第6話

「うおお……ッ!?」


 砂塵が巻き起こる渡り廊下に、半ば悲鳴にも近いどよめきが走った。

 窓際の壁にぽっかりと空いた穴から、外のひんやりとした空気が室内に流れ込んでくる。青々とした空から降り注ぐ太陽の光が、空気中に捲き上る塵芥を照らしキラキラと光らせた。俺も、集まった生徒たちも、出来上がった風穴をまるで夢でも見ているかのように呆然と眺めていた。

「コラーッ!」

「!?」

 すると、立ち尽くす集団ギャラリーに、どこからともなく怒鳴り声が聞こえてきた。

「何やってるのよ、あなたたち!?」

 俺は声の主を探して首を伸ばした。やってきたのは、俺たちのクラスの副担の近藤だった。近藤は体育教師らしく紺のジャージを身にまとい、首から下げたホイッスルを吹きながら足早にオリヴィアの元へと近づいていった。


「この騒ぎは一体何!?」

 現場に到着するなり、近藤が怒鳴った。彼女は若くて端正な顔つきをしているので生徒たちからも人気があるが、怒ると猪のように手がつけられなくなってしまう。

「そこの一年が、二年を猫にしたりボールにしたり壁に穴を開けたりしました」

 オリヴィアの周りを囲んでいた生徒の一人がボソリと声を上げた。その声を聞きつけ、近藤がキッと表情を引き締めて穴の近くで猫を撫でているオリヴィアに歩み寄った。

「ダメじゃない! 勝手に二年生を猫ちゃんやボールにしちゃ!!」

『そこ?』

「おう、見たか!? ワシの魔ほ……」

「見てません! ダメです! あーもう、壁にこんな穴開けちゃって……!」

「だって……あんな簡易魔法、避けられない方が悪いんじゃもん」

「『だって』じゃない!」

 

 すごい剣幕で怒鳴られ、オリヴィアは落胆した表情を見せた。自分の魔法を、褒めてもらえるとでも思っていたのだろうか。近藤もなぜか、『どうして生徒が猫やボールになってしまったのか』よりも『また生徒が勝手なことして学校で暴れ始めた』と言うことに怒りを爆発させていた。慣れない新米教師生活で、彼女も怒りすぎてちょっと疲れてるのかもしれない。突然やってきた先生に沸騰したヤカンの如く怒られ、さすがのオリヴィアもしゅんとしてしまった。


「この件は校長先生にも報告しますからね! お父さんお母さんにも電話して……」

「待ってください、先生」

 オリヴィアに詰め寄る近藤に、吉川が割って入った。吉川は先ほどから階段で成り行きをじっと見守っていたが、どうにも事態を悪化させ続けるオリヴィアを見かねて、助け舟を出してくれるようだ。俺は心から吉川に感謝した。さすがだ。やはり持つべきものは友人ということだ。ここで助けてくれる友人がいなかったら、俺は明日にでも転生していたかもしれない。吉川はオリヴィアの前に立ちゆっくりと口を開いた。


「落ち着いてください、先生。これはです。マジックの予行練習ですよ」

『「は?」』

 俺と近藤は思わずぽかんと口を開けた。吉川はいつもの調子で、ゆったりとした口調でそう言ってのけた。周囲にいた生徒たちが再びざわざわし始めた。

「何を言ってるの? 吉川君?」

 近藤が怪訝な顔をして尋ねた。そりゃそうだ。生徒を動物や遊技の道具に変えといて、マジックも何もないだろう。だが吉川はふざけた様子もなく、至って真面目な顔でオリヴィアを振り返った。


「ね? そうだよねヨッシー。?」

「マジックとはなんだ?」

 オリヴィアはオリヴィアの方で、言葉の意味が分からず首をひねっていた。吉川が少しもどかしそうに眉を動かした。

? できるよね? それくらい、できないの?」

「ム……」

 ”できない”と言われカチンときたのか、オリヴィアが口を尖らせた。

「できるに決まっておろう。見ておれ!」

 オリヴィアはそう叫ぶと再び杖を振った。

 すると、まるで映像を逆再生するかのように、外に蹴り上げたボールがシュルシュルと同じ軌道を遡り廊下へと戻ってきた。誰もが目を見張り絶句した。漂っていた砂塵は逆方向へと流れを変え、散らばっていたコンクリートの破片が勝手に元の場所へと組み上がりぽっかりと空いていた穴を埋めていく。戻ってきたボールはぽん! と音を立て男子生徒になり、オリヴィアの腕の中にいたキジ猫も、再び坊主頭の高校生へと変化した。


「どうだ! 見たか! これぞ我がファンタジアに伝わる大魔法ぞ!!」

 オリヴィアが坊主頭をお姫様抱っこしながら、高笑いを決め込んだ。全員があっけに取られる中、吉川がホッとしたようにほほ笑みを浮かべて呟いた。

「お見事。さすが、ヨッシー。マジック大成功だね。ね? 先生、でしょ?」

「え……?」


 近藤は目を白黒させながら、ボールから人に戻った二年をじっと見つめていた。

「一体これはどういうことなの、吉澤君……」

 俺に聞かれても困る。俺だって、今しがた目の前で起こったことに全然”現実感”を持てなかった。本当に、夢でも見ているかのような気分だった。

「お……おい。見たか今の……!?」

「どうなってるの??」

「クッソ、動画撮っときゃよかった……!」

 一瞬の静寂ののち、再び周囲にさざ波のようにざわめきが広がっていく。その様子に、オリヴィアはますます得意げに、満足そうな表情を浮かべた。吉川がオリヴィアの裾を引っ張った。

「みなさんお怪我もないようですし。僕らは朝の授業の準備をしなくちゃ。行こう、ヨッシー」

「あ……ちょっと!」

 唖然とする集団を尻目に、そそくさと三階に向かおうとする吉川の背中に、近藤が慌てて声をかけた。

「待ちなさい! ……っと、とにかく! この件は校長先生にも報告しますからね〜!!」

 ……校長だって、こんなことを報告されたって”自分にどうしろというのだ”って感じだろう。近藤から『生徒が上級生を猫やボールに変えてしまったんです!』と相談される校長を想像して、俺は少し同情した。吉川は爽やかな笑顔で近藤に手を振り、オリヴィアの手を取って逃げるように人混みの向こうへと消えていった。俺はゼリー状の体をなんとか奮い立たせ、うねうねとスライムみたいに這いずりながら彼らの後へとついていった。


□□□


「まずい、まずいよヨッシー」


 誰もいない視聴覚室にオリヴィアを連れ込むなり、吉川は困ったように顔を歪ませた。カーテンが締め切られ暗い教室の中に、吉川の慌てたようなささやき声が響き渡った。

「あんな人前で堂々と魔法を使うなんて。ていうかヨッシー、魔法の道具なんて持ってたの?」

「ウム」

 俺の体に転生したオリヴィアが頷いた。オリヴィアは無造作にポケットから杖を取り出して見せた。吉川が目を丸くした。

「そんな……」

「どうした。何をそんなに慌てることがある?」

「知らないの!? 法律……許可なくよその世界の魔法やら道具やら持ち込んだら、犯罪なんだよ?」

「ウム。知らん」

 オリヴィアがまたしても頷いた。吉川が絶句した。俺も絶句した。これじゃまるで、俺が法律すら知らない世間知らずで、しかも白昼堂々と違反行為を繰り返して喜んでる阿呆みたいじゃないか。時間が進むたびに俺のキャラが崩壊していくが、もはや取り返しがつくかどうかも分からない。先ほどは吉川が機転を利かせ、目の前で起こった魔法を”全てマジックのせい”と言うことで無理やり場を収めたが、果たしてあれで納得できる人間がどれほどいるだろうか。


「僕のおじさんに……」

 事の重大さが分かってなさそうなオリヴィアに、吉川が少し気まずそうに語りかけた。

「昔、異世界から魔法のランプをこっそり持ち込んだ人がいたんだよ。ランプをこすったら、どんな願いでも三回まで叶えてくれるっていう魔法の道具……でもそのおじさんは」

『…………』

「お酒の席でその道具を仲間に自慢したばっかりに、悪い奴らに狙われる羽目になっちゃった。そりゃ、魔王のランプなんて、誰だって欲しいよね。結局おじさんはランプを奪われて、さらに違法ルートに関わったって事で今刑務所にいるよ」

『……!』

 俺はその話にゼリー状の体を慄かせた。刑務所……。そうだ。魔法が使えるだなんて、わざわざ人前でやってみせるメリットがないのだ。

「とにかくヨッシー、人前で魔法を使うのはやめたほうがいいよ」

 俺は本当に心から吉川に感謝した。さすがだ。やはり持つべきものは友人ということだ。ここで諭してくれる友人がいなかったら、オリヴィアはこの世界の法律など何も知らず、暴走は止めることはできなかったかもしれない。

「なぜじゃ?」

「なぜって……」

 だがオリヴィアはまるで事情が分かってない顔で首をかしげた。吉川とゼリー状の俺は眼を剥いた。

「だって、狙われるんだよ? 魔法の杖なんて持ってるって知られたら、みんなそれを奪いにくるよ。このままじゃヨッシー、もっとヤバいところから目つけられちゃうよ!」

「フム……」

 オリヴィアはなぜか満足そうに顎を撫でた。

「構わん。どんな強い奴が現れようと、返り討ちにしてくれようぞ」

 吉川が再び閉口した。俺も頭を抱えた。そりゃお前は構わんだろうが、俺は構う。なんせその体は俺のだし、万が一指名手配されでもしたら顔写真には俺の顔が映る事になる。

「むしろそれが望みじゃ」

「それが望み……!?」

 オリヴィアが、俺が望んでもいない事を勝手に望み始めた。意味不明の望みを語られ、さすがの吉川にも動揺が走った。

「左様。この世界の強者どもをかき集め、なぎ倒し、鍛え上げ、そして……」

 暗い教室の中で、困惑の表情を浮かべる吉川にオリヴィアが不敵に笑ってみせた。


「いずれは我がファンタジア奪還に向けて、最強の軍団を作り出すのじゃ!」

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