの国でゴタゴタがあったからって、俺に転生してまでそれを持ち込まないで欲しい。良い迷惑だ。
「お恥ずかしい限りデス……お姉様が迷惑かけて、本当に申し訳ございまセン。今すぐ、連れて帰りますので……」
「嫌じゃ、嫌じゃ! 勝手なことを抜かすな!」
「お姉様!」
「まあ、そんなに急いで帰らなくても、ゆっくりしていけば良いじゃない。ねえお父さん?」
「ん? ああ……」
すっかり酔いが回ってしまったのか、ぼんやりと口を半開きにして何もない空間を見つめ続ける親父に、母さんが話しかけた。俺としては、さっさと魂だけ引き抜いて元いた世界に戻ってもらいたいところだった。
「アリシアちゃんも、魔法が使えるのよね?」
母さんが興味津々でそう尋ね、アリシアはこくんと頷いた。アリシアは両の腕を宙に掲げ、何もない空間にぽんっ! と”チェーンソー”を出して見せた。
「おおっ!?」
「この”魔法のチェーンソー”で切ったものに、魔力を込めマス。刻印のように、切り刻み方を変えれば、複雑な魔法を使うことも可能デス」
「おお……何を言っているのか分からないが、とにかく恐ろしそうだ」
「キャベツの千切りに役立ちそうね」
少女のか細い腕に支えられ、キュイーン! と鋼鉄の刃を高速回転させるチェーンソーを見て、親父と母さんがのん気に好き勝手な感想を述べた。アリシアはテーブルの上に降り注いだ唐揚げの塊を器用にチェンソーの刃にかけ、鶏に戻して見せた。白煙とともにテーブルの上に現れた鶏が、不思議そうな顔で全員を見渡し、喉を鳴らした。
「すごーい!!」
「フン」
小鳥が目を丸くして、オリヴィアは面白くなさそうに席を立った。
「本当に魔法が使えるんだね!」
「ありがとうございマス……」
「じゃあさ、アリシアちゃん」
少し頬を紅潮させ照れ臭そうにするアリシアに、小鳥はパチパチと拍手しながら尋ねた。
「さっきからいる”アレ”も……もしかしてアリシアちゃんの魔法ってやつ?」
そう言って、小鳥はテーブルの下にいるゼリー状の俺を指差して笑った。
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