第7話

 その日はもう、散々だった。


 小鳥や吉川に散々注意されたのが効いたのか、朝の教室に着いたオリヴィアは『二年生を猫やボールに変えてやった』などと言いふらしはしなかったものの、終始得意げな顔で周りのクラスメイトたちを興味津々で眺め回していた。いたずらっ子のように目をキラキラと輝かせるオリヴィアを、俺は『頼むからもう問題を起こさないでくれ』と、ハラハラしながら教室の天井付近で見守った。そして俺の願いは、案の定叶いはしなかった。


 朝のHRから、まず担任の梶原のカツラが天井を舞った。モグラ叩きの的みたいにヒョコヒョコと上下運動を繰り替えす伊藤の人工頭皮に、クラスメイトたちは驚きつつも爆笑の渦に包まれた。副担の近藤は職員室から虫取り網を持ってきた。空飛ぶカツラを捕まえようと必死になっている間、学級委員の田中理恵は笑いすぎて呼吸困難になり保健室に運ばれた。担任の梶原が人工頭皮であることは生徒の間では有名だったが、本人は隠していたみたいで、ブルドッグに似た顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりしながら教室を右往左往していた。俺は、教室が騒然となっている中で、オリヴィアが机の下で右手に杖を握りしめクスクス笑いを堪えているのを見逃さなかった。

 

 一時間目の数学ではチョークが勝手に黒板に落書きを始め、三時間目の体育ではカラーコーンがタップダンスを踊り始めた。昼休みには学食のうどんが何故かミートソースの味に変わり、四時間目くらいから吉川はオリヴィアと目を合わせなくなった。六時間目にもなると生徒の机はシングルベッドに様変わりし、コンサートホール並みに中が広くなった教室で物理の先生も含め全員がぐっすりと仮眠を取り始めた。


『オイ!』

「ムニャ……」


 巨大になった教室では、眠気を誘う穏やかなクラシック音楽がどこからともなく鳴り続けている。俺はベッドの上で気持ちよさそうに寝ているオリヴィアを、何とか起こそうと肩を掴み必死に揺り動かした。オリヴィアは何かを感じたのか、眠たそうな目を擦りながらノロノロと上半身を起こした。


『どうすんだよこれ!? めちゃくちゃだろ!?』

「何じゃ……気のせいか」


 だが、霊感のないオリヴィアは俺の声に気づくことなく、欠伸を繰り返すと再びベッドの上にゴロンと横になった。俺は安らかに寝息を立てるオリヴィアの隣で、途方に暮れてゼリー状の体を慄かせた。


 参った。

 この魔女、隠す気がない。

 それどころか、生徒たちに”マジック”の写真や動画を撮られているのさえ楽しんでいる節がある。

 

 本人の目的は『魔法を見せつけて全国のツワモノどもを搔き集める』ことだから、当たり前っちゃあ当たり前の行動だ。だがそれなら、俺の体じゃない別の誰かでやって欲しかった。どう考えても、このままじゃ狙われるのは俺じゃないか。オリヴィアの”マジック動画”はサイトじゃ再生回数は『3』とかだが、出回っているのは俺の顔だ。見る人が見たらモロバレである。俺の体がツワモノどもの手でジグソーパズルみたいにバラバラになってしまわないうちに、早いとこなんとかしなくては……。俺はベッドの端にへたり込み、半透明の頭を抱えた。


□□□


「やあ。オリヴィアちゃんじゃないか!」


 放課後の帰り道。バスを降り坂道を登っていたオリヴィアは、後ろから声をかけられた。その瞬間に彼女は素早く杖を取り出し、振り向きざまに謎のポーズを決めた。同じく坂道にいた買い物帰りの主婦たちや学生が、ちょっと驚いたようにオリヴィアを遠巻きに眺めている。俺はオリヴィアの代わりに顔を赤くした。堂々と道の真ん中で、小学生か。だがオリヴィアは恥ずかしがるそぶりも見せず、事も無げに言った。


「何じゃ。父上か」

「ハハ……おかえり。学校は楽しかったかい?」

 後ろからオリヴィアに声をかけたのは、親父だった。スーツ姿の親父はベージュのネクタイを少し緩め、疲れた顔をしつつもオリヴィアにほほ笑んで見せた。今日は定時退社日なのか会社に居場所がないのか知らないが、少し早めに帰ってきたようだ。

「フム。まずまずじゃな。授業とやらはさっぱりじゃが」

「そりゃ良かった」

 果たして何が良かったのか俺にはさっぱり分からないが、親父は何とも優しい顔をしてオリヴィアの頭をクシャクシャと撫でた。この格差は何だろう。俺は遠い目をしながら首をひねった。仮に中身が俺だったら絶対「勉強しろ!」とドヤされているはずなのに、親父はオリヴィアに甘すぎる。二人は並んで家まで歩き出した。浮遊霊が板についてきた俺は、ふわふわと後ろをついて行った。


「父上は今”かいしゃ”から帰ってきたのか?」

「そうだね」

「大変じゃの……いつか会社とやらにも行ってみたいのう」

「アハハ……何か困ったことがあったら言うんだよ」

「ウム。父上もな。今夜から修行に入るからの、心してかかれよ」

「アハハ」

「ククク」

「アハハ……」


 何だ。

 何なんだこれは。

 坂道を通り過ぎる人たちが、不思議そうな顔で二人を眺めていた。俺は二人の代わりに顔を赤くした。雲に隠れる夕日に、半透明の体を透かしながら俺は一人唸った。ダメだ。親父はすでにオリヴィアに懐柔されかかっている。やはり、小鳥に頼るしかない。妹の小鳥が吉澤家では唯一霊感があるみたいだし、アイツだけが幽体になった俺の姿を見ることができた。


「お姉様!」

『ん?』

 二人がちょうど坂道を登りきった、その時だった。またしてもオリヴィアは後ろから声をかけられ、踵でターンを見せながら謎のポーズを取って振り返った。後ろを見ると、先ほど二人が歩いてきた歩道の真ん中に、一体どこから現れたのか小柄な少女が立っていた。


「見つけましたわ! お姉様!!」

 俺は額にしわを寄せて現れた少女に目を凝らした。少女はおよそ閑静な住宅街には似つかわしくない、目が痛くなるようなピンクのフリフリなコスチュームを身にまとっていた。残念ながら見覚えのある顔ではない。くっきりとした鼻筋と瞳の色のおかげで、外国人のような顔立ちに見える。彼女もまたオリヴィアと同じように『今槍投げの途中です!』みたいな謎のポージングを決め、大真面目な顔でオリヴィアを睨んでいた。オリヴィアは少女の姿を一目見ると、白い歯を剥き出しにして笑った。


「来たか……アリシア!」

「ここであったが、三百年目デス!」

 オリヴィアの雄叫びに答えるように、アリシアと呼ばれた少女もまた声を張り上げた。道行く人が立ち止まり、スマホを片手に動画を撮影し出したのを見て俺は思った。


 頼むからお前ら、そういうことはもっと人のいない所で静かにやってくれ。

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